【10】ゴーストライター【09】
◆ ◆ ◆
ゴーストライターとは。
それは、簡単に言ってしまえば『誰かの代わりに作品を作る仕事』である。
「ゴーストライター……なんている訳ないじゃん?」
少し不思議な顔だった。
嬉しそうにも……安堵しているようにも、諦めているようにも見える、独特な顔。
「そ、そうだよな。ごめんな急に変なこと」
「そッス、ね! すみませんス!」
ハルルと俺が謝ると、「気にしないで」とアピアは笑って見せた。
アピアはコーヒーカップを手に取って──中身が無かったことに気付き、戻す。
多分だが……この子、アピアはゴーストライターだろうな。
つい好奇心で突っ込んでしまったが、会って間もない俺らが関わっていいことじゃないな。
ゴーストライターも立派な仕事だ。
俺は、勇者をしている時に自伝を書かないかと打診されたことがある。
──打診? ははは、まぁ書いちゃったんですけどね。
俺は文章のプロじゃない。あくまで別業種の人間だ。
剣と戦いのルールは分かっても、文章のルールなんて分からない。
そういう人のフォローとして、編集や構成のゴーストライターを立てることはよくあると聞いた。
というか俺も、構成担当者が居てくれた。
──でも自叙伝的な物、詩集など全部はノリノリで書き下ろしてしまったので、本当に焚書して欲しい。
ともかく、その場合は、編集者誰それや協力誰それと書かれる。
「──こ、これはさ。自分の姉弟子の作品で。
書き方の勉強で借りてきただけなんだ。
まだ発表前だから皆に言わないでね。バレたら死ねる」
「ああ、分かっ──」
「本当ッスか? でもどう見たってさっき書いて──もごぉ!?」
興奮して立ち上がったハルルの口を物理的に押さえた。
「あ、あはは。えっと、その」
「書き写して勉強していたとかなんじゃないか?」
「そ、そう、かな」
ハルルが暴れて、こちらを見てくる。
上目遣い……あれ、掌のこの感触って……あっ。
俺は慌てて手を離した。
──息苦しそうとかじゃなくて、俺、右手でハルルの唇を。
「アピアさん、そのゴールドローズって人の代筆を」
「し、してないよ」
アピアが言い淀んだ。
「でも、なんでさっき。嬉しそうにしてくれたんスか?」
「う、嬉しそうなんて」
「気付いて貰えた、っていう顔と……隠さなきゃって顔でした」
「それは」
「それと恥ずかしいって顔と後悔と!」
「ああもう、やめてって」
アピアが言うとハルルが静かになる。
「……仕事なの。そういう仕事」
観念したのか、アピアは声を低く言った。
「そうなんスか?」
「そうだよ。マジ死ねるよね。自分の名前じゃなく、人の名前で書いてさ。
でも、そうやってお金を貰わないと生きていけないし、仕方ないの」
「本当の本当に、そうなんスか?」
「そうだよ」
ハルルはアピアをまっすぐ見ていた。
アピアは目を逸らす。
「アピアさん、面白い作品書いてて、ちゃんと工房に勤めてるのに、なんでゴーストなんス?」
その指摘に、俺もはたと気づいた。
確かに、その辺のアマチュアとは違う。
工房という組織なら新人が売り出されるタイミングがあるはずだ。
アピアも、痛いところを突かれたのか、唇を噛んだ。
「本当はアピアさん、理由があってゴーストやってるんじゃないっスか? それで、ゴーストをもうやりたくないんじゃ──」
「ハルル。ストップストップ」
少し小声でハルルを諫める。
「……すみませんス」
しゅんと声を落としてハルルは席に着いた。
アピアは、少し驚いた顔をしていた。
「悪いな。なんか急に色々言っちゃって」
「え? あ……い、いえ。その、別に大丈夫です」
「ごめんなさいッス」
「う、ううん。ハルル。全然……むしろ」
アピアがそこまで言って、言い淀む。
「?」
少し切なそうな目で、ハルルを見つめていた。
それからアピアが口を開けようとした、まさにその時。
「アピア!! 休憩終わり!! 早く次に取り掛かって頂戴!」
またあの声だ。
振り返ると、派手な鳥帽子に今日は踊り子のような真っ赤なドレスを着たゴールドローズさんがいた。
「ごめん。行くわ」
「あ、あのっ! アピアさんッ」
ハルルが声を張った。アピアは、ちょっとだけ振り返った。
「何?」
「……あの英雄譚劇、面白かったッス! だから」
「ありがと。また、カフェに来るから。その時にね」
アピアは振り返って、まるで少年みたいにニッと笑った。
……そして、アピアがゴールドローズと合流して歩いて行った背中を見送り、俺は腕を組んだ。
「ハルル。思ったことを言っていいか?」
「……うっ、急に骨折した左腕がー」
「そっちは右腕だぞー」
「はっ! うー、骨折したこっちの腕がー」
「やり直さんでいい。ったく」
「えへへ……いや、師匠。分かってるッスよ」
「何?」
「アピアさんに首突っ込まなくていいだろ、ッスよね?」
「……まぁ、似たようなことを言おうとした」
「でもッスね。私……放っておけなかったッス。ほら……橋の上の時も」
ああ。そうか。
言われてようやく思い出した。
アピアと出会った時、あの子は自分の原稿を捨てようとしていた。
「お節介、っていうのは分かってるんスけどね。
相手が迷惑かもしれないっていうのも。ただ、その。それでも」
ハルルが申し訳なさそうな顔をする。
「そうだな。別に頼んでもないのに家を探し当てて、乗り込んできて弟子にしてくれと
懇願してくるような、お節介を通り越して無茶苦茶な迷惑行為の狂犬だったな」
「ぅ……申しわ──」
「ただ、確かに。お前のする無茶な行為で、救われた──っていう奴もいるだろう」
「え」
「お前の真っ直ぐすぎる所は正直、危なっかしい。
だけど、それが長所でもあるからな」
そう……こいつが真っ直ぐじゃなかったら。
きっと俺は、今でもあの部屋の中で毎日を独りで過ごしていただろう。
「師匠……っ!」
「まぁ。お前の無鉄砲さに俺は慣れてるけど、普通の人間は慣れてないはずだからな」
「う、うッス。お説教タイムッスね……」
「説教じゃないぞ。一般道徳の時間だ」
「ひぃ」
◆ ◆ ◆
自分の名前は、アピア。アピア・シェム。
シェムっていうのはこの国の南東にある土地の名前。
本当は、自分には苗字がなかった。
でも、白帽子に入った時、名乗りで苗字を付けなきゃいけなくなった。
白帽子は、この国五本の指に入る演劇工房の大手。
貴族も相手にする為、苗字か煌びやかな雅号が必要となるそうだ。
自分は、六歳の時にこの工房に入った。
他の国の旅人から驚かれるが、共和国の学校制度は他国と大きく違うらしい。
この国の約七割強は、六歳になると職人がいる工房へ進学する。
残りの三割弱は貴族の子供たちで、彼らは国立学校へ進む。
工房へ進んだら、そこの職人を師と仰ぎ、複数の兄弟姉妹弟子と一緒に職業に必要な勉強を積み重ねる。
途中で不向きとなれば別職の工房へ進学するという形だ。
自分と入った同期は殆ど残っていない。
運よく、残ったのは自分だけで……役者に回る人間やまったく別の工房へ行った人もいる。
この国は、工房ごとで人を育て、仕事を作ることを推奨し、その結果多くの芸術を世間に出すことが出来ている。
だから。
路地裏に入り、ゴールドローズがゆっくりと歩きながらこちらを見た。
「ちゃんと書きあがったんでしょうね、アピア」
ゴールドローズがそう言った。彼女は自分の姉弟子だ。
「はい……。出来て……ます」
上下関係はとても強い。死ねるほど、硬く強い。
まぁ、それを差し引いても、ゴールドローズに、自分は頭が上がらない。
でも──頭の中に、ハルルの顔が浮かんでいた。
「あの……」
「ん?」
「自分も、名前……載せて貰えないでしょうか」
──ゴーストライターを始めたきっかけが、ある。
それは、ある後ろめたさからだ。
でも……ハルルに真っ直ぐに言われて思い出した。
自分は、ゴーストライターをしに、この工房に入った訳じゃない。
「その。自分も、そろそろ……脚本家に」
ゴールドローズの足が止まった。
「ふざけるんじゃない。クソガキ」
侮蔑の眼差しが、自分に向けられた。




