【09】ファンブル100【22】
◆ ◆ ◆
──やがて歴史が、この出会いを『最大の不幸』だと言うとしても。
──アタシは、堂々と胸を張って否定する。
──アタシの幸せは、『この場所にしかない』と胸を張り、我慢しない大声で叫ぶだろう。
交差点の町から程近くの森の中に、小さな泉があった。
そこで、オレは皆を待っていた。
ラキは、今、狼先生が作った石のベッドの上で寝ている。
王鴉のノアは、ラキの隣にいる。ラキの体に自分の羽を広げて乗せている。
心配してくれているようだ。
それと、ラキの首輪と繋がってるナイフは、今はオレが代わりに胸に刺してる。
刺した瞬間は激痛だったけど、今はそんなに痛くない。不思議な魔法だ。
これで、オレの生命力とか血とかをラキに流し込んでいるらしい。
でも血液には型があって、別の型入れるとまずいって聞いたけど……。
まぁ、レッタちゃんは治癒魔法の専門家らしいし、対策されてるんだろうな。
黒い靄が光った。
ああ、皆、戻ってきた。
「ラキはっ」
開口一番に黒髪黒目になったハッチがラキに近づきながらそう言った。
「まだ分からん。だけど」
良くなっている……ようには、見えない。
呼吸は浅く、肌には生気がない。
──この紐で繋がっているからか、脈拍も伝わってくるが……それも、非常に小さい。
ずっと、この状態が続いている。
「ガーちゃん、ありがとう。代わるよ」
「うい」
ナイフを抜く──痛っ!? 抜くとすっごい痛いなっ!?
そのナイフを、ハッチは胸に刺した。
凄い。顔色一つ変えてない。
ふと、レッタちゃんを見た。
「れ、レッタちゃん!」
右腕が、痛々しく腫れてる。それに左腕は火傷みたいになってる。
「ど、どうしたのっ」
『無茶な戦いをしていた。今、回復する』
狼先生も回復や治癒の魔法、使えたんだな。
けど。よく見たら。
腕の怪我のせい……じゃないだろう、レッタちゃんの顔が険しいのは。
とても、暗い。辛そうな、いや、怒っている? 深刻そうな顔だ。
「……レッタちゃん」
呼びかけると、ようやく気付いてくれた。
だけど、オレ、何を言えばいいんだろう。
何も、言葉が出ないよ。
「ガーちゃん。心配しないで。大丈夫だから」
レッタちゃんが、先に言葉を出した。
気、遣わせてしまった。まただ。また。
『ガー。怪我してないのに重傷な顔をしているぞ』
「え」
『眉間。皺が寄っている。少し休め』
「あ……ああ」
狼先生に優しくされた。
でも──そう、ハッチのことがあったから、保留してたけど。
狼先生は、次の冬の終わりが来たら、レッタちゃんの命を貰うと言っていた。
それが、契約だって。
契約。くそ。考えるの、苦手なのに。
「! ラキが目を開けたっ」
ハッチの声がした。
慌ててオレも、レッタちゃんも近づく。
薄目を開けたラキが、ハッチを見た。
「みんな……ボロボロ、ちゃん、ですね……」
ラキの手をハッチが握った。
声が、掠れている。これは。
「ラキ……喋らないで大丈夫だから。治癒中なの、今」
「ハニエリちゃん……聞いて」
「今は。お願い、今は」
オレは、ハッチの肩に手をやっていた。
「……聞いてあげた方が、良いと思う」
多分。これが、最期の……。
ふと、隣にレッタちゃんが来た。
「あり、がと。ガーちゃんに、レッタちゃん。回復は、レッタちゃん、だよね」
「うん」
そう答えながら、レッタちゃんはオレの服の裾を掴んだ。
左手、痛そうだけど、それでも力強く。
「こんなに、喋れるように、なった。ありがとちゃん……だよ」
「……うん」
そう答えてから、レッタちゃんは俯いていた。
レッタちゃんは、とても小さく、悔しい、と呟いた。
「ガーちゃんも。ありがと、ちゃん……私ちゃんの、煙草。
未開封あるから、吸いきっちゃって」
「ありがとう……大切にする」
「大切にするものじゃないけどね、煙草」
ラキは、少し茶目っ気を持ってそう言った。
それから、ラキは一呼吸をして、ハッチを見た。
「……泡、化粧は……大声、出したら解けちゃうから。
静寂の、聖女ちゃん、演じ続けるように……声、荒げなければ。解けないから」
「……知ってるよ。そういう術技だって」
ラキは、優しく目を細くした。
「これで、ハニエリちゃん……ようやく、我慢、しなくて済むね」
「ラキ?」
「ずっと……お母さんに、縛られて。聖女に縛られて。
生きたいように生きれてなかったから」
「そんなこと」
「ハニエリちゃんは、ずっと……苦しんで、たから」
ラキが、けほっと咳をした。血が、伝う。
「ハニエリちゃん。お母さんに、酷いこと、言われてたから」
「あんなの。気にしないよ」
「生まれてこなければ、なんて。絶対に違う。ハニエリちゃんが、生きてたから……。
大袈裟、かも。でも、生きてたから、楽しかったの」
「ラキ」
「それに、だから。化粧……教えようって、思った。……あ、そうだ……謝らなきゃ、ね」
「ラキが、実は化粧の仕方を知らなかったこと?」
「……知ってたの?」
「うん。化粧は得意って、嘘だったんでしょ? だから、一生懸命練習して……だから」
「ありゃま……バレ、てた」
ラキが笑顔を作る。合わせて、ハッチから大粒の涙が零れていた。
「術技になるくらい、練習してくれたんだもんね」
笑顔だった。ラキは、笑顔だ。
「これから、大声、出さなければ、その化粧は崩れないから。
……ようやく、自由に色々なところに行けるね。世界中をね」
「ラキ。貴女も、一緒だよ」
ラキは、答えなかった。
「ラキ?」
微笑んだような顔で。
「ラキっ」
──そうでした。ラキちゃんは、あの時から、ずっと伝えたいと思っていたことがあります。
──もう、唇を動かすことも、億劫な。でも、それでも。
──『生まれて来なければよかった』という呪いを。
──願わくは、彼女が解けるように。精一杯の祈りを込めて。
「大好きだよ。ハニエリちゃん」
オレは、レッタちゃんの手を握っていた。
泣いていたから、オレは。
レッタちゃんは、泣かないけど。オレは、辛かったから。
──ラキ。ごめん。でも、もう我慢しなくていいって、言ってくれたじゃん。
黒髪が、泡になって崩れていく。
蜂蜜色の元の髪に変わってしまう。
──大声を出すな、なんて、無理だよ。
全ての思い出を吐き出すような彼女の叫び声は、暗い星空へ放たれていった。




