【02】あなたを、好きなんですから【05】
ハルルが、人ひとり詰められそうな大樽をあの男の頭の上から叩き落とした。
ギルドは水を打ったように静まり返り、テーブルから酒がぽたぽた落ちる音が嫌に耳に聞こえた。全身が酒まみれになった男の胸倉を、ハルルは掴んでいた。
「その時、あんたたちは動いたんスか?」
静まり返ったギルド内に、ハルルの声が響いた。
「は、はぁ?」
「さっき、魔王との最終決戦、見てた、って言ってたじゃないスか。その時、あんたらは何かやったんスか?」
ハルルの静かな声と、その小さな体から滲み出る真っ直ぐな怒気に、男は気圧されていた。
「矢を射るでも、魔法を撃つでも、石を投げるでもいいッス。誰か、参戦したんッスか?」
「ばっ! 馬鹿野郎! できる訳ねぇだろ! 最強の勇者と魔王の戦い──っ」
「だったらなんで! 勇者一人のせいにしてるんスか!?」
斬り裂くような大声。
ハルルの声に、周りに居た誰かが声を上げる。
「ゆ、勇者のせい、じゃなくてよ。あ、あいつが人を殺したってことが、事実でよ」
「そ、そうだぜ、嬢ちゃん。あの勇者は」
「勇者が殺したのは、事実かもしれないッスね。けど、それは、勇者が殺したわけじゃないッス」
「な、なにわけわかんねぇことを」
「女騎士を殺したのは、一人の勇者じゃなく、ここにいる全員の無関心だって言ってるんッスよ!」
「確かに、その現場に私はいなかったッス。でも、そこにいたら、何か出来ないか、私は考えるッス!! 今からでも、何か出来ないのか、ずっとずっと考えてるんスよ!!」
それに! と声を荒げて、ハルルは男の顔に顔を近づけた。
「あんなに優しい勇者が、仲間を殺すなんて! そんなことしないって!! ちょっと考えたら分かるッスよ!!」
後ろから見てても、ハルルが泣きながら叫んでいることは分かった。
震える声で、震える拳を握って。
「何もしなくても、最強の勇者なら大丈夫だって!
そうやって無理をさせ続けたから、最後!
最後は、どうしようもなくなって、サシャラさんごと貫くことになったんじゃないんスか!?
誰かが加勢してたら変わったかもしれないじゃないスか!
なのに、俺たちは見ていたって、ふざけるんじゃ──」
「ハルル。ストップだ」
振り下ろそうとしたハルルの拳を、俺は、止めた。
男を掴むハルルの手も、ほどく。
足の力が抜けたのか、男はしりもちをついてへたり込んだ。
「それくらいにしとこう、な」
ハルルの目から大粒の涙が流れた。
……俺の為に、泣いてくれているのか。
ありがとう。と、口の動きだけで伝える。
「ちょ! な、何やってるんですか!?」
受付嬢さんが戻ってきて大声を上げた。
「すみません。俺の連れが、もめまして。ギルドの補修費とは、明日にでもこいつと一緒に払いに来ますんで」
受付嬢さんは混乱しているようだ。
へたり込む熟練勇者と、泣きながら怒っている新人勇者。
そして、周りの熟練者たちですら、固唾を飲んで見守っている状況。
まぁ、途中から来て、事態を把握できる奴はいないだろう。
とりあえず、へたり込んだ男の前に、ポケットから金貨を二、三枚落とす。
「迷惑料。悪かったね」
雑誌、『その時、勇者が動いた』を拾いあげ、ハルルの肩を抱き、ギルドの外へと出た。
◆ ◆ ◆
日が沈み、夜の風が吹いていた。
ガス灯がまばらに、石畳を青く照らす。
……何も、喋ってない。
ハルルの肩を抱いたまま、ギルドからまっすぐ俺の家に向かって歩いている。
その間、お互い何も喋っていない。
というか、ハルルに関しては、何故か時折、俺を睨んでいるように見える。
いや、拗ねている? 分からない。
「ハルル。どうしたんだ?」
たまらず尋ねると、ハルルは、キッと睨んできた。
「なんで言い返さないんスか!?」
「え、いや、え?」
「酒場で! あんなに言われて! なんで!」
いや……あそこで言い返すと俺がライヴェルグとバレるっていうのもあるし。下手にモメた方が後々面倒だからな。
「別に、何言われてもなぁ」
「麦酒、頭から!」
「あれくらいじゃ怒らないだろ」
「それに、仲間殺しって! 酷い言い草を!!」
「いや、客観的に見たら事実だしな」
フグみたいにハルルは膨れた。まずい、針が飛んでくる。
「事実でも真実じゃないッス!! 無実ッス!! 正当で仕方ないッスよあの場面では!!」
あの場面って。お前、あの場面見てないって自分で言ってたろ……。
「勇者様が! 勇者様の、辛い、そういう、悲しいことを掘り下げて! なんなんスかあいつらは!!」
「声がでかいっ。お前、もう夜なんだぞ。怒ってくれるのは嬉しいけど」
「声も大きくなるッスよ!! なんれふか! 私の勇者様を、あいつらはぁあああ」
ん?
「それひか方法は、無はった! そういう場面した!! 勇ひゃ様は何も間ひがえてない!」
ん? んん??
ハルルの顔を覗き込む。
「なんれふか?」
暗くてよく見えなかったが……よく見れば。
「お前……なんか、顔赤くね?」
ガス灯の下で、よく見れば、目も充血し、頬も、耳まで赤い。
酒場の一件。そういえば、こいつはあの人一人がすっぽり収まりそうな酒樽を投げつけた。
酒気が充満していたが……まさか、ハルル、酔ってる?
「離してくらはいっ!」
手を振りほどかれる。そして、ツカツカとハルルが先に進んでしまう。凄い、綺麗に弧を描いて壁に向かってやがる。
「おいおい、止ま──危ないっ!」
瞬速──以前、魔物との距離を一気に詰めたように──、躓いて転びそうなところを、抱える。
「ええい、離してくらはいっっ」
「いやいや、お前、今、マジで危なかったんだ、って痛い痛い」
ぽかすかと軽く俺の体が叩かれる。
手を離すと、ハルルが立ち上がって、俺の顔に顔をぐっと近づけた。
「わたしは!!」
涙をいっぱいに蓄えて潤んだ目が、目の前にある。
「あんなに言われて、ムカつきましたっ」
「……そうか」
「ししょーはもっとむかついていいのに、なんでムカつかないッスか!」
「それは……」
ぐいっと、俺の頬に圧が掛かる。ハルルが俺の両頬を挟んでいる。
「何す──」
「あなたに、助けられてから、ずっとずっと、ずぅーーーーーっと」
「あなたを、好きなんですから」
は。ハァ!?
「勇者様、ずっと、私の憧れで、尊敬で……それで」
あ、ああ、えっと、あれか。よく言う異性愛ではなく友人愛ってやつか。
びっくりした。
あまりにも、顔がそういう顔。いや、九つだか下の女の子に俺は何を考えてるんだ。
頬触れる手から力が抜けた。
優しく、俺の頬が撫でられた。
「あの、」
顔が、近づく。
おい。え、えっと。
夜の風が、吹き、銀白の髪が揺れる。
透き通った薄緑色の目が、どこまでも綺麗で。
あまりに突然で……心臓が跳ねた。どきどきと、胸が鳴っていた。
そして。
「吐きそう」
「が、がまんしろ!!!!!」
(吐きそうというカミングアウトが)あまりに突然で……心臓が跳ねた。
(家のトイレまで間に合うか)どきどきと、胸が(不安で)鳴っていた。




