【09】加護あらんことを【05】
◆ ◆ ◆
少なくとも、アタシが知っている人間は、みんな喋りたがりだ。
「聖女様! 今年は豊漁です! 去年の倍は魚が取れたんですよ!
全て聖女様の祈りのお陰です!」
いいえ、漁師の皆さんの技術ですよ。
後、昨年が凶作ならぬ凶漁というのを聞いてる。
だから、去年は一昨年の半分だったそうだ。
数字にすると、去年は前年比50%。
で今年が、去年の倍、前年比200%ねぇ。
それ実質、一昨年に戻っただけだからね?
とは言わず、微笑み、頷く。
静寂の聖女という仕事は、そういうものだ。
そして、喋っていいのは一言。
取り繕った満面の大衆受けする笑みを浮かべて。
「よかった」
静寂の聖女は、昔、魔物に喉をやられて声が出せない。
もう二度と声を出すことは不可能だと言われていた聖女。
そんな聖女も、再適練習と祈りを重ねて一言二言なら喋れるようになった。
だから、そのありがたい肉声を聞ける人間は一日数十人限定。
とても貴重で、神聖さすらあるという。
──というのが、『静寂の聖女』という人物の物語だ。
みなさま、限定とか貴重とか好きなんだよ。
だから、その限定で貴重な言葉を聞きたがる。
「お、おお、静寂の聖女様の肉声が! ありがとうございます!」
そんな跪かなくても、ただの女の子なんだけどなぁ。
それからも、部屋に通された人たちの話を聞く。
「聖女様! 病気が治りました!」「聖女様! 娘が無事生まれました!」
「祈ってください!」「お祈りを!」「光を!」
「聖女様!」「聖女様!」「聖女様!」
はいはい、分かった。分かったよ。
みんな大変ね。だから癒しが欲しいもんね。オッケーオッケー。
みんな。
「加護あらんことを」
どうだー、この笑顔、可愛いだろー。
はは。自意識過剰? 少し違うかな。
この笑顔は、何十年も何千回も練習した笑顔だ。
もっと言えば、この笑顔を作る為に教会の何百人という人間が研究を重ねてきた。
民衆には話せないけど、幼少期は笑顔の練習だけで何年も費やす。
それに、洗濯バサミとか、子によっては工具まで使って笑顔を強制していく。
そうやって作られた、この笑顔。
効果は絶大。締めくりの笑顔で、時には涙する人もいる。
それを見送る。
先代も先々代も、そのまたずっと前も続けてきた伝統。
人々が感動してる様に、共感とか優越感を覚えられる性格してれば、この仕事は最高かもね。
残念ながら、アタシの精神はそういうモノじゃないみたいだけど。
全員、ばいばいしたのが十七時。ああ、顔が吊ってる。
まぁ、いつものこと。週三で八時間くらいの笑顔労働。
十二時間拘束で週五勤務の商店店員さんたちとか、深夜勤務前提の職人さんとかもいるんだから、これくらいは頑張らないといけないね。
「聖ハニエリ。今日もお勤めご苦労様」
皺が少ない女。私より背が低い、私のママ。
ママに近づくと、花をぶち固めたような香水が臭ってくる。
アタシの嫌いな臭いだ。花の煮凝りって思ってる。
「ママ、何? 何の用? もしかして明日も演れって?」
「せ、聖ハニエリ! 教会内では静寂の聖女として振舞いなさい」
大慌てでママはアタシの肩を掴む。
「だ、誰が聞いているか分からないんですよ! いつも通りに、欠落者を演じるのです」
欠落者。
そういう言い方にも、アタシはイラっとしている。
ママやパパの聖典には、喋れなかったり、目が見えなかったりする人間は存在しない。
人間から欠落した人間。だから、可哀想だ。そういう考え。
正直言って、気持ち悪い。
「はぁ……いつまで演ればいいのさ」
「もっと演じて! お願いだから! なんで、あなたは!
こうやって私に迷惑をかけて楽しんでるんでしょ!?」
始まったよ。
最早、金切声か金属音だね。人に見られたら、ママの方が目立ちそうだよ。
「楽しんでなんかないって」
「嘘よっ! いつもいつも私に迷惑ばっかりかけて!
また夜遊びしてきたんでしょ!? 知ってるのよっ、夜な夜な教会を抜け出して!」
「それは、ごめん」
「ごめんじゃないわよっ! お父様に怒られるのは私なのよ!
あなたの管理の一つも出来ないって!
もし怪我でもしたら、来月の聖女会で王子様方に会わせられないって!!」
「……商品の品質管理は徹底しましょうって?」
「そ、そうじゃないわよ!」
「顔に怪我でもしたら王子様を射止められないもんね」
「なっ、なんて不潔なことを言うの!? 違うわっ! あなたの為よ!
王子様へのお目通りは幸福なことなのよ!
私たちが一生懸命にあなたにそろえた美貌と美しい衣で、聖女としての活躍を──」
話にならない。
この人も、この家も。ずっとそうだ。
アタシは何も語らず、歩き出す。
裏手に出る扉に手を掛けた。
「せ、聖ハニエリ! まだ話が終わってないわ!」
アタシは、溜息を吐く。
あんたが心配なのは、商品としてのアタシの体で。娘の体を心配してない時点でさ。
「終わってんだろ」
鉄扉が重く閉じた。
そこから、アタシはまっすぐ離れの厨房に向かった。
こっそり入って、パンとレモンのジャムと、瓶詰になったソラマメを麻袋に入れる。
それから、魚……は難しそうだ。諦めよう。
階段を降りていく。
……地下に、ママは降りてこない。
あれだけ怒っても、娘と話そうって言う気はないみたいだし。
何よりアタシの機嫌を損ねるのも怖がってる人だ。
自室の途中にある来客用の部屋。
ノックをしてから、扉を開ける。
「その後、頭痛どう?」
「あっ! ハッチ! 頭痛、今は平気だよ!」
あどけない顔で少女、レッタはアタシに近づいてきた。
ただ、まだ頭痛がしているんだろう、とアタシは直感してる。
あの薬自体も、そんな強くない。一時的な鎮痛薬でしかない。
「それはよかった。でも無理しないでね。一時的なだけだから」
「はぁい」
「あ、そうだ、レッタちゃんたち。ご飯、少ないけど持ってきたんだけど、食べる?」
「ご飯! やったー! 食べる!」
「何かごめんな。ありがとな」
『鰊の発酵缶詰ではなかろうな。あれは鼻が死ぬ』
黒っぽい銀の大きな犬が。犬が!
「犬が喋った!?」
「おお、まともかつ新鮮な反応だ。えーっと、レッタちゃんの使い魔、かな」
「? 師は師だよ」
「あ、ああ、そうだけども」
せんせー? 使い魔? よく分からないけど喋るんだ。やっぱり外は凄い。
「とりあえずパンとレモンのジャムと、ソラマメの瓶詰。質素でごめんね」
「ううん、嬉しい!」
レッタちゃん、という少女が楽しそうに近づいてきた。
そういえば、この子が使ってた黒い魔法。あれはなんなんだろう。
ふと、目が合う。透き通った紫の目が綺麗だった。
「ハッチ?」
「ん、何?」
「夜遊びしよっか」




