2.ゴリラにされてしまうわっ!!!
「婚約期間は半年間、半年後に挙式し婚姻する旨で良いだろうか」
「はい!勿論でございます!!」
父とゴリラで全て決められてしまった。アイリーンが口を挟む間もなく、半年後にゴリラへの嫁入りが決定したのだ。
遠い目をしていると、視線を感じ、初めてゴリラ…ライリーと目が合った。射抜きそうなほどの迫力で見つめられ、最早逃げられないと悟ったアイリーンは涙目になりつつ、「宜しくですわ…」と絞り出すように言うのであった──。
その後気を利かせた公爵が席を外し、まさかの庭園を二人きりで散策する事態になってしまった。ギクシャクしながら公爵家の庭園を案内していると…
「アルバス嬢は、この婚姻は意に添わないだろうか」
ゴリラが真剣な瞳でアイリーンに問いかけた。核心を突かれ過ぎて何も言えないアイリーンにライリーは短く息を吐いた。
「アルバス嬢は殿下との婚約を破棄されたばかりだ。性急に決まったこの縁談…酷ではあるな」
──そうよっ!!可哀想に思うなら白紙にしてくれてもっ!!
期待を込めて見つめ返すが、ライリーは切なげに瞳を細めるだけだった。
「政略的と言え、王命だ。回避は出来ない」
「そ、そうですよね……」
やはりゴリラとの婚姻は避けられないのだと落ち込むアイリーンの肩にポトリと何かが落ちてきた。ふと視線を向けると、肩で何かモゾモゾ動くのが視界の端に見え、背筋が一気に凍り付いた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!虫、虫よぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
庶民を虫けらと蔑むくせに本物の虫は大嫌いなアイリーンは絶叫しライリーに反射的に抱き着いてしまった。ライリーは無表情で固まっているが、アイリーンは気が付く余裕など無い。
「ひぇぇぇぇぇぇ!!取って、取ってくださいぃぃぃぃ!!!」
「し、承知した……」
ゴリラ…ライリーが我を取り戻し、アイリーンの肩に止まっていた虫を手に取ると、虫は羽を広げて空へと飛び立って行った。
「虫は居なくなりましたかぁぁぁぁ!?」
「ああ、もう居ない…」
そう聞いてアイリーンは涙目でライリーを見上げた。ゴリラだけど、虫を撃退できるなんて、頼もしいかもしれないと思ってしまった。以前セオドリクと共に居る時には、アイリーン以上に虫に過剰反応を見せ、あろうことかアイリーンの陰に隠れた情けない姿(あの時は可愛いわ殿下と思っていた)を思い出してしまった。
「あ、ありがとうございました…」
「い、いや、構わない…」
そっと身を離したが、何だか照れくさくてアイリーンはライリーを直視出来なくなってしまった。抱き着いた時の逞しい身体、虫すら恐れぬ強固な精神……
──ご、ゴリラもやる時はやるのね…
何だかライリーを見直してしまったアイリーンなのであった。
◆◆◆
「ああ、ドライス家に嫁ぐのがこんなに大変なんて……」
正式な婚約が決まり、式の日取りも決定してからアイリーンの花嫁修業が始まったのである。貴族ではなく武家なのだから勝手も違うし、女主人としての役割も違う。
戦場に出る主人や騎士たちを支える為に、家の仕事はアイリーンに一任されるし、体調管理やら施設の管理やら何だかんだやることはいっぱいある。
毎日のようにドライズ家に通い、ライリーの母に教えを乞う。驚いたのはゴリラの母は普通の華奢な女性だったと言う点だろうか。父は同じくゴリラだったが…。
「アイリーンちゃん、夫を陰で支えるのは大変な役目だけれども、愛があれば大丈夫よ。まずは基礎体力も付けないとね」
──ゴリラに愛なんて無いわよ!それになんで運動させられるのかしらっ!!!
ティーカップよりも重たいものを持ったことなどないか弱い令嬢アイリーンを嘆き、ドライズ夫人のしごきが始まる。軽い運動から徐々に負荷がかけられ、少しずつ筋肉がついてしまった自身の腕を悲し気に見つめるしか出来ない。
──ゴリラにされてしまうわっ!!!逃げたい、切実に逃げ出したいわっ!!!
「あら、何かを考える余裕が出てきたのね。ではもう少し負荷を増やしましょうか?」
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
アイリーンの声が訓練場に響くのであった──
◆◆◆
──世界は私中心に回っているなんて、何でそんなこと思えたのかしら……。
傲慢で高飛車な令嬢として生きてきたアイリーンは、ドライズ家で過ごし、厳しい鍛錬を積まされる内に、徐々に今までの自分を悔い改めるようになっていた。
あんなに見下していた位が低い者たちに、日々励まされる日々。ドライズ家の騎士たちは優しくアイリーンを迎え入れ、最近は根性でノルマの鍛錬を達成させるアイリーンに温かな声援もくれるようになった。
使用人たちも、騎士たちも、一人一人が支えてくれて、高貴な生活が出来ていたのだと、身を染みて感じるようになった。
ゴリラ…ライリーもアイリーン以上の厳しい鍛錬を積み、戦場に出て戦い、この国を護ってくれていたのだ。
あの隆々とした筋肉は彼の努力の賜物なのだわ……──
今日も訓練場で剣を振うライリーの姿を見ながらアイリーンは以前のような嫌悪感は無く、むしろ今まで感じたことのない正体不明の想いが胸の中に灯ったのだった。
◆◆◆
「夜会ですか?」
「ああ、アルバス嬢と出席するようにとのお達しだ」
王宮での夜会にアイリーンは微妙な顔をした。元婚約者であるセオドリクがアイリーンを嘲笑う為に招待状を送って来たのだろう。
きっとセオドリクは新たな婚約者となったルーナをパートナーにして参加する筈だ。少しむっとしたが、目の前のライリーを見て怒りがふっと消えるのが分かった。
──ライリー様は騎士服かしら。祭典用の騎士服は素敵なのよね…きっとライリー様も……。
無意識に並び立つ姿を想像してしまい、アイリーンははっとなり妄想をかき消した。以前ならゴリラと夜会なんてっ!!と拒否反応を示していただろうにと自分の変化が信じられなかった。
──私、彼と並び立つのを…嬉しく思っているの…?
ぼっと頬に熱が灯る。そんなアイリーンをライリーは心配そうにのぞき込んだ。
「アルバス嬢、顔が赤いが。やはり母上の鍛錬は厳しすぎたのだろうか、大事ないか?」
「は、はいっ!!!問題ありませんっ!!!!」
未だ距離を感じるが、それは最初にライリーの『アルバス嬢は、この婚姻は意に添わないだろうか』と言われた言葉を否定しなかったからだ。
本当は名前を呼んで欲しいし、もう少し親交も深めてみたい…そんなことは口が裂けても言えない。
「夜会…、ライリー様のエスコートを楽しみにしております…」
「余り圧をかけるな。アルバス嬢の期待には添えないかもしれぬ」
勇気を出して言った言葉も余計なプレッシャーを掛けてしまったようだ。
素直になり切れないアイリーンは、見上げるほど大きなライリーの後ろ姿をぼーっと見つめるしか出来なかったのであった──