良純と秘密工場
「ここで僕の服が製造されていたのですね。」
結婚式用ドレスのために、元三厩合気道道場、現在昼は洋裁教室兼ご近所主婦の集会場となっている建物の事務所に玄人を初めて連れ込んだ。
洋裁教室を主宰し、この道場の管理を任せた道場主の元夫人で現在相模原東警察署署長夫人となった神埼伊都子は、年代物の足踏みミシンから顔をあげると玄人の姿に微笑んだ。
妖怪の夫と同じように年を取る呪いを受けている彼女は、妖怪が五十歳代に若返ったために五十歳の姿に若返った。
近隣の友人達が一切おかしく思っていないのは、彼女が元々若々しく美しい女性だったからだろう。
それともこれこそ妖怪の力か?
妖怪は武本家の菩提寺の前住職であった、三厩円慈である。
彼は武本町を守るために使った呪術により、二百五十年も寿命を延長されて不老不死になったのだ。
三厩家は飯綱使いの武本と兄弟の様な血縁関係なのだからして、碌なものじゃないのは当たり前だ。
三厩隆志と名乗っていた頃の彼は俺の恩人であり、楊の母校である大学の犯罪学の教授でもあり、そして、両親による虐待で鬱化した玄人に俺を引き合わせる画策をしたのも彼なのであった。
現在三厩隆志を辞めた妖怪は、神崎慈警視正と名乗り、相模原東警察署の署長として人生を謳歌している。
「デザインは良純さんがしているのよ。私達は彼の作った完成図を元に作っているだけ。時々型紙まで作ってしまうから良純さんは凄いわよねぇ。」
伊都子は事務所に設置されている小キッチンから練りきりと抹茶を持って来た。
花の形の小さな菓子は小さな豆皿に乗せられ、抹茶は素朴な下地を真っ白なクリームにくぐらせたかのようなデザインのカフェオレボウルで点てられていた。
「面白いですね。こうすると気軽で楽しいです。」
「こうするとどうしても抹茶が苦手な人は砂糖を足したりミルクも追加できるでしょ。」
「茶道はおもてなしの心って本当ですね。」
楊の「ちびはババァたらし」の意味が良くわかった。
伊都子は初対面の行儀の良い彼に喜び、既に孫か娘として彼をにこやかに受け入れているのである。
「それで、ドレスは水色じゃないと絶対に駄目かしら。」
抹茶の入っていたカフェオレボウルに堪能する玄人は、幸せそうに顔をあげた。
「男の子だから水色で良いよってだけです。」
答えると、すぐさま彼は抹茶の入っていたカフェオレボウルの質感を堪能し直している。
彼は高級家具と高級陶器が変態的に大好きだ。
俺にはわからないが、その器は有名な窒か作家かメーカーのものなのだろう。
「これは伊都子さんが焼かれたのですか?口当たりがよくって温かみがあって手触りも大きさも良くて、凄く素敵な作品ですね。」
「まぁ、わかるの?それにそこまで褒めて貰えるなんて嬉しいわ。若い頃に焼き物に嵌ってね、道場に夢中の夫を捨てて修行の旅に出ていたことがあるのよ。」
彼女が出て行ったと、三厩は同じ名前の女性が近所の金満な家で愛人をしていることを聞きつけるや、その家に殴りこみに行った過去がある。
恥ずかしい妖怪め。
俺が彼女達を知っているように、彼女は俺達の事を知っている。
俺が養父にアルバイトを申し付けられた時に雇ってくれたのが、何を隠そう三厩隆志だったのだ。
その当時から俺は彼女に息子のように可愛がられている。
それならば、俺の息子となった玄人はやはり彼女の孫同然か。
「男の子ってだけじゃなくて、サムシングブルーなのかもしれないわね。あのシルクのワンピースはどうかしら。濃い青一色の。下着が付けれないほど上半身に沿う形の。」
それは俺がデザインしたものでなく、伊都子が教室を開く客寄せ用に製作したものだった。