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彼女だけを愛していた男への贈り物

 遠野は今野によって援助交際の噂を立てられた。

 そして、その噂を根津の耳に流し込んだのは日比野であった。

 それは、根津に遠野を諦めさせるための行為であっただろう。

 だが、根津がその噂を聞いたからこそ「君を信じる」と遠野に告白し、百目鬼と別れたばかりの遠野が根津に傾いたのは皮肉な結果この上ない。


 俺は内線を押した。

 楊は俺の方を見ずに、俺が鳴らした内線の受話器を取った。


「なんだ?」

「俺が伝えます。」


 楊は俺の方を見て軽く首を振り、静かに受話器を戻した。


「どうした?可穂子のことか。」


 楊は親友だった男に身を乗り出した。

 親友の耳に真実を落とし込むために。


 遠野可穂子は二年前に殺されていて、この肉片がそうなのだ、と。


 俺の方では楊がどんな言葉を根津にかけているのか聞き取れないが、楊の口元は動いており、彼が根津に真実を確実に伝えただろう事は一目瞭然だった。

 真実を告げられただろう男は獣の様な叫び声をあげて立ち上がり、激高したそのまま楊に殴りかかり、楊は避けもせずにその拳を顔に受けて床に倒れた。


「ふざけるなよ!可穂子が死んでいるって何だよそれは!俺が日比野と可穂子を見間違えるわけが無いだろう。馬鹿にするのもいい加減にしろ!」


 楊は立ち上がりながら椅子の横に置いてある紙袋を取り上げ、その袋からクリーム色の表紙で装丁されたアルバムを取り出した。

 そしてそのアルバムを、楊は根津に差し出したのである。


「先日の鯰江の写真だ。お前と女房が写っている。鯰江は俺にお前の女房は日比野だって紹介したよ。結婚の招待状を送る時の電話に出たのはお前と日比野だったとも言っていた。招待状にも席札にも根津琴子とあったじゃないか。」


「いや、だって。いや、いつも、そういうのは可穂子が全部。いや、俺も見て、あれ、どうして、なんで。」


 根津は楊から台紙に張られた写真を手渡されて、恐る恐る開き、大きくぐらつき、震えながらそのまま床に座り込んだ。

 それからまた彼は叫んだ。

 慟哭と呼ぶにふさわしい獣の声で、大きく長い叫び声をあげたのである。

 叫び続ければ日常に戻れるというかのように。


 楊は叫ぶだけの根津を抱き締めた。

 根津は楊に抱きしめられ、彼を撥ね退けようと動き、そこで動きととともに叫び声も消えた。


「……だよ、何だよ。可穂子がどうして日比野になっているんだよ。俺は今まで可穂子としか呼んでいないよ。日比野だったら違うって言うはずだろ?何なんだよ。どうして写真が日比野なんだよ。俺は可穂子と式に参加したんだよ。鯰江が明るい服って言っているのに、あいつは黒いドレスで俺にも礼服を出してさ。せめて明るくしてやれって胸元にお揃いの花を飾って。」


 根津は、妻に成り代わった琴子が、遠野の姿にしか見えていなかったのだ。


「お前は、二年前に何かされたか?二年前の遠野の誕生日の事を思い出せるか?」


 楊の質問に根津は、ゆっくりと楊を見上げて見つめながら、思い出した事を思い出したまま茫然としながら語りだした。


「誕生祝に出かけたまま一日帰って来なくて、近所のレストランの宅配が来た。明日には帰るってメモと一緒で。ただ、それが凄く不味くて、一口しか食べられなくて、あいつがもう帰って来ないんじゃないかって、急に不安になって、俺は涙が止まらなくて。でも、食べなきゃあいつが来ないって、俺は、ああ、俺はあの不味い肉団子のトマト煮を食べたんだ。」


 根津は両目から涙を流したまま人形のようにゆっくりと机の上のガラス瓶へと顔ごと視線を移動して、その物が目に入ったそのままそれを呆然と見つめて動きを止めた。

 しかし、突然にうわぁと大声をあげた。


 根津はアルバムを振り回し、楊は根津から手を離した。


 自由になった根津は机に突進した。

 彼は机の上にあるもの、薙ぎ払えるものは全て、両腕で、アルバムを持った手で跳ね飛ばした。


 がちゃ。


 床に落ちたガラス瓶は割れ、空気に触れた赤黒いものは生き物のようにしなっと揺れた。


「うわああああああ。」


 根津は妻であったそれを、足で踏みつぶそうと足を上げた。

 楊は暴れる男が足を降ろしきる前に自分に引き寄せて、彼を庇うようにしてぎゅうと抱きしめた。

 楊の腕の中の男は必死で腕の中で暴れて足掻いたが、楊は殴られながらも腕の力を弱めることはない。


 終には静かになった男が楊に縋りつき、そのまま、ただ、ただ、泣くだけの状態となっても、楊は親友だった男をずっと抱きしめていた。

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