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根津

 ガラスの向こうには、楊と需要参考人である根津巧だ。

 机を挟んで座るだろう高校時代の友人同士は、今や敵同士のような状況だ。

 いや、敵だったのか。

 根津は遠野に本気で惚れていた。

 だからこその百目鬼への敵愾心。


 違うか。


 彼の恨みは百目鬼の親友の鈴木へと向かったのだ。

 鈴木は玄人と同じで、無抵抗の弱い奴だったから。

 俺はその一点だけで根津を見下せるが、楊には彼との三年間がある。


 楊は紙袋を提げガラス瓶を抱いて尋問室に入室すると、無言のまま机の上にガラス瓶をゴトリと置いて、そのまま椅子に座って紙袋を椅子の脇に立てかけた。


「何だよ。気味の悪い物を持ってくるなよ。嫌がらせか。」


 楊は指を交互にして組んだ手を伸ばすように机の上に置いて大きく息を吐き、根津を見返した。

 楊のその様子に、根津は楊を静に見返した。

 互いの視線がかち合ったそこで、ようやく楊が口を開いた。


「二年前、妻の様子でおかしなことは無かったか?」


 根津は楊の質問に眉根を寄せ、いぶかしがりながらも答えていた。


「突然に仕事を辞めた。認められて喜んでいたのに、子供が欲しいからってさ。俺の稼ぎだけじゃ以前住んでいた所は維持できないから驚いたよ。でもさ、あいつは優しくなって、安い所に一緒に引っ越してね。子供ができたからって結婚したのに流産したからさ、なんか、ようやく幸せになれるかなって。」


 根津はそこで言葉を切り、両手に顔を埋めた。


「何があったか知らないけどね、今野には申し訳ないよ。だけどさ、俺の女房だからさ、人殺しだって言われてもね。俺も浮気したり苦しめた事あるけどさ。あいつの事がずっと好きだったからさ。だから、俺は待つって伝えてくれないか?せめて、会えないなら。」


「俺には結婚のけの字も連絡も無かったよな。」


 楊の言葉に根津は顔を上げ、楊にふっと笑い言い返した。


「お前だって俺に年賀状もくれないだろうが。……それにさ、その頃にはお前は佐藤とお友達になっていただろ。佐藤が坊主になっていたのも驚きだけど、あんなに仲の悪かったお前らが仲良さそうに遊んでいるって聞いてさ。まぁ、それであいつも俺と結婚を考えてくれたんだけどね。それでもお前を呼んだら佐藤に知られるから嫌だってね。腹の出ている所を知られたくないってさ。」


「そんなに百目鬼に未練がある女でも良かったのかよ。」


 再び根津は両手に顔を埋めた。

 ただ先ほどとは違い、力を込めた指先が彼の顔にめり込んでいた。


「俺だってわからねぇよ。高校の時からずっと好きだったんだよ。あいつじゃないと嫌なんだよ。あいつに会えないならせめて教えてくれよ、可穂子は無事なんだろうな。なあ、教えてくれよ。」


 楊はガラス瓶の肉片を見つめた。

 それは二年前に加瀬がいた所轄に持ち込まれたものと同じもので、全く違うところで二年間保存されていたものだった。

 これは、根津自身が署に持ち込んで来たものだ。


 遠野可穂子の遺体は四人が所持していたオイル瓶と、二年前の被害者の遺族によって警察に持ち込まれ、証拠品棚に納められていた一瓶という、たった五片の筋肉組織だけである。


 戸籍上では根津は遠野可穂子と結婚し続けている。

 日比野琴子は自分が根津の妻だと思い込んでいるだけなのだ。


 根津と親交のなかった楊と鯰江は、日比野琴子と根津が結婚しているものと普通に信じて疑いもしなかった。

 根津達を知っている二次会の友人達は、根津の結婚生活が上手く行っていない事が周知の事実であり、根津を見下すような振る舞いのある可穂子の不在を喜びもすれば不思議に思いもしなかった。


 さて、日比野は遠野を殺害した事を忘れ、その代わりに根津の妻であると思い込んだのだが、殺した遠野の記憶もあるとしても、それを信じ込むのは容易かっただろう。


 彼女だけは百目鬼ではなく、根津の事を高校時代から愛していたのだから。


 遠野を殺す事となった最初の一撃は、根津への想いを抱いた日比野の強い憎しみからであった。

 日比野だけは、根津が不幸であるのは全て遠野が原因だと、遠野をずっと憎んでいたのである。

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