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もういいの

「この人。」


 俺達は玄人の指差す女性を覗きこんだ。

 それは背が高くて大人びた顔つきの美人だった。


「あ、島根じゃないか。」


「百目鬼は知っていたのか。バトミントン部の部長。島根は最近交通事故で亡くなったってさ。結婚して地方にいたらしいけどね。」


 しみじみと語る楊の顔は少々寂しげで、俺はその表情が高校時代の島根の時々浮かべる表情を思い出したのである。


 軽薄な俺達が集団で下校するその時、同好会と笑われていたラグビー部の騒がしい声が響いて俺達は一斉に彼らがいるグランドの片隅を振り向いた。

 タックルの練習なのか、ただのフザケなのか、折り重なって大笑いしている男達の姿。

 屈託なく笑って遊ぶ、俺や鈴木だけでは成り立たない友人関係の姿がそこにあった。


「人間饅頭男。」

「え?」


「いや。なんでもない。俺の遊びのメンバーの一人だったんだけどさ、好きな人がいるからって絶対に帰る子でね。鈴木が気に入って仲が良かったな。線香を上げに来てくれたって鈴木の両親が喜んでいたね。島根はお前と付き合っていたのか。」


「部長会議の後にお茶をするだけですよ。」


 バシッと玄人は楊に叩かれた。


「お前は黙れよ。」


「もう帰りたい。いじわるばかりじゃないですか。」


「じゃあ、さっさと探しなさいよ。例えば百目鬼の子供堕ろした奴とか。」


 唇を尖らせてアルバムに戻った玄人は、再び余計な事を口にした。


「よく見たら良純さんの子供じゃなかったです。物凄く強く良純さんの子供だと思い込んでいたから間違えてしまいました。本当の子供のお父さんはあの根津巧です。」


「ねぇ、クロト、それでどの女性がその人かわかるかな。」


 いつの間にか戻ってきていた葉山がコーヒーを玄人に手渡して、彼もコーヒー片手にアルバムを覗き込む。

 彼は刑事の顔に戻っていた。

 楊も、だ。

 意味のわからない事件が、男女の痴情のもつれの結果であるならば納得できるという事か。


「あ、この人。皆、この人と同じ顔をしていました。それで、子供を堕ろしたのは、多分こっちの人ですね。」


 玄人が指差した同じ顔は遠野とおの可穂子かほこで、子供を堕ろしたのは原田由美子だった。


「あぁ、遠野は覚えているよ。島根と同じバトミントン部の奴。こいつは上手かったから割合と長く付き合ったかな。」


 バシッと楊に頭を叩かれた。


「なんだよ。」


「お前は上手いとかそれしか無いのかよ。他にもっとこうさ。」


「無いよ。俺には何も無かったからね。感じないし、どうでも良かったんだよ。それに遠野は俺を振った方だよ。別に付き合う男が出来たからってね。」


 楊は俺に辛そうな目を向け「すまん。」と呟いたが、本当にどうでも良かったのだから仕方が無い。

 欲しいと思ったことも無い。

 手に入れたいと願った事も無い。

 ツンと袂が引かれた。


「どうした?」


 俺の脇には俺を見つめる子供がいた。

 誰にも支配権を渡したくないと、初めて思った俺の子供。

 親に虐待を受けていなければ手に入る事も無く、呪いで殺されかけなければ俺の養子にできなかった、一族郎党に愛されている子供。

 女性化しなければ恋人からも奪えなかったであろう、俺の愛人。


「帰りましょう。僕達の用事はもう無いでしょう。」


「山口はいいのか?」


 玄人は悲しそうに笑った。


「今日はもういいかな、って。」 

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