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愛すればこそ、愛する者の死肉だって喰らえるはずだ(馬12)  作者: 蔵前
十六 特定犯罪対策課の長い一日
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対決

「なぜ、祝詞を唱えるの?」

「界面活性剤みたいなものです。汚れを浮き上がらせるのですよ。」


 以前に不思議に思っていた俺が尋ねた時の玄人が答えたその言葉通り、玄人の祝詞によって、だんだんと汚れが浮き上がっていくようだ。

 気がつかなかった俺達の周りの空気が、玄人の祝詞が進むに連れて清浄化し、空気中の黒い粒子が消えて行くのである。


 緑色のドアが膨らんで人型になり、そして溶け、緑色のドアの前に立っていた女性の姿を俺達の前に露わにさせた。


 魔女という形容詞がふさわしい、人形のような整った顔に真っ直ぐな長い髪。

 そして、黒のドレス。

 相手も一心に何かを唱えている。


「ラテン語だ。」


 東大出の葉山が叫んだ。


「何を呟いているかわかる?」


「わかるわけないでしょ。ラテン語だってわかっただけだよ。俺の専攻はフランス語よ。」


「大した意味はないよ。適当にそれっぽい言葉で自分で作った呪文だろうね。何たらかんたらの神様に何たらを捧ぐからお願いを聞いてくださいって感じかな。」


 葉山の言葉に被さるように、とてもいい声、俺が暫くは聞きたくなかった声が背骨を響かせた。

 百目鬼の声は本当に人をたぶらかせる悪魔の声だ。


「しばらくしたら、あなたが経を読んでお終いですか。」


 目を煌めかせた悪魔は、俺を見ずに微笑みを大きくした。


「俺は必要ないだろう。」


「ウゲッ。」


 楊の声に前方に注意を戻すと、魔女が徐々に年を取っていっている。

 美しかった真っ直ぐな黒髪は色素が抜けてぼさぼさの藁のように拡がり、目は落ち窪み、白い肌はシミが浮き上がり、皺が顔を横断して沢山の溝が出来上がっていく。


 ラテン語を唱えていた魔女は楊の声ではっとした顔をして自分の顔を触り、何が起こっているかを知り、そして凄まじい目で玄人を睨むと再び何かを唱えだした。


「今度はオウディウスの詩の一篇か!そんなものも呪文になるんだな。」


 振り向いて見えた凄く嬉しそうな顔の悪魔に、俺はあんたが怖いよと呆然としながらも前にいる玄人集中する事にした。

 事実、魔女のラテン語を嬉々として楽しんでいる百目鬼に、楊も髙も鬼畜葉山でさえ毒気を抜かれている有様だ。


「それ以上やると死にますよ。いえ、死なないままその姿ですね。死人化します。」


 玄人の嬉しそうな声に俺は魔女に視線を動かすと、殆んどミイラ状態の老婆となった魔女が力なくぺたんと床に座り込んだのだ。

 玄人は満腹になった子猫のような顔で、座り込んでいる魔女を見下げている。


「あなたの能力は、その美しさごと、全て、僕が頂きました。」


 魔女に宣言すると、手を繋いでいた加瀬を突き飛ばすように振りほどいた。


「この、下郎め!」


 何が起こったのかと俺達が驚く中、加瀬は憎しみに染まった顔で玄人を睨んで、呪いの力を玄人に放出しようとしている。

 ああそうか、玄人が手を握っていたのは加瀬を守るため、それなのに、結局彼は魔女に影響されてしまったのだ。


 彼は玄人と対を成す程の能力者であったではないか。

 玄人を滅ぼす方の能力者。


「止めろ!加瀬!」

「山口動くな!」


 髙の教官時代の声に、俺は体の動きがピタリと止まった。

 金縛り状態の俺の目の前で、ゴウっと音を立てて黒いものが一気に玄人へと襲い掛かったのである。

 それは加瀬が解き放った全ての、あの明るい彼が身の内に抱えていた悲しみも苦しみも妬みさえ含んでいた悪意であった。


 彼はあんなにも苦しんでいたのか、と、何も見えていなかった自分を責めたくなるほどの深い深い慟哭を含んだ真っ黒の闇。


 俺は気づくのが遅過ぎて加瀬を止められず、玄人の盾になる事も適わなかったのだ。

 加瀬から湧き出た憎悪の塊が一気に玄人に向かって解き放たれ、ゴウっと狭い共有廊下で砂嵐のような粒子の粗い風が起こり、俺達は風に翻弄される。


「うわ。何これ!」

「ちょっと、山さん。うわ!。」


 楊と葉山が口々に驚きの声をあげている。

 見えなくても、物理的な竜巻のような空気の動きがこの共有廊下で起こっているのだ。

 そこでようやく俺は呪縛が解けた。


「クロト!クロト!大丈夫か?」


 真っ黒な風が止み、視界がはっきりしたそこには、美しい玄人が立っていた。

 全てを手に入れた女神の様な、壮絶ともいえる美貌に輝きながら。

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