愛する君に付く恐ろしいもの
一瞬の幸せ。
途中で通話を切られたのは、あの糞親父によるものだろう。
もう玄人とは一週間近く会ってもいなければ話してもいなかった。
正確には四日と十五時間だ。
一週間には程遠いが、俺には一年にも感じるほどだから良いのだ。
あの、十月十五日の夜の十時十五分からちょっと。
その間の俺は幸福の絶頂だった。
玄人は柔らかい唇で素直に俺に応えて、そして、彼が俺によって興奮を、快楽を得ていることが俺自身が感じるように感じた。
俺も雷に打たれたようだったのだ。
今までに、口付けであんな感覚になったことはなかった。
あれを再び出来るならば俺は何だってするだろう。
エロスに神々しさまで感じた行為に耽溺していた俺達は、発情した犬同然に無情にも百目鬼に引き裂かれたのだ。
あいつは自分から玄人を引き離すものであれば、それが神でも殺す勢いだ。
二日前には玄人から手紙が届き、百目鬼に外出禁止とスマートフォンを取り上げられた事を知らされた。
手紙には百目鬼に許してもらえるように頑張るから待っていて欲しい、と可愛らしく書かれていた。
俺は受け取ってから毎日この手紙を身につけ、事あるごとに読み返している。
最後に「愛しています。」と書かれているのだ。
俺も愛しているよ。
俺が書いたあの返事は君に届いただろうか。
「届くわけないよな。」
絶対百目鬼によって握りつぶされているはずだ。
また手紙を開く、あぁ、玄人。
「毎回思うが、添削して返してやりたくなる文章と字の汚さだよな。」
俺の手紙を覗いた百目鬼の親友は酷い事を言う。
彼は楊勝利。
百目鬼と高校時代の同期で親友で、俺の同居人だ。
正しく言うと彼は俺の上司で、俺が彼の家に転がり込んでいる居候ってだけだ。
俺は飼い犬、それも大型犬と共に彼の家にお世話になっているので、恋人の手紙を見られるくらいはなんてことは、……ある。
「覗かないで下さいよ。いいの。僕は彼の文字に期待なんかしていませんから。」
「期待しているのは体だけか。」
楊は彫の深い二重を意味ありげに細めて、哀れな俺を挑発してきた。
そんな楊はそこらの俳優以上の整った顔を持ち、百八十以上ある俺よりも低い平均身長ぐらいだが、手足が長く、均整の取れた体つきをした見事な美男子だ。
そして、人当たりのいい話し方と性格でいつもおちゃらけているようだが、実は仕事も出来るので、男女問わず相模原東署内で人気者の警部でもある。
玄人は世話になっている彼の事を、非常識の皮を被った常識人と評したことがあり、その通りだと納得しながらも玄人が百目鬼に似た碌でなさを持っているとがっくりとしたものでもある。
あぁ、そんな君が懐かしいよ。
そして、あの非道で外道な破れ坊主の百目鬼と楊が親友なことが腑に落ちなかったが、ここ数日時々見せる百目鬼並みの嫌な奴ぶりに、彼らは類友なんだと納得している。
「いやらしいですね。純粋に愛ですよ。欲しいのはクロトの愛だけです。」
楊はにやりと顔を歪めて俺をせせら笑った。
「じゃあ、一生出来なくても良いんだ。」
なんて嫌らしい三十男だ。
俺は言い返せなくて、グッと喉を詰まらせた。
あの黒曜石のような瞳に見つめられ、そして、あの唇。
あれは何だ。
赤ん坊並みの柔らかさではないか。
確かに玄人は百目鬼がするように閉じ込めて、自分以外の他人に触らせたくないと思った程の、いや、俺はそんな風に思っている。
ちょとまて、俺は今何を考えた?
百目鬼がするように?
「かわさん。百目鬼さんはクロトの事を俺のように愛しているわけじゃないですよね。彼は子供への父性愛だけですよね。」
俺は楊の、当たり前じゃん、がすぐさま帰ってくると思っていたが、予想に反して彼は腕を組んで考え込んでしまったじゃないか!