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愛すればこそ、愛する者の死肉だって喰らえるはずだ(馬12)  作者: 蔵前
十六 特定犯罪対策課の長い一日
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黒ドレスの部屋

「チクショウ。ドアの前に変な女達が居座って動かないよ。」


「みっちゃん。魚眼レンズから下がって。確認はもういいよ。奴らを入れないようにバリケードは築こう。チェーンだけだと心もとないから。」


 水野は佐藤と一緒で良かったと安心する。

 彼女はいつでも冷静でテキパキと判断するのだ。

 けれども部屋を見回して、水野はここは空室だった団地の一室でしかなかったと舌打ちをした。

 バリケードを築くものなんてない。


 奴らが部屋になだれ込んできた時に足止めになるものはないか。

 風呂場に走りこみ、やはりそこに何もないことを知った。

 彼女は打ちひしがれ、それでも体が勝手に動いて水道のレバーを上げてしまっていた。


 水が出た。

 これは勝機だ。


「さっちゃん。水が出た。あたしらが被った変なのを先にここで流そう。」


 するとすぐにトタタタと、相棒の軽い足音が駆けて来た。

 戸口に現れた佐藤は暗い表情をしているが、シャワーから噴出している水に目を輝やかせ始めた。

 彼女の顔は血の気を失っているが、額も両頬も赤く爛れている。

 水野は同じように爛れている自分の両の前腕を見下ろして唇をきゅっと噛むと、にかっと子供みたいな笑顔を作って相棒に声をあげた。


「ほら、さっちゃんから早く。」


 水野が差し出したシャワーに佐藤は犬のように頭から突っ込み、しゃがみ込んで水に打たれたまま動かなくなってしまった。


「どうした?」


 シャワーを固定して、水野もそのシャワーの水の中に入る。

 ジュワっと皮膚の表面が中和していく。

 赤く腫れた肌に冷たい水は気持ちがよかった。

 水野はしゃがんだまま顔を上げている佐藤の額の赤みを横目に見ると、彼女は固く目を瞑っていたが、シャワーの水の他に涙までも流していた。


 彼女は水野の身代わりとなって、顔に大量の汚水を被せられたのだ。


 時間はほんの数十分前。

 水野達は行方不明の根津の妻の居場所を捜すべく、親友の一人だという馬場志保のマンション戸口にいた。

 二次会に出席したメンバー全員連絡が取れなくなっており、朝方横浜市の港で根津の妻らしき女性の遺体が海中より発見されたのだ。

 馬場志保の自宅は署から一番近くにあり、そこで水野達はまず馬場の自宅を確認することにしたのである。


「留守かな。」


 呼び鈴を押しても応答がなく、水野が何の気もなくドアノブを廻した。

 かちゃ。


「あ、開いた。」


「あら、空巣かもしれないから、警察官として確認してあげないとね。」


 佐藤は颯爽とドアを開けて中に入っていき、水野はこういうときに佐藤を尊敬する。

 いつか佐藤の父に、佐藤の事を「豪胆だ」と褒めた事がある。

 相模原東署の隣の所轄で警部をしている佐藤の父は、太ってはいるがまだ端整な顔を怯えたように歪ませた。


「妻そっくりなんだよ。」

「そこは喜ぶどころじゃないんですか?」


 しかし娘が母親似だと喜ぶどころか脅えまで佐藤の父は水野の前で見せ始め、水野が彼を見守っていると、不穏な事をぶつぶつと呟きだしたのである。


「ゴキブリをさ、素手で顔色も変えずに叩き潰せるの。僕の奥さん。それで、ご飯をおいしいねって褒めるとね、お粗末さまでした!て返って来るのよ。」


 佐藤さとう重政しげまさ警部の妻は茶道の師範をしている。

 水野は、そうかあ、とだけ言って、中年の親父にチョコバーを渡してやった事を思い出した。


「ほら、みっちゃん早く。」


 佐藤の呼びかけで馬場の部屋の中に入ると、佐藤から注文があった。


「靴カバーつけて土足で。ここで裸足は危険だよ。近くの署に応援と現場保存を連絡したから。私達は現場の写真だけ撮って何も触らない事にしよう。」


 水野が玄関先で躊躇していた間に佐藤がそこまで行動していたとは流石だと、水野は相棒を再び賞賛しながら靴カバーをつけ始めた。

 玄関口で何気なく顔を上げて、視界に入った部屋の様子が目に入るや、水野は一瞬で後悔した。


「しまった!」


 玄関先から見通せた小さなリビングルームは、壁には百目鬼の大小の写真が何枚も貼られ、床には皮膚らしき欠片が散乱しているというホラー映画のような気味の悪い光景なのである。

 点々と落ちた赤い滲みは血液だろう、と水野は確信していた。


「うわ、何これ。」


 スマートフォンで現場写真を撮り続ける佐藤は、水野の言葉に肩を竦めた。


「そこの洗面台も確認して。」


 佐藤の言うとおりにリビングルームから見える位置にある洗面台には、根津が持って来たものと同じ美容オイルが化粧水の瓶と一緒に置いてあった。


「現場には臭いがある。人が生活すればそれぞれの体臭が部屋に染み付くでしょう。それと一緒。誰かが現場にいたのならば、被害者以外の臭いだって残っているはずでしょう。DNAを残さない工夫をしても、臭いは消すことが出来ない。やっばーいの。」


 特対課専門鑑識班の宮辺主任の言葉を水野は思い出し、何気なく鼻をひくつかせて部屋の臭いを嗅いでみた。

 すると、玉子が腐った臭いを感じた。


「もしかして、いなくなった黒ドレス軍団全員こんな部屋なのかな。なんか硫黄の臭いがする。なんでだろう。」


 水野の声に呼応するようにドアが開いた。

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