虫の葬送
暗い一軒家の前には、黒塗りのマイクロバスが停まっていた。
僕達の車の到着でバスから髙が一人だけ降りてきたことで、そこでなぜこの場所なのかを僕は理解した。
「髙さんだけですか。あんなに楊が煩く電話してきたのに。」
「すいませんね。彼らは帰しました。新しい仕事が有りますから仕方が無いです。」
良純和尚に対しての髙の答えに黒いドレスの女の姿を思い出し、僕は思わず良純和尚の袂をつかんだ。
あの黒ドレスの女の深い恨みにゾクっとしたのだ。
「どうした?」
良純和尚は髙からも隠すようにして僕を引き寄せた。
彼の腕の中という安心感に僕は良純に身を任せるが、ここには髙がいて僕達を見ているのだ。
僕は急に浮気現場を見つかった姦婦のような気持ちになり、大丈夫だと言ってさっと良純和尚から離れた。
うわわ!良純和尚の目が怖い。
「えっと。かわちゃんと一緒の時に根津という人が来て、奥さんが行方不明だって。それで、彼の後ろに黒ドレスの人がいたから。それを思い出しちゃって。」
「え、玄人君それ本当?」
髙を驚かせただけで良純和尚をかわせなったようだ。
彼の目がまだ怖い。
「とにかく、遅いので手早く済ませたいのですが。今日は一体何をすれば?」
良純和尚はすいっと髙の前に出て、本当に帰りたいオーラを出しながら迫るが、家に帰ったら僕は彼に何をされるのだろうかと、彼の姿に僕こそとても戦々恐々な気持ちとなっている。
馬鹿正直に彼に話すのではなかった。
彼はいまや僕に対して万能感に溢れているはずだ。
大失敗だ。
どうしよう。
その上髙に気兼ねして、僕が良純和尚から体を離した事にも気が付いていて、それで彼は不機嫌にもなってるのだ。
「すいませんね。夜半に。それで、どちらでもいいのだけど、いいかな?」
髙は車の中の死人達の事を詳しく話さない。
彼は僕の事を思いやってくれているのだろう。
そして、あの家の死人も一緒に葬りたいとも考えている。
可哀想だから。
違う、今日の現場で死人が何をするか思い出したのだ。
それで、あの屋根裏にいる浜口悠をも死体に戻そうと考えてのこの場所か。
「浜口君は大丈夫です。彼は痛みを感じない体ですから、だから、他の死人みたいに辛くはないんですよ。」
髙は首を振った。
「体は痛くなくても心は痛いでしょう。眠らせてあげようよ。」
僕は髙の言葉にはっとした。
僕こそこの間まで、心が痛いからって小さくなって脅えていただろうに、と。
そこで僕は浜口を見通した。
あなたは辛いの、辛かったの?と慌てた様にして。
彼は僕に探られた事を知ったのか、ゆっくりと顔を上げた。
それは、少年のままの死体の顔。
ずっと一人で生きていかなくてはいけない絶望の顔、ああ、心がずっと辛かった、髙が心配していた通り、あれは昔の僕の表情でしかない。
「君は辛かったんだね。ごめんね。」
僕は髙の言葉の意味が分かり、彼に彼の願いを叶える事を約束すると伝えた。
浜口はほっと表情を緩めて崩れ落ちた。
彼の安堵の気持ちと一緒に、今までの年月を一人ぼっちで過ごしていた彼の切なさが僕に流れ込んでくる。
痛みを感じないから何でも出来て暴れていた時代。
彼の友人の「晃平君」は、そんな彼に怯えてアクセルを踏んだのだ。
このままでは浜口が人殺しになるから。
「ごめん。ごめんな。悠。」
涙で濡れる顔の親友に、浜口は、いいよ、と言ってあげられなかった。
怪我の為に声が出なかったのだ。
自分をこのような目に遭わせた親友への怒りもあった。
彼は親友から目を背け、自らの死への旅路を迎えようとした。
けれども、それは適わない。
彼は死ねず、そして晃平が運転する車がタイヤを軋ませて走り出して、近いところで車が大破した大きな音が彼の耳に届いた。
僕が目を開けて過去ではない現在を、浜口の家を見上げた。
彼はこの家で、親友が訪ねてくれることを待っていた。
ミシミシッと木がきしむ音が連動したかと思うと、僕は力強い腕に引っ張られ、後ろの方に下げられた。
ズシャアアン。
大きな音を立てて、僕達の目の前で家は潰れたのである。
住人を失った事で、ようやく家も寿命を迎えたのだろう。
潰れた家から住処を失った虫達が、次から次へと暗い夜空に羽ばたいて行く。
虫達は浜口君が死人として生きて来た、記憶の一つ一つ、辛かった思いの一つ一つを残さず天に持って行ってくれるだろうか。




