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愛する人は行方不明

「チビがうちに泊まるのはいいけど、大丈夫か?家には鬼畜がいるぞ。」


 楊が僕をからかうが、今日は山口を置いて帰れやしない。

 山口の部屋に泊まると良純和尚に伝えた時の彼の顔を思い出すと、彼を殴ってやりたい気持ちまで湧いた。

 良純和尚は満足そうに微笑んで「あんずは任せろ」と言った上に、あろうことか山口の目の前で僕の額にキスまでして意気揚々と消えたのである。

 あの野郎。


「淳平君の部屋に泊まるから大丈夫でしょう。着替えもあるし。」


「着替えを持ち歩いているのか?」


 楊は驚いた顔をするが、人間は学習するものだ。


「相模原市でよく事件に巻き込まれて家に帰れないから、良純さんと僕はこっちに来る時は一泊できる準備をしています。この淳平君とお揃いの帆布鞄は沢山入るけど軽くていいです。いいでしょう?」


 幼稚園児のように斜め掛けした生成りの鞄を見せびらかした。


 以前の僕はメッセンジャーバッグに、継母に奪われたくないものを全部入れ込んで、豚のように膨らませて持ち歩いていた。

 あの日のように僕はものを持ち運ぶことは無くなったが、この大容量の帆布鞄は外出時には必ず持ち歩く大事なアイテムだ。


 この鞄の「良純和尚手作り」な所と、帆布鞄なところが「淳平とお揃い」の所が何よりも気に入っているのだ。

 淳平君のは京都の有名な帆布鞄のお店のものだから、本当の意味ではお揃いで無いのかもしれないが、そこは別に構わないのだ。


 僕の様子に微笑んだ楊は、署の奥に視線を移すと呟いた。


「山口はちゃんと帰れるかね?」


 非番のはずの山口は此処まで来て髙に急に呼び出され、署の奥に引っ込んでしまったのだ。

 僕は署の受付の所に楊と山口を待っているとそういうわけだ。

 僕は色々と狙われやすいので、署では必ず誰かが警護する事になっているから仕方が無いが、楊という目立つ男と一緒だと受付では僕が目立って居心地が悪い。


「それでさ、百目鬼の……行動の意味を、お前はわかるか?」


 受け付けの長椅子に座った楊は、ちょっと疲れているような表情だ。


「かわちゃんにも何かしましたか?」


 楊はボっと顔を赤らめた。

 楊にまで手を出すとは、上機嫌の良純和尚は危険極まりない。


「たいした事じゃないですよ。彼はちょっと……うん、盛っちゃってるだけです。」


 ブフっと楊は噴出した。


「お前は酷い奴だな。」


 そのまま楊は大笑いをし始めたが、スーツからスマートフォンをサッと取り出して顔を歪めた。

 ちっと大きな舌打ちまでしている。


「何かありました?」


「山口どころか俺達は全員出なきゃいけなくなった。百目鬼に連絡するから、お前は俺達の部署であいつを待って帰れ。」


 彼は立ち上がり、僕の背に手を添えて歩き出そうとした。


「ハ、あいつの女房だけあって尻軽なんだな。」


 聞覚えの声に振り向いたら根津だった。

 仕事帰りかビジネスバッグを提げたスーツ姿だ。


「あ、先日はどうも。」


 知り合いに会った時の脊髄反射で僕は頭を下げ、れなかった。


「こいつに頭なんて下げなくていいから。」


 僕は胸元に回された楊の腕でぐいっと楊に引き寄せられたのだ。

 僕は胸の前にある楊の腕に両手をかけて、彼の胸に背中を預けている格好だ。


「どうした?何か用か?ここは警察署だから、自首か?」


 僕が初めて見た楊だった。

 楊は作り笑いで根津に微笑んでいる。

 対する根津は暗い目線を僕と楊に向けて、女房が行方不明だ、と言った。


「この間の二次会から女房が帰ってこない。捜索願は住所のある管轄の警察署ってことで、ここでいいのだろう?」


 暗い表情で妻を心配している男の後ろには、ずぶ濡れになっている黒いドレスの女が立っていた。

 微かに腐った潮の香りが漂う。


「かわちゃん、僕は葉子さんの所で良純さんを待つか車を用意してもらうから。」


 僕はこれ以上警察署にいたくないと思い、何時もはしない提案を口にしてしまっていた。

 そこに気が付いたのか、楊がぐっと僕を抱く腕に力を込めた。


「俺がそこまで連れて行く。」


 やはり楊は気づいていたのか。

 それともオコジョが見えるようになった彼にも見えるの?

 女は黒い滴をぽたぽた、ぽたぽたと、足元に黒い水溜りを作りながら根津を睨み続けている。

 コイツが全部悪いわたしのふこうはぜんぶこいつのせい、と。


「根津、このまま刑事課じゃなくて、特定犯罪対策課って所に行って捜索願をまず書け。俺はこいつをそこの松野邸に押し込んだらすぐ戻ってくるから。」


「そこの松野って、あのマツノか?彼女はあそこの娘か?」


「こいつの婆さんがあそこの松野の友人で、こいつは松野の娘同然。」


 楊の答えに根津は僕を見返して、「しまった。」の顔だ。

 僕は僕でしかないのに変な人。


「こいつを早く安全な場所に連れて行って、俺も仕事に戻りたいのだけど、いいかな。」


 楊は根津の返事も待たずに僕を抱きなおすと、僕を脇につかんだまま署を出て松野の家へと向かって行った。

 松野邸は相模原東署のすぐ側だ。

 警備員の常駐する門を入り、そのまま個人スペースの方の玄関へと楊は僕を引っ張るようにして誘った。


 松野葉子はマツノグループの総裁でもあるので、豪邸は公人スペースと私人スペースが合体した形で作られている。

 公人スペースは入り口に制服警官まで常駐しているが、楊の婚約者の祖母であり僕にとっても祖母のような松野に会いに行く場合は、僕達は私人スペースに直接向かうのが常である。


「何が見えた?」


「かわちゃんも見えたのかと思った。」


「俺に見えるのはオコジョさんだけだよ。それで、何が見えた?お前が怯える程だろ?」


「えっと、黒いドレスの女性がずぶ濡れで彼の後にいました。物凄い憎しみというか、恨みが凄くて怖くなってしまって。その人が奥さんか判りませんが。」


「え、二次会で自己紹介はしたでしょう?琴子って奴だよ。」


「あの五人。姉妹みたいにそっくりだったし、同じようなドレスだし、僕はどの人が誰なのか見分けつかなくて。」


「そうか。」


 楊はそれだけ言うと、玄関が開いた途端に僕を押し込んで、そのまま松野に挨拶もせずに署に戻っていった。

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