玄人は俺の水鏡
「それで、ウチの子はどこにいるんだ。」
「署内の安全などこか。まずは俺がお前に聞きたいことがあるからさ。」
玄人の迎えと俺を呼び出した楊は、玄人を差し出すどころか俺を尋問室のような小部屋に連れ込んだ。
玄人が髙の女房に連れ込まれて内緒話に付き合わされた所か?
狭い小部屋にちょこんと使い古された事務机が置いてあり、端に畳まれたパイプ椅子が何脚か置いてある。
楊は事務机を間に挟んで二脚の椅子が向かい合わせになるように置いた。
「大丈夫。元々物置の此処は俺達だけで、外に話は絶対に漏れないから。さあ、座ってくださいな。」
小さな事務机を前にパイプ椅子に座った楊が、向かいの一脚を指し示した。
「なんだ?何のお遊びだ?いつもの特対課の部署じゃないのか?」
座りながら尋ねると、楊は気難しい顔でじっと俺の顔を睨んだ。
だから、どうした?
「また警察が俺を疑う案件があったとか、玄人が危険だとかそういうことか?」
楊はふーと疲れた顔で大きく息を吐き、俺を睨むように再びじっと見つめる。
「お前は山口に何をした。」
「ペッティング?」
俺の答えを聞いて固まってしまった楊は、目を大きく丸くしたことでフクロウのようだった。
「帰っていいか?」
部屋を出ようと立ち上がる俺の腕を掴んで、楊の慌てた声がかかった。
「待って!」
「何?」
「どうしてそんなことをしたの?」
楊の喋り方が玄人に対する喋り方に似ていた。
馬鹿な子に対応する母親の喋り方だ。
「別に。実は自分が同性愛者だったのか確認したかっただけだよ。山口のお陰でやっぱり自分が異性愛者だったって判って良かったよ。それに、最後まで行かなければ男同士も楽しめるって判ったからね。あれは収穫だ。」
楊はせっかくの俺の説明に納得するどころか、机に両腕を突いて頭を抱えて悩みだしていた。
「わかんねぇ。俺はお前が本気でわからん。」
「人間さ、知りたい事があったら調べて学習するものだろ?それに俺は山口が好きだからね。ちょっと調べたかったのさ。女とやっても感じなかった感覚を男だったら感じるのかってね。快楽はあったけど、その感覚は女とやった時と同じで感じなかったよ。だからやっぱり俺は同性愛者では無かったって再認識してね。俺はホッとしたよ。」
「どうしてホッとするんだよ。」
「同性愛者なのに鈴木を拒絶していたなんて辛いだろ。そうだったのならば、鈴木は得られた幸せを俺に潰されていた事になる。」
「なんねーよ。」
楊が俺に強く罵るように否定した。
それどころか机を叩く感じで両手をついて、顔を俺の方へと突き出した。
「馬鹿じゃないのか?告白されてもその時に受け入れられなかったら断っていいの。それに同性愛者でも受け入れられなかったら断って良いの。同性愛者だったら好きでもない奴にペッティングされても我慢しろは酷いだろ?」
小さな馬鹿な子に言い含めるように、楊は俺を叱ってきた。
こいつは時々お母さんになる。
俺を心配しているのだろうかと、楊の心配を解消するべく伝えてみた。
「あいつもノリノリだったよ。」
再びフクロウに戻った楊はしばし沈黙した後、ぽつりと呟いた。
「……だって、うそ。」
「本当だって。殴るか突き飛ばしてきたらお終いにするはずが、あいつが積極的に俺を喜ばせようと手管を使うからさ。面白くてね。俺も頑張っちゃったよ。」
「えっと。」
フクロウはどうして良いのか解らない顔でクルクルと部屋を見回して、暫くの後に俺に再び向き合った。
「山口、ノリノリ?」
「ノリノリ。」
机に置いた自分の手をじっと見ているかのように楊は固まった。
「どうした?」
俺が楊に身を寄せると、彼はぼそっと呟いた。
「かえってイイよ。」
どことなく壊れたような話し方に、俺は楊が心配になった。
「お前、大丈夫か?」
「だいじょうぶ。」
なんだか楊がいつもと違う。
心配だ。
立ち上がって楊の後ろに回り、彼を元気づけるためにと、かがんで彼の耳元に自分が山口を選んだ理由を囁いた。
「俺はお前の事も好きだけどさ、お前で試すわけにはいかないだろ。確かに山口よりもお前の方が近いし好きだけど、お前は完全にノーマルだしね。」
すると楊はガバっと立ち上がると、俺の頭をぐいっと引き寄せて俺にディープキスをしてきたのである。
それは一瞬のキスであった。
だが、俺は驚くだけで全く良いものではなかった。
「うん、あんまり良いものじゃないね。かわちゃんとは。」
「それだけ?他に俺の行為で思ったことはないか?」
「山口は上手かったよ。」
楊はよろよろと椅子に座りなおし、肘をついた両手で顔を覆った。
「帰っていいから。」
なぜか落ち込んだ親友の哀れな姿に俺は絆され、彼に慰めの言葉をかけて帰る事にした。
「キスが下手でも、ちゃんと婚約者が喜んでいるならさ、気にするな。」
ドアを閉めた途端に、革靴を投げたらしき衝撃がドアに響いた。
こんな元気があるなら楊は大丈夫だと、ハハハと自然に笑い声が出る。
こんなに気分が良くて高揚している自分は何年ぶりだろう。
あの短い四年間、俊明和尚と暮らしていたあの頃以来だ。
玄人が居れば俺は俊明和尚の心持ちになる。
そして、彼が俺を愛していたと再確認できるのである。
彼の愛は親のものだから、無条件で純粋だ。
湯水のようなかけ方だ。
俺が同じ愛を彼に返せなくてもかまわないのだ。
俺は玄人に俊明和尚と同じような気持ちで愛をかける。
玄人が俺に同じような愛を返さなくても、俺はあいつを嫌わない、厭わない。
あいつは俺の過去を覗く水鏡なのである。
そして、水鏡は俺に感覚までも与えた。
俺が誰とも受け取れなかった感覚だ。
俺は特別を手に入れたのだ。
その感覚をもっと深く、もっと沢山享受しようと考えているのに、なんと山口が腑抜けたらしいのである。
「せっかく半日も時間を与えてやったのに、何もしていないとは何事だ!」
俺は思わず不甲斐ない山口を叱ってしまっていた。
山口は叱られた意味も解らず目を白黒させて、勘の良い玄人が半目になって俺を睨んでいた。




