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初めての感覚

「キスをするとどうなるのですか?」


 玄人に初めて聞かれた時、俺は答えられなかった。

 心に感じた事など一度も無かったからだ。

 あれは性交への前技の一つ。

 次の段階へ進めるかの相手との意思確認でしかない。

 性交には肉体の快楽は伴うがそれだけだ。


 高校時代には、快楽の味と相手を支配するかのような感覚が楽しくて、機会がる度に試していたが、あれには直ぐに厭きた。

 あれは獣が繁殖するための交尾でしかないからだ。

 精巣の精子を吐き出すためでしかない肉体運動であり、快楽が伴われるだけの生殖行動でしかない。


 俺にはそれだけの行為だった。

 それでも昔は乞われればしたが、最近はその後の愁嘆場が面倒で乞われてもしない事にしている。


 だが、これは何だったのか。

 ようやくありつけた食事の美味さにうっとりと目を閉じた玄人が、「美味そう」で堪らなくなったのだ。


 俺の大好きな形をした唇。

 玄人の完璧な唇に気づいたら口づけていて、そして、その唇の柔らかさに驚き、柔らかい下唇を齧ってしまった。

 俺のキスに驚いて開いた玄人の口中を舌で探った時には、体が電撃を受けたかのようにぞくっとしたのだ。


 怖気などではない。

 単純に肉体が感じる快楽と違うところがぞくっと感じたのだ。


 俺は初めて感じた感覚に有頂天になっていた。


「全身がぴりぴりしています。」


 俺もだ。

 俺もぴりぴりしているのだ。

 そして興奮した。

 違う、興奮などではなく、それは高揚だ。

 俺は初めて体感したその感覚に、喜び高揚して有頂天となったのだ。


 そして、その事実に驚いた。

 驚いて素に戻り、自分のした事に嫌悪感と後悔を感じる筈だった。

 自分の大事な子供に対して、守るべき父親が何をしているのかと。


「これが褒美ですか?」


 玄人が嫌悪していない事を知り、俺は嫌悪感も後悔も俺達が感じるわけが無いのだと思い直し、そして、高揚感のまま再び玄人を貪った。

 繁殖も性行為も関係ない、純粋に感じるだけの行為。

 十代の知りたがりの頃のように、俺は没頭し、その先を試してみたい気持ちまで湧いた。


 玄人の右手のスプーンに触れるまで。


 猫舌の玄人が金属のスプーンで唇を傷つけないようにと、木のスプーンを買ってやったのだ。

 玄人専用の漆塗りの赤いスプーン。


 俺はこの子を傷つけてはいけないのだ。

 傷つけても俺は心が無いから後悔はしないだろう。

 けれども後悔した時に俺はどうなってしまうのだろうと、俺は自分のために止めたのだ。


 俺に怯えた玄人が俺の元から消えていなくなってしまったら、俺は一体どうするのかな、と。


 それでも、食事を続けるどころか俺に翻弄されたまま再び転がった玄人の姿は、浅ましい男を誘い翻弄する天女の姿だった。


 肌蹴たローブから覗く脂肪のない腰に、小振りだが張りのある形のいい乳房の稜線。

 肌は白く染み一つなく透明だ。

 血管が透けるほど薄い皮膚は、生まれたての赤子のような柔らかさだと今の俺は知っている。


 そして、神々しくも破廉恥な肢体で俺を誘っておきながら、純粋無垢な赤子のように右手には握られたままのスプーン。

 今の玄人にとっては堕ちない為の羽衣だ。

 俺は自分の浅ましさにも、この状況の滑稽さにも、愉快になって笑い続けた。


 いいだろう。

 こんな感覚を感じたのは生まれて初めてだったのだ。

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