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俺の許されざる男

 この世は生まれてくる生者と死に行く死者のバランスが崩れてはいけない。

 死者が勝ると黄泉平坂から死の国の悪鬼が溢れ出すのだ。

 そのため赤ん坊の出生数が死者数を下回った時には、足りない分だけ死ねない死人、かりそめの生者が出来上がる。


 こんな事が俺には当たり前になったとは、世界は狂ってやがる。


「それで、俺に何をさせるつもりで。仕事で来る度に呼び出されて、俺が破産したらどうするつもりなんですか。」


「遺体に経を上げるのが坊主の仕事じゃないですか。」


 髙から呼び出されて保健所に来て見れば、ビニール袋入りの腐った死人に経を上げろと来た。

 そんな気味の悪い物など見たくないと、どうすれば彼に通じるのだろう。

 一緒に連れてきた玄人に見せる事もしたくないし、仕方が無いか?


 玄人は昨日の夜から決行しているダイエット食に、見るからにウンザリして機嫌が物凄く悪いのだ。

 俺だって付き合って食べているのだから、お前も少しは我慢しようよ?

 そして、あれは山の飯だ。

 精進料理だ。


 ああ、俺もウンザリしているよ!


 俺は玄人と同居して以来、玄人好みの肉や魚メインの普通の家庭料理を作ってきたからか、山で修行していた時の豆腐中心料理がしっくりと来ない。

 まだ三食しか食べていないのに。


「今夜は赤みの肉を焼きたかったのだけど、そんな依頼じゃ無理だよねぇ。そんな気味の悪い物見ちゃったら、肉、食べられないなぁ。」


「ちょっと、百目鬼さん?」


 髙が俺のセリフに慌てているが、俺もどうして食事の事が頭から離れなくなっているのか理解できない。

 人間バランス良い食事をしないと壊れるものなんだね。

 違う。

 バランスの良い食事が味気なくて壊れてしまったのだ。


「肉食べましょう!肉食べたいです!肉!肉!肉!肉!」


 俺の台詞により、壊れてしまったらしい玄人に、髙が目を丸くしている。

 山口に会えない辛さを噛みしめて落ち込んでいる様に見えていた、愁いを帯びた絶世の美女が、肉という単語に反応して「肉、肉!」とひょこひょこと小躍りし始めれば、誰だって驚くだろう。

 俺自身ここまで壊れたかと、呆気に取られているのだからな。


「肉、にっく、にく、肉、肉、にっく。」


「え、どうしちゃったの、玄人君。」


「今度の日曜に幼馴染の結婚式でしてね。ドレスを着るためにダイエット中なんです。」


 髙は俺の説明に棒切れのように固まり、当り前だが俺に聞き返してきた。


「同性の友人がいないのが恥ずかしいからって、クロに女装のお願いです。」


 吹き出して良いのか玄人を哀れむべきなのか、髙はそんなどちら付かずの表情を浮かべた。


「それで、あの。」

「肉星人ですね。」


「山口は可哀相に。」


 今度は吹き出して大笑いだ。

 だが、山口という単語に肉星人は反応した。

 肉と叫びつつひょこひょこ動き回っていた彼の動きが、山口と聞くなりピタっと止まったのだ。


「淳平君、どうかしたのですか?怪我の具合がまだ悪いのですか?元気ないの?」


 矢継ぎ早に尋ねだした玄人の様子に髙は安心したのか、玄人の頭を父親のようにポンと撫でた。


「元気だよ、大丈夫。」

「ほんとう?」

「ほんとう。大丈夫。君が肉よりも心配していたと聞いていたら喜ぶよ。」


「そうだ、肉、肉!良純さん、気持ち悪い物を見なければ今日は肉?」


 ぴょんぴょん跳ね出して「肉!肉!」と叫びだし、またもや豹変したこの玄人の壊れっぷりを利用すればグロ死体を見ないで帰れるのではないか。

 髙は壊れた玄人に開いた口が塞がらない顔をしている。


「今夜は肉。赤み肉。牛さんのフィレを食べよう。」


 謳うように答えると、玄人は両手で頬を押さえてキャーと嬌声を上げた。

 その姿は可愛いが、馬鹿そのものでしかない。


 髙は壊れた玄人に哀れみの目を向け始め、そんな髙を俺はチラッと見返した。

 共感力がない俺が、髙に通じるように念じていたのだ。

 髙、今日はいいですって俺に言おうよ、さぁ早く、と。

 だが髙が俺の願いを叶えようと口を開く前に、俺の馬鹿が嬉しそうに叫んだ。


「帰りましょう!肉です!肉!三体の死人は全部ただの腐った液体になりましたから大丈夫です!肉!肉!にくー!」


 俺は口を押さえてしゃがみ込んだ。

 玄人の言葉によって、想像力が豊かすぎる俺は想像してしまったのだ。

 どろっとした腐った液体に浮かぶ、腐った内臓や半腐れの血肉。

 髙に見せられた映像が甦る、虫ピンに刺されたそれでも蠢き、延々と体液を迸らせる、壁にずらっと並んだ昆虫達。


「……ごめん。今日、無理。」


「百目鬼さんって、液体状が駄目なのですね。」


 俺に「液体状」のトラウマを植え付けた男が涼しい声で言った。

 うるせぇよ、全部お前のせいだろうが。

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