あなたから離れては生きてはいけない
「この馬鹿。かなり落ちていたな。」
自宅に戻り体重計に乗せられた僕は、乗せられたまま叱りつけられた。
これ以上僕を痩せさせない為と、体重を維持する為のカロリー計算をするためだという。
平時の平均体重から痩せた分の体重を出して、そこから不足していたカロリーを計算して、それを元にこれから太らないように取れるカロリーを算出するのだと言っていた。
彼は面倒な難題を解くのが大好きだ。
そして僕を完全管理するのも大好きだ。
僕はもう品評会前のヨークシャーテリアの気持ちで彼の言うがままだ。
けれど、ここ数日こうやって遊ばれていなかったからか、楽しい。
僕は山口と口づけていた時に、彼が望む二人だけで一緒に住むのもいいなと考えてしまったが、やはり駄目だ。
良純和尚の側から離れたら、僕は生きてはいけないだろう。
では山口を切り捨てる?
そんなのは愚の骨頂だ。
結局良純和尚が提案した「山口が定年後にみんなで住む」が一番なのだ。
そして山口と僕は、それまではそれなりの場所で逢瀬を重ねれば良い。
僕は当主なのだから浮ついた事はしてはいけない。
家業にも親類縁者に迷惑がかかる。
親類というキーワードから、僕は今更大事な事に気がついた。
「良純さん。式と披露宴には誰が出席しましたっけ。もしかして、萌ちゃんのお父さんの上司になっている橋場孝継も出席しましたっけ?あの非常識。」
世界の橋場、建設会社の橋場グループは武本の親族会社でもある。
僕の叔母の旦那が橋場の経営者の三男孝彦なだけだが、橋場家は僕を家族の一員として可愛がってくれるのである。
長男が早世した橋場において次男の孝継が後継者であるが、彼は母親似の眉目秀麗な男のためか露出が好きだ。
メディアに気軽に顔を出し、誰でも知っている橋場の顔になっているくせに、部下の慶事に出たがりなのだ。
以前も部下の結婚式に出席して参列者を騒がせ、結婚式にマスコミが突撃したりで台無しにした事もある。
良純和尚は式のスケジュールと席表を取り出して、ざっと確認して「いる。」と答えた。
「大丈夫だよ。俺から後で軽く伝えておくし、お前の着飾った姿の写真を何枚か送っているからドレス姿のお前を見ても平気だろ。」
「初耳です。」
僕の知らない間に何をしているのだ、この人は。
商売人の癖に、個人情報はどうした、と言いたい。
「お前が適当に放っておくせいで、俺にお前の様子が知りたいって煩いからさ。俺も酒が入っていたのもあって青森でのお前の浴衣姿をな、奴に送ってやったのよ。あの女物の浴衣を着ていた奴。そうしたらどんびくどころか、もっと女装させて送れってね。それ以来何枚か送っているんだけどさ、橋場の爺さんが自分の大昔に死んだ母親そっくりだって、爺さんまで大喜びらしいよ。今度女装した姿で遊びに行ってやれよ。」
僕はガクッとした。
僕の親戚は馬鹿揃いだと。
良純和尚がよく「武本だから」という言い方をする気持ちが良くわかった、馬鹿共め。
機嫌がよさそうに式のスケジュールなどを読み直していた良純和尚が、ちょっと動きを止めた。
二次会の知らせを読んでいるようだ。
彼は大きな溜息をついた。
「たぶん、こっちの方が早川は心配なのだろうね。」
「何ですか?」
良純和尚が手渡してきたそれは、鯰江の高校時代のラグビー部主宰による二次会だった。
ラグビー部も全員ではないが、彼らが中心になって鯰江の大学関係者や友人に二次会の招待状を送っているらしい。
締め切った出席メンバー表には、楊は勿論だが鯰江の後輩の葉山の名前もあった。
葉山は山口の相棒で四角い輪郭に、荒削りだが整った目鼻立ちの今月の十一日に二十九歳になった巡査部長である。
山口よりも背が低いが、イカの様にクニャっとした山口と違い武道家らしく姿勢が良くて、背の高い山口と並んでも全然引けを取らない好青年だ。
学部は違うが同じサークルで鯰江と葉山は仲が良かったらしく、彼が参加するのは当たり前だろう。
そして、知らない男性名の他に知らない女性名も数人以上いた。
この女性は全部鯰江の友達なのか。
「鯰江さんはモテていたのですね。」
「違うよ。唯の仲間ってだけ。ラグビー部はモテない男子と女子のたまり場って、俺とつるんでいた女が言っていたね。俺には男女の境がなく和気藹々してるだけにしか見えなかったけどさ。」
「今のかわちゃんの課みたいに?」
良純和尚はぷっと吹き出した。
「そうそう。あいつがいる場所はいつもそんな感じだね。それで、こんな感じの二次会って、普通は双方の友人が一緒になってやるからね。それが出来なかったから早川は不安なのかもしれないね。」
「そうなのですか。でも、かわちゃんや葉山さんまでいるなら安心ですね。それで、これには良純さんの同級生も一杯だから、同窓会みたいになりますね。」
良純和尚は、今度はぷっとどころか声をあげて笑い出した。
「どうしました?」
「俺は高校時代は楊と敵対していたからね。ラグビー部は全員俺の敵だったよ。俺は高校時代は鈴木という親友しかいなかったと教えただろう。」
僕は想像してクスクスと笑い出してしまった。
良純和尚はそんな僕の反応が想定外らしい顔付きだ。
「だって、良純さん。ラグビーなんて強そうな人達の多勢に良純さん一人の無勢で均衡が取れていたなんて、どれだけ敵無しですか。流石です。」
彼は一瞬驚いた目をした後にハハハと、とてもとても良い声で笑い声をあげた。
この人の声は何て素晴らしいんだろう。
改めて思うが、僕は彼がいない処では、絶対に絶対に生きていけない。




