第53節 あきらめきれないガーター辺境伯
新章です。
この章では、前章に引き続いて、領地バトル的な要素満載です。
でも、ガチンコバトルはあまりしません。
風紀委員の伊藤さんと精霊のレイン先生の暗黒面をお楽しみいただければ幸いです。
それでは、どうぞ。
「また来たみたい。辺境伯とその兵士。」
ウーバン村の南門外側に作った土塁の上に立っている伊藤さんがそう言った。
時間としては午前10時ころ。
まだ昼とは言い切れないくらいの、おやつの時間。
朝から警戒していた伊藤さんの警戒網には、かなり早い段階でその姿がひっかかった。
それよりも先に、マインウルフ軍団から、なんか来ますぜと連絡があった。
いや、彼らは狼なので話せませんけどね。
でも、山神様が、そう言っているっていうから来てみた。
30人くらいの兵士が、こっちに向かっているって言っているらしい。
通訳さえしてもらえれば、マインウルフ軍団は優秀な斥候だった。
その警告に呼応して今、南門にはそのマインウルフが小隊規模で控えていた。
ユリもいるので、単純な戦闘をするのなら圧勝予定ある。
でも、まずは相手の言い分を聞こうじゃないかということになった。
町の人たちは、南門の内側で様子を伺っている。
いや、門の内側って言っても、木でできた枠だけの門と、木の柵しかないんだし。
危ないから、もっと安全なところに行っていて欲しいんだけど。
まあ、この世界の常識で考えると、30匹くらいのマインウルフの群れに突っ込んだら、まず勝てないよね、死ぬよねっていうのが普通らしい。
いや、その通りだと思うし。
だからこそ、村の住民たちは油断している。
絶対にマインウルフはやられないし、通り抜けられないと。
いや、その通りだと思うけどね。
ガーター辺境伯とその取り巻き兵士たちが伊藤さんの前にある堀の手前で止まった。
愚策である。
もし、弓を持っていたら、狙ってくださいって言っている様なものだ。
ないから、やらないけど。
「貴様! 生きていたのか! スライムになったはずでは?」
おそらくこいつがガーター辺境伯なのだろう。
そして、あのレインの悪戯に付き合わされた犠牲者なのだろう。
「いえ、そもそも捕まっていません。あなたが捕まえたのが、影武者のスライムさんだっただけ。また、私を捕まえても、そうかもしれませんよ?」
嫌な顔をする兵士たち。
なんらかのトラウマがある様だ。
心当たりがありすぎて、どれだかわからない。
「ならいい。再び拘束するまでだ! 我が領内で勝手に国だとかほざく不届き者に正義の鉄槌を与える! 目の前の魔族どもに、聖なる刃を浴びせてやれ!」
「おうっ!」
みなさんやる気でかかってきた。
当然、どうしても堀を通過することになる。
そして、堀に落ちた。
掘自体はぱっと見には1メートルぐらいの深さしかない様に見える。
土塁の高さ1メートルと合わせても、たかだか2メートル。
馬では無理だけれども、人なら多少の問題でしかない。
しかも何を考えているのか、相手は丸腰だ。
完全な勝ち戦だ。
そう、思っていた。
堀に入るまでは。
「うぎゃー!」
「うぇっ!」
「なんじゃこりゃー!」
30人近くが一人残らず堀に落ちた。
いや、一斉攻撃するなら、前の人の様子を見ようよ?
真ん中のあたりの人は、前の人が落ちたのに気がついて、止まろうとしていたよ?
後ろの人に押されて、突き落とされていたけどね。
一番後ろの方の人たちは、ギリギリで止まっていたところを、マインウルフに突き落とされてたけど。
何が起こっていたのか、もう少し詳しく説明しないといけない。
簡単に言えば、僕たちは、浅い堀の中に、深い落とし穴を局地的に仕掛けていた。
本当に、ここだけ。
横幅にして10メートルくらい。
深さは3メートルはあるけど。
這い上がるのは無理っぽい。
そして、流石に槍とかは仕掛けておかなかったよ?
泥水を高さ1メートル分くらい仕掛けたよ? 落ちた時のクッション用にね。
でも、レイン先生がね、それだけじゃ甘いって、どうしてもって言うから仕掛けたけどね。
スライム軍団を。
阿鼻叫喚。
最初は、落とし穴の底に、泥水がたくさん、それこそ1メートルくらいあるだけだと勘違いしていた様だった。
確かにその通りなんだけど、その中には、各種スライムたちが、大量に蠢いていた。
もちろん、視界も悪く、泥水の中。
何に触られているのかわからない恐怖。
何をされるのか分からない恐怖。
ひたすら恐怖。
まさに、ホラーだった。
そして、ここにきてレイン先生がダメ押しを実行する。
鎧とか、兜とか、服とか武器とか。
素っ裸になるまで、全てを空間魔法によって収納して、美味しくいただきました。
泥水の中、素っ裸でスライムにたかられる屈強の男たち30人の地獄絵図。
まさに、ホラーだった。
あ、伊藤さんが、みなさんにお見せできない顔になっている。
はあはあ言いながら、涎を垂らして、漢たちを凝視する姿はちょっとどん引きですよ。
こんなの見て、興奮するんじゃありません!
だめだこりゃ、早く何とかしないと。
そんな中でも冷静になって、どうにかこの落とし穴の壁をよじ登ろうとする兵士が現れ始めた。
状況判断グッジョブである。
敵じゃなければね。
でも、上を見上げて絶望する兵士たち。
伊藤さんを見たんじゃないよ?
マインウルフ軍団が、落とし穴に群がって、はあはあしながら涎を垂らしているんだ。
普通に考えて、これ、よじ登ったら、美味しくいただかれてしまいますよね?
わかります。
兵法の基本は、できるだけ戦わないこと。
戦うからには必ず勝つこと。
負け戦なら、ズルをしてでも負けたと思わせないこと。
どうしてもダメなら、雲隠れすること。
実践してます。
「代表者の方。確か、『ガーター辺境伯』さんでしたか?」
伊藤さんが、マインウルフの間から顔を出して、涎を垂らしながらそう聞いていた。
ちょっ、よだれよだれ!
「俺だ! これでも、元々は冒険者だ。勝敗は見えている。要求は何だ?」
「それは、こちらが聞きたいことです。なぜ、また来たのですか?」
本当だよ。
あれだけ怖い目に遭わされて、何なら、海側に逃げていったっていうオオカミ的な情報もあったのに。
なぜ?
「俺たちには後が無い。領地を取られたとなったら、王宮で待つのは『死』のみだ。」
「いえいえ。海側に逃げたっていう情報もありましたよ。この子達が、あなたたちのこと、ずっとずっと今日の今までストーキングしていましたから。間違いありません。もう一度問います。なぜ、戻ってきたのですか?」
ハンコで押した様な領主の答えには、伊藤さんは全く反応しなかった。
交渉ごとについては、さすが風紀委員。
相手の言いたくないこと、見せたくないものを的確に突いてくる。
「まだ、いけると思ったんだよ! 山を登っていたら、川に水が流れていたからな。ぜんぜんイケるって思っていたんだよ。この様だ、殺すなら殺せ。だが、領民には手を出さないでくれよ。こんなんでも領主だからな、領民を守る責務がある!」
「嘘ですね。」
伊藤さんは短かく突っぱねた。
いや、相手は嘘をついていないと思うのだが。
山神様から聞き出した、マインウルフの言っていた情報としては、そのとおりだったはずだし。
「なにが嘘何でぃ。ほんとのことしか言ってないんだがな?」
「領民に手を出したのは、あなたの方では?」
「うっ!」
いや、まさか。
領民、もう既に皆殺しとか後味悪いからやめてよね。
「この子たちの話では、あなた方がミャオー町から逃げ出したときには既に、町に残っている人数は10人前後だったはずです。どうして、領民がミャオー町に戻っていることになっているんですか?」
「お、おう。あいつらも、大丈夫だって気がついて、心を入れ替えて、町に帰ってきたんだよ。何しろ住み慣れたいい町だからな?」
辺境伯の頬に、泥水じゃない嫌な汗が流れ落ちた。
「領民、道連れにするために、無理矢理、連れ戻したんじゃないですか?」
「そんなことはしねぇよ。あいつらが勝手に。」
「まあ、それはいいです。それで、戦いに負けたあなたは、私たちに何をしてくださるのですか? 私たちの領民が、たくさん見ていますから、聞こえる様に言ってあげてください。」
そうだった。
門の内側でデバガメしていた村民たちは、もう全員落とし穴にはまったと知るや否や、土手の上に登って、むさ苦しい漢たちの阿鼻叫喚の姿を見物していた。
手に、石を持っているものも多い。
なぜ?
「もう、来ねぇよ。2度と来るかよ、こんな怖ぇとこ。だがな、ミャオー町だけは勘弁してくれ。あそこが俺たちの最後の砦なんだ。」
「じゃあ、ガーター領の他の町はいただいてもいいということで?」
「う、だがな、他の街に行くには、俺のミャオー町を通過しないと辿り着けねぇんだぜ?」
「いいということで?」
怖い顔で迫る。
もっとも、落とし穴の上と下では、随分と距離があるのだが。
「わかったよ。やるよ。念書も書いてやラァ。それで、勘弁してくれるのか?」
「そうですね。少なくとも、書類の上では。私たちは、ミャオー町には手を出さない。これでいいのですね?」
「そうだ。俺たちが、町に無事に帰ることと、町には攻撃してこないこと。町に入ってこないこと。その3点セットだ。それで、他の領地はくれてやる。」
他の領地、だいぶ安売りだった。
でも、そうか。
見えたぞ?
落とし穴から引き上げられたガーター辺境伯は、素っ裸のまま調印式に臨んだ。
だって、着替えないから。
この村に、男物の服、なかったから。
「それではこれで。レイン? これでいい?」
「ばっちりなのです! これで、この人たちは開放しても問題ないのです。この魔法の契約書は、反故にすると恐ろしい呪いが降りかかるのです。おまえもスライムにしてやろうか、なのです!」
「ひぃぃぃっ!」
辺境伯は、ドン引きするほど怯えていた。
安住の地を見つけたと思ったら、この様だが、何とか最後の街だけは死守できた形だ。
しかも、攻撃を仕掛けてこない、そもそも街に来ない約束まで取れた。
なんだか、大盤振る舞いな気がする。
ガーター辺境伯領で一番大きな都市、ミャオー町を欲しがらないのは何故なのか?
辺境伯にはそこが理解できなかった。
そして、辺境伯とそのゆかいじゃない仲間たちがミャオー町に帰って行った頃。
「レイン。けっこう甘かったかな?」
「甘くないのです。あの辺境伯の命は、もって1ヶ月なのです。残酷なのです。」
「え? 何故?」
不穏なことをぶっ込んできたレイン先生に、ちょっとびびっていた。
「ミャオー町は、前にレインが破壊した関所の脇を通っていた川の水が流れなくなって、最後には水没するのですよ? そしてできた湖の端は、この土塁までくる予定なのです。」
つまり。
「野中。騙した様で気がひけるんだけど、ここから先、私たちが一切関わらなければ、町ごと確実に水没するわ。私たちはそんな町に入る必要もなければ、近づく必要もない。もちろん、攻撃する意味さえない。」
こええよ。
なんだよ。
あの辺境伯、思いっきり騙されてんじゃん。
攻撃されないから、死ぬまで安泰だって、引退する気まんまんな顔してたのに。
僕は、そんな哀れな辺境伯の短い行く末を、形ばかり心配することしかできなかった。
でも、それはそれとして、ちょっとした心配は残っていた。
懲りずにまた、攻めてきたりして。
ブックマークありがとうございました。
定期的に読んでくださる方が増えること、とても嬉しく思います。
おかげ様で、pvも20,000を超えました。
山で紅葉を楽しんでいる場合じゃないのかもしれません。
しっかり楽しんいるところですが。
そして、すごくいっぱい人が来るのですね。
びっくりです。
それでは、本文の話です。
いや、このあと、ガーター辺境伯、帰り着いたら怒られるんだろーなーって他人事ながら心配です。
絶対に、女魔導士的な人に詰められますよね。
第三者として見ている分には面白そう。
渦中には入りたくありませんがね。
そういうことで明日の話は、そういうお話になる予定です。
辺境伯の残念な領地経営とMっぷりを楽しみにしていただければ幸いです。
さて、ここで連絡があります。
ここまで毎日15時ころといいつつ、予約投稿で15時に設定してきたところですが。
この度、メンテナンスか何かで、この時間にうまく投稿できない恐れが発生しました。
予約投稿的には、うまくいくのかもしれませんが、念の為、投稿時間を変更します。
しばらくの間、投稿時間は12時に繰り上げようと思います。
電車の終電も、早くなるらしいですからね。
とりあえず、明日から。
くり上がりの計算ができなくて、投稿に失敗していなければ、明日の12時ころに。