第117節 人間は目に見えているものに弱い
非常事態に、その人の能力が表に出ると言われるようになって来ました。
今まで経験したことのないような場面で、どう動けるのか、どう指示を出せるのか。
アドリブ力とでもいえばいいのでしょうか。
そう言うものを求められることが多くなって来ています。
現状維持が一番安心で、そのまま死んでしまうこともありますから。
例えば、水没中の車の中とか。
今日はそんな感じのお話です。
それでは、どうぞ。
<異世界召喚後49日目夜>
場所:ヨーコー嬢王国マッカース公爵領グレイトフィール町
視点:野中
「レイン様、この悪魔憑きをなんとかして下さい! ほんとにお願いします!」
膝立ちになって、両手を握り合わせ、レイン神に祈りを捧げる敬虔なレイン神教徒猿渡。
もう、プライドも何もない。
こればかりはどうにもならない。
すでに泣いている。
「わ、わたしのこと、この女に売り渡すつもり? 有る事無い事言いふらしてやるんだから。」
猿渡に憑いている半透明の悪魔が、握り拳を振り上げて強く抗議した。
「だからだよ! 大人しく平和に過ごしていきたいんだよ! なんで、話している内容周りの人たち全員にバラされないといけないんだよ?」
「ひ、秘密のないオープンな心が、神の愛に叶うのよ? そんなことも知らないの?」
「お前は悪魔だろうが!!!」
この内容も、多分色々な人に言いふらされているんだろうな。
なんて呪い。
なんて悪魔。
これはきつい。
ただ、ぎりぎり守られたのは心の声がスピーカーされなかったこと。
なお、この悪魔に憑き続けられて、悪魔のレベルが上がると、それも可能になるらしい。
絶対に育ててはいけない。
本人は、言われなければわからないし、うまく言いくるめれば嘘だと思わせることもできるのに。
「マスター。見ていて面白いのです。」
「掛け合いとしては面白いな。これはいい娯楽になりそうだ。」
「ならないから。助けてよ親友だろ?」
「いや、僕も助けたいよ? でも相手は実体の無い系悪魔なんだろ? 僕にはなにもできないよ?」
「じゃあ、その、レイン神に、一緒に祈ってよ!!! 社会的に死ぬよ!!!」
「いや、まあ、『出たり入ったり』するんだろ?」
「まあ、ちゃんと聞いていてくれたのね? 次は、あなたの心の隙間にも、お邪魔します。」
「来んなよ!!! 絶対に来んなよ!!!」
あぶない、あぶない。
こいつは、移動できるのかよ。
早くなんとかしないと。
「レイン神。早く悪魔を払ってやれ。僕の心をスピーカーされないうちに。」
「……。」
「レイン神?」
「マスターは『レイン神』禁止なのです!!!」
痛くは無いけど、ゲンコツ物理攻撃を頭部に十数発コンボされた。
悪ノリしすぎたか。
「わかったよ、レイン。早くなんとかしないと。」
「マスターの心の声が聞けるのです?」
「ん? そうよ? そういう悪魔だもの。なに、この坊やに興味があるの? レベルを上げてくれれば、あなただけに特別、この坊やの心の声を24時間実況してあげてもよくってよ?」
「の、乗ったのです!!!」
「乗るなし!!!」
危なく、レインによって悪魔に売り飛ばされるところだった。
人の心の声を知りたいとか、どんだけ欲深いんだよ。
業も深いな。
「それで、僕のこの悪魔は……、」
「僕の、じゃ無いわよ。この坊やの方が面白そう。ちょっと憑依先変更しようかしら。」
「だ、ダメなのです! やっぱりダメなのです。マスターはレインのものなのですよ。渡さないのです!!!」
「あら、でも、私の超絶テクニックで、あなたのマスターを、私だけのものにしてみせるわ。そうね、2時間。2時間あれば十分よ?」
具体的時間キターーー!!!
そんなにちょろく無いからな?
に、2時間ってナニされちゃうんだろ?
あんなこととか、そんなこととか。
「マスター、邪念を感じるのです。悪魔に心を誘導されているのですよ? ダメなのですよ。あと、レインと同じで、この悪魔も40センチくらいしか無いのです。どんなにテクニックがあっっても、このサイズでは無理なのですよ?」
「あらあら、自信ないの? わたしならむしろ、このサイズ差を有効活用できるわ?」
「っ!!!!!」
あ。
レイン神、泣きそうだ。
「マスターひどいのです。酷いのですよ? レインは、そんなテクニックないのです。あとで勉強するのです。だから、悪魔に惑わされないで欲しいのですよ?」
「いや、レインが僕を惑わしてどうする。とにかく、それも込みでこの悪魔を早く封印するなり消去するなりしような?」
「封印。そう、封印するのです。そうすれば必要になったら、使えるのですよ。」
「だから、まだ、悪魔の声に惑わされているぞー?」
「ううっ、なんでことだ、なのです。け、消すのです。やっつけるのですよ!!!」
「できるの? 精霊風情が、悪魔を倒せるとでも?」
僕の前にラストが出て来た。
「レイン様が直接手を下すまでも無い。この精霊騎士ラストがお相手するぞ! もう、2度と化けて出られないように切り刻んでやるっ!!!」
「あらあら、かわいい騎士様ね。でも、そんなどこにでもあるような普通の剣で、私のこと切ることができるとでも? 笑っちゃうわね。」
「ん、ロッコもお相手する。」
「あらあら、あなた、武器すら持っていないじゃ無い。本気? もしかして、お馬鹿さんなんじゃ無いの?」
その悪魔は、猿渡にまとわりつきながら、ラストとロッコの相手をしていた。
主に口で。
「隙あり、なのです!!!」
猿渡の後ろに回り込んでいたレイン神が、悪魔の後ろから、ぐーぱんちをお見舞いした。
普通なら、実体の無い系悪魔に対して物理攻撃など無効だ。
でも、レインは腐っても精霊なので、いい感じに悪魔を吹っ飛ばした。
そして、猿渡から大きく離される悪魔。
それを普通の鉄の大剣で切り裂くラスト。
いや、まあ、実体がないから、ダメージは通らないけどね。
「ぎゃあぁぁぁっ!!!」
文字通り、断末魔の声をあげるスピーカーおばさんの悪魔。
いや、え?
ダメージ受けたの?
あ、ああ。
レインと同じ仕組みで、ラストの剣も有効なのか。
2枚に降ろされたと言うか、一刀両断というか。
悪魔は、完全に2つに切り分けられて、霧となって空に溶けていった。
「精霊騎士、レイン。浄化完了!!!」
そして、剣を振ると、悪魔の残滓を剣から振り飛ばして、鞘にしまった。
ちんっ、と小気味いい音が鳴った。
「で、討伐されたと思った? 残念、この男の方が面白そうなので、こっちに憑っきまーす!」
その悪魔は、僕の後ろをとっていた。
そして、背中から、僕の中に入ろうとしてくる。
横っ飛びして転がって、すんでのところで回避する。
「ちぃっ!!! ちょっと入るだけでしょ? 大人しくしなさい!!!」
「絶対嫌だ!!!」
「ん、ほいっ!」
ロッコが悪魔をガッチリとつかんでいた。
「ん? マスターに何をするつもり?」
表情があまり無いロッコだが、僕にはわかる。
あれは、キレている。
やばい。
何をするかわからないぞ?
「や、やーね。離しなさいよ。ね、ね? ちょっとあなたのマスターをからかっただけよ? 本当に入ろうとしたわけじゃ無いから。許して? ね? あ、え、ちょ、ちょっと、苦しいの、ねぇ、ほら、あんたたちも何か言いなさいよ、このちびっ子、ほら、離しなさいよ、うっ。ちょ、本気で、うぇっ、あっ、だから、うー、あっ、ねぇ、う………。」
実体ないから、苦しいも何も無いだろ?
悪魔だから演技上手いな。
いや、精霊なら、できるのか。
相手が実体なくても物理攻撃が。
そして、ロッコの手の中でぐったりする悪魔。
「ん。まだ。」
「なっ、うー、ふー、ほんとに、し、ぬ、ふー、から……」
「ん。これは、サルワタリの……」
「な、なにすっ、……ふっ、あーっ。」
そして、ロッコの肩にレインが降り立つ。
「精霊レインが宣言する。悪魔変数”a”を定義。変数”a”に、この悪魔を代入する。」
そして、その宣言中に合わせて、悪魔に触る。
「う、うっ、うっ、」
「精霊レインが宣告する。変数”a”に、”0”を代入する。」
そして、悪魔はいきなり消え去った。
「精霊レインが、変数”a”をこの世界から解放する。」
そう言い終えると、レインがロッコの肩から落ちる。
転がっていた僕が、地面スレスレでレインをキャッチした。
レインの意識がない。
「ロッコ、ラスト、レインが気絶している!」
「レイン様っ!」
僕だけじゃなくてラストも取り乱していた。
「大丈夫ですよ。大きな術式を使ったので、エネルギーが少なくなっているだけです。しばらくすれば復活しますよ。」
おちついた声で、精霊パンドラがそう言う。
「そうなのか? 一応、命に別状はないのか?」
「ん。大丈夫。レイン様は私が預かる。」
そう言うと、僕の手からロッコがレインを受け取った。
「頼んだぞ? レインは、レインは大切なんだ。」
「ん。分かってる。」
本来なら、きちんと戦ってHPを削って倒すべき強い悪魔をやっつけた。
どう見ても正攻法ではない。
あれだ、BAN!魔法に近いものを感じた。
あと、なんか、聞いていて背筋が凍った。
この世界からの解放?
魂は、女神様の範疇にちゃんと回収できたのだろうか。
レインには何かがある。
そう思ってはいたけれど、今日ほどそれを感じたことはない。
少なくとも、トレインの精霊とか言われて、はいそうですかとはならないくらいには、レインとの付き合いは長くなって来た。
かれこれ2か月が経とうとしている。
でも、それでも、僕はレインのことを何も知らない。
何も知ることができなかった。
<異世界召喚後50日目昼>
場所:ヨーコー嬢王国レーベン領ソーン砦
視点:野中
レインは結局、次の日になっても目を醒さなかった。
「どれくらいで回復するんだ?」
「わかりません。ですが、死ぬことはありません。安静にしていれば大丈夫ですよ。こんな時、あの悪魔がいれば、今のレイン様がどんな夢を見ているのか知ることができるのですが。」
「いや、本末転倒だろ。不謹慎だからそういうのは言わないでくれよ。」
「そうですか。パンドラは、いつでもマスターの味方ですよ?」
「ありがとう。」
レインが起きないことで、ちょっとした問題が生じていた。
まず、ラストが不安定になっている。
もう、全てが空回り。
だから、何もしないように言いつけてある。
とりあえず、今は、僕にくっついている。
ロッコは見た目は落ち着いているのだが、ラストよりも不安定だ。
僕の手を握って離さない。
あと、レインから僕を離させない。
とにかく、挙動不審だった。
一番落ち着いているのがパンドラだと言うのが解せない。
レイン曰く、たくさんのMPを注ぎ込んで召喚した精霊の方が高性能だと言う。
その話にのっとれば、確かにパンドラが圧倒的に高性能なのだろう。
不安定になっている、ラストとロッコの穴埋めを地道にしている。
昨日は、なんとか砦まで移動することができた。
しかし、砦に着いてしまうと、ここから動くことができなくなってしまった。
まいった。
「マスター。まずいぞ。」
「なんだ、ラスト。これ以上不味くなるようなことがあるのか?」
「あ、ああ。あれだ。魔族が攻め込んできたら終わるぞ?」
「どう言うことだ? ラストたちもお札があればなんとかできるんだろ?」
「それはそうだ。だが、お札だって有限だ。いつかはなくなる。お札が尽きたあと、魔族と正面から戦うことになるぞ? それまでにレベルを上げて、戦えるようにならないといけない。」
「どれくらい残っているんだ?」
「千枚前後。」
おい。
レイン、どんだけ製造しているんだよ。
夜な夜な、イビキをかくほど疲れて寝ているのにはそんな努力があったんだな。
まあ、ヨダレはなんとかして欲しいところだが。
「今のところは大丈夫だろ? 少なくともここは、町に王国軍が駐屯している。」
「だからまずいんだ。よく考えるんだマスター。なぜ、王国軍が今日もあそこで駐屯しているのかを。」
「とりあえず、事後処理とかじゃないのか?」
「ちがう。絶対に違う。あいつら、身動きが取れないんだ。」
「どういうこと?」
「じゃあ聞くが、本来ならあいつら、どこに帰るんだ?」
どこって、お家だろ?
あいつらは、たしか、王国軍とは言っていたがマッカース公爵領の兵士だから、公爵領の領都まで帰るんだろ?
領都ってどこだ?
「マッカース公爵領の兵士なんだ。領都、領主の館のある町に帰るんだろ?」
「重ねて問おう。その領主の館は、どこの町にあるんだ?」
「いや、名前とか知らないし。」
「じゃあ、名前はいい。どこにあると思う? 大体の方角でいい。」
「なら、あれだ。あそこ、グレイトフィールの南にあるんじゃないか?」
「おそらくな。なら、すぐにでも帰るだろ? いつもなら。」
む?
ちょっと待て。
まずいんじゃないのか?
あいつら、あそこに放置しちゃダメだろ。
「帰れないのか。」
「そうだ。帰れないんだよ。」
「そうだろうな。そうだよ。」
王国軍は、おうちに帰れない事情があった。
考えられる最大の原因は、魔王軍だ。
魔王軍は、少なくともグレイトフィールの町の南側から攻め込んできた。
そっちには、マッカース公爵領があるはず。
あそこに見える王国軍の人たちのおうちがあるはずだ。
魔王軍が攻め込んできたと言うことは、その町の防衛を突破して来たと言うこと。
甘い考えなら、うまいこと街を避けてここまで魔王軍がたどり着いたと。
厳しく現実を見るなら、ここまでくる途中の町は、全滅したと。
帰還拠点が破壊され尽くしているのなら、そこへの移動は意味をなさない。
今いる場所で、なんとか再起を果たすべく、行動するべきだろう。
そのため、廃墟と化したグレイトフィールの瓦礫を集めていた。
なんちゃって拠点を作っていたのだ。
魔王軍関係で、もう一つ二つ考えられることがある。
南側に魔王軍がもしかするとまだ駐屯しているのを、王国軍の斥候が確認している可能性。
すなわち、南に進軍できないという制約ができてしまっている可能性だ。
あと、その派生系で、破壊されたと見られる、帰還拠点の町が、まだ、魔王軍に占拠されたままで、帰還すると戦闘に発展する可能性がある場合だ。
本来ならそれでも領民を守るためには、軍隊として、少しでも魔王軍を減らす努力をするべきだろう。
しかし、困った問題があった。
一つは、食料問題。
これは、魔王軍が必ずやってくる、ハラスメント攻撃だ。
そう意図しているかどうかを問わず、彼らは火を使うことを好む。
結果として、攻撃を受けた町からは、食べられる状態の食料がなくなる。
また、そういう街が一つでもできると、街道が封鎖されてしまうので、流通が滞る。
そうすれば、さらに、食料の調達が困難になる。
そうでなくとも、冬なので、食料の調達が難しいにもかかわらずだ。
軍隊は、常に、食料調達との戦いを強いられるのだ。
今いる場所なら、遠征用に持って来た食料がまだあるからいい。
しかし、帰還拠点の町に帰ったところで、食料を調達できる望みは薄い。
それどころか、生きている領民がいたなら、少ない食料の奪い合いになる。
精神衛生上もよくないし、治安上もよくない。
もう一つは負傷者の問題だ。
魔王軍と極力交戦しない方針だった、死んだ前任者の指揮官は、そう言う意味では優秀だった。
ほとんど、負傷者を出すことなく、スムーズな遠征、スムーズな移動ができていた。
負傷者が一人でも出れば、そうはいかない。
ただ、そんな前任者はもうこの世にはおらず、若手の新米が司令官についている。
おそらく、食料調達に困ったのだろう。
近くの森から、動物、というか魔物を討伐というか調達してきたのか。
なぜか、動いていないはずの王国軍に負傷者が結構いたのだ。
残念だと言うしかあるまい。
後のことはわからないが、長期戦となったのならば、この指揮官の行動は正しかったとされる場合もある。
兵站の確保は、軍隊の最重要課題。
それを現地調達とはいえ、解決しているのだから。
見る角度や状況によっては、優秀だろう。
ここまでの情報を整理して、何が問題なのかと突っ込まれそうなので一応説明しておきたい。
さて、彼らとしては、二進も三進もいかない状況。
そして、目の前には魔王軍、後ろには僕たち嬢王国軍。
どちらが与し易いかと考えれば、人間ならば、僕たちの方が与し易いと考えるだろう。
本来、そんなことはなく、魔王軍を退けているのだが。
でも今、レインが倒れて、その戦力が大きく低下している。
マインウルフはその数で持って、ある程度は活躍してくれるだろう。
ロッコたち精霊3人衆も、レインの残したお札を使えば、お札があるうちは、魔族にも応戦できるだろう。
いざとなれば、エレメント族だって協力してくれる。
しかし、そんな内部事情を王国軍は知らない。
目の前で、最大戦力のレインが倒れているのを見てしまっている。
なら、彼らはどう考えるか、どう動くのか。
魔王軍に蹂躙されつつある人類の領域で、人類同士が争っている場合じゃない。
そんなことは誰しも、百も承知している。
でも、明日のご飯を調達するためには、魔王軍を襲撃したって無駄なのだ。
あいつらだって、それなりに飲み食いはするだろうが、基本、転移魔法だ。
兵站を、自分たちの拠点から動かす必要性がない。
陣を張っているところに、次の食事の分くらいはあるかもしれないがそれだけだ。
つまり、食料調達という目的ならば、魔王軍を攻撃しても意味はないと。
人間を攻撃すれば、口が減ると同時に、食料も調達できる。
一石二鳥なのだ。
なんとも残酷かつ残念な話ではあるが。
山賊団じゃないんだぞと言ってやりたいが。
背に腹は変えられないのだ。
王国軍は、いつそのことに気がついてしまうだろうか。
いつ、この砦に攻め込んできてしまうだろうか。
この砦は、攻め込んできても無駄だと、一度経験させているが、さて。
ああ、やはりと言うかなんと言うか。
王国軍が、この砦に向けて、進軍して来ているのが見えてしまった。
僕たちに、どうしろと?
ブックマークありがとうございます。
9章まで終わりました。
とりあえず、明日はお休みします。
続きは明後日以降で。
それでは。