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アリア・ルージュの来歴表  作者: 千勢 逢介
第一章 『良いときも、悪いときも』
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7

 ルージュさんの技術者としての腕前は二日でも見事だったし、むしろその動きはますます精彩に富んでいた。


 僕は彼女が魔機の故障原因をぴたりと特定する様子に嘆息し、迅速に修理をしていく姿に息を呑み、時々あの杖が魔機を叩いて炸裂させる光に目をくらませた。


 空中に浮かび上がる来歴表の青白い光にも魅せられた。

 とはいえ、それは僕が見ても単なる青い炎のような揺らめきにしか見えない。どうやら、然るべき角度で見なくては文字として認識できないよう仕掛けが施されているらしい。

 それを読もうと覗きこむたび、僕はルージュさんからスケベとの誹りを受けた。


「今日はもうあがっていいよ」


 ルージュさんにそう言われたのは、傾きかけた太陽が山の向こうに沈みはじめた頃だった。


「え? 今日はもう終わりなんですか? まだ何件かまわれそうですけど……」

「終わり。あたしはちょっとこれから町の外に野暮用があるけどね」

「魔機の関係ですか?」

「まあ、そんなところかな」

「なら、ご一緒しますよ。せっかくの研修の機会ですし、お付き合いさせて下さい」


 ルージュさんは首を横に振った。


「ダメ、なんですか?」

「今日のシャルは早く休むのが仕事。二日酔いのうえに寝不足で働かれたんじゃこっちが迷惑だ。さっさと調子を戻しなさい」


 そのことを持ち出されてはなにも言い返せない。

 こんなことなら初日から失敗しなければよかったと思ったが、いまさら後悔してももう遅い。


「それに、早くしないと宿屋が満室になるかもしれないぞ。なんてったってこの町にたった一軒だけなんだから」


 たたみかけるようなこのひとことに、僕はしぶしぶ頷いた。


 ルージュさんはそれから新市街へ行くという農夫の荷車に相乗りすると、一足先に薄暗い街道のほうへと出て行った。

 ラバが引く荷車が遠ざかっていくなか、目抜き通りに残された僕は小さくなっていくルージュさんの背中をじっと見つめていた。




 満室どころか、このあたりに一軒きりしかない宿屋は閑古鳥が鳴いていた。


「部屋をとりたいんですが……」


 静まり返ったロビーの受付、カウンターの奥のこじんまりとした空間にいるボンネットをかぶった老婆に僕はそう言った。

 彼女は鼻の上にちょんと乗せた眼鏡の向こうから、値踏みするような視線を僕に送ってきた。

 その視線に引きつらないよう意識した笑顔で応じると、老婆は無言のままカウンターの宿帳を押してよこしてきた。

 僕はほとんど白紙のページの端に名前を書いた。直前の日付は数年前のものだった。


「支払いはこれでお願いします」


 僕はそう言って、懐から罷免状を取り出した。

 これは<魔学技術局>の人間だけに持つことを許され、あらゆる特権を行使することができる。

 移動や宿泊など諸経費の免除、立ち入りを禁じられている場所の通行、さらには保養地や飲食店での割引やドリンクサービス、劇場観覧券の事前申し込み優先など、その特権は多岐にわたる。

 実際、僕はこの権限を使って中央からこの町までの乗合オーブを無料で使用していた。

 今朝、スヴェン教官が増やしてくれた罷免状の権限さえあれば、中央が僕に代わってここの宿泊費を補填してくれる。

 ……はずだった。


 僕がカウンターの上に広げた罷免状をしげしげ見つめたあと、老婆は背後の壁にある貼り紙を指さした。


【お支払いは即金のみ。後払い無効】


 貼り紙にはそう書かれている。


「ちょっと待ってください。罷免状なんです、これ。中央のお墨付きなんですって」


 カウンターの上から罷免状を取り上げて確認する。書面には確かに、宿泊施設での代金が免除される権限があらたに書き加えられていた。

 だが老婆は無言のまま、頑なに貼り紙を指し続けるだけだった。


「参ったな。権力を笠に着るつもりはないんですが、これを断られたら<魔学技術局>の沽券に関わるしなぁ……」


 などと僕がぶつくさ言っていると、老婆はカウンターの上に乱暴に立て札を置いた。


【本日の受付は終了しました】


「わあ! わかりました! 払います! 即金でお支払いさせていただきます!」


 僕は慌てて罷免状を引っ込め、代わりになけなしの金貨を取り出した。

 こちらは野ざらしで夜を明かすかどうかの瀬戸際なのだ。もはや中央の威信もへったくれもありゃしない。


 それでも目減りした手持ちの現金を見ると、ため息を抑えられなかった。

 しばらく滞在するのであれば、当面の着替えや日用品も用立てなければならない。

 宿屋以外でも罷免状が紙切れ同然の価値しかないとなれば、新市街のほうまで足を延ばす必要がある。さすがにあちらでは罷免状を使うこともできそうだが、そうでなければ乏しい手持ちでどうにかやりくりするしかなさそうだ。


 宿屋の最上階に用意された部屋に着くと、僕はすぐさまベッドに横になった。

 部屋の窓は小さく、申し訳程度の書き物机とベッドのあいだの導線は信じられないほど狭い。おまけにベッドはまっすぐ寝転ぶと足首から先がはみ出した。

 それでも文句はなかった。なにはともあれ、この町を訪れて以来、本当の意味でひとりになることができたからだ。


 誰に気兼ねすることなくぼんやりと天井を見ながら、僕は考えた。

 今日の別れ際のルージュさんの様子が気になる。

 この二日間でルージュさんからは始終からかわれ、ぞんざいな扱いを受けもしたが、彼女は仕事に対しては真摯に向き合っていることもわかった。

 だからこそ研修中の人間を放って、野暮用と言えるもののために仕事を途中で切り上げるのは不自然に思えた。そこに歯切れの悪さと強引さがあったのも腑に落ちない。


 だが考えをめぐらせても時間だけがいたずらに過ぎていくばかりで、答えを見出すことはできない。

 寝不足も手伝ってか、僕は濃くなりつつある日暮れのなか、うつらうつらとまどろみはじめた。


「町の外って言ってたな」


 呟く言葉が、春に降る淡雪のように溶けていく。


「どこまで行ったんだか……」

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