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「やっぱり、まだここにいたか」
酔い覚ましに、とロザリンドちゃんが作ってくれたスープで身体を温めていると、ルージュさんがそう言って店に入ってきた。
「ごふっ! おはようございます……」
僕はスープにむせ返りそうになりながらそう言った。昨夜、酔って絡んでしまったことを考えるといたたまれない。
ルージュさんはそんな僕に一瞥をくれると、黙って隣の椅子に腰かけた。
「おはよう、アリアちゃん。なにか食べる?」
「おはよ、ロザリンドちゃん。リンゴある?」
「さっき市場で買ってきたのがあるわよ。待っててね」
ロザリンドちゃんがそう言ってカウンターに戻ると、気まずい沈黙が流れた。
僕はもそもそとスプーンを口に運びながら、店の外で窓を拭くターニャさんを見ることなしに見た。
「胸、でけーよな……」
「ちょ、ちょっとなに言い出すんですか?」ルージュさんのひとことに、今度の僕はスープをふき出すのを止められなかった。「本人に聞こえないからって、そんなこと言ったら失礼ですよ」
「でけーもんはでけーだろ。素直になれって」
「おっさんみたいな言い方ですね」
「お? それじゃあシャルちゃんはそう思わないわけ?」
「いや、それは……」
僕はふたたび窓のほうを見た。
ターニャさんは懸命に窓拭きをしているが、実際のところ手にした雑巾よりもルージュさんが話題にした部位で掃除をしている面積のほうが大きかった。
「いや、そりゃまあ同じ女としてもつい目がいっちゃいますよね。確かに、豊満と言えば豊満ですし……」
と、そこへロザリンドちゃんがキッチンから戻ってきた。
「あら、なんの話?」
皿をテーブルに置きながらロザリンドちゃんが言う。皿の上には可愛いウサギにカットしたリンゴが乗っていた。
「え? ああ、いやあ……そんな大した話題じゃないですよ」
僕はしどろもどろになりながら言った。従業員をネタにした下世話をオーナーの耳に入れるのはよろしくない。
「そうですよね、ルージュさん?」言いながら、口裏を合わせるように必死に視線で訴える。
「そうそう、なんでもないよ。シャルがさ、でけーって言ってただけ……ロザリンドちゃんの胸が、ね」
「おおいっ!」
抗議した僕は恐る恐る振り返った。そこには頬を赤らめるロザリンドちゃんがいた。
「そんな目で見てたなんて。女同士だからって。もう、いやらしい……」もじもじとした意地らしい反応が余計に怖い。
ロザリンドちゃんが内股気味にカウンターへと戻ったあと、僕はルージュさんに食ってかかった。
「なんてこと言うんですか!」
「あれえ? ロザリンドちゃんのことじゃなかったら、誰の胸がでけーって話だった?」
「あの、昨夜のことは本当にすみません。面倒くさい絡み方をしてしまいまして。だからもう許してください。他の人たちを巻き込まないでください」
このとおり、と僕は頭を下げた。
ルージュさんはふん、と鼻を鳴らすと、リンゴのウサギを素手でつかんでかじりはじめた。
「ロザリンドちゃん!」すぐさま一羽目を平らげたルージュさんは、カウンターのほうにそう声をかけた。「ごめん、さっきのはあたしの勘違いだった。シャルはロザリンドちゃんみたいに懐のでかい人間になりたいって言ってたみたい」
カウンターでグラスを拭いていたロザリンドちゃんは、肩をすくめて応じた。
その様子を見るだに、僕は昨夜の意趣返しとばかりにふたりからからかわれていたらしい。あらかじめ打ち合わせをしたのか、それとも長年の付き合いでこうした意思疎通ができるのか。
「店長! 窓拭き終わりました!」
そして明るいかけ声とともに戻ってきたターニャさんは、全身びしょ濡れだった。
「下宿先?」
「はい。このあたりにありませんかね?」
<ロザリンド>を出て最初の訪問先へ向かう道すがら、僕はルージュさんにそう訊ねた。
仕事を終えたあと、毎日報告のために中央へ戻ることを免除されたのであれば、逗留先を探すのは早いに越したことはない。
「昨夜みたいにまた<ロザリンド>で厄介になれば? 酔い潰れてさ」
「はーい! 僕の酒癖の話はこれでおしまーい! ……二日も続けて迷惑かけられませんよ」
「毎晩だったら?」
「余計ダメです!」
「まあ、ロザリンドちゃん怒ると怖いしな」
「あんた、その怖いロザリンドちゃんをさっき冗談の種に使ったでしょうが」
僕の指摘に、ルージュさんは下手くそな口笛で応じた。
「まあ、それなら目抜き通りの入口にある宿屋だな。あそこしかない」
「そういえば、昨日ここに来たときに見かけましたね。そんなにいいところなんですか?」
「いや、あそこしかないって言葉通りの意味だよ。このあたりに宿屋はあの一軒だけなんだ。オーブの乗合場もある新市街なら、宿屋の数ももっと多いんだけどな」
「そういう意味ですか……」
僕は昨日通った乗合場のある新市街から<ルージュ工房>までの道のりのことを考えた。
新市街からこの目抜き通りまではかなりの距離があり、それが人気の無い一本の街道で繋がっているだけだ。
毎回都合よく馬車に相乗りさせてもらえるとも限らないし、そうなれば、廃墟がぽつぽつと佇むだけのうら寂しいところをひとりで歩かなければならない。
ルージュさんが言うには、ここはかつて隣国ヤミーシャナとの国境に面した最後の宿場町で、たくさんの旅人や行商人が行き交う活気づいた場所だったらしい。
それが魔王の死後、魔学技術が発展したことによって物流の在り方が変わり、商人を中心に次第に人々の足が遠のいていったそうだ。
「おかげでここは、いまとなっては吹き溜まりさ」ルージュさんが冷笑する。
「そんな……僕はいいところだと思いますよ、この町」
「そりゃ都会育ちのお嬢ちゃんの目には新鮮に映るだろうけどな。どうせそれも最初のうち、すぐにうんざりするさ」
「だったら、ルージュさんはどうして場所にいるんですか?」
「この国の中で、ここが一番中央から離れてるから」
にべもなく言うルージュさんに、僕は腹立ちを感じながらもそれ以上なにも質問できなかった。
昨日からの言葉の端々で、彼女が中央のことを毛嫌いをしているのがよくわかる。
だがその理由はどうも見えてこなかったし、答えを得られそうな質問を、僕は思いつかないままでいた。