4
少女に関する疑問はしばらく残ったが、それはすぐに別の疑問に置き換わった。
案内されたのは、目抜き通りにある<ロザリンド>という酒場だった。
店の名前を見て、工房で交わした今朝の会話を思い出す。ルージュさんよりずっと年上にも関わらず、生足をさらす女性についての会話だ。
「あの、ルージュさん」
「なにさ?」
「このロザリンドって名前」
「ああ、今朝話したよな。ここが例のロザリンドちゃんが切り盛りしてる店だ。酒も料理も絶品だぞ」
招じられるまま店に入る僕としては、出てくる品の良し悪しよりも、ロザリンドちゃんその人のほうが気になる存在なのだが……
<ロザリンド>の中は、内装を照らす温かな蝋燭の火で満ちていた。
広々とした店内は二階部分が吹き抜けになっており、並んだテーブル席はどこも客で賑わっている。カウンターも満席で、近所中の人々がこぞって集まったのではないかと思えるほどの盛況ぶりだ。
そうした光景が壁に張られた鏡や酒瓶に反射する蝋燭の火の効果でもって、いっそうきらびやかで幻想的な雰囲気を醸している。
「アリアさん。いらっしゃいませ!」
入口に立つルージュさんの姿を目に、通りかかった女性が笑顔を投げかけた。
立ち止まる彼女の脚に、僕の目は釘付けになった。
なるほど。太ももとまではいかないが、短めのスカートで脚が露わになっている。となると、彼女が噂のロザリンドちゃんだろうか。
僕はロザリンドちゃんの顔を見た。通った鼻筋と大きな目を持つ美人で、金髪を後ろでひとまとめにしている髪型のせいか、顔も幼く見える。
本当にルージュさんよりも年上なのだろうか? 訝しみながらも、僕は彼女の美しさに見惚れつつあった。
<ロザリンド>がここまで盛況なのは、もしかしたら彼女のおかげなのかもしれない。
この容姿で笑いかけられでもすれば、同性の僕でも舞い上がってしまいそうだ。たとえずっと年上だったとしても……いや、逆にこの見た目で年上だからこそいいのではないか!?
「おう、ターニャ。ひさしぶり」
「え? ターニャ?」野放図な妄想を繰り広げていた僕は我に返った。「彼女がロザリンドちゃんじゃないんですか?」
「いや、ロザリンドちゃんならあっちのカウンターに……あ、こっち来た」
ルージュさんの視線を追うと、店の奥から人いきれをかき分けるようにして、ひとりの人物がこちらにやってきた。
大きい……店内の男性客よりも頭三つ分は背が高く、屈強な身体つきをしているのが遠目からもよくわかる。
「アリアちゃん! もうどこにいたのよぉ。最近ご無沙汰だったじゃない!」店の喧騒を突き破るような野太い声でその人は言った。
「悪かったな、ロザリンドちゃん。ちょっと出稼ぎにも行っててね」
「あら、それじゃああとで土産話でも聞かせてもらおうかしら?」
このやりとりを見ながら、僕は蝶番が外れでもしたかのようにあんぐりと口を開けていた。
この人がロザリンドちゃん?
確かにフリル付きのエプロンの下にあるスカートはターニャさん以上に短いが、そこから伸びる生足は<ルージュ工房>の丘の上に立つ巨木さながらに逞しい。肌は全体的に浅黒く、当世風に丸い形に整えられたボブカットの銀髪が映えている。
彼女がロザリンドちゃん? いやこれは、彼、なのではないか?
「あのう、ルージュさん」僕は訊ねた。「その男性が、ロザリンドちゃん……もといロザリンド氏ですか?」
「なに言ってんだ。ロザリンドちゃんは立派な淑女だぞ」と、ルージュさん。
「そうよ、初対面の乙女にそんなこと言うなんて失礼しちゃう!」と、ロザリンドちゃんが頬をぷっくりと膨らませる。
「こちら、当店自慢のオーナー兼、店長兼、マスター兼、料理長でございます」ターニャさんが、それだけで料金を払いたくなるような笑顔で言う。
どう見ても男性だ!
こみ上げそうになった言葉を僕は飲み込んだ。
世の中には色々な人がいる。ますます多様化していく文化もまた、魔学技術の恩恵のひとつだ。きっと、いままで中央でしか生活してこなかった僕がとやかく言えない世界も存在するのだろう。
「急に黙って、変なやつだな」
「ちょっとアリアちゃん。この小娘は誰なの?」
「礼儀知らずで申し訳ないね。こいつはシャル。ちょっとした事情があって、うちでしばらく面倒を見るんだ。今日がその初日」
ふうん、とロザリンドちゃんが腰を曲げ、前傾気味に僕を見つめてくる。
捕食者に牙を剥かれた草食動物は、きっとこんな気分なのだろう。僕は彼女の巨体に気圧されながら身を固くした。
「よく見ると可愛い顔してるじゃない。いいわ、さっき言ったことは許してあげる」
「よかったな、おい」ルージュさんが僕の背中を叩いてくる。
「ただし」と、ロザリンドちゃん。「二度目は無いわよ」
その声は低く静かで、僕を震え上がらせるには充分だった。
「はい……以後気を付けます」
言いながら、僕はロザリンドちゃんのあごまわりにうっすらと浮いたひげから目を離せなかった。
「それじゃあ今日は歓迎会ね。ゆっくりしていって」
ロザリンドちゃんはまるで人でも食ってきたかのように真っ赤な唇に指先をあてがうと、こちらに投げキッスをよこしてきた。
「うわおっ!」
思わずその軌道から身を反らしてしまう。
投げキッスは僕の背後にいた男性客の後頭部に命中。彼はぶるりと大きく身を震わせた。
空席に案内してくれると、ロザリンドちゃんは店の奥へと戻っていった。軽快な足取りではあるが、高いヒールを履いているおかげでほどんど巨人のような大きさだ。
ターニャさんも僕らにお辞儀すると、彼女のあとについていった。
「ロザリンドちゃんとターニャを間違えたんだろ?」席に着くなり、ルージュさんはそう言った。「気にすんなって、よくあることなんだ。ここで飲み食いしてりゃすぐに忘れちまうさ」