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我が家の魔竜のご近所事情  作者: 鹿嶋臣治
第一章 黄金の魔竜、異国に立つ
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第九話 黄金の魔竜、異国に立つ

「いや、実に満足した」

「そりゃよかった。満足した様で何よりだよ」


 ご満悦の表情のザジを連れて『OCHAME DAD(オチャメダッド)』を後にした。時刻は既に夕刻近い。徐々に茜色が差し始める空を見やって旭は目を細める。

 ふと店を振り返れば、ジョンが豪快に、百代が気怠そうにガラス越しにこちらへ手を振っている。騒がしい大学生四人はあれよあれよと話がまとまって、二人がお店を出る少し前に飲み屋街の方へと消えていった。

 中途半端な時間だが帰宅だな、と旭が検討をつける。


「ほら、帰るぞ」


 旭が右手を差し出してやると、彼女は少々呆けた顔をしてから淡い笑みを浮かべた。


「どうした? 腹でも痛いのか?」

「腹が痛いのに笑みが出るものか」


 言葉にザジは苦笑を浮かべた。彼女はこちらの右手を確かめる様に握り返す。小さな手がしっかりと握り返されたのを確認して、旭はゆっくりと観音通りの方へと歩き出した。


「いや、誰かに帰ろうと言われたのは久し振りだ」

「奇遇だな、俺もだ。唯一の家族は世界放浪中だしな」


 楽しそうに言葉を発するザジに旭は頷きを返す。

 ご機嫌に揺れる金髪を横目に、帰宅を誰かに提案するのはいつ振りだったかと思案するが、旭は思い出せなかった。

 そもそもの生活がほぼずっと一人で襤褸(らんる)(せい)に籠っているので、自由な時間を誰かと何かをしながら過ごすのは旭にとって新鮮に感じる。

 先ほどの楽しげな大学生四人を思い出しながら、随分と枯れた生活をしているな、と内心で苦笑した。


「なぁ旭。オレはいつまで手を繋いでなきゃならんのだ?」

「そうだなぁ……物珍しさに釣られなくなったらだな。興味を持ったからって何でもかんでも触りすぎだ」


 やや不満げに言葉を投げかけるザジに旭は遠い目をしながら返事をした。

 先ほどOCHAME DAD(オチャメダッド)でチャッカマンを暴発させ、前髪を燃やしそうになったの思い出す。

 火傷していないよな、と旭は隣のザジの前髪をあげて額を確認するが、綺麗な肌と分け目が見えるだけだ。


「心配か?」

「一応な。子供の体だし、丁寧に扱えって言ったのはザジだしな」

「ふふっ心遣いに感謝する。ただ、オレとしてはジョンの方が心配だ」

「あぁ……確かにあれは痛そうだった」


 前髪が燃えそうになったのは勝手にチャッカマンを触ったザジが悪いのだが、本来キッチンに置いてあるはずの物がなぜカウンターに置いてあるのか、と理由を探ったとこと、ジョンが置きっぱなしにしていたことが判明した。


「物凄い形相で殴っていたな、モモのやつ」

「モモさんは怒ると怖いからなぁ」


 ザジが思い出し笑いをする隣で旭は苦笑をこぼす。

 ジョンが謝罪をするよりも早く、モモが彼の頭を灰皿で殴打していた。

 物凄い殴打の音と共に悲鳴にも聞こえる謝罪がジョンから上がり、見ていて気の毒になるほどだった。

 お客様に怪我させたら面目立たないだろうが、とモモは烈火の如く怒っていたが、店員には怪我をさせていのだろうか、と旭は疑問に思ったがグッと言葉を飲み込んだ。こう言う時に口を挟んで良い思いをしたことは一度もないのだ、経験的に。


「ざじが触って良い物、悪い物の分別を付けられる様になったら解消だな」

「そうか、努力するとしよう」


 観音通りに差し掛かかる。

 夕刻の商店街は昼間とは異なり、主婦層の買い物客の数が多く雑踏からは生活の色を濃く感じる。

 スーパーの袋や買い物用のバッグを下げた人々とすれ違いながら、旭は夕食をどうしようかと思案した。


「旭、今日は他に何か寄るところがあるのか?」

「んー考えてる最中。寄ってもいいけど、寄らなくても良い、みたいな」

「そうか。少し話したいことがあるのだが、大丈夫か?」

「ん? あぁ、わかった。なら真っ直ぐ帰宅しようか」

「うむ。予定を押し付けてすまんな」

「大丈夫だよ。決めかねてたし、ちょうど良い」


 旭は人混みの中を自宅方向へと足を向ける。


「ちなみにどこへ寄る予定だったんだ?」

「夕食の買い物しようと思ってたけど、まぁ、良いかなって」


 ザジが足を止めた。

 彼女が急に足を止めるので、旭は後ろでに引っ張られる様に体を仰け反らせる。

 周りを歩いていた人が迷惑そうにこちらを振り返るので、旭は愛想笑いをして誤魔化す。

 怪訝そうな顔をザジに向けると、彼女は困った様に眉尻を下げていた。


「食事の準備か……それは重要だ。蔑ろにするものではない」

「大丈夫だって。家にものはあるから、夕食はちゃんと作るって」

「そうか……なら良いが」

「食べることしか楽しみがないのか」


 旭の言葉にザジはバツが悪そうに眉を寄せ、そう言うわけではない、と肩をすくめた。





 ◆□◆□◆□





 下穂坂商店街の観音通りから少し外れたところに藍染坂アキラが所有し、現在、旭が居住している骨董品店がある。

 商店が軒を連ねる太い道筋から外れ、さらに脇道を入ったところに、まるで身を隠すように塀と生垣に囲まれたその店はひっそりと佇んでいた。

 骨董品屋の入口となっている摩りガラス張りの引き戸の上には、襤褸(らんる)(せい)と美しく書かれた、控えめな年季を感じさせる木の看板が取り付けられている。

 襤褸(らんる)(せい)は住宅地の中にその店だけを別の場所から切り持って来たかの様に、不自然な程に木々と緑に囲まれている。長い年月をかけて蔦や草木が巻きついた外壁を持つ骨董品店は、廃屋と言っても差し支えない外観をしており、見る人ならばとても人が住んでいるとは思わないだろう。

 旭はこの襤褸(らんる)(せい)が近所の子供達から幽霊屋敷と呼ばれているのも知っているし、何ならその通りだと旭自身も思っている。実際に動いたり笑ったり呻き声をあげたりする曰く付きの骨董品の数々があるのだから、間違いでもないだろう、とも思う。

 骨董品店様の入り口の隣にある小さな門扉の鍵を開ける。やや広めの中庭があり、少し奥まった場所に摩りガラス張りの引き戸で、少し古めのインターホンと藍染坂と彫られた木の表札を備えた玄関がある。

 申し訳程度に作られた石敷きの道を歩き玄関の鍵を開ける。

 小上がりにゆっくりと腰をおろして、旭は疲労を滲ませる溜め息と共に天井を仰いだ。


「いやぁ……意外と疲れてたんだな」


 思いの外、足に疲労の色が濃い。

 足の裏が熱を持っている様に感じるし、脹脛も太腿も重たく感じる。

 旭と同じく隣に腰掛けたザジも、言葉はないが太腿や脹脛を揉んでいた。慣れない体で慣れない土地を歩いたのだ、思った以上に体に負荷はかかっているのだろう。


「それで、話って何なんだ?」


 ノロノロとスニーカーを脱いで、旭は隣で靴紐に悪戦苦闘するザジに声をかける。


「うむ。今後をどうして行くか大体の目処がついてな……この、何だ、硬くて取れんぞ」

「あーあーあー固結びになってるな。ちょっと待ってろ」


 眉間にしわを寄せながらスニーカーに弄ばれる魔竜に苦笑して、旭は硬く結ばれた靴紐をゆっくりと解いてやる。

 靴紐の解き方と結び方を教えてやると、ザジは感心した様に声をあげた。

 なるほど、と彼女は幾度か靴紐を結び直し、得心した様に数度頷く。


「それで? 今後の目処がどうしたって?」

「あぁ。多少なりとも収穫があってな、協力してもらっている旭に一応、伝えておこうと」

「教会とOCHAME DAD(オチャメダッド)で収穫、ね。とてもそうとは思えないんだが。あぁ、洋服は確かに収穫か」

「洋服のことではないんだがな」


 リビングへ連れ立って歩きながら、旭とザジは会話を交わす。

 西日に照らされたリビングは少しだけ熱こもっており、旭は顔を顰めて窓を開けた。春と生垣の緑の香りがリビングに流れ込んでくる。

 旭がソファに腰掛けると、先に座っていたザジが胡座の姿勢のまま口を開いた。


「既に旭も分かっていることがだ、オレは異世界の魔竜だ」

「まぁ……遽に信じ難いところはあるけれど、そうだな」


 自身の胸を拳で叩くザジを見ながら旭が頷くと、彼女は小さく咳払いをしてジロリとこちらを睨んできた。

 失礼、と旭が両手を胸の前であげると、構わずザジは言葉を続ける。


「千年の時間を生きるオレは魔力と信仰の力によって成り立っている。どちらが欠けてもいけないし、不十分であることはなるべく避けたい。体を維持するにせよ能力を行使するにせよ、魔力と信仰を生成・貯蔵しなければならないのは明白だ」

「魔力って言うのは何だ、食べたり以外にも作り出せるんだよな?」

「無論だ。この世界は随分と希薄だが、根源の力が存在している。根本は同じ様に感じるが、濃度? 気配? みたいなものは希薄だし、体への馴染みも悪い。時間をかけてゆっくりと生成するしかあるまいて」

「ザジの言う収穫っていうのは、魔力を生成する方法?」


 いや、とザジはゆっくりと首を振った。


「魔力の生成に関しては従来通りで問題なさそうだ。ただ圧倒的に効率が悪い。収穫と言うのは信仰の方だ」

「教会で何か掴んだのか?」

「いいや、教会ではない。確かにあの場所なら大掛かりな魔術を使用する際の祭壇に指定したり、降霊術等の儀式場にするには申し分ない場所だとは思うが……そもそもオレはその降霊術の類はわからんからな。教会ではなくOCHAME DAD(オチャメダッド)だ、収穫は」

「最も信仰とは縁遠い場所が出てきたな」


 口の端を吊り上げて勝気な笑みを見せたザジの口から飛び出してきたのは、派手なアメリカンダイナーの名前だ。

 酒とタバコとロックンロール、神はベガスで休暇中と言う雰囲気に信仰と言う言葉は馴染まない。

 旭の脳裏に気怠げなモモと満面の笑みを見せるジョンの顔が浮かび、しかし、すぐに掻き消える。

 両者共に敬虔な神の信徒とは言えないな、と旭は乾いた笑いを見せた。


「正確にはOCHAME DAD(オチャメダッド)で出会った人間達、だな」

「モモさんとかジョンとかのこと?」

「あぁ。あと、みゆき達もそうだし、あの子達が帰宅した後に話したサラリーマン達もそうだな」


 旭の脳裏に名を挙げられた人たちの顔が浮かぶが、いまいち信仰とは合致しない。

 モモやジョンを初めみゆき達には申し訳ないが、現代社会を代表する彼らはとてもではないが信仰深いとは思えない。 

 眉間にしわを寄せているとザジが苦笑した。


「まぁ……結びつかない理由はなんとなくわかるがな。そもそも信仰とは何か、と言うことだ」

「信仰ってあれだろ? 教会で神様に祈りを捧げたりとか、なんとかの」

「イメージとしては間違っていない。ただ大事なのは何処でではなく誰にだ。そして捧げるものは別に祈りでなくても構わないのだ」


 言葉に旭は生返事を返す。

 そうだな、と一つ前置きをして、ザジは続ける。


「信仰と言う力の在り方は意外と広義だ。旭はとてつもなく神聖なものを考えていると思うが、実際はもうちょっと気楽に構えていい。強いて言うなら、そうだな……詳しい話は割愛するが、“お前めっちゃ凄いな!”とか“超カッコいいっす先輩!”みたいなのが信仰だ」

「思った以上に緩い感じできたなおい」


 言葉のニュアンス的にもっと宗教的で厳粛なイメージがあっただけに、実に俗的な例えで旭は拍子抜けする。

 教会や聖堂での厳かな祈りの儀式をイメージしていたが、校舎裏でタバコ片手に武勇伝を語るヤンキーが脳裏に浮かぶ。


「厳密に言えば異なるが、信仰の在り方としては間違いではない。羨望や憧憬と言った心の在り方は、信仰への足があかりにもなる心の動きの一つだ」

「じゃあ、なんだ……羨ましいとか憧れるって言う気持ちが信仰になり得ると?」

「大体その様な認識で構わない。羨望や憧憬と言った、つまりは心の動きがオレに向けられると、それは一つの信仰の力として確立できる——はずだ」

「羨望や憧憬が信仰の力に……ねぇ」


 旭が胡散臭げに呟くと、ザジは小さく首を振りながら口を開く。


「喜怒哀楽よりもよっぽど分かりやすく、同じ方向を向きやすい。憧れ、羨み、望み、願いや祈りを一身に集約し形にしたものが神の本質だ。そしてその本質へ向ける力や方向性を信仰と言う。不特定多数の人間のそれら心の在り方を、定めた方向に向けさせる目印が宗教で、その手引きや手段を教典と言うのだよ」

「ちょっとぼんやりしてるけど、まぁ、一応、分かったことにしてくれ」

「まぁ……オレももうちょっと上手く説明でいる様に話を噛み砕いておこう」


 話がそれたな、とザジが再度咳払いをした。


「つまりは信仰とは、不特定多数の人間からオレに向けられる心の力のことだ。そして、OCHAME DAD(オチャメダッド)で信仰に近い力を得ることに成功した」

「羨望や憧憬に通じる何かを向けられた、と」

「あぁ。旭もあの店でのオレのカリスマを見ただろう?」

「カリスマっていうか……なぁ」


 得意げに胸を張るザジを見て旭は苦笑を浮かべた。OCHAME DAD(オチャメダッド)でチヤホヤされていた小さな少女の姿を旭は思い出し、しかし、あれでも一応信仰の獲得になっているんだな、と納得半分疑問半分という気持ちだ。

 女子大生に囲まれサラリーマンに愛でられる彼女の姿はどう見ても尊いものを崇めると言うよりは、動物園の触れ合いコーナーで子犬を愛でている光景のそれだ。ただ大真面目に語るザジに横槍を入れるのは憚られた。


「人数は少し少なかったが、人々から求め崇められていただろう」

「うん……まぁ、壬生瀬(みぶせ)さんとジョンはそうだったよね」


 しきりにザジを目を伏せた真顔で拝むジョンと、尊い、と呟きながら顔を伏せる玲奈の姿を思い出す。

 特に玲奈が呟く尊いという言葉は、何処か俗物的な印象が強かったな、と旭は思い、クラスメイトの何人かも、漫画やイラストに対して尊いと呟いていたことを思い出す。


「オレがアルダ・イーヴェで得ていた信仰とは比べ物にはならないほど微々だが、それでも確かに、力の一端として得る事が

 できたのだ。オレにとっては大きな一歩であるし、右も左も分からない異世界では確かな導になると思っている」

「元いた場所に帰る問題は解決しそうなのか?」

「まだ分からん。だが、何もできることがない、と言う最悪の状況は回避できた。あとはオレの根気の問題だな。魔力を生成貯蔵して、信仰を集約し、来るべき日に備えるしかない」

「どれくらいかかるんだ?」

「検討もつかん。途方もない時間がかかるかも知れんし、現状、考えうる方針意外で何か手があるかも知れんしな」


 やってみないことには分からんさ、とザジは腕を組んで溜め息をついた。

 小さな背中をソファにもたれ掛けさせ幼い顔に苦笑を浮かべる。


「魔力と信仰を得られる目処がたっただけでも良しとするさ。消える心配がないのであれば、いくらでもやりようがある」

「まぁ……できる限り応援はする」

「ありがたい。旭が協力者でよかったと心から思える」

「ちなみに、現状考えうる方針ってなんなんだ?」

「あぁ……何、簡単なことだ。オレがアルダ・イーヴェでやっていたことをこの世界でもやればいい」


 故に、とザジは勢いよくソファの上に立ち上がった。

 拳を握り、三つ編みにされた尻尾の様な金髪を翻し、紅蓮の双眸を煌めかせる。

 幼いながらに整った顔立ちには、八重歯を見せた勝気な笑みが浮かべられていた。


「ここを拠点としてこの商店街に、新たな《雄々しき太陽》の信仰を募るのだ!」


 薄い胸を張り肉食系のロゴが躍動する錯覚を旭は覚える。ついでに頭痛も。 

 アルダ・イーヴェでもそうであった様に、ザジはこの下穂坂商店街を中心に、彼女自信を信仰の対象とした、新たな宗派を立ち上げると言うのだ。

 燃える炎のような紅の瞳に希望の光を讃えやる気に満ちる魔竜の少女に、旭は乾いた笑みを向けた。


「そうか、頑張れよ」


 応援と協力を頼む、と満面の笑みを浮かべるザジを見て旭は深く溜め息をついた。

 どのように転んでも“商店街の可愛いマスコット”レベルにしかならないのが目に見ているからだ。

 異国から降ってきた魔竜の少女は、こうして、下穂坂の地に立ったのである。


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