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我が家の魔竜のご近所事情  作者: 鹿嶋臣治
第一章 黄金の魔竜、異国に立つ
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第四話 魔竜の少女2

 腹が減ったなとぼやくザジの言葉に、釣られる様に旭も空腹を思い出し、ふと壁掛け時計へと視線を向けた。

 いつの間にか時刻は正午を指しており、今朝の衝撃的な邂逅から随分と時間が立っている事を今更に把握する。

 屋根裏部屋の片付けと倉庫として利用していた部屋の掃除をしたのだから、それなりの時間の経過は当たり前と言えば当たり前だ。

 自分で作るのも気怠いので外食にしよう、と頭の片隅で選択肢を思い浮かべるのだが、問題はソファに体を預ける金髪赤目の魔竜少女。

 一緒に屋根裏部屋を掃除をしていた判明した事だが、この異国の神は基本的に自由奔放で好奇心が強い様子。

 恐らく襤褸の棲(らんる せい)の陳列棚を見せた時も彼女は相当に我慢していたのだろう、倉庫代わりの一室に収納されていた骨董品を手に取ると、こちらが口を挟む暇もなくあれこれと質問を浴びせてきたのだ。

 奇妙奇天烈(きみょうきてれつ)な骨董品を手に目を輝かせ、嬉々として所見を述べて興奮を露わにする姿は年相応の少女そのもので、先ほど見た独特の空気を纏う姿とのギャップに旭は困惑を隠しきれなかった。


「なぁ……旭よ。何か食べるものはないか? 知ってはいたが、やはり人間の体は随分と燃費が悪い」


 恥ずかしそうにお腹を摩るザジの姿を見て、どうしようかと旭は思案する。

 正直な事を思うと、この自由と好奇心の塊である褐色の少女を連れて街中を歩くのはリスクが高いと感じていた。

 襤褸(らんる)(せい)の骨董品で好奇心を刺激され目を輝かせていた異国の神が、見知らぬ世界の見知らぬ街を歩いて、じっとしていられるかどうか、不安でしかない。


「いずれにせよ……か」

「どうしたんだ?」

「ザジ、出かけるぞ。街を案内する」


 旭の言葉にザジはまず呆け、次に驚きに真紅の瞳を見開き、最後に幼く愛らしい顔に花が咲く様な満面の笑みを浮かべた。


「そ、そうか! そうかそうか……実に良い考えだと思う。旭は用心深そうだから、家の外に一切出られないと思っていたんだ。家を抜け出すことも考えていたんだが、許可が出るならそれに越したことはない」


 なんと物騒な事を、と旭が思う傍らで彼女はソファから立ち上がり、嬉しそうに早口で捲し立てるとウロウロとリビングを歩き出す。

 嬉しさと興奮で頰を染めて、リビングを隔てるドアと旭の顔を交互に見やる。全身で待ち遠しさを表す少女に旭はストップをかけた。


「取り敢えず服装だな。流石に半袖一枚は悪目立ちする」


 着せている寝巻き代わりのシャツはかなり大きなものだが、少女の体を隠すにはいささか不十分だ。

 実際に家の中を歩き回っている時も尻や太腿が露わになる機会は多かった。この姿で外出されるのはいささか不穏な噂が立ちかねない。


「これではいかんのか? いささか丈が短いが、隠れているではないか」


 ザジが不服そうに着ているシャツの裾を捲り上げた。

 大きめのシャツが隠していた少女の健康的な褐色の肌が露わになる。子供特有の丸みを帯びた腹のラインと細い太腿が晒され、旭は慌ててシャツの裾を掴んで引き下ろす。


「バッカお前、何も履いてないんだから人前でそう言う事するな!」

「子供の体だろうに、何もお前——」


 慌てる旭にザジがしかめっ面を作り、しかし何かを気付いたかの様に言葉を切ると、眉を寄せてやや俯き、逡巡し、そして自身の身を守る様に抱きすくめる。


「ま……まぁ、人の趣味はそれぞれだからな。オレの国にもそう言う気質の奴はいたから、まぁ、否定はしないが……気を付けるとしよう」


 彼女は憐む様な慈しむ様な曖昧な笑みを浮かべ、直後、旭は脳天へ拳骨を落とした。

 ぐ、とくぐもった声を漏らしてザジはその場へと蹲る。


「ぶ、無礼者……この《雄々しき太陽》に手をあげるとは何事か……」

「馬鹿な事を言うからだ。神様だろうがなんだろうが関係あるかよ」


 涙目でこちらを見上げ、震える声で呻くザジへ旭は鼻を鳴らす。


「そっちの世界ではどうか知らんが、こっちの世界では子供の扱いはデリケートなんだよ。裸同然で彷徨かせたり、裸に剥いたりしたら大事だ」

「子は宝だ、オレの世界でもぞんざいに扱うことはしない」

「結構だ。ザジは気にならないかも知れないが、こっちはこっちでルールがあるんだ。全て一度に覚えろとは言わないけど、できるだけ順応してくれたら助かる」

「善処しよう。オレも窮屈なのは困る」


 立ち上がったザジは涙目のまま頭を摩りながら頷く。

 ややふてくされた表情で唇を尖らせたまま旭を見ている。

 俯いた顔から向けられる恨めしそうな視線に、怪訝そうな表情を返した。


「なんだ……痛いのか?」

「まぁな。中身は中身でも、肉の体は少女のそれだ。丁寧に扱え」

「ごめん、うっかりしていた」


 むっつりとした表情のザジの頭に旭は手を乗せると、右手には柔らかい絹の様な手触りが伝わる。

 壊れ物を扱う様にそっと撫でてやると、彼女は満足そうに鼻を鳴らした。

 気持ち良さそうに目を細め満足そうに喉を鳴らす少女を見て、旭はふと思った事を口にする。


「ザジ……本当のチビみたいに頭を撫でられてるけど、神様っていうのはこうも子供っぽい奴らばかりなのか?」


 む、と声を漏らした彼女は、しかし撫でられる事に抵抗を示さぬまま、考え、


「恐らくだが……体の方に引っ張られているんだろうな」

「チビの体だから、考え方とか感性がそっち寄りになるってことか?」

「魔術でも心と体は密接に関係していると考えられているし……可能性としては否定しきれない」


 顔を緩めながら告げる言葉が正しいかどうかは旭には判断がつかないが、ザジの様子を見るからに間違いでは無いようだ。

 髪を梳いてやると、その行為を強請(ねだ)るように頭を傾ける。


「人と触れ合うのは久し振りだ。存外、悪く無いものだな……」

「そうなのか」

「あぁ……触れ合ったこともあったが大昔の話だったからな」


 満足げな吐息を漏らし、ザジはゆっくりと閉じていた目を開けた。

 細められた赤い瞳はどこか遠くを見ており、彼女が異世界で過ごしてきた時間を感じさせる。

 頰を擽るように撫でてやると、彼女は甘えるように喉を鳴らす。


「んんっ……これくらいにしておこう。なかなか悪くない、適度にオレに触れる事を許すぞ、旭。敬虔な神の使徒として励むが良い」

「なんだそれ。恥ずかしいからって誤魔化すなよ」


 小さな咳払いを一つ、彼女は鷹揚に頷いで見せる。

 旭は含んだ笑いを向けると、ザジはバツが悪そうに顔をしかめた。





 ◆□◆□◆□





 ザジを連れて出掛けたことを旭は猛烈に後悔していた。

 人波に流されるように歩いているのは旭が住む街の商店街のアーケード。平日であるが人の数は多い。

 辟易した様に長い溜め息をつくと、視線は己の右手を引く魔竜少女へと向けられる。

 兎に角、目立つ。

 ザジの日本人離れした容姿もそうだし、彼女の服装もその一因だ。

 男の一人暮らしに少女向けの服がある訳もなく、苦肉の策として倉庫で見つけたボロ布をパレオの様に巻いて誤魔化している。見るからに異邦人の容姿を持つザジに薄汚れた白地に鮮やかな花柄の布は民族衣装っぽい雰囲気を纏わせ、やや違和感はあるものの納得できなくもない格好だ。

 そして旭がそんな彼女の手を取って歩いていることもまた一つの原因だろうと思う。

 何の変哲もない男子高校生と異国少女の組み合わせは、いくら人が多い場所であってもいささか目を引く組み合わせだ。

 幼い彼女の手を取って歩く理由はただ一つ。

 現在の姿も相まってなのか好奇心の塊と化した異国の神は、目を離した隙に煙よろしく姿を消すのだ。

 太陽の輝きを持つ金髪に、宝石の様な真紅の瞳、健康的な小麦色の色肌と言う一眼見て異邦人と分かる容姿のお陰で見失うことはないが、視界から消えるその都度、探し回るのは骨が折れるしストレスも溜まる。

 質問にはその必ず答える、と約束して旭は自身の右手を決して離さない様に彼女に言い聞かせて今に到る。

 健気に此方の右手を握る彼女は興奮した様子で周りを忙しなく見回しながら、煌びやかな金髪を尻尾よろしくご機嫌に跳ねさせ、足取りも軽やかにあれこれと旭に質問を投げかけていた。

 こちらの気も知らないで、としかめっ面を作るが、ザジから無邪気としか言いようのない笑顔を向けられ、また手に伝わる少し高い子供特有の体温に小さな苦笑が生まれる。

 異国の神となし崩し的に同居が始まったが余計なトラブルもなく過ごせそうだな、と大人しく右手を握るザジの姿を見て旭は内心ほっとした。

 見た目は少女、中身は魔竜、不思議パワーで難題解決とまではいかないが、話はできるしこちらへの理解も厚い。最近、興味本位でレンタルしている深夜アニメに出てきた古代文明の金髪赤目の黄金の英雄は、実に傲慢で不遜な王様と言う印象だった。

 我が家の魔竜は実に聞き分けが良い、と旭は人知れず頷くと、不意にザジに右腕を引かれた。


「旭、疲れた」

「うん?」

「歩き疲れたのだ」

「うんー?」


 困ったような少女の言葉に手を引いて旭は人波から外れる。


「歩き疲れた? それともはしゃいで疲れたのか?」

「いや、そうじゃない。足も痛いのだ」

「ちょっと失礼。肩掴んでろ」


 眉尻を下げて左足を揺らす少女の前に屈み込み、一言断ってサンダルを脱がす。

 古ぼけたゴムのサンダルと幼い少女の柔肌は相性が悪かったのか、小指側が擦れて赤くなっていた。

 靴擦れか、と旭は眉を寄せる。生憎だが旭に絆創膏などという道具を用意する習慣はない。 

 我慢して歩かせてもザジの不満は溜まるだろうし、なにより靴擦れが酷くなっては可哀想だ。


「靴擦れだった。ザジ、歩けるか?」

「ヒリヒリするのもあるんだが……旭、足が痛い」

「靴擦れとは別に?」

「あぁ。それとは別で、膝とか太腿がな……」


 泣きそうな、という訳ではないが酷く困惑した表情でザジはボロ布パレオの上から膝や太腿を摩る。


「運動不足? じゃないよな……体が慣れてないのか?」

「恐らく。最後の人の姿になったのも随分と昔だし、子供の姿など初めてだからな」

「魔術でなんとかできないのか?」

「選択肢の一つとしては考えたが、この世界での魔術行使でどれくらいの魔力を消費してどの様な効果が得られるかわかってないのでな……魔力生成がしっかりと確立できないうちは迂闊に使うのを控えたい」


 ザジの肉体は魔力と信仰で成り立っている。知りもしない異世界で自身の体を形作る魔力を使い渋る気持ちは察することができる。

 魔力の枯渇は身体の消滅に直結する。

 異世界に戻ると強い決意を胸に持つザジとしては、体の不具合程度で貴重な構成要素を失いたくはないのだろう。

 だがそれとは別個で、少女としての肉体と感性は痛みを訴えていると言う板挟み。

 不安そうにこちらを見上げるザジに旭は笑いかけた。


「痛いもんな靴擦れ。それに急に歩かせて体もびっくりしたんだろ」

「理解を示してくれて助かる」

「ほら」

「うん?」


 旭が何かを迎え入れる様に両手を広げて見せると、ザジが困惑の表情を見せた。

 彼女は首を傾げると眉間にしわを寄せて口を開く。


「なんだその格好は?」

「いや……抱っこしてやるって。足痛いんだろ?」

「はぁ⁉︎ なにを馬鹿なことを言っている! この誇り高き黄金の魔竜を抱き上げるだと⁉︎」

「さっき頭撫でられて喉を鳴らしてたやつが何を言ってるんだよ」


 む、とザジが悔しそうに歯噛みする。

 確かにそうだが、と目線を彷徨わせ、目元を赤く染め、


「いや、だからとて街中で抱き上げるのはどうなのだ⁉︎ 人の目があるのだぞ!」

「じゃあ歩くか? 靴擦れしてるし、膝も脚も痛いんだろ?」

「それはそうだが……」

「軽そうだし小柄だから大丈夫だよ」

「誰も体の重さなぞ気にしておらんわ!」


 ほら、と旭が一歩踏み出すと、喚くザジが動きに合わせて一歩引く。

 屈辱か羞恥かは良く分からないが彼女は顔を真っ赤にして唇を震わせている。 

 恐らく両方なんだろうな、と思いながら旭は苦笑を浮かべた。


「別に変じゃないって。靴擦れ酷くなる前に諦めろって」

「こ……の……! 幼いからと馬鹿にして!」

「別に馬鹿にしてないって。もっと脚痛くなったらどうすんだよ」

「ぐ……ぬ……」


 ザジが唇を戦慄かせ、幼く愛らしい顔を苦悩に歪め、葛藤に細い肩を震わせていた。

 旭が半歩にじり寄ると彼女は同じく半歩すり足で下がる。

 幼い子供に無理強いをさせようとしている独特の雰囲気が、旭の中の良心を小さく突き罪悪感を募らせる。

 決して悪いことをしている訳ではない。むしろザジに取っては良い提案だと思っているが、彼女の中の矜恃と言うものがそれを許さない様子だ。

 二歩分の距離を置いて睨み合う異国の少女と男子高校生と言う奇抜の組み合わせに、周りが好奇の視線を向け始める。 

 勘弁して欲しい、と旭が心の中で溜め息をついた時、お嬢ちゃん、と声をかけられる。

 二人が揃った動作で隣を見ると、二人掛けのベンチに腰掛ける老婆がいる。『唐揚こかとりす』とギョロ目の鶏がプリントされた旗を背に、膝に丸まった黒猫を乗せる姿は非常にインパクトがある。

 彼女はゆっくりと旭とザジを見ると、


「お嬢ちゃん、あまりお父さんを困らせたらダメよ。べっこう飴あげるから、ちゃんと抱っこされなさいな」

「いや、旭は父では——」

「いいから。お父さんも困ってるでしょう? ほら、お手手お出しなさいな」


 慌てるザジを他所に、老婆が傍らの巾着の口を開きゆっくりとべっこう飴を探し出す。 

 ザジは困惑した表情で旭を見上げ、老婆を見て、そして膝の上の猫を見る。

 黒猫は肩目を開けてザジを見返してから、興味がなさそうに欠伸を一つ、再度老婆の膝で丸くなる。


「御老体、オレは別に旭を困らせてなど——」

「はいどうぞ。これあげるから、良い子にしてなね。飴玉転がしてたら、美味しくて楽しい気持ちになるでしょう?」


 少女を置いて老婆は話を進める。差し出された右手には黄金色のべっこう飴が四つ乗せられていた。

 ほら、と右手を何度も揺らしながら、老婆はしわだらけの顔に笑みを浮かべてザジが手に取るのを待っている。


「う……わかった。今回は御老体に免じて、旭の提案を受け入れよう」

「最初からそうしろって。靴擦れ悪化して血が出ても知らんぞ……べっこう飴も貰っとけ」


 旭が苦笑を漏らして老婆とザジを見やり、

 渋々と言う様子でザジは老婆の手から受け取ると、しかし、興味深げに黄金色に輝く飴を見つめる。

 食ってみろ、と旭が言うと、彼女は自身の髪と同じ色の飴を包装紙から取り出し香りを確かめて口に含む。

 味わう様に口の中で転がし甘みに顔を綻ばせ、満足げに頷くと、ふと、思い出したかの様に顔をあげた。


「良いか! これは御老体の顔を立てたのであって、別に——」

「わかったわかった。お前は人情深いやつだから、ばあちゃんの為に俺に抱っこされるんだな」

「そ、そうだ! あと、これ! これを差し出されたら断れんではないか」

「そうだな。人の好意を無碍にはできないもんな」

「その通りだ。仕方ないが、人前で抱き上げることを許す」


 ザジが取り繕う様に早口に捲し立てるので、旭は生暖かい笑顔でそれに頷く。

 胸を張り、しかし、右手にしっかりとべっこう飴を握り締め両腕を差し出す姿は滑稽で、旭は苦笑しながらザジを抱き上げる。

 両手で彼女を持ち上げると、一息に尻の下へ右腕を回して片腕で抱き上げた。思った以上に右腕に重さがなく困惑したが、そう言うものなんだろうと自信を納得させる。


「ありがとうございました。ほら、ちゃんとお礼言えよ」

「う……む。感謝する」


 旭が会釈した後、ザジが気恥ずかしげに頰を染めながら礼を述べる。

 飴玉を転がすザジへ老婆は笑顔で何度も頷く。


「いいのよ。ちゃんとお父さんの言うこと聞いて、いい子にするのよ?」

「うむ」


 ザジが老婆に頷き、含んだ笑いをしている旭に悔しそうな視線を向けた。

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