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我が家の魔竜のご近所事情  作者: 鹿嶋臣治
第一章 黄金の魔竜、異国に立つ
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第三話 魔竜の少女1

 旭とザジの午前中は瞬く間に過ぎて行った。

 屋根の残骸である瓦礫を部屋から中庭に運び出したあと、床に散乱する書物や倒れた棚を元の位置に戻し、塵や埃にまみれた床の掃き掃除を行う。

 屋根裏部屋の風通しをよくする穴は、雨風の侵入を防ぐ為に屋根の上からビニールシートで覆う。

 なし崩し的に増えた同居人の為に、倉庫として使っていた二階の一室の荷物を屋根裏部屋へと運び出し、人が住める様に掃除をしてやる。

 寝床を準備して人が寝起きするには申し分のない環境を整え終えた頃には、日の位置は随分と高い位置にあった。


 旭はリビングのソファに倒れ込む様にして寝転ぶと、鈍い疲労感がゆっくりと全身に広がってゆく錯覚を覚える。手足を投げ出して仰向けになり、汗ばんだシャツに若干の気持ち悪さを覚えながら長く吐息する。

 首だけを動かして斜向かいのソファに腰掛けるザジを見ると、彼女は楽しそうに自分の毛先を弄り回しながら鼻歌を唄っていた。

 掃除の最中、暑い暑い、と騒ぐ魔竜のために、旭は慣れない手付きで髪を結ってやったのだ。頭の高い位置で紙を纏めてうなじに風が通りやすい形にしてやると、彼女はその髪型が気に入ったのか、暇があれば尻尾の様に揺れる自身の金髪を指先で絡めて遊んでいた。


「疲れてないのか?」

「うん? まぁ……多少の疲労感はあるが、倒れ込むほどじゃない」


 ザジは髪から手を離すと、ソファの上で胡座を組んで旭に向き直った。


「信仰による加護が思いの外、強く働いていてな。希薄ではあるが根源の力(マナ)も存在しているから、なんとか魔力の精製もできている」

「専門用語はよく分からんが、不思議な力で解決って感じでいいんだな?」

「差し支えはない」


 投げ捨てるような旭の言葉を聞いて、ザジは苦笑と共に頷きを見せる。

 力の源が二つあってな、と彼女はソファに体を預けながら語り出す。

 一つは魔力。根源の力という世界に普遍的に存在する根源の力(マナ)を体内に取り込み精製したもの。

 もう一つは信仰。異世界『アルダ・イーヴェ』の南大陸で、《雄々しき太陽》と言う現存する神格として大陸全土の民衆達から得ている心の力。その集約されたものを加護と言う。


「よく分からんが、そこらの子供よりは頑丈ってことなのか?」

「端的に言ってしまえばそうなるな」


 眉を寄せる旭に、ザジは力こぶを作って強い笑みを見せる。

 真紅の宝石の様な瞳を細め、八重歯を覗かせる勝気な笑み。

 ソファの上に胡座を組んだ細い小柄な少女が、大胆不敵な表情を見せる姿は妙にアンバランスで、頼もしさよりも愛らしさが先行する。


「力を使えば、そこらの大人じゃオレには太刀打ちできんだろうな」


 両手が金色に薄らぼんやりと光を帯びると、指先から肘にかけて真紅の紋様が浮かび上がる。

 図形とも文字ともつかない不思議な記号は生き物のように明滅を繰り返していた。


「光った……」

「造作もない。体内の魔力を集めたに過ぎんよ。全身に循環させれば、それだけで絶大な運動量を得ることもできる」


 ぼんやりと光を帯びる腕を緩く振りながら、彼女は小さく溜め息をついた。


「ただ、従来通りに魔力が生成できないのが問題だな……思うように魔術も使えんだろう」

「その魔力ってやつがないとどうなるんだ?」


 そうだな、とザジは腕を組んで難しい顔をする。


「想像であるが、今とは別の形になるだろうな」

「その女の子の姿じゃ無くなるってことか?」


 そうじゃない、と彼女は体を揺らしながら首を横に振る。 

 頭の動きに合わせて滑らかな金髪が尻尾の様に揺れた。


「どう言ったらいいのか……オレの場合は恐らくだが、肉体がなくなって世界の一部になると言う感じか」


 無言で顔をしかめる旭にザジは苦笑を向けた。


「この世界ではこんなだが、元の世界では竜の姿をしている。千年を越す時間を生きる尊い存在だ。本来、竜種の寿命は長くても三百年と言うが、オレは違う」


 ザジは薄い胸を叩く。


「《雄々しき太陽》と言う名の下に信仰される、今なお世界に在る神と等しい存在だ。肉体は既に滅び、オレを形作るのは世界に満ちる根源の力(マナ)と、民衆達から得られる信仰の賜物だ。魔力と加護、その二つが絶妙なバランスを保って《雄々しき太陽》と言う黄金の魔竜は大陸と大空を支配する」

「今の女の子の体も仮初のものなのか?」

「恐らく。肉体が滅びない様にこの器に収まったのだろう。この世界の希薄な根源の力ではオレの元の姿を維持することは難しい……すぐに魔力が枯渇して、本来の体ごと滅びるだろうな」

「燃費が悪いからってことか」

「燃費……あぁ、効率のことか。そう言うことだ。アルダ・イーヴェでのオレの姿を維持するには、膨大な量の魔力が必要だ。だが人の少女の姿ならばその消費はほぼ最小限だ。食事もできるし、魔力の精製も行える。」

「食事って関係あるのか?」

「あるとも。魔力生成に必要な根源の力は世界に普遍的に存在している。土地、生物、自然物に人工物……形が変わったところでその本質的な物は失われない」

「牛の肉は煮ても焼いても牛の肉ってことか」

「近しいな、理解が早くて助かる。食材は生物だ。つまりは食事を通して根源の力を少しでも取得して、魔力に変換して蓄える。そして人間の体ならば食事を摂れば肉体の維持はできるだろう」

「なるほど。飯食ってれば魔力を使わずに肉体の維持ができるから、食事は必要ってわけか」


 ふぅん、と旭は斜向かいの胡座を組んで座る少女をまじまじと見やる。

 異世界も自分達と変わらないと知り、少しだけ親近感を覚える。


「もし魔力がなくなってしまったら、恐らくオレは信仰だけで世界に存在することになる。祈りの力だけでは世界に留まれん……根源の力(マナ)と同じく、魔力よりも純粋な力だからな」


 ザジは腕を組み溜め息をつく。


「もっと高次元の……そうだな、世界を構成する一部になるのか。概念? とでも言うのだろうか」

「それはまた……本当に神様みたいだな」


 旭の脳裏にはつい最近、最終話を迎えたと言う魔法少女アニメの話が蘇る。

 願いを一つ叶える代わりに魔法少女になり、人類に仇成す悪い魔女を退治して欲しいと言う内容だ。

 蓋を開けてたら魔法少女はかなりの極悪条件で、願いの対価は死ぬまで魔女退治だと言う。しかも死んだら魔女の仲間入りと言う素敵なおまけもハッピーセット。

 最終的には主人公の女の子が神様みたいになって世界を救った、と言う感じだったはずだ。学校で同級生が興奮気味に話していたのを思い出す。

 だが旭の言葉を聞いたザジの顔は渋い。


「アルダ・イーヴェにも信仰の力だけで確立された、概念としての神は存在する。が、それは既に世界を構築する機能の一部と言っていい。自我はほぼ無く世界を恒久的に存続させる為の抑止力。より高次元の存在として昇華するのは生物として一つの到達点であるのは理解するが、それ故に己自身を捨て去るのはオレの興には合わん。」


 腕を組んで鼻を鳴らし、溜め息混じりに苦々しげに言葉を紡ぐ。


「魔力が無ければ体を維持できん。オレはこの体が気に入っている。民達と飯を食うのも酒を飲むのも踊るのも語り明かすのも好きだ。それができないのは……実に酷な話だ」


 赤い瞳を伏せてザジは落胆したかの様に言葉を紡ぐ。

 唇から漏れる吐息は長く、そして憂いを孕んだものだ。


「幸いな事に蓄えた魔力ならまだしも、どう言う理屈かは理解できんが信仰の力もまだ生きている。ただ魔力を使い果たせば、信仰の力だけ残ったオレは消えて世界の一部になる……だろう。それだけは回避せねばならん」


 尻尾の様な金髪を優しい表情で撫でながら彼女は肩をすくめた。

 異世界に飛ばされ、不自由を強いられながらも、目を細めて撫でる髪を通じて何を思い出しているのだろうか、と旭は柔らかい表情のザジを思う。


「微量ながら魔力も生成はできるはずだ。先ほども言ったが、希薄ではあるものの根源の力もある。今直ぐに体が滅ぶわけでもあるまいし、今後のことをゆっくりと考えねばならんな」

「元の世界に戻ることか?」

「無論だ。異世界に興味は尽きないが、長く留まるのは得策ではない。それに、オレの民のこともある」


 旭を見やる紅の瞳は不思議な光を称えていた。

 瞳の光は薪の火の様に揺らぎ、此方の瞳を通してどこか別の場所をみている。

 その別の場所が、異国の民達が住う南の大陸でであることは想像に容易い。


「オレを信じ、神と崇め、恩寵や導きを必要とする大勢の民がいるのだ」


 目の前の少女の姿からは想像も出来ないほどの重々しい言葉が紡がれる。

 言葉と視線が旭にぶつかり、思わず息を飲んでソファに座る少女を見返した。

 愛らしい笑顔を見せていた幼い顔は、言葉にできないほど凛として波風立たない湖面の様に澄んでいる。

 と、ザジは表情を崩して苦笑を見せた。すまないな、と軽く告げると鷹揚に手を振って肩をすくめた。


「魔力がないと困るのは本当だ。元の世界に帰るにせよ、今の体を維持するにせよ、魔力がないと始まらん。まぁ、なんだ、迷惑をかけるかも知れんが、世話になる」


 気恥ずかしげに笑うザジを見ながら、旭は思う。

 語られる言葉の端々に滲む、理解が追いつかぬ感情は恐らく本物だ。

 旭には体験したこのない、並々ならぬ決意を感じて思わず口を開く。


「どうしてそこまでするんだ? 信仰されているからって、神様ってそこまで尽くすものなのか?」


 そうさなぁ、とザジは穏やかな表情を浮かべる。


「理由は忘れた。何百年も前のことだ……記憶は彼方に擦れてしまったよ」


 だがな、とザジは続ける。


「想いは遺っていて未だに紡がれている。幸いや喜びを感じたこともあったが、同じ様に悲しみや苦しみを感じたこともあった。施しを与えたこともあり、戦に牙を向いたこともあった。秩序の為に怒りの体現として民の血に濡れ、畏れを植え付けたこともある。無論、南の大陸の民達を見捨てそうになったこともあったがな」


 少女の顔は仕方なさそうな笑みに彩られる。


「情が湧いてくるのさ。悠久の時を生きるオレからすると、民達の一生は実に興味深い営みだ。見守り寄り添うことに一つの喜びを見出している。現存する神として民衆から崇め奉られ、太陽を司る父として、豊穣を司る母として、酒を飲み歌い踊る友として、同じ釜の飯を食う兄弟として、共に生き、共に過ごすことに意味と価値を見出している。昔、オレにその心の在り方を説いた奴が言っていたな……」


 言葉を切り、思い出す様に、言葉の意味を刻む様に口を開く。


「愛だと、そう言っていた」

「愛……ですか」

「そうらしい。相手を想い、憂い、喜び、幸いを見つけ信じ続けるその在り方を愛だと言ったな。言葉の真偽は今更どうでもいいが、つまりは、そう言うことだ。オレはオレなりに大陸の民達を想っている。施しや加護や恩寵を与えるのはその為だ。そして民達もオレに信仰という形で応えている。向こうは生きるためかも知れないが、オレは民達の生き方を見届けたい」


 故に、とザジは笑みを見せた。


「旭が言う様にそこまでするんだ。案外、悪くない。有意義なものだと感じている」


 その笑みは満足を表すもので、旭はそんな彼女の笑みを見て脱力した。

 ただ見守りたい、ただ寄り添いたい。実に単純で明快な心の在り方だ。

 旭が見る笑顔は純粋なものだ。

 民衆を見守りたいと言う心は旭にはわからないが、しかし、彼女が浮かべる笑顔は澄んだ本物であることは分かる。

 そしてそのザジの在り方に、どうしようもなく旭は惹かれ、焦がれ様な感情を覚えた。 

 理由はぼやけてわからないが、少なくとも、彼女のことを純粋な興味から協力してもいいと思えたのだ。


「なんか……すごいな」

「そうだろうか? 人なら誰しも持ち得る感情だと思うがな」


 大口を開けて笑うザジに釣られる様に、旭も笑みを浮かべた。

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