第十四話 花蓮のお願い
「藍染坂君、人嫌いってどう言うこと?」
教会の敷地を出るや否や、花蓮が問いかけの言葉を投げかけてきた。
突然投げ掛けられた疑問に思わず足を止めそうになり、しかし、旭は眉を寄せて渋い顔で隣の花蓮を見やった。
琥珀色の瞳が楽しげとまでは言わないが、確かな興味に揺らめいている。
不思議な色だな、と旭は思う。
ザジの燃え上がる様な力に溢れた紅蓮の瞳とは異なる、静かで暖かい真っ直ぐな光を称えた瞳だ。そんな琥珀色の瞳を見つめること数瞬、旭は小さく吐息しながら、あのさ、と口を開く。
「遠慮ってものを知らないの小野さんは?」
「勿論、知っているし持ち合わせてるわよ? でも、アンナさんの口振りからして話すことに抵抗はないでしょう?」
ズバリ言い切る花蓮に旭は剣の表情を作るが、ふと、眉間から力を抜いて肩をすくめる。
「だからって話すと思う?」
「藍染坂君からは絶対に話してこないから、私から訊こうと思ったのよ?」
面倒くさいな、と内心で旭は溜め息をつく。
これは絶対に引き下がらないタイプだな、と経験から悟る。
恐らくだがアンナもそれを見越した上で、花蓮の興味をくすぐる様な発言をして二人でお茶をする場を設けたのだろう。伊達に幼少期から付き合いがあり、また孤児院で多くの子供達の世話をして、非常勤とは言え教師をやっているだけはある。
……あっけらかんとしてるけど、人を見る目は確かなんだよな。
勝気な笑みを浮かべる溌剌とした女性の笑顔を思い出す。
叶わないな、と思う反面、だからと言ってアンナの思惑通りに花蓮に素直に話すのもどこかやり込められた感じがして気が引ける。
「ちなみに、人嫌いじゃないからね」
「苦手って言ってたわよね? どうして?」
「……それを聞いて小野さんに何かプラスに働くの?」
言外に、それ以上は聞くな、と釘を刺す。
思わず硬くしてしまった声色にたじろぐかと思ったが、彼女は力の抜けた笑みを浮かべた。
そうね、と考える様な仕草を見せて、花蓮は歌う様に軽やかに言葉を続ける。
「少しだけ藍染坂君のことが知れて、仲良くなるきっかけが生まれるわ。十分だと思うけど?」
「驚き。あれだけ多くの同級生や学院の生徒を袖にしておいて、俺と仲良くなるきっかけ?」
「そうよ? 別におかしなことじゃないでしょう?」
「おかしい。だったら最初から、声かけてきた連中と連むのが一番じゃないか? 手っ取り早くて小野さんに好意的だ、きっと仲良くできるだろうさ」
そうね、と言葉に花蓮は頷いて、しかし彼女は次に柳眉を険しくすると、少しだけ疲れた様な表情で口を開く。
「でも交友関係は自分で選ぶと決めてるの。仲良くしたいと思った人は自分で選ぶわ。誰とも彼とも仲良くして、上部だけの付き合いをするのも……疲れてしまったしね。外見や肩書きだけで言い寄ってくる人は——もってのほか」
花蓮にも何か思うところがあったのだろう。
こちらの顔から外された視線は遠くを見つめており、瞳の色はどこか淡く脆いものを孕んでいた。
だがこちらが声をかける前に脆さと憂いはなりを潜めてしまった。
花蓮は小さく咳払いをすると、話を戻すけど、と口を開く。
「私が貴方に興味を持ったから、仲良くしてみたいと思ったの。だから貴方のことを知りたいと思うのは不思議なこと?」
「何が小野さんの琴線に触れたのか甚だ疑問だよ」
「アンナさんから人嫌いだって言われてるのに会話の有無を含めて私のことを覚えていたし、人付き合いが苦手だって言ってるのに恥ずかしがる事もなく自然に異性を褒めるんだもの……興味が出ない方がどうかと思うけれど」
「別に……マザー・アリアナやアンナさん達の教育の賜物だよ。嬉しい事は素直に嬉しい、悲しい事は素直に悲しい、自分がやられて嫌な事は相手にしない、自分がされて嬉しい事は相手にもしてあげる。人として大切な事をたくさん教えてもらったから、ずっと守ってるだけだよ」
小さい頃にアリアナやアンナから嫌と言うほど聞かされた言葉だ。
幼少期は顔をしかめて聞いていたことだが、年齢を重ね世界がどんどん広がっていくにつれて、その考え方が非常に尊くまた大切である事を肌で感じ、言われるたびに心に刻みつけようとした事を覚えている。
ふと、旭はこちらの横顔をじっと見つめる花蓮に気付く。視線がぶつかると、彼女は力の抜けた自然な笑みを浮かべる。
「藍染坂君はマザーが言っていた通り、優しくて真っ直ぐで好い人なんだね」
「マザーは人の良いところを誇張する癖があるから、話半分に聞いておいて」
そうかしら、と花蓮は目を細めて喉の奥で笑う。猫が喉を鳴らす様な笑みの音。
「今の貴方の言葉と表情を見て、マザーが言っていた事は間違いじゃないと確信したわ」
「褒め言葉として受け取っておく。あとあれだ、俺の態度のせいで世話になった人達が悪く言われるのも嫌だったしさ」
「本当に真っ直ぐなのね」
花蓮の言葉に肩をすくめる。
勿論、自身の態度のせいで教会の人達が悪く言われるのが嫌なのもあるが、少しでも道理に反すると、幼いながらに少々キツめのお仕置きを受けるからだと言う事実は伏せておく。
特にアリアナが怒った時は本当に怖かった事を覚えている。二度と怒らせまい、と幼いながらに真剣に心に誓ったのはいい思い出だ。ちなみにアンナも怒らせてはいけない。怒る程度は知れているが、稀にお仕置きにかなりの変化球を織り交ぜてくるので油断がならないからだ。
「藍染坂君を褒め上手にしたのはご両親じゃなくてマザー達だったのね」
「そうなるかな。育ての親代わりがかなりの偏く——浮世離れした人でさ」
「育ての親代わり?」
「孤児院の人達から聞いてないんだ。小さい頃に事故で両親と死別してて、叔母に引き取られてるんだよ」
「ごめんなさい。迂闊だったわ」
気にしなくていい、と旭は苦笑する。
「本音を言うとよく覚えてなくて、そんなことがあったんだ、程度にしか捉えてないんだ。その分、叔母やマザー達には随分と良くしてもらってるから」
実際に両親の顔は覚えていないし、世話になっているアキラの家にも写真や遺品の類は残っていない。
アキラ自身も親戚とは疎遠の様であり、旭を引き取る旨を申し出たら二つ返事で了解を得たとも言っていた。
「ちなみにだけど、両親の事と人付き合いが苦手って言うのは関係ないからね」
「その理由は?」
「別に大したことじゃないけど、話すのは少しだけ憚られる……情けない理由だし」
「それは詮索するなってことかしら」
「そうだね。まぁ、気が向いたら話すってことで一旦話は落ち着こうよ」
「勿論よ。少なくとも貴方の中では理由を全く話す気がない人から、条件付きで理由を話しても良い人にはなったわけね? 嬉しいし、光栄だわ」
ニコニコとそれこそ花の咲いた様な笑顔を向けられて言葉の綾だとは言い難い。
こう言う時に美人は得だな、と言う言葉が喉まで出かかったが、花蓮の表情を見て言葉は自然と飲み込まれた。
屈託の無い笑みなのだ。
顔に浮かべられた笑みには裏や嫌味と言うものが感じられない。
その時が来たらこちらが必ず話してくれると、信じて疑わない笑み。
「小野さんって人を疑わないの?」
「そんな事ない、疑うわよ」
小馬鹿にする様なニュアンスで口から飛び出した言葉に、しかし花蓮は肩をすくめる。
当たり前じゃない、と彼女は苦笑を浮かべてた。
「俺がそのまま約束をあやふやにしてしまうとか思わないの?」
「思わないわね。だって、そんな事はしないでしょう?」
「あやふやにするかも。小野さんの期待を裏切るかもね」
「それは無いわね。だって貴方、足を止めて話す時は必ず私の目を真っ直ぐ見返してるもの……そんな人が約束を違えるなんて思えないわ」
試す様に続く言葉も彼女には通用せず、琥珀色の瞳が真っ直ぐにこちらの瞳を見返してくる。
やりづらいな、と旭は思う。
嫌いではないけれど苦手なタイプの瞳だ、と心の中で嘆息する。
そして相手を試す様な言動ばかりする己自身に若干の嫌気が差す。
「もしそれでも期待を裏切られたらどうするの?」
「それは少し残念だけど、そう言うものと受け取って次を考えるしか無いわね。信じて待つのもいいし、自分なりに考えてみてもいいしね」
自身とは全く逆の答えに旭は溜め息をした。
考える素振りもせずに間髪入れず返事をしたという事は、元々答えを用意していたか、そもそもがそういう考えかのどちらかだ。
……羨ましいし、憧れる考えだ。
幼少期の自分が脳裏にチラつく。
もし苦い経験がなければ彼女の様に真っ直ぐに人を信じることができる様になっていたのだろうか、と。
少しだけ考え、返事に戸惑い、そして再度小さく溜め息をした。
考えても無駄なことではあるし、たらればを思ったところで彼女の興味がこちらから逸れる事はない。
「気が向いたら話す。それでいい?」
「十分よ。いつか話してくれることを待ってるわ」
本当にずっと待っているんだろうな、と旭は確信する。
いつの間にか教会のある住宅地を抜て人波に流れる様に商店街を歩いていた。
周りを気にせずに会話に没頭したのは久し振りかもしれないと思った時、花蓮が再度声をかけてきた。
「もう少しいいかしら?」
「何? 出来たら答えやすい質問がいいんだけど」
控えめな彼女の言動に思わず身構える。
なんとなくだが花蓮には舌戦では勝てない気がする、と旭の直感が告げていた。
そしてまたろくでもない提案がくるんだろうと言う気もしている。
「学院でも今日みたいに話してもいいかしら?」
「それ、マザーやアンナさんに頼まれたりしてる?」
「編入当時に、できれば、とマザー達から言われてたけど結局話さず仕舞いだったしね。今は別。理由は最初に言ったと思うけど? 純粋に貴方に興味があるからで、会話が楽しかったからよ」
「よく変な感性してるって言われない?」
「言われないわね。これでも人を見る目はあるつもりよ」
花蓮は楽しそうに口の端を笑みの形にする。
逡巡した後、観念したかの様に長く重く溜め息をついた。
「わかったよ。学校で姿を見つけたら声かけてよ」
「貴方からは声をかけてくれないの?」
「恐れ多いよ。それに君が袖にした人達に睨まれるのも嫌だしさ」
「気にしなければいいのに」
「そうもいかないのが人間ってやつじゃん」
面白くなさそうに告げる花蓮に旭は疲れた様な声で答えた。
人間は結局理性ではなく、感情に振り回される生き物なのだ。
理性的ではなく感情的になっている人間ほど怖いものはないし、面倒くさいものはない。
新学期になって早々に学院んで花蓮と親しく会話をしようものなら、下種の勘繰りが絶えない学院生活になるだろう。
それだけは避けたい。
ただでさえ同年代の人間は苦手だし、それに変な勘ぐりまで加わってしまえば、アンナが言う様に本当に人間嫌いの道を歩んでしまうかも知れない。
それに、と旭は言葉を続ける。
「クラスが別々になったら、それこそ会話どうこうの話じゃなくなるだろ」
「学院のクラスは毎回、変更されるの?」
「そうだよ。大体、どこの学校もそうだと思うけど?」
「ごめんなさい。日本の学校は学院が初めてだから、よく分からないのよ」
考えてみれば彼女の容姿は明らかに外国のそれだ。
名前も花蓮と漢字表記してあるが、音だけすれば外国名としても十分通用する。
父方か母方が外国人なのだろう。半年より少し前から孤児院で生活していると言っていたので、恐らく、何らかの形で両親と別れた後にアリアナが彼女のことを引き取ったのだろう。
理由を聞くのは憚られるし、踏み込む様な話題でもない。
「そっか……それは配慮が足りなかった、ごめん。同じクラスになったら、友人程度の付き合いは約束するよ」
「ここまで楽しく会話をして、一緒にお茶もするのに友人ではないの?」
「楽しい会話かどうかは別として、知人同士でもお茶くらいするだろ」
「三日間ずっと一緒に過ごすのに?」
「語弊があるな。孤児院で昼から夕方にかけて勉強会の監督をする、だ」
唇を尖らせる花蓮を見て旭は肩をすくめた。
でも、と彼女は淡い笑みを浮かべて小首を傾げた。
「知人よりは友人の方が嬉しい。ダメかな?」
確かに容姿目的で学院の生徒達が我先にと声をかけた理由が分かるな、と旭は笑顔を見て思う。
正直かなり魅力的な笑顔だ。
端正な顔立ちの少女は何をやっても絵になるんだな、心の中で頷き、旭は口を開く。
「気が向いたら、な」




