第十一話 商店街を歩く
時間は午前十一時過ぎ。商店街の店は開店しているものの、昼食時には少し早いため人の数はやや疎らだ。昨日よりも歩きやすい観音通りを、むっつりした表情のザジの手を握ったまま旭は溜め息をついて歩く。
昨日同様にザジにはこちらの手を握らせていた。今日は大丈夫だろうと思い手を離してみたのだが、通りを数メートル歩いただけで彼女は好奇心と興味の使徒となり煙の様に姿を消した。彼女のことを見つけることに苦労はしないが骨が折れるのは確かだ。数回同じことを繰り返したところで、旭はやや強めにザジを叱りつけた。危ないから姿を消すな、勝手に商品を触るな、と言ったところで彼女は膨れてしまった。分かっている、と不機嫌そうに言ったところで、彼女はそれ以降、黙りだ。
……確かに、子供っぽいな。
ザジは体の年齢に心が引っ張られている、と言っていたが、確かに今の彼女に聡明な黄金の魔竜としての姿はない。
保護者に怒られて膨れている少女だ。旭は小さく苦笑を漏らすと、どうにか彼女の気を逸らす話題はないかと思案し、口を開く。
「そう言えば、その体は成長するのか?」
「うん? オレのことか?」
「そうだよ。今日の買い物で少しだけザジの服とか靴とかを買い足そうと思うんだけど、体の年齢的に成長期っぽい感じもするからさ。買ってすぐダメになるなら、色々と考えないとって思ってさ……出費はできるだけ抑えたいしな」
今はユノクロやCU等の安価でなかなかの品質の洋服が手に入るし、アキラから生活費等を含めて十分な資金を渡されているが無駄遣いをしないことに越したことはない。抑えらえる出費は抑えたい、と考えるのが普通だ。
「この体はあくまでオレをこの世界に留める為の殻の様なものだ、姿形を変えることはできるが、肉体そのものの成長はないものと思っていい」
「子供以外の姿も取れるってことか?」
「そう言うことになる。が、体が大きくなればそれだけ形を維持するのに消耗する魔力も多くなるし、かと言って犬猫の様に小さな動物になって消耗を限りなく小さくしてもいいが、生活や行動の利点を考えると支障が出るな」
つまりザジにとって小さな少女の体は、彼女にとって右も左も分からないこの世界で過ごす上の実益を兼ね備えた姿であるらしい。
「男の姿じゃダメだったのか?」
「うん? 旭は男の方が好きなのか……オレは別に構わんが、苦労するのではないか?」
「語弊があるわ! ちゃんと恋愛対象は女だよ!」
「男として正常で助かったよ——流石に少女に手は出すなよ?」
「身を捩るな、洒落にならん」
くつくつと可笑しそうに喉の奥で笑うザジを横目に旭は渋い顔をした。
理由はあるのだ、とザジは言う。
「太陽信仰で女は丁寧に扱われる。女は命を宿し育む存在だからだ。故に女は男よりも魔力を生成しやすく宿しやすい、そして生死の境に触れやすい。力の強い魔術師や巫女、聖職者に女性が多いのはその為だ」
「魔力を作りやすいから女の子の姿ね」
「子供の形なれば消耗する魔力も大人に比べて少なくて済むし、微々たる違いだが女の姿なら魔力も作りやすい」
「なるほどな。理由もなく女の姿じゃないんだな」
「無論だ。どれだけの魔力を生成できるかまだ目処も立っていない……旭と同じで、出費はなるべく抑えたいからな」
魔力はなんとか生成でき、信仰らしきものは獲得できる可能性があると判明したのが昨日のこと。
だが具体的にどれくらいの量が生成できるかは掴めていないのだろう。
軽く笑いながら告げる彼女の表情には、しかし、わずかに眉間に皺が寄っている。彼女には彼女の不安を抱えているからだろう。
「ちなみにザジの本来の性別ってどっちなんだ? と言うか、ザジは今何歳なんだ?」
「オレか? どうだったろうな……性別は忘れてしまったな。年齢も四百を超えた辺りから数えなくなった。長い時間生きているとな、性別も年齢も拘らなくなってくるんだよ」
疑問に、ザジは穏やかな笑みを浮かべた。
幼い顔に浮かぶのは少女のそれではなく、妙な重みと年齢を感じさせるものだ。
こちらを見やる細められた紅の瞳は不思議な光を称えていた。
「オレも拘らないし、こちらの世界にいる限りこの体を変えるつもりもない。肉体通りの性別として受け取って貰えばいい」
「分かった。まぁ、その方が俺も助かる」
「うん? 少年よりは少女の方が愛でやすいか? 少しくらいなら触れても構わんが、程々にな?」
「だから語弊があるって言ってんだろうがよ——恥ずかしそうに顔を俯けるな馬鹿野郎!」
「ははは! からかいがいがあるな旭は。女が放って置かんだろうよ」
勘弁してくれ、と旭が吐息すると、彼女は機嫌よくこちらの右手を握り返しながら言葉を続ける。
「うん? 実際のところどうなのだ? みゆき達など、手頃だろう」
「いや……考えてもいなかった。苦手なんだよ、同じ歳位の女子って」
「やはり少女……」
「違うって。なんでもかんでも——だから身を捩るなって!」
すれ違う人たちが旭とザジへ訝しげな視線を向けて通り過ぎてゆく。
旭は開いたてでザジの髪をかき混ぜると、彼女は、く、と喉の奥を鳴らす様に笑う。
「苦手意識があるんだよ。嫌いって訳じゃないけど、やっぱりどこか距離を置きたがってるよ」
「嫌な思い出でもあるのか? あぁ、そう言えば孤児院で何か言っていたな」
「小さい頃に周りから敬遠されてたんだよ、可愛げのない子供だったから。大人以上に子供ってのはそう言うのに敏感だから……それで。今に思えば小さなことだけど、でも、なんだかんだで子供ながらに堪えたんだと思う。差し障りなく会話はできるけど、そこまで仲良くしようって思えないんだよ」
幼少期の思い出は、できればなるべく思い出したくないものが多い。若気の至りと言うには若すぎるが、しかし今もなお尾を引く苦い経験でもある。他人へ聞かせれば、いつまで引きずっているのか、と鼻で笑われるものだが、経験した本人にしか分からない苦い思いや向き合い難い気持ちと言うものは存在する。
十年近く前の話で旭自身も既に過去のものと思っているものの、やはり、どこかその経験を引きずる節がある。
その結果、旭自身は今も同年代の人間とは一枚確かな薄い壁を作って交友関係を作っていた。
「そうか……心の問題と言うのは難儀なものだな」
「まぁ、自分でもどうにかしないとな、と思ってる節もあるから、まだ救いはあると思いたい」
「己の殻に閉じこもってしまったり、言葉を聞かなくなってしまった時が一番、恐ろしいからな」
「経験談?」
「あぁ……そういやって身を滅ぼす民をたくさん見たさ。王も、貴族も、民衆も変わらぬ……言葉が届かなかった、もう少しでも心を通わせていればと、後悔したことも多いよ」
ザジは口元に儚げな笑みを浮かべ、遠い目をしながら小さく言葉を紡ぐ。
不思議な光が揺らめく瞳は行き交う人々を静かに見つめており、彼女は何かを懐かしむ様に吐息の様な笑みを溢した。
右手が先ほどよりも強く握られるのを感じて、旭は小さく頷いた。
「——そうか。まぁ……自分の中で適度に向き合っていくさ」
「是非そうしてくれ。旭の中で、心を通わせたいと思う相手に出会えるといいな」
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ザジが百代とジョンに話があると言うことなので、昨日と同じくOCHAME DADで昼食にすることにした。
時刻は十三時半を回ったところなので、少し混み合っているかも知れないな、と思いながら旭は店へと足を向ける。
案の定お店は賑わいを見せており、一瞬入るのを躊躇ったが、窓越しに手招きをしてこちらを誘い、片付けが済んでいないカウンター前のボックス席を指差す。
旭達とすれ違う様に男女四人のグループが店から出てきたところを見るに、ちょうど良いタイミングで席が空いたのだろう。
「また随分と大荷物だな、おい」
ドアを開けると呆れた声のジョンに迎えられながら、旭とザジはカウンターではなくボックス席に案内される。
なんとか皿は下げた様だが、グラスの類が残っていた。
紙袋の類を席へと投げ出す様に置くと、そのまま遠慮もなくどっかりと腰を下ろす。
「あれもこれもって買い回ってたら、いつの間にか大荷物だよ」
「ははっ。纏めて買っちまおうって気持ちになるのは分かるぜ。悪いな、すぐ片付けるからな」
「ありがと。忙しい時間帯に申し訳ない」
「気にすんなよ。こっちこそ、片付いてないのに席に案内して悪いな」
ジョンが持っていた盆にグラスや使い終わったおしぼりを次々載せていき、最後にテーブルを拭き上げてゆく。
入れ替わる様に百代がメニューと水の入ったグラスを持てくる。
「いいねぇ春休みの学生さんは。幼女連れて買い物デートたぁ羨ましい限りだ」
「どうも。モモさんも繁盛していて何よりです」
垂れ目を細めて色っぽくも悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「随分と買い込んだね? 何かったのさ?」
「オレの洋服や寝巻きを買ってきた。旭に支払いばかりを任せて申し訳ないんだがな」
「ザジは偉いなぁ。感謝の心があるだけで十分だと私は思うけどね」
眉尻を下げるザジの表情に百代は笑みを浮かべた。
「注文決まったら教えてな」
「あ、モモ。ちょっと話があるのだが、良いだろうか? 頼み事があるのだ」
「そうだなぁ……長くなる?」
ザジに呼び止められた百代は店内を見回しながら言う。
ランチのピークタイムを過ぎたとは言え客の数は多いな、と吊られて店内を見回した旭は思う。
お店のスタッフはジョンと百代だけの様子。
「ザジ。もう少し後にしろ。ちょっと今はタイミングが悪い」
「そうだな。食事を終えた後、時間がある時に頼みたいのだが?」
「それなら構わないよ。ちょっとバタついてて申し訳ないね」
「嬉しい悲鳴って言うやつですか?」
旭の言葉に百代が小さく吐息した。
「それもあるんだが、バイトが一人急に辞めちまってね。当てにしてた奴だから、ちょっと厳しい」
「あぁ……そうなんですね」
以前、大学生の位の男が一人アルバイトとして勤めていたのを思い出す。
パッとしない感じの雰囲気だったが、出勤日数も多く丁寧に仕事をしているのを覚えている。
「学生にはありがちだし、仕方のないことだ。旭、またバイトしろよ。給料の代わりに飯を出してやるから」
「ちゃんと賃金支払って下さいよ。と言うか、店があるから無理です」
百代が砕けた感じで誘うが、旭は首を振ってそれをかわす。
アキラから任されている襤褸の棲があるので、そう易々と他の店に仕事へ赴く訳には行かないのだ。
「だよなぁ……また後でな、ザジ。また呼んでくれ」
百代はひらひらを手を振るとそのままキッチンへと戻ってゆく。
旭は視線を百代の背中から傍らに置かれる荷物へと移す。
「これで必要なものは一通り買い終えたかな? 足りないものとかなかったよな……」
「随分と買ったな……いいのか、こんなに?」
私服が入れられた大きい紙袋が二つ、寝巻きと下着が数点入れられた紙袋が一つに、靴屋のロゴが入った大きめの紙袋が一つ、最後に日用雑貨の店のマークが入ったビニル袋が一つ。
大荷物と言っても差し支えないそれを見て、ザジが不安げにこちらを見た。
伺う様な視線に旭は肩をすくめる。
「必要経費だよ。何日も同じ服着るよりよっぽど衛生的だろ?」
「それはそうだが、どうもな」
「まぁ、モモさんも言ってたけど、感謝してくれてるならそれでいいよ。また別の機会にお返し待ってるさ」
「うむ。そうしよう」
ところで、と旭は神妙な顔で頷くザジを見る。
「お前、昨日ちゃんと風呂入ったか?」
「——入った」
彼女は少し間を開けてから、メニューを立てて開き顔を隠しながら答える。
互いに沈黙。
メニューで顔を隠したまま微動だにしないザジへ、旭は剣の表情を作り訝しげな視線を向ける。
「本当か?」
「——本当だ」
「ちょっとこっち来てみろ」
「本当に入ったぞ」
メニューを伏せて置きながら溜め息と共にザジは唇を尖らせる。
しかし旭が手招きをしてこちらに来る様に促すものの、彼女は席から微動だにしない。
じっとその様子を見つめていると、ザジは気まずそうな表情で旭から視線を逸らした。
「よし」
旭は立ち上がると、ザジの方へと回り込んで金色の髪に手を触れ、二度三度と髪を梳くと、今度は徐に首筋に鼻先を埋める。ひ、と小さな悲鳴とも取れる声を上げたザジは小さく震えて身を硬直させた。
「お前……髪もパサパサだし少し汗臭いぞ。入ってないな?」
「ふ……風呂場には入ったぞ! 風呂場には!」
「誰が頓知をしろと言ったか! ちゃんと頭と体を洗って湯船に入れって言ったろ!」
「誰が入るか! あんな……なんだ、溺れるわ馬鹿者!」
「溺れてたまるか! お前、子供の体は思った以上に汗を掻くんだからちゃんと風呂入れ!」
ぐ、とザジが悔しそうに歯噛みする。
この魔竜、どうやら風呂が苦手な様子で昨晩も頑なに入浴を断っていた。
魔竜の姿を誇っていたアルダ・イーヴェでは必要なかったかも知れないが、今は人間の体である。
「お前、不衛生で体調不良とか洒落にならんからな」
「そこまで……やるつもりはない」
「それ絶対に入らない奴のセリフだからな。今晩、覚悟しておけよ。絶対に風呂に入れてやるからな」
「く……この、いたいけな少女へなんと酷いことを!」
「風呂に入れるだけでそんな言われをされたのは初めてだよ」
テーブルに突っ伏すして項垂れるザジに旭は苦々しい表情を作る。
「ほら、取り敢えず注文しよう。食べるもん決めたか?」
「昨日と同じものを注文する。今回こそは食べきるのだ」
そうかよ、と旭は片手を上げてジョンを呼んだ。
また食えなくなるかも知れないから、軽めのものを頼もうと旭は心に決めた。




