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12・その後の歴史

 オッサンが消えて一息つくことにした。


 ネットニュースを漁ると驚愕の記事に出会ってしまった。


「何じゃこりゃぁ!」


 何でも、退役から30年になる空母の保管先がようやく決まったとかなんとか。


 待て待て、日本に30年前に退役した空母なんて存在しないだろ。


 何でも、それは空母讃岐という名前らしいが、まるで心当たりがない。旧国名を使っているから今就役しているヘリ空母同様、確かに旗艦となるような、或いは国の威信を背負う様な、そんな艦艇であったんだろうが、ならば、知らないはずがない。そんなものがあればゲームで出て来るだろうし、多少ミリ系かじった奴なら知っていて当然だ。


 まさかと思って日本の歴史を調べてみて驚いてしまった。歴史が変わってやがる。


 1944年春までは俺の知る歴史と違いは無い。問題はそこから先だ。


 マリアナ海戦の結果からしてオカシイ。いや、分かってはいた事だ。弄ったのは俺だから。


 確かに、この戦闘で日本も大きな被害を出してはいるが、それは米国も同じだ。特に日本の機動部隊に来襲した米機群の惨状には唖然とする。

 この頃には日本側も米軍とほぼ変わりのない性能を持った電探と無線機を備え、航空管制も行われていたらしく、来襲した米機群を効果的な防空戦闘で撃破してしまっている。当然、そこで活躍したのは烈風だ。


 烈風が零戦に比べて足が短い事から、海戦の様相にも違いがあって、日本側の攻撃開始時間が少し遅い。


 それが結果的に効果的な防空に成功した要因らしい。


 米側は艦載機の被害は大きかったものの、日本側の攻撃隊の撃破にも成功しており、俺の知る圧勝からは程遠いが、数の差による判定勝ちと言ったところの様だ。


 当然、その余勢をかってマリアナ侵攻を行い、サイパンが陥落している。


 10月にはフィリピンまで迫って沖縄や台湾へも来襲したようだが、台湾や沖縄には強固な電探網が構築されており、陸海軍の効果的な迎撃が功を奏して米軍に出血を強いている様だ。

 そして、フィリピン周辺での一連の海戦が行われているが、ここにも変化が起きている。


 沖縄や台湾を襲撃して搭載機を多く失った空母部隊は補充を受けて参加しているのだが、補充要員の技量が低下している事で武蔵の撃沈までは行えていない。


 より大きな変化は栗田艦隊の反転が無くなったスリガオ海峡海戦だろう。


 ここで米側と同等の性能を持つ電探が幸運を呼び込んだらしく、米側は誤認や故障によって後手に回ってしまう結果となり、俺の知る歴史とは逆に突破に成功している。


 エンガノ沖海戦も様相が随分違う様で、日本側は空母に積み込んだのは量産が軌道に乗って有り余っていた烈風ばかりだったという。そりゃあそうだ、零戦を他社にまで製造させて、三菱のラインは余っていたところに生産転換で一気に烈風のラインを構築させたんだから、海軍の無計画が生んだ幸運だったかもしれん。

 俺の知る歴史よりも早くに搭乗員養成を拡大していたらしく、この海戦に間に合った者がそれなりに居たらしい。何より驚いたのは信濃がここに間に合っている事だ。どうやったら出て来れるんだ?


 そんな状況だったらしく、日本側には米艦隊への攻撃手段が限られていた。が、それもうまくかみ合ったらしい。

 なにせ、積んでいた大半が烈風だったため、一応、爆装して攻撃に向かわせはしたが、結局、空母を攻撃することなく待ち構える戦闘機編隊との戦闘を優先したらしく、見事なファイタースイープを結果論としては成し遂げてしまう。

 米側の防空編隊を文字通りに粉砕し、戦闘機戦力が枯渇してしまった米側はそれでも小沢艦隊への攻撃を継続したが、第二次攻撃は自滅攻撃と呼ぶにふさわしい状況を呈して、フィリピンからの特攻機と空母からの第二次攻撃隊が偶然の一致で米艦隊に殺到した時には振り払うだけの余力が残っていなかった。


 そして、そこへ砲戦部隊によるレイテ突入が知らされたのだから大変だ。


 吊り上げられてしまった上に艦載機を枯渇させてしまった空母部隊は救援に向かう手段が無かった。悪い事はさらに続いて、シブヤン沖で被弾し退避していた武蔵を護衛していた部隊が再度レイテへと航路を向けたため、護衛空母部隊と鉢合わせしてしまう事態が起きている。俺の知るサマール沖海戦とは少し様相が違って、サマール沖演習と揶揄される電探射撃が行われて米護衛空母部隊に大きな被害を齎している。


 そして、レイテに突入した戦艦部隊は揚陸中の物資や輸送船団を破壊して回っている。米国では今もレイテの凶行と言い伝えられているほどの被害を出してしまう事になる。


 当時の米軍として見れば、旧式戦艦が沈み、一時的に空母艦載機が枯渇し、10万そこそこの地上兵力が失われた程度は瞬時に回復できるものでしかなかったが、時期が悪すぎた。


 大統領選挙を11月7日に控えた段階での結果であり、米軍への打撃以上に大統領への打撃となって来襲している。

 結果を知って大統領は報道規制を指示したが、何をどう間違ったのか日本の報道を引用して海戦の様相が米国でも報じられてしまう。それはあまりに過大な戦果報道ではあったが、戦艦部隊の壊滅や地上兵力の惨状は事実であり、大統領選への影響は必至だった。

 そして、選挙前日、心労から大統領が倒れ入院してしまうが、その事実が公表されることなく選挙が行われ、選挙後、再選を果たして回復した大統領が姿を見せるのだが、1945年に入ると再び病状が悪化し、就任式こそ何とか出席したものの、全く執務不能の状態に陥ってしまう。

 そもそも、12月の段階から執務能力が疑われる指示を乱発しており、再度のフィリピン上陸作戦の日時をわずか数日で6度も変更指示するような状況で、米政界と軍部は2ヶ月余り混乱して対日作戦の再検討がまるでうまく進んでいなかった。欧州についてはほぼ英国の言いなりで進んでいるような状態だった。


 1945年2月のヤルタ会談には当然ながら、大統領が出席できる状況にはなく、副大統領が執務を代行し、ヤルタへも彼が向かう事になった。当然だが、そんな人物をソ連が認めるはずもなく、それまでに約束した対日参戦の条件を大幅に盛って来ていたのだが、判断に困った副大統領は終結後の再協議という条件で先送りしてしまう。ソ連がそれを切り取り次第と捉えたのは言うまでもない。


 実質的に執務が出来ない大統領だが、存命であることから彼を名目上の大統領として米国政府は動いていた。しかし、与党内でも半ば強硬手段で副大統領をねじ込んだ勢力とそれに反発する勢力が暗闘を繰り広げ、統制者を欠いた状態であり、政府の姿勢も一貫性を欠いてしまう。


 そんな中でリーダーシップを見せようとする副大統領が半ばから周りに対日作戦の実施を強行した事で日本には更なる幸運が舞い込むことになる。

 早期のフィリピン奪還を指示する政府によって、不完全な状態で再度の上陸作戦を実施した結果、当然のように日本側はその迎撃に成功する。ろくに訓練の済んでいない新米パイロットをそのまま戦場に放り込まざるを得なかった米軍に対し、待ち構えた日本軍はレイテの鴨撃ちと呼ばれる勝利を挙げることになる。ただ、防空網の厚さから米空母を沈めるには至らず、多くの攻撃機を失う事になったが、それがまた海軍の迅電への期待を呼び込み、第一優先へと押し上げてしまった。迅電優先の犠牲となって天山や彗星の生産は停止され、流星すらも優先度を落とし、銀河に至っては廃止とされかけたほどだった。


 4月には第三次フィリピン戦が行われ、物量でごり押しする米軍の圧力に飲まれてとうとう上陸を許してしまう。

 未だフィリピンへ空母を張り付ける必要がある中で米軍は硫黄島への上陸まで敢行しようとしたが、さすがにそれは無茶というモノだった。

 硫黄島攻略に投入された米艦隊を襲ったのは烈風や流星だった。既存の米機で止められないそれらに、本来揃えるべき戦力の半数もない薄い防空網で迎え撃つことになった結果、戦闘機は落とされ、空母を中心に被害も出る始末だった。

 その混乱が収まらないうちから第二派攻撃隊が来襲し、米側の航空管制はマヒ状態となってしまう。流石に上陸作戦どころではなくなった米軍は退却し、何とか硫黄島を守る事は出来たが、日本側の被害も甚大だった。


 硫黄島を確保できなかった米軍は爆撃機の護衛を付ける事が出来ずに、更には強力な迎撃機の襲撃まで受けて未帰還機や使用不能機を量産していった。

 欧州での勝利が確実となり、対日戦へ比重を移した事で、何とか5月にはフィリピンでの勝利を確定させ、6月には満を期して硫黄島へと来襲する米軍。それを迎え撃ったのは新編された迅電隊だった。

 三菱は迅電と木星の製造に合わせて岡山に新規製造ラインを設け、戦禍の及びにくい北海道にも工場を建設することになった。

 そのため、東南海地震の影響を免れ、量産が行われていた。翠星を名古屋で生産していた影響で多くの機体が生産遅延したのとは対照的だった。


 米側も烈風なら開発を急いだF8Fで何とかなると考えていた。しかし、実際に相対したのはさらに速度が速く、旋回性能も悪くなく、圧倒的な馬力を誇る迅電だったわけだ。対烈風戦術がまるで通用しない機体にてこずる米軍をしり目に、ベテランで構成された迅電隊は戦果をあげていく。ただ、攻撃隊がほぼいない状態のために物量の前にただエースを量産しただけで、戦略的な戦果は何も得られていなかった。

 ただ、陸から飛んだ迅電隊が艦載機を削り取ることで出来た隙を突いて横須賀を出港した空母艦隊による特攻攻撃は大きな戦果をあげる。


 米側が気が付いた時には時すでに遅く、地上からの攻撃隊へ対処している中へ艦載機が加わり、航空管制はまたしても飽和。帰還の技量を持たない片道攻撃という事もあって、軽装甲のエセックス級空母はその母艦能力を次々喪失し、翔鶴、瑞鶴、信濃を仕留めた頃には米空母の半数が機能を失いながら、それでも硫黄島上陸が強行され、硫黄島を陥落させるまでに地上戦闘と航空攻撃で3万人を超える被害を出すことになってしまう。


 米国が焦ったのには訳があった。ソ連との密約が切り取り次第という状態では、何が起きるかわからなかったからだ。自分たちが先に日本本土に乗り込みたい。そう考えていた。


 硫黄島が奪われた日本は窮地に陥る。ほぼ、全土が爆撃圏なのだから。


 そして、硫黄島戦の最中には北からも凶報が届く。


 仲介を依頼したはずのソ連が対日宣戦布告を行ったのだ。俺の知る歴史より2か月も早い。切り取り次第という事で予定を前倒しした結果だったのだろう。

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