11・やはり、あれは夢ではなかったらしい
「んぁが?」
ふと気が付くと突っ伏して寝ていたようだ。
何だか夢を見ていた気がする。
しかし、夢にしてはリアルだったな。1942年の段階で烈風作って、そのエンジンがハ43張りのシロモノ。そもそも、烈風自体がF8Fの先取り。雷電も金星エンジンで問題なく完成させて、Fw190と同じ空力処理した高性能機。その上で、ハ42クラスのエンジン積んだ戦闘爆撃機?旋回能力などはF4Uより良くて、F6Fとも余裕で戦える。
まあ、そんな機体があったらいいよな。
そう思って何となくパソコンを起動させ、いつもの空戦ゲームをスタートさせる。
「なんじゃこりゃあ!!」
唖然とした。
だってそうだろう。夢で見た機体がずらっと並んでんだぜ?
零戦のエンジンは瑞星だし、最終型が三三型になってやがる。1400馬力で580㎞の速度出せるって、まさに夢に出てきたヤツだよ。
雷電もそうだ。烈風だってそうだ。
そう言えば十八試艦戦どうなったのかと思ったら、迅電という名前になってる。なぜ、風じゃないのか不思議に思ったが、どうやら制空型ではないから風以外の名前を付けたらしい。
そして何より、コイツ凄いのは、夢で見たとおりに空戦能力も高い。前縁スラットと空戦フラップ使えば烈風並みの機動が出来て、F8Fともやりあえるらしい。そりゃあそうか、エンジンが余裕で2300馬力超えだしな。
なるほど、まだ夢の続きなんだと、一通り遊んだ後、そっとパソコンをシャットダウンした。
すると、寝る前に見たオッサンが画面に現れた。
「帰って来たみたいだな。少し早すぎたんじゃないのか?」
と、良く分からないことを言い出した。何が早かったというのだろうか。
「何、お前さん、ジェット機作ってないじゃないか。B29をバッタバッタ撃ち落とすところを見て見たくは無かったのか?」
でも、それって雷電と迅電があれば十分でない?当時の日本の飛行場でジェット機飛ばせるところが少なすぎて意味がない気がするんだよなぁ
「それはそうかもしれんが」
なら、そう言う事だよ。
「何とも欲のない奴だな。海軍の戦闘機と一部の艦攻、艦爆、後は他社の機体の一部に影響を与えた程度で特に何も変わっとらんじゃないか」
まあ、そうだけどさ。零戦を変えて、烈風、雷電、迅電とあればゲームは十分楽しくなるんだから良いんじゃないのか?
「そう言うならそれで良いが」
何やらオッサンは心残りがあるらしい。まあ、そうだな。作れなくて良いからジェット機の設計図を残してくるってのはありだったかもしれん。が、それやったとしても、ジェット機のクラスに混ざって日本機があったからってどうという事は無いんじゃないのかな?
ほら、当時完成していたネ20とか、開発中?だったネ130を積んだとして、一体どれ程の速度が出るんだ?対戦可能な機体がミーティアだけとかいう悲劇的な状態にしかならんと思うんだが。
「そう言うなら、仕方がないな」
そう言ってオッサンはどこか悲しそうに消えていった。
そして、ようやく自分が何をやったのかを理解した。
そして調べてみると、やはり、アレは夢ではなく事実なんだと理解することになった。
零戦はやはりこちらでも名機となっている様だ。なにせ、1943年には1400馬力の機体が登場してるわけだから、それも当然だろう。
この零戦にとってF6Fはライバルではあっても簡単に負けるような事は無かったらしい。そのせいだろう、F8Fの登場が前倒しされており、1945年6月ごろには日本に飛来している。
だが、そこで零戦に勝るというよりは、烈風に華々しく負けるという醜態を晒した様だ。
まあ、仕方がない。零戦三三型は烈風同様に側面排気方式を採用しているので外見はよく似ている。きっとよく見ても分かりはしなかっただろう。
米国がF4FとF6Fの特性が似ているように、烈風は出来るだけ零戦に特性を似せて作った。そうすれば機種転換の時間を減らして、同じ操縦感覚で飛ばせると思ったからだ。
しかし、実際にはまるで排気量の違うエンジンを同じ程度のサイズの機体に放り込んだことから機体重量が増し、シミュレーション上は似ていたはずの操縦感覚が実機では随分違ってきてしまった。それも、データとして見れば大したことが無いものではあったが、操縦する搭乗員にとっては大きな違いであったらしい。
零戦に比して烈風が不評な原因は、同じ感覚で操縦出来るのに、実際の動きが大振りになって感覚とズレが生じてしまうという感覚と機体の動きの不一致だったらしい。
これは一線機として烈風しか知らない新人たちにはまるでない違和感で、烈風が主力だった1945年には評価が変わっていたらしい。
そして、似た者同士の対決となった烈風対F8Fの対戦では、練度の差とわずかな重量や馬力の差から烈風の圧勝で初戦を終えることになったらしい。わずか二か月足らずの対戦だったが、烈風は善戦し、戦後の米軍の試験ですらその評価は高かった。
しかし、それ以上に評価が良かったのは迅電だった。
迅電は1944年7月の初飛行の後、まずは雷電に替わる迎撃機として配備が始められることになったようだ。
なにせ、戦闘重量5tを超える機体だけに、少なくなった空母に載せる訳にもいかなかったらしい。
カタパルトは完成していたが、射出訓練も進んでいないし、まずは艦攻、艦爆優先の体制だったという事もある。
そもそも、零戦で十分戦えるのに、重量級の大型戦闘機を積んでカタパルトを戦闘機の射出に利用してしまっては、整備や故障で艦攻、艦爆の射出が出来ない危険があった。
そして、いまでさえ三菱寡占状態の所に、艦攻を排除して三菱機で艦上を埋め尽くす事に否定的な意見もあったのだそうだ。
そんな事から陸上運用が主となった迅電はP51やP47とも対戦している。
特にP51との対戦ではその性能がほぼ互角で、加速は上という機体だったらしく、F8F相手には少々苦戦するものの、まるで敵なしと言える状況だっららしい。使用した部隊もベテランが集中していたという事情がより有利に働いたんだろうと思う。
戦後の米軍の試験だけでなく、英軍にも注目されており、シーフューリーと互角という評価を得ている。米軍では陸海軍共に、中空域までで敵う機体が存在しなかった。
そりゃあ仕方ないと思うよ。翠星を排気量アップした木星なんて積んでるんだもん。離昇出力2600馬力は伊達ではない。
あのオッサンはこれのどこに不満を覚えたのだろうか?