「第六章 泰奈と塩陣」
時刻は午後7時過ぎ。
仕事を終えたサラリーマン、家族連れ、学生や飲み会のグループ等々……この場所は多くの人々の賑わいで熱気を帯びている。
「ズルッズルルルルゥゥゥゥーーッ! グチャ! バクッ! グルシャアァァァァ! 」
オレはつい30分ほど前に出会った不思議な少女を救う為、彼女を背負いながら薄暗い路地裏の迷宮をさまよい、どうにかして大通りへと脱出。そして衰弱した巫女服の少女が求める[塩分]を探して街中を奔走してたどり着いた先にて、今に至っている。
「グルルルォー! ブシュブルアアアアッ!! 」
オレの目の前では〈G・スラッグ〉のうなり声を思わせるような、液体が弾ける音が氾濫されている。しかし、決してこの場に巨大ナメクジがいるワケではない。
「ズズッ……ズ……ズズズルルシャァァァ! 」
オレがテーブルを挟んで向かい合った先に、見ているのは、さっきまで糸の切れた操り人形のようにグダっていた、巫女服の少女……
そんな彼女が今何をやっているのかと言えば……
「グビッ! ググッ……グオッグオッ…………………………はぁ~……美味しかったァ……! 」
塩ラーメンを食べていた……それも一気に3杯も……
「塩分が欲しいって言ってたけど……本当に[コレ]でよかったんスか……? 」
オレが彼女を助ける為に連れ込んだ場所、それはこの辺りでは評判の高い【鯨亭】という名の塩ラーメンが売りの中華料理店だった。
彼女の巫女服姿でラーメンをむさぼり食う姿はどうしてもインパクトが強くて周囲の視線が心配だったけど、ちょうどよく衝立で仕切られた座敷席が空いていて助かった。もしもカウンター席で食べていたら注目の的だっただろう。
「よかったどころか……最高でしたよ。煮干しの出汁が効いたスープに、たっぷりの野菜で栄養バランスも良いですし、何より使っている塩がいいです。おそらくはじっくりと天日で乾燥させて作られた天然塩を使っていますね。体全体が清められるように心地よい味わいを生み出しています」
「いえ……ラーメンの味のコトじゃなくて……」
「え? 違うんですか? 」
オレが聞きたかったのは食レポじゃない。
超常的で魔法のような力を発動させた代償で死にそうなくらい衰弱していたのだから、それを回復させるには、てっきり神聖で特殊な道具や薬が必要なのだと思っていた。
なのに、単に塩味のラーメンを食すだけで元気を取り戻してしまったコトが、逆に不思議だったのだ。
もしかして単におなかが減っていただけだったのか……?
「ふぅ……とりあえず今は腹八分目にしときますか……まだまだやるコトがありますからね」
まだ八分目なの? 三杯も食べといて!?
それだけ腹の中に詰め込んでおいて、なぜ体はそんなに小柄なのだろう……? 取り込んだカロリーは一体どこに消えていくんだ? と、頭の中で疑問を浮かべるも、彼女の胸部にそびえる豊かな双子山の存在感によって、ああ……全部[そこ]に蓄えられているんだね。と勝手に自己解決した。
「ごちそうさまでした。とりあえずここまで連れてきて、ありがとうございます。助かりました」
彼女はそう言ってペコリと頭を下げた。
「いえいえいえいえ……お礼なんていいッス……そもそも〈G・スラッグ〉から助けてくれたのはキミッスから……こちらこそありがとうございます! ええ……と……? 」
オレはその時、重大かつ初歩的な質問をし忘れていたことに初めて気が付いた。
、
「すいません……オレ、猿飛火夏っていうんスけど……あなたの名前は……? 」
オレ達はまだ、お互いの名前すら知らなかったのだ。
「……月塩泰奈。[たいな]って呼んでください」
「つきしお……たいな……泰奈さんですね。よろしくッス」
なんだかテーブルを挟んでの自己紹介というシチュエーションが、どことなく[お見合い]を連想させてちょっと恥ずかしったけど、オレ達はこれで人間関係のスタートラインをようやく踏み込んだ。
「よろしくおねがいします。火夏……さん」
客や店員の喧噪でやかましく、油の匂いが充満した風情のない場所であっても、目の前にいる泰奈さんは着込んだ巫女服に恥じず優雅だった。
割り箸をつかむ仕草一つをとっても、伝統芸能の型のように洗練されていて、ついつい見とれてしまうほどだ
……ラーメンをすする音はひたすら下品だったけど……
「それじゃあ、泰奈さん……ちょっと聞いてもいいッスか? 」
「なんでしょうか? ……と言っても……何を聞きたいのかは大体見当はつきますが……」
泰奈さんはチラリと小脇におかれた大きなリュックの方へと視線を向ける。オレの目つきもそれに釣られて移動した。その中には先ほど〈G・スラッグ〉退治に使われた手甲が入っている。
「しょうがありませんね。ラーメンを奢って貰った恩もありますし……説明しましょう! 特別ですよ! 」
そう言ってオレの質問に答えてくれることを快諾してくれた泰奈さんだったけど、どことなく得意げな表情を隠しきれていなかったのは内緒にしておこう。
「お、お願いします! 」
「まず……第一に確認しなければいけないコトがあります……」
「はい」
「火夏さん。あなたは《ハンター》ですか? 」
「え? 」
さっきまでの軽やかなイメージを感じさせない真剣なトーンの口調に、オレは思わず少したじろいでしまった。泰奈さんのその言葉には、怒りにも似た重い感情が込められていた気がする。
「違うよ……元はそうだったけど、辞めたんだ……ライセンスももう持ってないッス」
「そうですか……」
オレがそう返すと、泰奈さんは少しだけ言いよどみながらも「まぁいいでしょう」と話を続けてくれた。
「それでは順に説明します。まず……2年前から日本中の各地で猛威をふるっている〈G・スラッグ〉についてですが。あの生物はそもそもナメクジではありません」
「ナメクジとは違う? 【祖土邑カンパニー】の研究では、大型に突然変異したナメクジの一種だと発表されてるッスけど? 」
「あんなのデタラメです」
泰奈さんはそう言ってリュックからA4サイズの液晶タブレットを取り出し、手慣れた操作で何かのデータを探し始めた。伝統的な巫女服姿で現代科学の最新機器を操作するギャップに目が奪われる。
「これを見てください」
泰奈さんが見せてくれたのは、一枚の画像データだった。
それは古めかしい絵巻物で、そこには〈G・スラッグ〉にそっくりな化け物と、それに対抗するように集結した神道衣の人々の様子が描かれている。
「これは室町時代に描かれた物です。あなた方の言う〈G・スラッグ〉はこの時代から民衆の敵として各地で存在が記録されています」
「そんなに前から? 」
「はい。そして〈G・スラッグ〉の本当の名前……及び正体は〈ノヅチ〉と呼ばれる妖怪なのです」
「よよよ妖怪ッ!? 」
衝撃の事実に、ボクは思わず大声で反応してしまう。泰奈さんは焦って「シーッ! 」と静かにするように! のジェスチャーでオレに注意する。
「そうです。その当時の人々は、田畑を荒らして人々を襲い食らう〈ノヅチ〉によって苦しめられ、なんとか倒す方法はないかとアレコレ思案しました。そしてある時、当時の神道者によって〈ノヅチ〉退治に特価した全く新しい武芸《塩陣》が編み出されたのです! 」
「え……えんじん? 」
泰奈さんはリュックにしまわれていた手甲の一つをゴトリとテーブルの上に置いた。なかなか重量がありそうなその装備品は、明るいこの場所で見ると、フォルムの特殊性が一層際だった。
「これは、《塩陣具》と呼ばれる手甲で、《塩陣》を行う際に必須の道具です」
「それじゃあ、さっき路地裏で〈G・スラッグ〉にデカい結晶を突き刺してたみたいだったけど、それが《塩陣》なんスか……? 」
「そう……泰奈たち塩陣使いは特異体質を持ち合わせていて、体内に取り込んだ塩分を涙や汗として体外に放出する際に、特殊な成分が含まれて出されるんです。それが〈ノヅチ〉に対して非常に有効で、その特殊な塩分を結晶化させて武器として扱い、そして戦う技術を《塩陣》と言います。ちなみに、《塩陣》には様々な流派が存在していて、相撲取りが土俵に塩を撒くのも、かつて相撲が塩陣流派の一部だった名残なのです」
なるほど……さっきの巨大な四角推の結晶は、塩で作られた物だったのか。どおりで〈G・スラッグ〉が一瞬で蒸発したワケだ……でも待てよ……?
さっき泰奈さんは、塩陣使いは体内で特殊な塩を作るって言ってたな……。
「泰奈さん、ひょっとしてッスけど……塩陣使いによって作られる塩って……もしかして……」
グローバルスタジアムで、波花リトナさんが10m級の〈G・スラッグ〉を一瞬で亡き者にした、必殺のアイテム……それが《塩陣》で使われる塩と同じ物であるとすれば……
「その通りです。あなた方の言う《レア・ソルト》こそ……泰奈たち塩陣使いによって作られる塩と全く同じ物なんです」
泰奈さんの顔が急に強ばってきた……テーブルの上で握られた拳は皮膚が破けてしまうのかと思うほどに堅く握られている。
「……そして……それこそが泰奈にとって……いや、月塩家にとって重要で見過ごせないポイントであり、泰奈がここにいる理由なんです……! 」
「泰奈さん……? 」
彼女は突然割り箸を持って、オレが食い残した五目野菜炒めの皿から、ヒョイとウズラのゆで卵を掴み上げ、自分が使っていた空っぽのラーメン丼の中に置いた。食べたかったのかな? 卵……
「泰奈のご先祖様である[月塩シカイ]率いる塩陣軍団は、繁殖して何百も増えてしまった〈ノヅチ〉の数を《塩陣》を使って徐々に減らしていき、とうとう最後の大元である〈オオノヅチ〉を倒すことに成功しました。天保10年のことです」
「〈オオノヅチ〉って、なんスカ? 」
「女王蜂のようなモノだと思ってください。それを倒さない限りは無限に卵を産み続け、〈ノヅチ〉の繁殖が止まらないんです」
なるほど……日本中に何千人といる《ハンター》によって毎日〈G・スラッグ〉が倒されても、一向にその数が減らないのはその為か……
となると……どこかに〈G・スラッグ〉の親玉、〈オオノヅチ〉が潜んでいるってコトになる。一体どこに……?
「月塩シカイは、〈オオノヅチ〉を倒すことに成功したものの……その《核》だけは、どれだけ斬っても叩いても破壊することができませんでした……《核》は放っておけば、そのまま卵として再生し、いずれ〈オオノヅチ〉として蘇ってしまいます……だから……」
泰奈さんは突然、テーブル隅に置かれた調味用の塩瓶を取り出し、ラーメン丼の中のウズラの卵に向けてこれでもか! という程に大量の塩を振りかけた。
「泰奈さん? 何を? 」
泰奈さんの容赦ない塩振りにより、ウズラの卵はもはや姿を確認することもできないくらいに、塩の山に埋もれてしまった……
「見てください。ウズラの卵が《核》です。月塩シカイはこのようにして《塩陣》を使い、塩の結晶で《核》を包み込んで二度と再生することのないように封印したんです」
「……なるほど」
わざわざウズラの卵を使って再現する必要があったのかは不明だけど、その説明のおかげで分かったことがある。
つまり、何かがキッカケになってその封印が解かれてしまい、〈オオノヅチ〉が復活した。だから2年前に突然〈G・スラッグ〉……いや、〈ノヅチ〉が日本中に現れたってことか……
「そして……ここからが最も重要な話になります……」
泰奈さん両手を組んで顔を伏せ、しばらく間を空けた後に、意を決したように口を開いた。
「《オオノヅチの核》は、泰奈の実家である【月塩神社】で厳重に封印されていました。でも……3年前……その《核》が部外者によって盗まれてしまったんです……その時、同じく塩陣使いである泰奈の姉も、一緒に誘拐されてしまいました……」
「ぬ……盗まれ……!? しかも誘拐って!? 」
「泰奈は、盗まれた《核》とお姉ちゃんの行方を追って、ここまで来たんです……」
「………………」
オレは……会話の途中で分かってしまった。
《オオノヅチの核》を盗み、泰奈さんの姉を誘拐した犯人に、おおよその見当がついてしまった。
・泰奈さんが《ハンター》に対して警戒していたこと。
・泰奈さんが《ハンター》に対して[あなた方]と突き放した呼び方をしていたこと。
・泰奈さんの姉が、《レア・ソルト》を作り出すことのできる《塩陣》の使い手であること。
・ギルドが《核》を回収した《ハンター》に対して特別ボーナスを与えていたこと。
・〈G・スラッグ〉の生体が未だに不明だということになっていること。
・《レア・ソルト》を発見した。と公表した会社が〈G・スラッグ〉に対する武器として、それを高額で販売していること。
・【月塩神社】から《オオノヅチの核》が盗まれたのが、3年前だということ。
それらの点が結び付き合い、線となり……ハッキリとした像を浮かび上がらせる……
「【祖土邑カンパニー】……それが《核》とお姉ちゃんを盗んだ犯人です……! 」




