「最終章 塩陣リスタート! 」
オレ達は走るスマートフォンの導きのまま、裏道のそのまた裏道、さらにその裏道へと進み、やがて人気の全く無い鬱屈な雰囲気が漂う路地裏へと入り込んでいく。
まさかここは……!
間違いない。この臭気漂う悪路は、以前オレが偶然迷い込んでしまった場所、泰奈さんと初めて出会った思い出のバックストリートだった。
右へ左へ……左へ右へ……ヘドロにまみれたビル壁の密集が作り上げる迷路のような路地。生ゴミから染み出る汚水がはねるのも気にせず、オレ達は一心不乱に走り続ける。
『おーい! 連れてキたぞー! 』
そしてようやくトレミーくんが動きを止めると、大きく開けた場所にオレ達はたどり着いた。
「ハァ……ハァ……」
息切れをしながら視界を凝らすと……見えてくる……二人の人影……
「全く……やっと姿を見せてくれたな……」
自分だけに見えている幻ではないことは、リトナさんのその言葉で確信が持てた。
「よかった……二人とも無事だったんだな」
ムウさんがオレが息切れで言えなかった言葉を代弁してくれた。
この開けた場所は、三方の古いビル壁によって作られた細長い箱の中のような空間になっていて、日光がスポットライトのように照らされている。
その光のシャワーの中に立っているのは、一人の小柄な巫女服の女の子……そして、明るいブラウンを基調としたミニスカート・ブーツ・キャスケット帽と秋の装いに身を包んだ長身スレンダーな女性が揃っている。あまりにも不釣り合いな組み合わせに一瞬面食らったけど、[今ここに彼女たちがいる]という嬉しさが、そんなことを些細な問題にしてくれている。
「お久しぶりです」
巫女服の女の子は以前のような少しトゲを持った雰囲気とは違い、その服装に偽り無い神々しさする感じる柔和さがあった。
「この野郎! 心配させやがって! 」
リトナさんはすでに感極まって、駆け寄りその子を強く抱きしめ涙を流し、再会を喜んだ。
「リトナさん……泰奈も嬉しいです……こうしてお姉ちゃんと一緒に再会できたことが」
泰奈さんは、ラーメンの臭いと油まみれになったリトナさんを拒むことなく受け入れ、強く抱き返した。日の光が降り注いでいることも相まって、神聖な絵画を見ているような美しさを二人から感じた。
「ムウくんと、火夏ちゃんも元気そうでなによりだよ」
菜久瑠さんも残ったオレ達をまとめてハグで迎え入れてくれた。この汚臭漂う路地裏に似つかわしくない、フローラルな香りに意識が飛びそうになる。
「な……菜久瑠さん……オレ達も嬉しいです……色々探し回って、ようやくこうして再会出来たことが」
ファッション雑誌から飛び出してきたかのような菜久瑠さんのスキンシップにうろたえながらも、オレは歓喜の感情を表した。
「すまない。色々と心配を掛けてしまったようだね」
「そんなことは……それよりも、オレ達の借金を肩代わりしてくれて……こっちこそ頭を下げなくては……」
ムウさんは感動の再会もほどほどに借金の件に触れた。やはり金銭問題は大事なのだ。
「そうだ! 菜久瑠さん! あなたのおかげで私たちは……」
波花姉弟が揃って菜久瑠さんに頭を下げようとすると「やめてくれよ」と二人を制止させる。
「いいんだ。そもそもは月塩家の管理が甘かったことが全ての原因だったから……本当はキミ達の借金を肩代わりすること程度じゃ済まないコトなんだ。それに……今日はキミ達に大事なことを知らせに来たんだよ」」
菜久瑠さんはポケットから黒く輝く石ころのような物を取り出してオレ達に見せた。
「これ、なんだと思う? 」
その石ころは、手の平大のサイズでゴツゴツと角張っているものの、一部分はつやつやとした曲面も携えている。まるで、大きくて丸い石を砕いたような……と、考えている内に、オレは一つの可能性に行き当たった。
「まさかそれ、《核》の破片ですか? そしてそのサイズからして……まさか〈オオノヅチ〉の? 」
「ご名答だよ……さすが火夏ちゃんだね。ご考察の通り、これはこの前倒した〈オオノヅチ〉の《核》の破片だよ」
「いやぁ……」と思わず悦に浸ってしまったけど、ちょっと待て? と疑問が生まれる。
「〈オオノヅチ〉の《核》って……確かどうやっても壊せなかったんじゃなかったんですか!? だから塩漬けにして封印していたんじゃ……」
その疑問には泰奈さんが答えてくれた。
「そう……叩いても削っても、焼いても、冷やしても、どうやっても破壊できなかった。と古文書には書いてあるの。でも、火夏くんが倒した〈オオノヅチ〉の《核》はね、お姉ちゃんの《塩陣》で簡単に粉々に出来ちゃって……実を言うとね。あの時【グローバルスタジアム】で〈オオノヅチ〉を倒した直後に、すでに《核》には大きなヒビが入ってたの。だからこれは変だと思って、泰奈とお姉ちゃんだけで密かに調べてみることにしたんだ」
今明らかになった、月塩姉妹失踪の事実。あの時二人は、すでに何らかの不吉な予兆を感じ取っていたようだ。リトナさんを含む、オレ達の元からひっそりと去った理由も何となく分かる。
《核》を調査するには、〈オオノヅチ〉討伐に大きく貢献したリトナさんの存在はあまりにも目立ちすぎることに加え、その時点では未だに【祖土邑カンパニー】と関係を保ったままだといことも大きい。だからこの問題は月塩姉妹だけで解決したかったのだろう。しかし疑問が残った。
「でも《核》が壊れたことの何が悪いんスか? これ以上〈オオノヅチ〉が再生することはないワケですし万々歳じゃないスか? 」
「それはね……」と菜久瑠さんは渋い表情を作り「実は火夏ちゃん達が倒してくれた〈オオノヅチ〉は……〈オオノヅチ〉じゃなかった可能性があるんだよ」と答えた。
「ええっ! 」
意味が分からなかった。あれだけ苦労して倒した〈オオノヅチ〉が、そうでなかったということは、一体どういうことなのか?
「説明するよ」菜久瑠さんは眉間にシワを寄せて話を続けた。
「ボクが3年間、例の地下研究所に捕らえられていた時、何度かドクター野民と話をしたことがあるんだ」
「野民流斗と? 」
「そう。その時何度か彼に尋ねたんだ……盗んだ〈オオノヅチ〉はどこにいる? ってね。そしたらこう返してくれたよ……[ここにはいない]ってね」
「え……[ここ]には……? それは研究所にはいない。ってことですよね? 」
「そう」
「でも〈オオノヅチ〉は現に研究所に……」
オレは言葉を最後まで言い切る前に、とある可能性に気が付いてしまった……〈ノヅチ〉を改造して翼を付けたり、成体を強制的に球体に閉じこめた《スラッグボール》を開発したりしていた研究所だ。つまり……
「もしかして……研究所にいた〈オオノヅチ〉は、【祖土邑カンパニー】の手によって作られた……[コピー]だったということッスか? 」
「その疑いがある」
鯨が背泳ぎするくらいの衝撃だった。〈オオノヅチ〉が未だにどこかで生きている……そしてそれを意味することは、【祖土邑カンパニー】はまだまだ〈G・スラッグ〉生み出すことが出来るということ。
「ちょっと待ってくれ! 」リトナさんが猛犬のような目つきで菜久瑠さん食いついた。
「それじゃあ今【祖土邑カンパニー】には、〈G・スラッグ〉を生み出す〈オオノヅチ〉が健在で、なおかつそれを倒す為の《レア・ソルト》が作れない状態だってことだよな! そうなるとアナタも泰奈も、こんなところにいちゃ危険だろ! 」
リトナさんの言うとおりだ。今の【祖土邑カンパニー】は、毒の治療薬を持たずにコブラを繁殖させているようなもの。それを制御する為の《レア・ソルト》がなければビジネスが成り立たない。祖土邑は喉から手が出るほど塩陣使いの存在を欲しがっているハズだ。
「みなさ~ん! 置いていかないでくださいデスよ! 」
オレ達の緊迫した空気を断ち切るような間延びした声が、突如乱入する。
「誰だ!? 」
と、ムウさんが威嚇すると、その声の主はチワワのように身体を震わせて「び……びっくりするじゃないデスか! 酷いですよ! 突然走り出して一人だけにしちゃう上にそんな大きな声で脅かすなんて! 」と涙目で訴える。
「あんた、付いてきたのか……」
路地裏の暗闇から姿を表したのは、ついさっきまで【鯨亭】で一緒にいた、ハンター用具店の店員だった。どうやらトレミーくんを追い駆けるオレ達の後を追跡してきたらしい。こんな野良犬でさえ近寄らないような場所までよくついてきたものだ。
「あ、さっきの美人さん! 」
店員さんは菜久瑠さんを見つけると、数年振りに顔を合わせたクラスメイトと接するかのようなフレンドリーさでオレ達の輪に入ってきた。重要な話を中断させられてしまったことで、リトナや泰奈さんが露骨に不機嫌な表情を作るもお構いなしだ。
【鯨亭】の時にも思ったけど、休憩中の店に堂々と入り込んだり、今もこうしてさっき会ったばかりの人間と一気に距離を詰めたりする肝の大きさには脱帽する。
「モデルさんなんデスか? 背が高くてかっこいいですね! リトナさんとはどんな関係で? お友達なんデスか? 」
空気を読まずに好き放題話しかける店員さん。さっきも【鯨亭】で聞いてもいないことを喋りまくっていたことを思い出した。
「キミ……ボクをほめてくれるのは大変うれしいんだけどね、こんな場所にいては信じてもらえないだろうけど今はデリケートな話の真っ最中なんだ。悪いけど席を外してもらえるかな? 」
「えー! 」
店員さんの態度は大人の会話に入れてもらえずにぐずる子供のようだ。ふくれっ面を作り、濃いチークが強調される。オレはそれを見て、子供の頃に夢中になっていた、パンを擬人化したヒーローを思い出した。
「まぁそういうことだ。ここは私のサインに免じて帰ってくれるか? 」
リトナさんにそう言われてはしょうがない。とばかりに、うつむいて残念さを体で表現していた店員さん。
「そーデスねぇ……」
そのまま素直に帰ってくれればとオレは真剣に思った。
「でもデスね……」
店員さんは俯いた顔を上げて、こちらにヌルリとした視線を向けた。その表情で睨まれたオレは、本能的に[危険]な空気を感じ取った。一体どうしたっていうんだ?
「残念デスが、それは無理デス。なぜなら私の帰り道は塞がれてしまっているから……」
「何を言ってんだお前? 」
リトナさんの声に一切反応することなく、店員さんは背後を向き、路地裏の闇に向かって手招きをする。
「おーおォー……みなさんお揃いでェ……」
闇の中から発せられた、生ゴミのように嫌悪を覚える男の声。オレはこの声をよく覚えている。死ぬまで忘れることはできないであろう、悪のささやき……
「野民……」
「久しぶりだねェ……会いたかったよ」
野民流斗。〈オオノヅチ〉の一件で身柄を拘束されたハズの彼が、今こうしてオレ達の目の前に立っている……
なぜそんなコトが出来ているのかは、もはや彼が【祖土邑カンパニー】の[重要関係者であるから]という説明だけで納得できる。
「アンタ……スパイだったってことだな」
リトナさんが空気に穴が空くほどの形相で睨みつけた先にいる店員さんは、何食わぬ顔で一笑する。
「スパイも何も……元々私は【祖土邑カンパニー】の人間デスからね。波花さん達と猿飛くんを泳がせておいたのも、失踪した月塩姉妹と繋がりがあったからデス」
「なるほどな……で、こうしてまんまとお前らの思惑通り、私たちは泰奈と菜久瑠さんを祖土邑の前に引きずり出しちまったってコトか」
そう自嘲するリトナさんに吐き気すら覚える笑顔を向ける野民。今度は彼の後ろからぞろぞろと武装した兵士達がオレ達の前に銃を構えて立ち並んだ。こんな狭い路地裏に20人はいるだろうか? 背後はビル壁で塞がれているし、まさしく絶体絶命だ。
「ドクター野民、この程度の人数でボク達を捕獲しようだなんて舐められたモンだね……」
菜久瑠さんの右手には、いつの間にか厳めしい金属性のグローブのような物が取り付けられている。泰奈さんが使っていた物とは違い、気筒の数が二つしかなく、V字に取り付けられているという違いこそあれど、それが《塩陣具》であることは一目瞭然だった。
「ははッ! 舐めちゃいないよォ! 今度はしっかりと予防線を張っておいたのサ! 」
野民はうわずった笑い声を上げながらそう言うと、ポケットから液晶パネルの小型タブレットを取り出す。その画面には赤いスイッチを模したアイコンが映し出されている。
「このボタンをタップした瞬間に何が起こるかわかるかい? ん? 分からないよな? 波花リトナ、そしてムウ! よく聞いておけよ! このボタンは爆破スイッチさァ! お前らが敬愛している小汚いラーメン屋に爆薬を仕掛けておいたのさ! 」
「なんだと! 」
衝撃の言葉に、リトナさんとムウさんが前に乗り出す。なんてこった……まさか【鯨亭】と、波花姉弟にとって父親とも同然の店長を人質に捕られてしまっていたとは……
「ハハァッ! どうする月塩菜久瑠! そして泰奈! お前らがおとなしくこちら側につけば、このボタンは押さないでおいてやる! それとも一人の尊い命を犠牲にしてまで、僕に刃向かうかい? 」
卑怯だ……卑劣だ……卑しすぎる!
野民流斗! お前は人間の持っている最低限の良心すらトイレで大便と一緒に流し捨てているのか? チェックメイトだ。とばかりに高笑いし続ける野民の眼鏡を押し割りたい衝動がつのるが、大勢の兵士に囲まれ人質まで捕られてしまっては歯が立たない……
これでオレ達はおしまいなのか?
「おい、マヌケ面」
絶望する空気を一新するように、ムウさんが一切淀みのない声を野民に放つ。
「誰に向けて言っているんだい? 」
「お前だ野民。ここにいるマヌケ面はお前しかいないだろう? 」
「フ……フフ……苦し紛れの遠吠えって感じだねェ……僕を怒らせようとしたってそうは、いかないぞ」
とは言いつつ、野民の口端は引きつっている。偏差値の高さと精神年齢は比例しないんだな……とオレは思った。
「聞こう……お前が仕掛けた爆弾っていうのは、【鯨亭】にだけなのか? 」
「……? それ以外に仕掛ける必要はないだろォ? 」
「それじゃあもう一つ、お前が張った予防線というのは、【鯨亭】に爆弾を仕掛ける……それだけなのか? 」
「……それだけだ。どういう意味だァ……? どうしてそんな質問をする? 」
オレにもムウさんがそんな質問をする意味が分からなかった。狼狽える野民と一緒に、オレ自身の心境もどよめいている。
「……だそうだ。安心したぜ」
状況が読めないオレをよそに、ムウさんはそう言って野民の隣に立っている店員さんにサングラス越しの視線を向ける。
「はい! それでは遠慮なしデスね! 」
店員さんは満面の笑みをムウさんに返し、突然エプロンのポケットに手を突っ込んで何かを取り出し、それを野民の顎に突きつけた。
「え? 」
素っ頓狂な声を発して目を丸くする野民。そうなるのも無理はない……店員さんが彼に突きつけたのは、対〈G・スラッグ〉用の拳銃だったのだから。
「全員武器を捨てて両手を壁に押しつけるのデス! さもなければお前らのボスの頭にもう一個穴が空きますよ! 」
「何をしているんだお前! その銃を引っ込めろ! 危ないだろォ! 」
「優秀なオツムを持っていながら、まだ理解していないのデスね。私は初めからリトナ様側の人間なんデスよ。あなたは私達にあぶり出されたんデス」
「な……なんだとォ……!? 」
「ちなみにこの銃、ギルドの許可無しで発砲出来るように改造してますのであしからず」
「な……お前ら全員武器を捨てろ! こいつの言うとおりにしろ! 」
その言葉で周囲の兵士達は次々と銃を捨てて、汚いビル壁に向かい合って両手を当て始めた。そして地面に置かれた銃達は泰奈さんの《塩陣》で塩まみれにされ、機構の細部が機能しなくなってしまった。これで完全無力化だ。
「ど……どういうことなの……? 」
一瞬で状況が一転した。店員さんは二重スパイだったのだ……改めて状況を把握すると、こうなることを初めから予期していたように堂々とした態度をとっているのは、ムウさん、菜久瑠さん、泰奈さん……そしてオレと同じく開いた口が塞がらずにいるのがリトナさん。
「おおおおい、ムウ! どうなってんだ? どうしてこうなった!? 【鯨亭】は大丈夫なのかよ!? 」
動転したリトナさんがムウさんの胸ぐらに掴みかかる。やっぱりこのコトを知らされていないようだ。
「とりあえず【鯨亭】は大丈夫だ……野民が仕掛けた爆弾とやらは全てとっくに見つけて処分してる」
「何ィ! なんでだ!? ってかとにかく色々と詳しく教えてくれ! 」
リトナさんに同感だ。展開に乗れないオレ達は、ルールも分からないスポーツイベントの観客席に放り込まれているようなモノなのだから。
「すまん姉者……それに火夏。実を言うと俺だけは泰奈ちゃんと菜久瑠さんと連絡を取り合っていたんだ」
「なんだって!? 」「マジッスか? 」
衝撃の告白に、オレとリトナさんはハモって驚く。
「【グローバルスタジアム】での闘いの後、数日してからトレミー君を介して、菜久瑠さんが本物の〈オオノヅチ〉を探しているコトを知った。そこで俺はこちらから誘って【祖土邑カンパニー】の人間をおびき寄せるコトを提案した。それにはまず、祖土邑側の内通者が必要だ」
野民に銃を突きつけた店員の目がキラキラと輝いた。
「そうデス! ムウさんにそれをお願いされた私は、月塩姉妹の行方を捜し当てたと偽り、ここまで祖土邑の人間を連れてきたのデス! でもまさか、野民流斗本人が直々に現れるとは思ってもいませんでしたが……」
野民は店員さんの言葉に「ぐぬぬ……」と声が聞こえてきそうなほどに歯を食いしばって悔しさを表に出していた。この人は出たがりな性格がいつまでも仇になりそうだ。
「一介の小売店の従業員ごとがァ……こんなコトをしてタダで済むと思ってるのかァ……? 【祖土邑カンパニー】を敵に回すと怖いぞ? 」
何とか自分の立場を保とうと脅しをかける野民だったが、それも虚しく無力な言葉に成り下がる。
「ドクター野民。彼女はもう何もかも知っているんだよ。【祖土邑カンパニー】がマッチポンプで稼いでいたこと、長い間ボクを監禁していたことも……おとなしく本物の〈オオノヅチ〉の場所を教えてくれるかい? 」
野民はこれで手も足も出ない状況だ。頼りの兵士を動けなくされ、銃器も潮を噴いて使い物にならない。今度はオレ達がチェックメイトだと得意げになる番だ!
「そうかァ……ぜぇ~んぶキミ達の思惑通りってワケかァ……」
とうとう野民は観念したのか、右手に持っていた液晶タブレットを手放して足下に落下させた。ヌルついた路地裏の地面に張りついたタブレットは、虚しく光りを発している。
「フフ……フフフ……」
「ドクター野民、何がおかしいんだい? 」
気味の悪い笑みを浮かべた野民は、突如タブレットの液晶に向かって思いっきり足を踏み落とし、無惨にもそれを粉々に砕き割ってしまった。
「な……! 野民所長! 」
「ここで[それ]をやるおつもりですか!? 」
「まさか……! 冗談でしょう!? 」
その行為に一番驚いたのは、ほかでもない野民の部下である兵士達。やけっぱちとも思えるその行動が何かの発動条件と重なっていたらしいが、異常なまでの危機感を覚えている。一体に何が起こるっていうんだ?
「ふふ……トランプ(切り札)は最後の最後までとっておく……それは世渡りの基本だよォ! 」
「みんな、気をつけろ! 」
菜久瑠さんが声を上げて注意喚起をする。一体何が起こる?
「ヴィィィィィィン……」
どこからか空気を攪拌するような音がする……? 前か? 後ろか? それとも足下からか? しかしいずれも違う。その音は遙か上空から聞こえてくるようだ。
「上か!? 」
首を上げて視線を天へと向けると、ビル壁が額縁のように四角く区切った青空に、一転の影が写り込む。
それは野球スタジアムのミニチュアのようなフォルムで、四方に小型のプロペラがつけられている。見覚えがハッキリとある……それは間違いなく……
「ドローン!? 」
野民が呼び出したであろう上空を漂うドローン(無人航空機)にはUFOキャッチャーを彷彿させるアームが取り付けられていて、その間に挟まれているのはメロン大の球体だった。
「まずいね……これは」
それを見た菜久瑠さんはポツリと一言漏らし「みんなここから離れて! 」と声を張り上げる。その言葉を聞き終わるまでもなく、野民は店員を払いのけて脱走を図った。
『ウグォオオオルアアアッ! 』
何度聞いても慣れることなど訪れないであろう、不快な叫び声。この時オレはようやく謎の球体が何なのかを思い出した。そう、アレは一度見たことがある。ギルドの地下にあった研究所で見たことがある!
「《スラッグボール》だ! 」
ドローンから放たれた《スラッグボール》は、オレ達に向かって落下しながらその封印が解かれあっという間に球体が膨らみ、粘性を帯びた巨体がエアバッグのように弾き出されていた!
「グギュゴアアアアッ! 」
寄声を上げながらオレ達に向かってボディプレスを敢行する〈G・スラッグ〉。その大きさはパッと見た目測でも5m以上はある。このままでは全員グチャドロのもんじゃ焼きになってしまう。
「塩技! 刺體霊躯」
しかし、一寸の動揺もなく技を繰り出し、それを迎え撃つ一人の存在……
「泰奈さん! 」
〈G・スラッグ〉の空襲に対し、塩結晶の槍を下から突き上げるように生成して迎え撃つ泰奈さん。棒アイス状態で串刺しになった〈G・スラッグ〉は、そのまま呻き声一つ発する暇なく消滅していく。
「さすがです! 泰奈さん! 」
「ホラ! 火夏くんボサッとしない! 」
オレの賞賛など右から左に聞き流した泰奈さんは、背負ったリュックを「どっせい! 」と力を込めて下ろし、中からいそいそと何かを取り出した。
「火夏くん! これを使って! 」
彼女がオレに渡してくれた物は、金属のヒダが波のように折り重って作られた手甲だった。
「これはまさか! 」
戦国時代の甲冑を思わせるその佇まいに加えて、太く長い気筒がつけられている。間違いない。これは泰奈さんやリトナさんが使っている物と同じ《塩陣具》だ。ただし、彼女達が使っている物とは違い、気筒の数が一本だけという違いはあった。
「色々と調べて作ったの……キミ専用、《泥是流塩陣》を使う為の《塩陣具》を! 」
「オレの……!? 」
「そう! キミの! 」
■ ■ ■ ■ ■
〈G・スラッグ〉の空からの攻撃のどさくさにより解放された野民は、このまま脱走して【祖土邑カンパニー】の援軍を呼ぶべく路地裏を走り回っていた。
「ウヒッ! 無駄だよォ! 僕が呼び込んだドローンはアレだけじゃない! ヒヒッ! 次から次へと〈G・スラッグ〉の雨を降らすよォ! 」
形勢逆転に喜び、口端から笑い声を吹き出しながら走る野民。絶え間なく降り注ぐ〈G・スラッグ〉の応酬によって泰奈や菜久瑠。そして火夏ら《塩陣》使いを疲弊させる。
その後、援軍を引き連れて弱りきった彼女達を手中に納める。という目論見だった。リトナやムウも残っていたが、残っている兵士達に任せておけば何も出来やしないだろう。そう高をくくっていた。
「おいおいおい! もう出口じゃないかァ! フヒッ! 僕の勝ちだァァァァ! 」
暗い路地に現れた日光が差し込みできた光の扉。そこさえ越えることが出来ればこっちのもの! と野民は中学3年の頃に参加したマラソン大会以来の全速力でラストスパートをかけ、真っ白な長方形に向かって行く。
「よしよしよしよしよし! 」
野民は窮地を脱出した達成感と歓喜で、少々興奮していたようだ。彼は視界に入ってくる情報を正しく処理できていなかった。
「グェッ! 」
野民は強い衝撃を受けて尻餅をつき、一瞬意識を失いかけた。なぜなら、彼が路地裏の出口だと思っていた光の扉は、空間ではなく、物体だったからだ。
「ドクター野民。まだまだキミに[安心]の二文字は縁遠いようだね」
「う……月塩菜久瑠……? なんでここに!? くそっ! 鼻血がァ……」
野民が突っ込んでしまったのは、菜久瑠が《塩陣》で作り出した巨大な塩結晶の兵士[ヘビーナックルちゃん2号]の壁のような巨体だった。
「ナックルちゃんに乗ってビルの屋上から追いかけてきただけってことだよ。これで退路は断たれたね。どうする? 」
野民に残された道は、観念するか、それとも来た道を後戻りするか、の二つであり、往生際の悪い彼がどちらを選ぶかを予想するのは簡単だった。
「こんにゃろ! 」
野民はふらつく身体をなんとか奮い立たせて路地を逆走する。
「うぐおォッ!? 」
すると再び彼は[硬く巨大な何か]と正面衝突してヌルついた地面に背中から倒れてしまう。
「言っただろう。退路は断たれた。と」
石壁のような身体のムウが、2m近い身長から野民を見下して呟いた。その後ろには姉のリトナと店員も一緒にいる。
「う……く……そんな……兵士達は何やってんだ! どうしてお前らを逃がしてやがってんだァ! 」
「野民……あんた、私達をナメすぎだぜ? 」
「ああ……あの程度の輩。武器さえおさえてしまえば俺達の敵ではない」
「そーそー! リトナ様をみくびってもらっちゃ困るんデス! 象やゴリラを相手にする気持ちで掛かってこないと血をみますよ? 」
店員のあまりにも正直な物言いに、リトナは苦笑する。
「お前は……私を誉めてるのか貶してるのかどっちなんだよ…………それに……」
リトナは苦笑いのまま仲間の3人の顔を見渡して言う。
「こんなコトを今聞くのもなんだけどよ……なんで私と火夏だけにホントのことを教えてくれなかったんだ……? 」
リトナの切実な言葉に、ムウと店員は気まずい表情でお互いに視線を送りあっていたが、菜久瑠はお構いなしに……
「すまない。リトナちゃんと火夏ちゃんにはね、教えたら敵に悟られそうだったから。連絡のやり取りはあえてムウくんだけにしといたんだ」
その言葉にリトナは露骨に肩を下げて「ハァ……やっぱりか……」と大きく溜め息を吐き捨てた。
そんな彼女に気を使い「姉者は肉体派だから」「そういうトコも素敵デスよ! 」とフォローになっていないフォローを送るムウと店員。そんな気の抜けたやり取りにしびれを切らしたのか、野民が突然大声を上げる。
「おい! お前ら何をのんきなコトいってやがる! いいのかァ!? 間断なく降り注ぐ〈G・スラッグ〉の雨が、今もあのチビ巫女と屁コキ猿を苦しめてるんだゾォ!? 助けに行かなくていいのかァ? 」
野民の言葉には、泰奈と火夏を案ずる意味合いなどなく、《レア・ソルト》の供給源と、この場を何とかやり過ごしたいという一心しかないということは明らかだ。菜久瑠は迷いなく彼に言葉を返す。
「なぁに……貴様の心配に及ぶところではないよ。塩が浸む思いをしたあの子らにとっちゃ、あの程度の襲撃……a pinch of salt(ひとつまみの塩)さ」
■ ■ ■ ■ ■
野民の部下の兵士達は、混乱に乗じて泰奈と菜久瑠を取り押さえようとするも、波花姉弟と菜久瑠の塩兵士達……そして……
「まったく火夏の野郎がこんなデカイヤマに関わってたとはな」
「想像すらしなかった」
「まさに意外」
ムウの手配によって路地裏で待ち伏せていた、ツーブロック三兄弟の活躍によって一掃され、全員再起不能状態で路地裏にマネキンのように伸びきっている。
「真実は明るみにしなきゃならん。【祖土邑カンパニー】が諸悪の根源だということを……」
「光と闇はハッキリクッキリと線引きしなければ」
「まさにツーブロックの髪型のように」
■ ■ ■ ■ ■
「泰奈さん、出来るでしょうか? あの時みたいに」
渡された《塩陣具》を右手に装着したものの、〈オオノヅチ〉の時みたいに上手く《塩陣》を発動出来るかどうかは分からなかった。あの時はとにかく無我夢中で、危機的状況に置かれたことで何とか力をひねり出せたようなモノだった。
「火夏くん。月塩家に伝わる《塩陣》の心得を教えてあげる」
泰奈さんは両手に付けた《塩陣具》から蒸気を吹き上げつつ、降下してくる〈G・スラッグ〉達を次々と《塩陣》で圧倒し続ける。
「一つ。~死を恐れず己の力を信じ疑わずの心、高らかに持て~」
「自分を信じて誇りを高く持てってコトッスね」
「そう。さあ火夏くん! 《塩陣具》の紐を引いて! 」
オレは言われた通り、リング状の金具が取り付けられ紐を引っ張り、《塩陣具》を起動させる。
「ヴィィィィィィィン! 」と低音の管楽器を思わせる奏音と共に、一つしかない気筒から炎を吹き出させた。〈オオノヅチ〉の時と同じく硫黄の匂いも同時に発せられ、【グローバルスタジアム】でリトナさんの顔面に放屁してしまったことを思い出してしまう。
「火夏くんの《塩陣具》は単気筒の高トルク。細かいコントロールよりも、一撃必殺に重きを置いた《泥是流塩陣》には最適なハズ」
《塩陣具》の説明を続けながら〈G・スラッグ〉に塩結晶の槍を撃ち込む泰奈さん。そんな彼女が愛用している《塩陣具》は両手に四気筒。それは一撃の重さよりもきめ細かい塩結晶をコントロールするのには適しているのだろう。
「あの時は……」
「はい? 」
〈G・スラッグ〉を仕留めた泰奈さんが、眉を八の字にしながらオレに瞳を向けた。
「色々ゴタゴタしゃちゃってて言いそびれたけど」
「何をッスか? 」
「ありがとう……助けてくれて」
彼女がそう言って顔をローズソルトのように赤らめた瞬間。オレは心臓に正拳突きを食らったのかと錯覚を起こした。
「いえ……そんな……」
いつもは強気で頑固な彼女が、しおらしい一面を見せてくれた。自分の《塩陣具》の気筒からどんどん炎が吹き出し続け、オレの髪の毛がチリチリになっていくのを感じ取った。
「それと、ごめんね。また月塩家の因縁に巻き込んじゃって……【祖土邑カンパニー】が君たちを狙っている以上、戦いからは絶対に避けられないと思ったから」
上空のドローンからまたしても《スラッグボール》が投下される。今度はさっきまでの物よりも大きめだ。ボールが弾けて、目測10m級の〈G・スラッグ〉が、オレ達に陰を落として落下してくる。
「何言ってるんスか泰奈さん! オレ自身が塩陣使いだと分かった今、協力するのは当たり前じゃないスか! それに……」
〈G・スラッグ〉はその巨体をビル壁に削りとられながら、徐々に迫ってくる。
「今こうして泰奈さんと一緒に戦えることが嬉くて仕方がないんス! 」
オレは炎たぎる右手を、弓を引くように思いっきり振りかぶる。泰奈さんは両手を上に向けてつきだした。
「火夏くん的に言えば……ショータイム……かな? 」
「へへ……」
『グボオラァァァァァァァ! 』〈G・スラッグ〉は丸い大口をこれでもかと開いてオレ達を飲み込もうとしている。魔界の入口かと錯覚するほどに不気味だ。
「それじゃあ火夏くん! 一緒に行こう! 」
「はい! 」
【祖土邑カンパニー】との戦いは、これからが正念場なのだろう。この身に受けた宿命と、正しき社会の調和の為……オレ達は[塩]にならなきゃならない。
塩は一番うまくてまずいもの。さじ加減一つで料理を美味にも不味くもできる。
オレ達の塩は……正しくありたい。だからオレも泰奈さんも泣き言なんて言ってられない。
「「我が塩陣を導き給え! 」」
オレ達にはこれから、無駄に出来る塩分なんてひとつまみもないのだから!
終塩
~THE END~




