「第二十一章 絶望」
こんな話がある。
ジャングルに迷い込んだ時、もっとも恐ろしい敵は虎やワニといった大型肉食獣ではない。
真に恐れるべきは、毒を持った蟻や、体内に卵を産みつけるダニといった小さな虫の類だ。
これらは数の多さや、体の小ささ故に撃退が困難な為、大型の獣以上に多くの人間を死に至らしめている。
【グローバルスタジアム】で卵から孵った500以上の〈ノヅチ幼体〉もそれに同じく、20mを超える体躯の〈オオノヅチ〉以上に、ハンター達を恐怖と絶望の渦に巻き込んでいる。
「ぐああああッ! 」
一人の《ハンター》の肩に〈ノヅチ幼体〉が飛びつき噛みついたと思えば、他の幼体達もそれに続いて《ハンター》の体を覆い包む。体は小さくとも噛みつく力は中型犬に匹敵し、もがいてももがいても離れる気配は無い!
「痛え! 痛えよぉぉぉぉ! お母ちゃぁぁぁぁん! 」
悲痛な《ハンター》の叫び! 周囲の仲間が助けようにも、銃撃や斬撃で取り払おうにも《ハンター》体を傷つけてしまうおそれがあり、手の出しようがなく、おたつくことしか出来なかった。
「うおおおおッ! 」
そんな中、波花リトナが颯爽と彼の救出に飛びかかる。彼女は銃剣に使う為の《レア・ソルト》カートリッジを握り割り、中の液体を護身用のサバイバルナイフに振りかけた。
「さっさと離れやがれチビクソ野郎! 」
リトナは《レア・ソルト》が染み着いたナイフで〈ノヅチ幼体〉を一匹ずつ切り裂いて剥がしていく。思いつきで実行した方法だったが、これは非常に有効で、どうにか《ハンター》の男にまとわりついた幼体を全て撃退することに成功した。
「大丈夫か!? 」
男は全身に歯形をつけられて血塗れになっていたが、幸い傷は浅く命に別状は無かった。
「う……う……」
「どうした!? 立てるか!? 」
「うわああああッ! 」
男は幼体からの蹂躙から解放されるや否や、救出してくれたリトナをも突き飛ばして疾走。そのまま逃亡してしまった。
「お、おい! 待ってくれ! ここは一人でも戦力が……」
男を引き留める言葉を言い切る前に、今度はリトナにめがけて数匹の〈ノヅチ幼体〉が飛びかかる!
「この野郎、しつけえんだよ! 赤ん坊ならもうちょっと可愛げってのがあるだろうが! 」
リトナは迫り来る幼体をナイフで切り裂き、応戦する。的が小さく、素早い点においては2m前後の〈G・スラッグ〉と戦う際よりも神経をすり減らす。さすがのリトナも肩で呼吸をするほどの疲労を覚えていた。
「くそっ! 斬っても斬ってもキリがねえ!
「数が多すぎますよ! 」猿飛火夏も、【グローバルスタジアム】に放置されていた鉄パイプで幼体をなぎ払いながら、どうにか身の危険を回避していた。どうやら〈ノヅチ幼体〉は彼の特殊体質にも全く動じることのない性質を持ち合わせていたようだ。
「こういう時こそ広範囲に効果がある塩幕手榴弾が有効なんだがな……クソッ! デカブツ相手しか想定してなかったから用意してなかったぜ! 」
リトナは親指の爪を噛んで、自らの見通しの甘さを悔やんだ。
「ヤバいぞ姉者! 」
弟の波花ムウが、愛用の大型ライフルを棍棒のように振り回して幼体を吹き飛ばしながら、姉に駆け寄る。
「どうヤバイんだよムウ! 」
「《ハンター》達がほとんど逃走を図ってる! このままじゃ幼体達が街中に溢れちまう! 」
見渡せば、周囲で幼体と抗戦している《ハンター》はごくわずかで、他は先ほどの男同様、【グローバルスタジアム】の出口へと群をなしていた。
「くそっ! 駄目だ! もう無理だ! 」「俺達だけじゃ手に負えん」「お終いだぁ! 」
斬っても叩いても一向に戦力の落ちない幼体達に活路を見いだすことが出来ず、とうとうわずかに応戦していた《ハンター》達も次々に撤退を始めていた。
「おい! お前ら逃げるんじゃねえ! 」
「待ってください! ここで逃げちゃ、〈オオノヅチ〉はどうなるんですか! 」
リトナや火夏が必死に呼び止めようにも、再戦する意志を見せず「俺らは所詮報酬ありきの雇われ《ハンター》だ……命が惜しいんだ! 」と吐き捨てられ、彼らから遠ざかって行った。
「そんな……」
次々と戦いを放棄し始める《ハンター》達。〈ノヅチ幼体〉の恐ろしさは[終わりが見えない]こと。一匹一匹の戦力はさほどでもないが、その物量とじわりじわりと苦痛を与えていく攻撃方法に、超巨大生物を相手にした時に感じられなかった[身近な恐怖]を覚え、志気をどんどん奪っていった。500匹という情報量の多さと終わりの見えなさに危機感がグッと増すケースだ。
「みなさん。心配しないでください! 」
そんな中、月塩泰奈は両腕に装着した《塩陣具》から未だかつていない規模の蒸気を発して、何かしらの《塩陣》を繰り出す準備を整えていた。
「泰奈さん……! それは! 」
「ここは泰奈に任せてください! 全部片づけて見せます! 」
「泰奈さん! こんな数相手に無茶だ! それにここで力を使い切ってしまったら、菜久瑠さんは……! 」
火夏は先ほど地下研究所内での〈G・スラッグ〉戦で、大技を繰り出して疲労困憊になった彼女の姿を思い出した。再びその時と同じレベルの技を繰り出した時には、《塩陣》はおろか立つことさえ困難になるであろうことは目に見えていた。
「ありがとう火夏くん……でも泰奈はここでお姉ちゃん惜しさにおとなしくしているワケにはいかないの……」
泰奈の全身に塩を帯びた風が纏わり、日光の反射でキラキラと輝くその姿は、あたかも光に包まれているようにも見えた。
「泰奈は……室町時代より続く流派《霊視風路塩陣》の正当後継者……鍛錬し、、磨いた技は〈ノヅチ〉に苦しむ民を救う為にある……だから任せて……全力の技でみんなを守ってみせる! 」
泰奈は太陽を抱くように両手を大きく広げ、自身の持つ最高塩技を今まさに発動せんとする。
「行きます! 最大塩技・雨結肖塩弧! 」
そのかけ声と共に、泰奈は頭上に空気を圧縮させた輝く球体を作り上げ、その中心から塩結晶で作り上げた槍をミサイルのように次々と発射させる!
『パミィィィィィィィィッ! 』
打ち上げ花火を思わせるように拡散した小型のソルトミサイルはスタジアム中の〈ノヅチ幼体〉達に向かって追尾し、着弾! 破壊し続ける!
「すごい……」
そのあまりにも超自然的な光景はどこか宗教的な趣があり、火夏もリトナもムウも……スタジアムから逃げだそうとしていた《ハンター》達でさえも、数秒間見とれて声を失っていた。
しかし、それを創り出している泰奈本人は、神秘的とはほど遠い表情で技を継続し続けている。
「よせ泰奈! 死ぬぞ! 」「泰奈さん! やめてくれ! 」
泰奈の顔はどんどん青冷めて行き、今にも倒れてしまいそうなほどに体中を震えさせている。塩技を中止させようと詰める火夏達だったが、彼女の決意は固く、例えダンプカーが突進して来たとしても技を止めようとはしないように思えた。
「大……丈夫です……これしきのこと……ここまでたどり着くまでの苦労に比べれば……」
泰奈の雨結肖塩弧によって【グローバルスタジアム】に蔓延る〈ノヅチ幼体〉達は少しずつ数を減らしていくが、やはりその物量の多さには歯が立たない。未だに半分以上の幼体達が《ハンター》達を襲い続けている。
「くそ……! 何もできないのか? 私達は……! くそッ! くそぉッ! 」
リトナはナイフで八つ当たるように幼体達を切り刻む。泰奈の元へと近寄りたくとも、彼女自身から放たれる風圧によって阻まれてしまい、手も足も出ない状況だった。
「……いえ……できることはあります! 」
しかし、火夏にはまだ一つこの状況を打破する為の案があった。
「何ができるってんだ! 他の《ハンター》共は戦意喪失……まだまだ生き残ってる幼体どもに手も足もでねぇ! 」
「リトナさん! 駄目ッス! ここで諦めないでくださいよ! あなたなら、2年前にオレの心を動かしたように……今ここでみんなの心を一つにできるハズです! 」
「みんなの心を……!? 」
「そうです! 無線でここにいる《ハンター》達に呼び掛けてもう一度志気を呼び戻し、戦線復帰させるんスよ! 」
「私にそんな……」
「いや! できる! さっきも皆をを姉者がまとめてたじゃないか! 」
ムウが業を煮やし、たまらず声を荒げる。彼もまた彼女の力を信じている人間の一人だ。
「ムウまで何言って……あん時はなんつーかそういう流れで自然とよぉ……」
頑なに火夏の提案に消極的な反応を示す彼女。作戦の指揮を取ることは出来ても、人の心を動かすとなるとまた別の問題だ。
「リトナさん! そろそろ自覚を持ってくださいよ! あなたには人を動かすカリスマがあるってことに! 今この窮地を脱するだけの力があることに! 」
「そうだ姉者! 今なら間に合う! 」
「そろいも揃ってお前ら無責任なコト言いやがって……! 」
自分のファンと弟。二人掛かりで攻められてはさすがのリトナも重い腰を上げざるを得なかった。何よりこのままでは泰奈の身が危ない。
「わかったよ。でも、上手くいくかなんてわかんねえぞ! 」
リトナは喉に付けたマイクを起動させ、一度大きく唾を飲み込み、全達へ音声を一斉送信させる。
『スタジアムにいる《ハンター》共! 聞こえるか? 波花リトナだ! 』
幼体を払いのけながら慌てふためく《ハンター》達の動きが一瞬静止した。喧噪の中でもハッキリと聞き分けられる彼女のよく通る声は、地獄絵図と化したこの【グローバルスタジアム】を現実に引き戻すパワーを感じられた。
『てめえら揃いも揃って何やってやがる! こんな小汚ねえナメクジどもにビビりやがって! 今、たった一人の女の子が必死に食い止めてる中、お前等はしっぽを振って逃げるってのか? あぁッ!? 確かに数は多く、凶悪だ! でも冷静になってよく見ろ、私達よりは小さい! 』
リトナの言葉はひどく単純で、混乱を押さえ込もうとする為に熟考したものとはいえない、感情的、主観的な内容だった。
しかし、それが良かった。単純だからこそ、心に伝わった。
「自分たちよりも……小さい……! 」
【グローバルスタジアム】から脱出しようとしていた《ハンター》達は、お互いにこぞって顔を見合わせ、周囲に跋扈する〈ノヅチ幼体〉の姿を改めて見直す。
『狸にビビる熊がいるか? いねえだろ! 私達は熊だ! そして同時に蜂だ! あのバカデカサイズの〈G・スラッグ〉にとって、私たちは毒を持った蜂だ! 全員で叩けば必ず勝てる! 』
《ハンター》達の視線が中央コートにて固まったままの〈オオノヅチ〉に集まる。さきほどまで【グローバルスタジアム】を更地にしてしまうかのような暴れぶりを見せていた巨悪も、今は《ハンター》達による銃撃のダメージと産卵による疲労を回復させる為か、一切微動だにしていない。
『ここは正念場だ! 私達がここで〈G・スラッグ〉共を殲滅しなきゃ、コイツらが街に流れ込んじまう! 想像しろ! 自分が大切にしている家族や友人が、こんな醜悪なナメクジどもに命を奪われるとしたら、私達がやることは決まってるよな? 平和の為だとか、人類の為だとか、そんなデカいスケールの話じゃねえんだ! 大切な人との日常の為! 自分自身の生活の為! それだけの為に戦うんだ! それが私達がするべきコトだ! だから……力を貸してくれ! 』
リトナの言葉に、スタジアム中の《ハンター》達の動き、少しずつ変化が訪れる。
「くそ! リトナさんにそんなコト言われちゃあよ! 」
《ハンター》は銃を取り、〈ノヅチ幼体〉に向けて弾丸を放つ。
「やるしかねぇ! 」
《ハンター》は刃を手にし、いずれ脅威となる存在の種を刈る。
「しょうがねえ! ちくしょう! 掛かって来い! ナメクジどもめ! 」
《ハンター》は飛びかかる恐怖を払いのける。
「俺達は〈G・スラッグ〉を退治するから《ハンター》じゃない! 危機を狩り取るから《ハンター》なんだ! 」
《ハンター》達は一気に活気を取り戻し、傷を負い、手こずりながらも、幼体の〈G・スラッグ〉を少しずつ蹴散らしていく。
なかには血塗れになりながらも、なかには武器を失いながらも素手で戦いながらも……
「すごい……! 一気に全員の士気が上がった! 流石です! リトナさん! 」
「はは……やりゃあなんとかなるもんだな……」
スタジアムの様子に変化が起きたことを悟った見た泰奈は、安心したのか手をおろして技を解除し、その場にしゃがみこんでしまった。
「泰奈さん! 」
火夏は泰奈に駆け寄り、彼女のリュックサックの中からスポーツドリンク取り出してを飲ませる。
「飲んでくださいッス! 」
火夏からペットボトルを口にあてがられた彼女は、荒野に雪解け水を滴り落としたかのように、その中身を一気に飲み込んだ。すると、土色を帯びた顔にも徐々にに生気を取り戻し、ビニールのようにカサついた唇もグミのような弾力を取り戻していた。
「……ひ……火夏くん……ごめん……もうちょっと〈ノヅチ〉をやっつけたかったけど……」
「いえ! 泰奈さんは十分頑張ってくれました! こうしてみんなが戦うキッカケを作ってくれたのは泰奈さんのおかげッスよ! 」
「へへ……そりゃありがたいな……」
そう言いながら浮かべた泰奈の笑みは、心からの安堵を感じさせ、火夏も釣られて顔を綻ばせる。今まで本当の意味で他者を信頼していなかった彼女は、ようやく火夏達に対して心を開いてくれたようだ。
「火夏! 」
ムウが厳めしい声で火夏を現実に引き戻す。
「は、はい!? 」
「泰奈のコトは俺にまかせろ、お前には今からしなければならないコトがある! 」
「な……何をですか? 」
「とにかく〈オオノヅチ〉を見てみろ! 」
〈ノヅチ幼体〉の大群に意識を奪われていた火夏は、改めて視線を中央コートに移す。そこには未だにうずくまって防御態勢のまま微動だにしない〈オオノヅチ〉の姿があった。
「多分アイツは体力が回復するまであの状態のままでいるハズだ。攻撃するなら今が好機だ」
「でも……今は体を硬質化させて一切の攻撃を受け付けないんですよ? 泰奈さんの《塩陣》でさえ弾かれたんですから」
「いや、突破口が一つだけある! 」
ムウは赤ん坊の手首を思わせる太い指を〈オオノヅチ〉の[ある一点]へと向けて示した。
「……お姉ちゃんの……カプセルだね……」
その意図を火夏よりも先に汲んだ泰奈は、まだまだ疲労を感じさせる声で答えた。
「そう! 幸か不幸か菜久瑠さんのカプセルは未だにヤツの口にハマりこんだままだ。そこを狙う! 」
本来なら〈オオノヅチ〉の防御形態は、その大口を閉じてから行うモノだったに違いない。しかし、菜久瑠カプセルによるストッパーによって、体内へとつながる穴は開かれたままになっている。
「そこでだ」ムウは愛用のライフルを火夏に手渡す。
「これは……? 」
「火夏。お前がコレを使ってカプセルを割れ! 」
「え……エエェッ!? 」
予期せぬ言葉に、火夏はうっかりライフルを手放してしまいそうになる。ムウはそんな彼に対してあくまでも真剣な態度を貫いた。
「あのカプセルはかなり丈夫だ。そんじょそこらのライフルの弾でもビクともしないだろう。だが、このSDMソルバレットSR99なら話は違う。コイツでカプセルを割り、その中にたっぷり溜まった高濃度の《レア・ソルト》を体内に流し込んでやるんだ! 」
菜久瑠カプセルはそもそも彼女の体内から《レア・ソルト》を搾り取る為の装置だ。なみなみと貯まった液体は《レア・ソルト》溶液となっており、〈オオノヅチ〉にとってはそれは濃硫酸と同じようなもの。
「お姉ちゃんも助かる……〈オオノヅチ〉も倒せる……一石二鳥ってワケですね……」
泰奈もこの作戦に賛成のようだ。活路を見いだし笑顔がこぼすが、その一方で火夏の表情はどこか疑問に満ちた表情をしている。
「でも! それならスナイパーのムウさんがやった方が……オレの技術じゃ、上手く弾を命中させられるかどうかわかりません! 」
「俺じゃ駄目なんだ。見ろ」
ムウが右手を差し出すと、火夏はそれを見て唾を飲み込んだ。彼の熊のような手は真っ赤に腫れ上がり、小刻みにぷるぷる震えていたからだ。
「ムウさん、これは……」
「泰奈ちゃんのグローブを無理矢理引きちぎった時……ちょっと痛めちまったみたいでな……こんな手じゃ狙撃なんてとうてい無理だ」
研究所にて泰奈の両手を拘束した金属グローブを破った際、さしもの彼もそれなりの代償が必要だったようだ。ナイフや拳銃による近接武器を扱うことはできても、大型ライフルによる精密な射撃は不可能に見えた。
「それなら他の《ハンター》に……」
火夏はライフルを返却しようとするが、ムウは負傷した手を突き出してそれを拒んだ。
「違う! 俺は[ここにお前しかいない]から頼んでいるワケじゃない! [ここにお前がいるから]頼んでいるんだ! 」
ムウは痛む両手を火夏の両肩に乗せ、父親が子供を諭すような声で語りかける。
「昨日ココでお前は〈G・スラッグ〉に襲われかけていただろう? その時お前はハンドガンを撃って抵抗した」
「でも倒せなかったです……」
「ちがうぞ火夏! 俺はしっかり見ていた! お前が撃った弾は全て命中していたコトを! 」
「命中……!? 」
「ああ! あんな土壇場で、普通ならオロオロ動揺して狙いなんてロクに定められん! それをお前はやり遂げた! お前には技術と勇気がある! 」
ムウに励まされてなお火夏は無言を貫いていたが、その視線が徐々に〈オオノヅチ〉の方へと向けられていたことをムウは見逃さなかった。彼はそれを、火夏の闘志の花が開かれたサインだと受け取った。
「いいか火夏。ここからだと距離が近過ぎて威力が強すぎる。北側の2階客席まで離れて、なおかつ菜久瑠さんを避けるようにカプセルの端を掠めるんだ。そうすれば中の圧力で内側から割れるハズだ」
「……オレに、できるでしょうか……? 」
「正直かなり難しい……でもお前ならできるハズだ。昨日姉者を助けた時のように」
火夏は数秒の逡巡の後、力強く立ち上がってライフルを背負う。
「わかりましたッス! ……猿飛火夏……菜久瑠さんの救出と〈オオノヅチ〉殲滅の命、バッチリ遂行してきます! 」
闘志をみなぎらせた火夏の言葉に、ムウも口端を緩める。放屁で仕事を解雇されるような男の姿は、もはやここにはいなかった。
「行け火夏! 今しかチャンスがない! 急ぐんだ! 」
「はいッ! 」
火夏はそのまま振り返って北側2階客席を目指し、まだまだはびこる〈ノヅチ幼体〉の姿に一切ひるむことなく突進する。ムウは黙ってそれを見送っていた。
「ムウ……私よりお前の方が人の上に立てそうな気がするぜ」
彼らのやり取りを横目で見ていたリトナがそう言ってニヤリと微笑み、ナイフを彼に手渡した。
「謙遜するなよ。俺は側にいた人間に影響を受け安いタチってだけさ」
ムウは渡されたナイフを横一文字に振って泰奈に飛びかかろうとしていた〈ノヅチ幼体〉を切り裂く。
リトナは十八番の銃剣を取り出し泰奈の前にどっしり構える。二人の達人による流れるような動きは、王妃を護衛する騎士のような貫禄があった。
「泰奈。もうすぐ〈オオノヅチ〉にデカい隙が生まれる。それまでに調子を整えることはできるか? 」
「はい! 何とかできます! 」
泰奈は強く意気込んで塩のタブレットをかみ砕く。
「火夏が菜久瑠さんのカプセルを割れば、《レア・ソルト》を飲み込んだ〈オオノヅチ〉は必ずパニックを起こし、防御形態を解くだろう。そこできみの《塩陣》をたたき込むんだ」
「お前の姉貴のことは私達にまかせてくれ! 放り出されたとしても必ずキャッチしてやるからよ! 」
波花姉弟の言葉に対し、泰奈は「はい! 」と一言。今となっては彼女にとっても、波花姉弟は姉の命をたやすく委ねられる存在となっていた。
「それにしても、火夏くんは大丈夫でしょうか? 」
しかし火夏に対しては、泰奈は力量的な面において未だに不安を隠せずにいる。
「安心しな。俺はイザという時のアイツ集中力を信じてる」
ムウのサングラス越しの澄んだ瞳からは一切の迷いがなかった。今は全てを信じるしかない……泰奈は覚悟を決め、最高の塩技を繰り出す為に心身を整えることにした。
■ ■ ■ ■ ■
ムウより大任を担った火夏は、重い大型ライフルを背負いながら〈ノヅチ〉を払い退けつつ走り続け、ようやく北側2F客席の見渡しの良いポジションに位置取ることに成功した。
「ハァハァ……この位置なら距離も良し! 視界も完璧だ……と思う」
火夏が狙撃ポイントに選んだ場所は、中央コートを見下ろせ、視界と銃撃を遮る障害物も少ない絶好の場所だ。しかしそれが工事の遅れによって未だに組まれたままの足場だというところが少し皮肉でもあった。
「よし……やるッスよ! 」
火夏は金属板の足場の上に腹這いになり、伏せ撃ちの体勢を作る。
「バットプレートはしっかりと肩で固定……コッキング……狙い定め……風向き……風力を加味……調整……」
自宅でネット動画を見ながら、モデルガンを使って何度も反復練習したライフルの操作手順を、一人で呟きながら再現する火夏。初めて触った本物のSDMソルバレットSR99。その威力は対〈G・スラッグ〉に特化されたといえど、アスファルトを砕くほどの破壊力を持ち合わせている。 夢にまでみた憧れの兵器。しかし事態は裸足で逃げ出したくなるような現実。
本当にオレなんかが撃っていいのか?
本当にオレなんかに任されていい仕事なのか?
本当にオレなんかに可能なのか?
次第にわき上がるプレッシャーは、火夏の指を震わせ、口内を乾燥させた。そしてそれらに引きずり出されるように、鼓動までもが激しくリズムを刻み始めた。スコープを覗いて得られる視覚情報にも、ミストがかったぼやけが生じる。
ヤバイ……このままじゃ……絶対に……
極度の緊張に襲われた火夏。つま先を「フン! 」と足場に振り落として、その痛みでどうにか集中力を保とうとするが、それは未遂に終わった。なぜなら……
「う……ウワアァッ!? しまった! 」
絡みついていたからだ! 幼体が! 〈ノヅチ幼体〉が火夏の右足の動きを封じるように、その醜悪な粘液をベットリと塗りたくっていたからだ。このままでは狙撃どころの話ではない。火夏はとにかくライフルを手放して〈ノヅチ幼体〉を振り払おうとした。
「離れろォ! 」
左足で蹴り剥がそうとするも、なかなか上手くいかない。こんなとこをしている場合ではないのに! と焦る心と裏腹に、幼体はいよいよヤスリのような牙で足首に噛みつこうと大きく仰け反った。
「うッ……」
するどい痛みの襲来を覚悟して目を閉じてしまった火夏だったが、不思議と足首からの痛みはなかなか伝わってこない。なんで? 瞼を開けると。まとわりついていた軟体は爆発四散していて、粘液で小さな水たまりを作って消えてしまっていた。
「あ……あなた達は……」
一瞬では状況が飲み込めなかった火夏だったが、寝そべる彼の体を覆い隠す三つの山の影の見覚えに、思わず頬をゆるませた。
「火夏。よくは分からんが、お前は今大役を背負っているってコトだな」
「大事な役割だ」
「まさに重圧」
その影の正体は、ご存知ツーブロック三兄弟。火夏に襲いかかった幼体は、彼らによって一瞬で駆除されていた。
「ありがとうございます一郷さん! 荷御さん! 佐渡さん! でも、なんで? 」
「んなことはどうでもいいだろ! とにかくコイツらは俺らに任せてお前は自分の仕事に集中しろ! 」
一郷の言うとおり、今は悠長に話をしている場合ではない。仲間の血の匂いを嗅ぎつけたのか、数十匹の幼体の群がこの足場を目指して集まってきたからだ。
「火夏、安心しろ。アイツらの粘液一滴、お前の体に触れさせないからな。それに……」
一郷は愛用の鉄槌型対〈G・スラッグ〉兵器を構え近付く幼体達をヒシッと見据える。
「前に言っただろ? 危なくなったらスグに駆けつけて助けてやるってな」
火夏はその時、体の内側から沸々とした熱を感じていた。それが三兄弟からの労いに感極まったモノなのか、それとも期待を背負わされた緊張からなのか、あるいは万全の状態で仕事に向き合うことが出来ることへの武者震いなのかはわからなかった。しかし、今はそれでいい。その答えは笑顔で明日を迎えられたその時にわかればいい。
「ありがとうございます! 」
火夏は、援護を三兄弟に託して再び寝そべり、狙撃体勢を作った。もはや彼の心の中には、塩一粒ほどの迷いもなかった。
スコープを覗き標準を定める。カプセルの中の月塩菜久瑠は今なお眠り続け、悠久の時を過ごしている。彼女を起こすか、それともさらに深い眠りに追い込むかは火夏が放つ弾丸次第だ。
今の火夏は周囲の喧噪ですら耳に入っていない。彼の脳内には、真っ黒な空間に針金で作られた長方形の檻の中に、自分と菜久瑠カプセルだけが閉じこめられているようなビジョンが作り上げられていた。彼は自分自身を俯瞰して観察し、狙撃の最終調整に取りかかっている。
風は今のところほぼ無風……標的は静止……今しかない……今やるしかない……
火夏は魂を幽体離脱させて、自分の肉体を操り人形のように糸で動かすイメージで、引き金に掛けた指に力を入れる。
「ショータイムだ! 」
引き金を引き、装填されていたスパイラルバレットの汎用塩弾が「バシィッ! 」と放たれ、一つ瞬きをする僅かな時間の直後……
中央コートに鎮座していた〈オオノヅチ〉が突然我を思い出したかのように暴れだしていた。
『グギュオオオオオオオオッ! 』
火夏によって放たれた弾丸は、その狙い通りカプセルの端を掠めるように命中し、それによって生じた亀裂が内部の圧力によって瞬時に広がり破裂。直後に《レア・ソルト》がたっぷり溶け込んだ液体一気に漏れ出し、〈オオノヅチ〉の体内に流し込まれていた。
狙撃は成功した。
『ウオグオオォォォォッ! 』予期せぬ激痛に悶え暴れる〈オオノヅチ〉。喉奥に熱々の激辛カレーを流し込まれたような苦痛に、脚をもつれさせて転倒してしまう。そして地震と勘違いするほどに大きく地面を揺らした衝撃で、大口にスッポリとハマっていたカプセルはとうとう外れ、その中に閉じこめられていた月塩菜久瑠もスポンと放り出されてしまった。
「あぶねえ! 」
それに瞬時に反応した波花姉弟が菜久瑠を二人がかりでキャッチ。地面への激突を見事に回避させた。
「お姉ちゃん! 」
リトナとムウによって抱き抱えられた姉の姿を見た泰奈は、思わず駆け寄って窶れ果てた彼女の両肩を力強く揺すった。
「お姉ちゃん! しっかり! 」
「大丈夫だ泰奈! しっかり息をしてる! それより頼む! 」
「……! はい! 」
姉に命が保証された今、泰奈に背負われた責任の重圧は羽毛布団が如く。思わず全ての勝利を確信し、笑顔を作りながら《塩陣》の構えに入る。
「風路よ! 我が塩陣を導き給え! 」
指の第一関節より上の部分だけを合わせる独自の合掌を作り、《塩陣具》の気筒より大量の蒸気を噴出させ、塩技の序章を奏でる。
長かった……ここまでの2年間……本当に長かった。何度も諦めて逃げてしまいたくなったけど。今ようやく報われる時が来ました。泰奈に過去に戻る力があれば……その時の自分に伝えてあげたいな……
必ず苦労は報われる。って……
「〈オオノヅチ〉……その穢れ……再び清めてあげます! 」
周囲の空気が泰奈に向かって圧縮するように吸い込まれ、青白い光を発する!
「塩技・刺體霊躯! 」
乾坤一擲の一撃は、落雷の如き閃光と裂音を生みだし。スタジアム中の空気を大きく揺らす。
泰奈が生み出した塩結晶の槍は、大樹を思わせるスケールで、〈オオノヅチ〉の頭部に突き刺さる。
『ウグ……グギュルァアアアア! 』
さしもの〈オオノヅチ〉もこの一撃に対して断末魔のうめき声をあげる他なかった。軟体の体は徐々に溶解を始め、腐臭をまき散らし始める……〈ノヅチ〉の死期が近い兆候だ。
「うおおおおッ! 」巨獣の陥落に、〈ノヅチ幼体〉と抗戦していた《ハンター》の一人が雄叫びを上げて歓喜し、それを皮切りに他の《ハンター》達も〈オオノヅチ〉の倒れる姿に興奮を抑えきれずに次々と叫び始めた。
「やったぁぁぁぁ! 」「よくはわからんが、とにかく倒したぞぉぉ! 」「俺達がやったんだ! 」
そして幼体の駆除に一段落した《ハンター》達が、ぞろぞろと中央コートへと向かい始め、まだ微かに息が残っている〈オオノヅチ〉に駄目押しのトドメを刺そうと武器を構えた。
「やりましたよ! ムウさん! 」その中に混じり、大役をこなした火夏もリトナ達に合流する。
「よくやった火夏! あとはみんなに任せておけ、もうヤツは虫の息だ」
「スゴかったぜ火夏! 手強いヤツだったが、私達にかかりゃこんなモノよ! なァ!? 」
波花姉弟は見事に仕事をこなした火夏をまるで家族のように歓迎する。ムウからは髪質が変わってしまうかと思うほどに頭を乱暴に撫でられ、リトナからは酸欠するかと思うほどにヘッドロックを極められて[かわいがり]を受けた。
「ちょ……苦しいッス……」
火夏は鍛えに鍛えられたリトナの腕に締め付けられて悶絶するも、それとは大きくギャップのある胸の柔らかな感触に、まんざらでもない心地良さを覚えていた。彼もやはり男である。
「おかしい……」
しかし、そんな祝福の空気を吹き飛ばすような泰奈の一声。彼女は溶け朽ちる〈オオノヅチ〉を浮かない表情で睨みつけていた。
「た……泰奈さん? どうしたんスか? 」
「いえ……何か妙だなと……」
〈オオノヅチ〉にトドメを刺した本人である泰奈が神妙な面持ちでいることに、リトナとムウは緊張を抑えきれなかった。
「泰奈、何か気づいたのか? 」
「はい。周りを見てください」
泰奈はそう言って周囲を見渡す。釣られて視線を動かしたリトナ達の目には、客席で残った〈ノヅチ幼体〉とナイフや銃器で戦っている《ハンター》達の姿がある。
「何かおかしいか? 」
泰奈は数秒言いよどんでから意を決して口を開く。
「〈オオノヅチ〉が産んだ幼体の数が……急に少なくなった気がするんです……」
「なに? 」
確かに言われてみれば、あれだけ恐怖と混沌を導き出した〈ノヅチ幼体〉の数が、今では視界に2~3匹ほどしか確認できない。
「みんなやられちまったんじゃねぇか? 」
「それにしても……あまりにも少ないです。あと100匹くらいは残っていてもよさそうなのに」
「言われてみりゃ……そうかもしれんけど……」
不安を一向に払拭できずにいる泰奈をよそに、他の《ハンター》達は瀕死の〈オオノヅチ〉に群がり、各々《レア・ソルト》が装填された武器を向ける。念には念の過剰攻撃だ。
「よっしゃ! 一斉に塩分をブチ込んでやれ! 高血圧でくたばるまでな! 」
《ハンター》の一人が号令をかけると、十数人の《ハンター》達による確実な勝利の一撃が見舞われようとしていた。
『ウゴォォォォォォォォォォォォッ! 』
しかしその直前、微かに呼吸をすることがやっとの状態だった〈オオノヅチ〉が、突然豪声を上げ始めた!
「なんだッ!? 」「いきなり吠えた? 」
蝋燭の最後の灯火か? イタチの最後っ屁か? 巨獣の叫びは今まで以上の音圧で、スタジアム周辺に建ち並ぶビルの窓ガラスまで振動するほどだった。
「ちょ……ちょっと待ってください! アレはもしかして! 」
皆が予期せぬ状況に狼狽えるなか、火夏がかろうじて[ある異変]に気がつき焦る。
火夏の視線の先には、泰奈が案じていた〈ノヅチ幼体〉の群れがあった。200匹前後と思われるその集団は、その軟体を器用にしならせて飛び跳ね、〈オオノヅチ〉の方へと向かってくる。しかもその体に大きな変化を携えて……!
「おいおいおい! やばいぞ、あいつら[アレ]が目的だったのか!? 」
その変化は誰が見ても瞭然だった。〈ノヅチ幼体〉の体はシンプルに[大きくなっていた]のだ。それも元の体の3倍近くだ。その理由をリトナは瞬時に理解し、これから起こり得る得体の知れない恐怖に対して背汗をたっぷりとかいた。
あいつら……スタジアムの物陰に隠れながら[鉄骨]をたっぷり食ってやがったんだ!
「止めろォォォォッ! よくわからんが絶対にそいつらを〈オオノヅチ〉に近づけるなァァァァ! 」
とにかくリトナの頭には「あのチビスラッグを〈オオノヅチ〉に近づけちゃマズイ! 」と本能的に感じ取っていた。
『フグルシュルルルル! 』
しかしリトナの叫びも虚しく、体を膨れさせた〈ノヅチ幼体〉は奇声を上げながら迷い無く《ハンター》達に突進して蹴散らし、次々と〈オオノヅチ〉の体表に飛び乗って行く。
「マズイです! まさか〈オオノヅチ〉は! 」
泰奈は大急ぎで《塩陣》を展開させようとするも、先ほどの全霊を込めた一撃で疲労していた体では、瞬時に塩技を放つコトができなかった。
〈オオノヅチ〉の体表に密着した〈ノヅチ幼体〉達は、粘液をまき散らしながら次々と体を自ら溶解させていく。すると〈オオノヅチ〉の体が徐々に肥大していき、塩技によって負わされた傷もどんどん再生させていく。
『ウギュ……グルォォォォ! 』
「なんてこった……あのデカブツ……幼体を産み出した本当の目的はコレだったのかよ……」
そう、〈オオノヅチ〉は養分である金属をたっぷり蓄えた我が子を[喰らい]体内に取り込んでいた……
『グギュグラアァァァァァァァァッ! 』
〈オオノヅチ〉はあっという間に全ての幼体を吸収して完全回復。さらにその体を吸収前より巨大化、体長はおそらく……
30mを越えている。
「嘘……スよね……」
「火夏……俺もそう思いたいところだ……」
「……お前の先祖はどうやってコイツを倒したんだよ」
「泰奈も知りたいです……」




