「第十八章 想定外」
「見たかい? すごい迫力だろォ? ここまで育てるのは苦労したんだよォ? 今ではここまで立派に大きくなってくれてねェ、卵もよく産んでくれるんだァ……感無量だね」
野民は両手を大きく広げてガラスの向こう側にそびえ立つ〈オオノヅチ〉を見せつける。まるでオーケストラの指揮者になったかのような得意げな表情だった。
『ウグッッグギュアアアアッッ! 』
〈オオノヅチ〉の咆哮はジェット機のエンジン音に匹敵し、ロケット砲程度ではビクともしないであろう強度のガラス壁でさえヒビが入ってしまうのかと恐れるほどだった。
「うッ……く、耳栓をするのを忘れていたァ……しかし、素晴らしいだろォ? このサイズ! この凶悪さ! この無双さ! この絶対感! 」
野民が興奮して語るように、〈オオノヅチ〉の醸し出す存在感は他に例えようがなかった。
円形の口や、一対の触覚を携えている点は、他の〈G・スラッグ〉と変わりはなかったが、粘液を纏った皮膚はゴムのような質感を思わせ、銃撃や斬撃でさえ吸収して無効化してしまいそうだった。
そして特筆すべきは、体型の異形さだ。体長はおそらく20mを越える巨体でそれだけでも驚異なのだが、他の〈G・スラッグ〉と決定的に異なる特徴を〈オオノヅチ〉は備えていた。
尻尾が二本に枝分かれしていて、くるりと上方向に回転し、そのまま地面に突き刺さるように延びていた。つまり〈オオノヅチ〉は一対の[脚]を持っているのだ。
「みんな〈オオノヅチ〉の脚に興味津々みたいだねェ……脚の進化は知性の進化。この子が他の〈G・スラッグ〉とは一線を画す存在だということがよく分かるだろォ? 」
「知性の進化ですか……」
泰奈は野民の言葉を聞き捨てることが出来なかった。
「よく分かっているじゃありませんか野民さん。だからこそ、あなた如きに〈オオノヅチ〉を扱うことなんて出来ないんです! 取り返しの付かないコトになる前に、泰奈とお姉ちゃんを解放しなさい! 《塩陣》でこのモンスターを再び《核》に戻します! 」
泰奈は必死に通告するが、やはり野民の耳には届かない。彼は「ハハッ 」と鼻で笑い捨てた。
「〈オオノヅチ〉を完全に消すことも出来なかったくせによく吠えるなァ……《核》を塩漬けにするしか能のないオカルト風情が偉そうに」
「あなたはその低能なオカルト風情が生み出した《レア・ソルト》で金儲けをしているんですよ? 所詮あなた達は泰奈達がいなければ何も出来ない、甘えん坊のオネショ垂れですね」
「オ……オネショ……だと? 」
火夏達は思わず泰奈の煽りに笑いを堪えることが出来なくなり「ブフッ 」と吹き出してしまっていた。リトナに至っては大声で笑い出す始末。
「こ……このォ……クソ……ッ! 」
野民は再び感情を押さえ込むことが出来なくなったようだ。部下から端末をひったくると、真っ赤に染まった形相で液晶画面をタッチし続ける。
「所長! 待ってください! それだけは! 」
部下の一人が焦って野民の行動を止めようとしたが、彼はそれを聞き入れずに操作を続ける。
「止めるな! 」
野民は液晶画面に手の平を乗せて操作を完了させた。それが指紋認証のロック解除であることは、離れて見ていた火夏達にも一目瞭然だった。つまりは、それほどに緊急的・及び危険な動作を行ったということ。
「なんてことを……! 」と、思わず野民の部下が口に漏らした。その直後、野民達とスラッグ牧場とを隔てるガラス壁が轟音と共に上方向に引き上げられ、1mほどの隙間が出来上がった時点でようやくその動作が終了した。
「なんの真似ですか! 」
「ふふん……泰奈ちゃん。キミのせいだぞ? さっきから癪に障る《ハンター》くずれ共にこれ以上デカい口を利けないようにする為にねェ……これからちょっと〈オオノヅチ〉ちゃんの餌になってもらおうかと思ってねェ」
泰奈の顔から血の気が引いた。それは火夏達も同様だった。
「フフ……それじゃ猿飛火夏くん。キミから〈オオノヅチ〉のカロリー源になってもらおうかなァ? 」
「え……? ちょッ! マジッスか! 」
突然の指名に慌てる火夏を、野民の部下達が容赦なく引きずり、ガラスの向こう側へと押しやった。
「ヤメロォォォォッ! 」「火夏くんッ! 」「火夏! 戻ってこい! 」
リトナ達の叫びもむなしく、火夏が元の場所に戻る暇なく、無情にもガラス壁は下降して元通りに分断されてしまった。
「う……これは激マズッスね……」
スラッグ牧場に放り込まれてしまった火夏は、恐る恐る振り返って現状を改めて把握する。
『グギュアアアッ! 』『ガグュアアアアアアアアアッ! 』『グギョオオオオッ! 』
聞く人間によっては、何かしらの機械の起動音かと勘違いするであろう叫び声が、火夏を歓迎した。ここには〈オオノヅチ〉だけではなく、無数の養殖された〈G・スラッグ〉もいる。
「ヤバイッスよこれは……! 」
今の火夏は、対〈G・スラッグ〉兵器も持ち合わせていない、ましてや《塩陣》を使えるワケでもない。ただの平凡な青年だ。
『ウボォギュアアアアッッラ! 』
「ひいッ! 」
為す術なく、火夏はガラス壁を何度も拳で叩いてもう一度壁を引き上げるように助けを求めるも反応は無し。向こう側で高笑いする野民の姿と、何とか武装兵達を振り払おうとする波花姉弟。そして思わず涙を流しながら何かを訴えかけている泰奈の姿を確認出来ただけだった。
ああ、オレ……多分ここで死ぬんだな……
火夏は死を目前にして、全てを受け入れた瞬間、自分でも驚くほどに冷静になっていた。何一つ自信を持てなかった人生だったが、最後の最後で自分の為にここまで必死になってくれている人間がいるのだと分かって、それで全てに満足してしまっていたのかもしれない。
「……すみません、オレはここまでのようッス……リトナさん、もっとあなたと一緒にいたかった。ムウさん、こんなオレに色々と気にかけてくれてありがとうございました。泰奈さん、危険だと分かったら一緒に逃げようって約束……守れなくすみません」
火夏はそっと、ガラスの向こう側の三人に向けてそう呟いた。厚いガラス壁に分断されて、その声が届くことはなかったが、彼はそれでも十分だった。
「さあ……〈オオノヅチ〉……どうせやるなら、ひと思いにやってくれ」
彼は自分を見下ろす〈オオノヅチ〉の前に立ち、力強くその顔(と思われる部位)を見つめた。それに答えるように〈オオノヅチ〉も彼を見据え、その大口を開いて向けた。
そしてしばらくお互いにジっと対面し合った直後……
『グギョグアアアアアアッ! 』
大きな叫び声を上げた〈オオノヅチ〉がその巨体を動かした!
触覚を振り回しつつ、鯨を思わせる体を大きく後方に仰け反らし……『ゴオオオオオオンッ! 』と、高層ビルがひっくり返ったかのような衝撃が牧場内に走った!
「ひッ! 」
覚悟が出来ていたとはいえ、あまりの恐怖に目を閉じてしまった火夏だったが、その轟音が鳴り響いたにも関わらず、自分が未だに[生きている]ことに疑問を抱き、そっと瞼を開いて現状を把握する。
「ええッ!? 」火夏はこの時、全く予想していなかった光景を目にすることになった。
『ウグオオオオオオッ! 』奇声を発しながら〈オオノヅチ〉は、体当たりをし続けていたのだ、何度も何度も……[ガラス壁]に向かって!
「お……お前ら! 緊急事態だ! 《レア・ソルトシャワー》を発動させろ! 」
それは野民達にとっても想定外の出来事だった。かつてここまで〈オオノヅチ〉が興奮した姿を、彼らは見たことがなかったのだから。
「おいおい! どうなってんだ!? 」
「やばいぞ姉者! 〈オオノヅチ〉のヤツ……あのガラスをぶち壊す気だぞ! 」
混乱する研究所内。武装兵達も〈オオノヅチ〉に気を取られて泰奈や波花姉弟への拘束を解いてしまっていた。
「リトナさん! あれは何ですか!? 火夏くん、何かしたんですか!? 」
泰奈が詰め寄るも、それに関してはリトナもサッパリ理解できなかった。火夏と対峙した〈オオノヅチ〉が突然彼に恐怖を抱いたように興奮して暴れ出したかのように見えた。
「……姉者……そういえば……! 」そしてその点について、ムウに一つ心当たりを見いだした。
「確か〈飛行型G・スラッグ〉の時も……火夏の姿を見た途端、急に興奮しだしたよな……? 」
ムウの言葉に、泰奈も目を丸くして思い出す。火夏と初めて出会った路地裏でも、突然〈G・スラッグ〉が興奮しだしたことに。
「もしかして……そのせいで〈オオノヅチ〉も……!? 」
猿飛火夏には、〈G・スラッグ〉を引きつける[何か]がある。その確信が3人の中で固まりかけた頃、野民達による緊急対策が実行されようとしていた。
「《レア・ソルトシャワー》起動します! 」
「やれ! 〈オオノヅチ〉もろとも全て溶かしてしまえ! 」
牧場に備え付けられた機関銃からライフル弾が大量に発射され、続けて天井のスプリンクラーから大量の液体が噴出された。
『グオギヤアアアアッ! 』すると次々と牧場内の〈G・スラッグ〉は断末魔と共に見る見るうちに溶解していく。
スプリンクラーで放たれた液体は、言うまでもなく《レア・ソルト》溶液だ。
機関銃で〈G・スラッグ〉の体表に穴を開け、すかさずそこに《レア・ソルト》を流し込み、無力化する。これは野民が万が一の時に備えた緊急装置で、牧場内の〈G・スラッグ〉は全滅してしまうが、確実に危機を回避する奥の手だった。 しかし……
『ウゴッ! ウグオゴゴゴッ! 』
機関銃によって体表が穴だらけになろうとも、《レア・ソルト》の雨を浴びようとも、〈オオノヅチ〉は体が溶けながらも体当たりを続けている!
「おいおいおいおい! もっとシャワーの勢いを強めろォ! 」
「限界です所長! これ以上は何も出来ません! 」
そうこうしている内に、とうとうガラス壁に亀裂が生じ、打ち込まれる〈オオノヅチ〉のタックルの連発で少しずつ……少しずつ蜘蛛の巣のようにヒビの大きさは広がって行き……
『ウオヲヲヲヲヲヲッ!! 』
遂に壁をぶちやぶってしまった。
「やばいぞこれはァ! 」唯一の堤防が崩されてしまい、パニックになる研究所内。武装兵達が対〈G・スラッグ〉兵器でどうにか抵抗するも[暖簾に腕押し]そんな物は全く意に介せず、大蛇のような触覚をしならせて兵士達を一掃してしまう。
「ややや……やむを得ん! 」
その圧倒的な力の前に為す術の無くなった野民は、部屋の隅に取り付けられていた脱出用のカプセルへと急いだ。
「こんなこともあろうかと、用意しておいたんだよォ! 」
日焼けサロンの日焼けマシーンを思わせる形状のカプセルに入り込んだ野民は、残った部下や泰奈達のことなど頭になく、このまま一人で逃走を図ろうとする。後はカプセル内のスイッチを押せば、ロケットのように射出されて地上へと打ち上げられ、脱出成功! となるハズだったが……
「助かったァ……? ああああアーーーーッッッッ!? 」
しかし野民のその行動は大きな失策だった。〈オオノヅチ〉は暴れ回りながら、偶然にも野民の入ったカプセルを丸飲みし、体内に取り込んでしまった。
「やべえぞ! どうにかしねえと、私達も野民とみてえに飲み込まれちまう! 」
「でも! このままじゃお姉ちゃんが! 」
野民の部下達が次々と逃げ纏う中、リトナと泰奈はどうにかして菜久瑠を救出しようと試みるが、両手が未だに手錠で拘束されたままではどうしようも出来ない。
「泰奈ちゃん! 手を出してくれ! 」
「え? ム……ムウさん!? 」
少しの間、泰奈達がその姿を見失っていたムウの両手には手錠が無かった。代わりに彼の右手には、一本の鍵が握られている。
「ムウ! それはどうした!? 」
「どさくさに紛れて野民の部下から拝借した」
「でかしたぞ! 」
ムウはその鍵でリトナと泰奈の手錠を外したものの、泰奈だけにはそれ以外にも《塩陣》の使用を封印する金属手袋まではめられている。
「どうしましょう! ムウさん! 」
「案ずるな。とっておきの方法がある! 」
そう言ってムウは、おもむろに泰奈に装着された金属手袋を掴み、左右に引っ張り始めた。
「おいムウ! いくらなんでもそりゃ……」
「問題ない! うぉおおおおおおッ! 」
こめかみに血管を浮かびあがらせつつ、ムウはなんと、己の筋力だけで泰奈に装着されていた金属手袋を破壊し、拘束を解いてしまった。
「ハァ……ハァ……これで大丈夫だ」
「ありがとう……ムウさん……」
ムウのけた違いなパワーに圧倒されつつも、両手が自由になった泰奈は野民の部下達に押収されていた《塩陣具》を装着する。リトナとムウも、置き去りにされていた各々の武器を拾い上げて〈オオノヅチ〉と対峙した。
『ウヴウォォォォッ! 』興奮が収まらない〈オオノヅチ〉は、大口を開きながら泰奈達の方へと突進する! その先には捕らわれの身の菜久瑠がいる!
「風路よ! 我が塩陣を導き給え! 塩技・醒流津降区! 」
泰奈は〈飛行型G・スラッグ〉の動きを止めた時と同じ塩技を使い、〈オオノヅチ〉の身体を塩結晶の鎖で拘束した。
『ウグ……グアアア! 』身体に火が付いたかのように暴れ回っていた〈オオノヅチ〉が行動出来ずに苦しみもがくが、それも一瞬の出来事に終わってしまう。
『ウオオオオァアアアアアッ! 』〈オオノヅチ〉は《塩陣》など屁でもないとばかりに、咆哮を上げながら鎖を引きちぎってしまった!
「そんな! 」
先ほど泰奈が倉庫内で塩分を使いすぎ100%の力を出せなかったことと、〈オオノヅチ〉の身体があまりにも巨大だったことが原因だった。凶獣を止める術はこれで全て失ってしまった。
『ウグッガアアアアアッ! 』再び暴れ出す〈オオノヅチ〉。ブラックホールを思わせる大口を開けて、泰奈を飲み込もうとした!
「やめろぉぉぉぉ! 」飛び出す波花姉弟。しかし未だにロックが解除されていない武器では戦いようがなく、あっけなく触覚の一撃で突き飛ばされてしまう。
「お姉ちゃん! 」
泰奈はせめて姉だけでも救おうとして、どうにかして球状カプセルを動かそうと、必死に体重をかけて押してみるもビクともしない。〈オオノヅチ〉はすぐ近くまで迫っている。
「泰奈逃げろ! 」「泰奈ちゃん! 」
ダメージを負った波花姉弟が大声を上げるも、次の瞬間、〈オオノヅチ〉は月島菜久瑠の入ったカプセルごと、泰奈を飲み込んでしまった!
「泰奈ァァァァ! 」
目の前で友を丸飲みにされてしまったことで、我を失いかけたリトナだったが「待て姉者! よく見ろ! 」と弟が指差す方向を見て、すぐに冷静さを取り戻した。
「あの野郎……」
泰奈は間一髪、〈オオノヅチ〉の飲み込みから回避できていた。彼女を後ろから押し倒して、その一撃から救った男がいたからだ。
「火夏くん!? 」
「だ……大丈夫ですか? 泰奈さん」
火夏はどうにか無事に生き残っていた。スラッグ牧場に取り残されていた彼だったが、幸運にも機関銃の射撃にも〈オオノヅチ〉の攻撃も身体に受けることなく、ガラス壁の向こう側から生還を果たしていた。
「無事だったか火夏ッ! 」
リトナ達は火夏の生存に喜び駆け寄るも、まだそれには早すぎる状況だった。
「お姉ちゃんは!? 」
泰奈が慌てて立ち上がり、〈オオノヅチ〉を見上げると、その大口がピッタリ塞がるように透明な球体がはめ込まれていた。無論、それは月塩菜久瑠が閉じこめられているカプセルだ。不幸中の幸いにも、彼女は〈オオノヅチ〉に飲み込まれることなく、間一髪のところで生存を果たしていた。
「お姉ちゃぁぁぁぁぁぁん! 」
しかし、妹の叫びも空しく〈オオノヅチ〉は月塩菜久瑠をくわえたまま壁をぶち抜き、泰奈達の元から逃走してしまった。
「やばい……! 〈オオノヅチ〉を追うぞ! 泰奈のお姉さんが危ない! 」
リトナは火夏の手錠を外して走り出し、〈オオノヅチ〉を追う。火夏も「はいッ! 」とそれに続き、ムウも弱った泰奈を背負いながら追いかけた。
「それにしても火夏っ! お前……何かしたのか!? 」
リトナは火夏に走りながら質問する。
「な……何って……何のコトですか? ……」
「〈オオノヅチ〉がいきなり怒り狂って暴走した時だよ! お前、〈飛行型G・スラッグ〉の時もそうだったけど、どうしてそうなるのか分からんのか!? 」
「すみません! それはオレにも何がなんだか……とにかくオレが〈G・スラッグ〉に近づくと、いつも興奮して暴れだしちゃうんです! だから《ハンター》をクビになっちゃんたんですよ! 」
「火夏くん! それって本当? いつもそうなの? 」ムウの肩越しから、泰奈も火夏に声をかけた。
「はい。泰奈さんと路地裏で遭遇した〈G・スラッグ〉も同じです。オレを見た途端に突然動きが活発になって……」
その言葉に、泰奈は何か思い当たる節があったようで、神妙な顔つきで少し考え込んだ。
「もしかして……〈ノヅチ〉が火夏くんを怖がっているのかも……」
「何か知ってるのか? 泰奈」
「いえ……でも何か心当たりが……とにかく今は〈オオノヅチ〉を追いましょう! お姉ちゃんを死なせる前に! 」




