「第十六章 野民」
火夏達の目の前に突然現れた〈G・スラッグ〉は、二本の触手をゆっくりクネらせながらジワジワと腹部を蠕動させて距離を詰め始めた。
「なぜ? なんでここに!? 」目の前の〈G・スラッグ〉には謎が多かった。
どうやってセキュリティの堅牢なこの場所に現れたのか? それにこの倉庫内は密室で、空調ダクトを除けば蟻一匹忍び込む隙間すら無かったハズだ。仮にコンテナや箱の陰に隠れようにも、5m級の巨体を持った〈G・スラッグ〉には、そんなことは到底無理な話だ。
『グボ……グボグラグフフブ! 』
しかし、現にこうして〈G・スラッグ〉が火夏達の前に現れ、気味の悪いルックスで襲いかかろうとしている。
「クソ……やっかいなコトになっちまったぜ……」
リトナは持参していた銃剣を構えるも、今までのように威勢良く飛び出し、〈G・スラッグ〉に攻撃を加えることなく、ただじりじりと相手の出方をうかがっていた。
そしてそれは波花ムウも同じく、愛用の大型ライフルを素早い手つきで専用ケースから取り出すも、構えて標準を合わせるだけで一向に射撃する気配は無い。
「ムウ……! 」
「迷っている時間など無いな……」
波花姉弟が攻撃に躊躇しているのには理由がある。それは彼らが武器を使う際に必須となる《グリップ》が原因だ。
《グリップ》が無ければ、銃剣やライフルを初めとする、対〈G・スラッグ〉兵器の引き金を引くコトが出来ない。しかし、その《グリップ》の電源を起動したが最後、使用者の位置情報はすぐさま集会所本部へと送信されてしまうのだ。
そうなれば、彼らが今現在秘密裏に集会所地下に潜っていることがバレてしまう。
しかし、このまま目の前の〈G・スラッグ〉を放っておけるハズもない。自分達に危機が及ぶことはもちろん、このまま地上へ逃してしまっては多くの人々が傷つくことになる。
「くそッ! 」
リトナとムウはほんの僅かの時間だけ躊躇したものの背に腹は替えられず、《グリップ》を各々の武器に差し込み、電源を起動させた。あとは発信された信号を受け取った本部が、《グリップ》のトリガーロックを解除するのを待つだけだったが……
「なぜだ!? ロックが解除されねぇ! 」
「姉者! 俺の銃も同じだ! 」
「オペレーター! 応答しろ! 集会所地下に〈G・スラッグ〉が現れた! 《グリップ》の使用許可を求める! 」
ライセンスを得た《ハンター》には《グリップ》と共に本部との情報交換をするための、耳栓式ワイヤレスイヤホンと喉に巻き付ける為のマイクが支給される。それは《グリップ》の通信機能と連動されており、《グリップ》の電源を入れて武器に取り付け時点で、自動的に本部と音声による通信が出来るようになる……ハズだったが……
「至急に許可を求める! 至急! ……クソッ! ウンともスンとも反応がねえ! 」
「本部! どうか応答を! 」
何度も本部に通信を取ろうとするも、一向に武器の使用許可が下りず、波花姉弟は困惑する。このままでは二人の愛用武器も、ただの金属の固まりに過ぎない。チンピラを脅すことは出来ても、目の前の強大なナメクジを打ち倒すことは不可能である。
その様子を見ていた火夏も「おかしいな……地下とはいえ、本部である集会所の真下で、ここまで連絡が取れないことなんてあるのか? 」と、不思議がっていた。
「みなさん! 下がっていてください! 」
波花姉弟の事情を察したのかもしれない。泰奈は《塩陣具》を起動させて〈G・スラッグ〉の前へと走り寄り、倉庫内に潮の香りを漂わせた。
「泰奈さん!? 」「泰奈! 」
泰奈は《塩陣》を展開させ、塩結晶で空中に六角形の透明な盾のような物を大量に作り上げ、〈G・スラッグ〉の周囲を囲った。それは〈G・スラッグ〉の触手攻撃を妨げる衛星となる。
「塩技・阻流人磅! 」
〈G・スラッグ〉が振り回した触手は無数の盾によって阻まれ、盾に触れる度に蒸発と再生を繰り返し、『グボォッ! グフルァァ! 』とうめき声を上げた。
泰奈はこうして塩盾によって防御すると同時に、敵の懐まで一気に距離を縮めた。
〈G・スラッグ〉と泰奈との間は2m……1m……と狭まっていき、いよいよそれは手を伸ばせば届きそうなほどにまで近付いていた。
「これでトドメ! 塩技・刺體霊躯! 」
路地裏で放った時と同じく、泰奈は両手を突きだして巨大な四角推の塩結晶を生み出し、落雷に似た裂音と共に〈G・スラッグ〉の体を貫いた!
『ウグギュアアアアラアッ! 』倉庫の壁一帯にカビが生えるかと思うほどに、醜悪な悲鳴を響きわたらせる〈G・スラッグ〉。その体は蒸気と共に形を崩れさせ、やがて床に残ったドス茶色いシミと、対照的に虹色の輝きを発する塩結晶だけがこの場に残った。
「大丈夫か泰奈! 」
リトナ達が戦闘を終えた泰奈に駆け寄り、彼女の体を支えた。どうやら先ほどの技を使ったことで、いつも以上に体力を消耗しているようだった。「はぁ……はぁ……」と声を漏らしては、肩を上下に揺らし、リトナの支え無しではそのまま膝を付いて倒れてしまいそうだ。
「すまねえ泰奈……私達が不甲斐ないばっかりに……」
「……今のは……仕方ありません……泰奈は大丈夫ですよ……」
「泰奈さん……」泰奈は黙っていたが、火夏にはなんとなく見当がついていた。おそらく、泰奈が放った塩結晶の盾を無数に生み出す術は、他とは比べものにならないほどに体内の塩分と体力を消耗するのだと。
彼女は、この密室内での戦闘をいち早く終わらせる為に、力のコントロールを無視して最大出力で挑んでしまったのだろう。それだけ、この場で〈G・スラッグ〉に出くわしたことは、青天の霹靂ともいえる緊急事態だったのだ。
「ともかく助かった。ありがとう泰奈ちゃん」
「いえ……目の前に〈ノヅチ〉が現れれば、それを浄化する……それが塩陣使いの使命ですから」
目の前で危険な目に遭っている人間がいれば、それを見逃さず、誰であろうと救い出す……《ハンター》も塩陣使いも基本的な理念は同じ。
【祖土邑カンパニー】という柵さえなければ、もっとお互いに協力できる関係だ。しかし、そもそも【祖土邑カンパニー】が《核》を盗み出さなければ、《ハンター》という職業もなく、塩陣使いがこうして体を張ることもなかったというジレンマが生まれ、火夏を悩ませてしまっている。
「それにしてもリトナさん、どうしてこんな場所に〈G・スラッグ〉が現れたんでしょうか? まるで地面から沸いて出てきたみたいでしたよ」
火夏が素朴にして最大の疑問を漏らす。
「私も不思議に思ってたところだよ。それによ、未だに本部と連絡が取れねぇのが不思議だ……《グリップ》の電波状況は悪くねぇのによ。そもそも……今の戦闘であれだけデカい音をまき散らしたのにも関わらず、警報すら鳴らずに誰一人ここに駆けつけてこないのは変だぜ……」
各々がこの状況の不審点を漏らし、頭を巡らせるが、そうしているうちに先ほどの〈G・スラッグ〉襲撃による興奮が冷めて徐々に冷静さを取り戻していた。
そして全員がほぼ同じタイミングで「あ……」と心の中で呟き、ようやく一つの可能性を導きだしていた。
「泰奈さん……もしかしてオレ達……」
4人の顔にはポジティブな生気が失われていた。まさかとは思いつつも、彼らはゆっくりと倉庫内を改めて見渡し始める。
そしてリトナは「くそ……」と悪態をつきながら置かれている現実を受け止めた。
「いつの間に……」
4人は、その時初めて自分達が大勢の人間に取り囲まれていたことに気が付いた。
戦闘服らしき出で立ちの男達が、自動小銃の標準を火夏達に向けつつ、コンテナの陰から一人……また一人と姿を現す。どうやら彼らは初めから、この倉庫のコンテナ内に身を潜めていたらしい。その総数は20人を越え、火夏達は完全に逃げ場を失ってしまった。
「ななな……なんなんスか? こいつらは! 」
「わからん……ただ、私達を単なる不法侵入者として扱っていないことは確かだぜ……」
突如現れた武装集団の装備は《ハンター》とは違い、全てが対人用で明確な[殺意]を放っており、軍隊のように無駄のない隊列を作っている。 その異質な集団に囲まれて冷や汗を浮かべる火夏達に対し、泰奈は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、ふらつく体を精一杯立ち上がらせていた。
「あなた達……あの時の……! 」
「知ってるのか? 泰奈! 」
泰奈は男達の出で立ちに見覚えがあった……いや、もはや彼女にとって忘れることなど出来ない面構えだった。
「この人たちです……〈オオノヅチ〉の《核》を盗んで、お姉ちゃんを誘拐したのは! 」
「何だって!? 」その言葉は、リトナの体を強ばらせた。ここまで泰奈の話だけで聞いていた【祖土邑カンパニー】の暗部に確信を得た瞬間だったのだ。
「その通ォり! よく覚えていたねェ」
突如倉庫内に男の声が響きわたった。
それは武装集団達の重い空気すら滑稽なモノに変えてしまうような、間延びして緊張の無い声だった。
「誰だこの野郎! 」と反射的に威嚇するリトナに呼応するように、武装集団が作る人壁が左右に別れ、その後ろに身を隠していた男の姿がゆっくりと現れた。
その男は痩せの長身で、小学生がノートの端に落書きした棒と丸で作られた人間を彷彿させ、スーツ姿に白衣を羽織っていていかにも理系を漂わせる装いだった。しかし頭には野球チームのロゴが入ったキャップを被っていて非常にアンバランスな見た目をしていた。
「初めまして皆さん。ボクは[野民流斗]……おっと、泰奈ちゃんには[久しぶり]だったねェ。覚えてるかい? 」
野民流斗と名乗った男。彼こそが、は3年前武装集団と共に【月塩神社】を襲撃した張本人。
「忘れるもんか……吐き気すら心地よく思えるアナタの顔を! 」
〈G・スラッグ〉退治でへとへとになっている泰奈だったが、野民の顔を見た瞬間に精一杯の力を振り絞って《塩陣具》を付けた両手を突きだした。
「無駄だァ」
しかし、この時を待ってました! とばかりに武装集団の内二人が飛び出し、泰奈の体に電流を流し込む銃……テーザーガンを撃ち込んだ。
「ううッッ!? 」
「泰奈! 」「泰奈さん! 」「泰奈ちゃん! 」
悲痛な叫びを上げ、泰奈はそのまま地面に倒れ込んでしまった。息づかいが残っていることで命に別状は無さそうだったが、しばらく目覚めること不可能に見えた。
「キサマァァッ! 」怒りに我を忘れたリトナが銃剣を振り上げて野民に襲いかかる。
「うぐああぁぁっ!! 」
しかし、一瞬で距離を詰めて彼の頭部を叩き割ろうとするも、武装兵達によって難なくテーザーガンを体に撃ち込まれ、泰奈と同じく気絶してしまう。
「リトナさん……」「くッ……」
地面に横たわる泰奈とリトナを目の前に、火夏とムウは為す術なく立ち尽くすのみ。怪力と《ハンター》としての技量を持ち合わせても、やはり数の多さには敵わない。
「君達には、紳士的な対応をしてくれることを期待しているよォ」
野民は嫌みをたっぷり含んだニュアンスで火夏達に降伏を促した。武装兵達もゆっくりにじり寄ってくる。
「ムウさん……! どうしましょう……? 」
「……ここは仕方がない……おとなしく繋がれるしかないな……」
「そんな! 」
「フハハハ……さすがはA級だ。状況判断力がすばらしいねェ」
ムウの言葉通りにこのままおとなしく捕まることなど心情的には出来なかった火夏だったが、いくら頭を巡らせてもこの状況は打破することなど不可能に近く、やむを得なく火夏はムウ共々野民達に捕らわれることとなった。




