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「第十三章 合流」

「う……ん……? 」


 時刻は午前10時。


 体が疲れ果てていた影響で、この時間になってもなお熟睡していた火夏だったが、突然体の上に感じる確かな[重み]によって夢の世界から目覚める。


「いてて……」


 いつもの寝起きとは違い、体の節々が痛む感触によって自分はベッドでなくソファーで寝ていたことを思い出す。


 それにしても体が重い……


 そして彼は、その重みの正体が分からないまま、ゆっくりと瞼を開く。


「……ええッ!? 」


 目の前に飛び込んだ重みの正体は……彼の想像の枠から大きくはみ出ていて、思わず腹の奥から大声を上げて驚いてしまっていた。


「……う……ん……」


 ちょっと待て……どういうことだ……!? オレは確かに……昨日……[ただ]同じ部屋で寝ていただけだぞ……? [彼女]はベッド! オレはそこから離れたソファー! 距離があった! [それ以上]のコトはしていないハズだ! 落ち着け! いや! 落ち着くな! 他のコトを考えろ! 冷静になってこの場を理解すればするほど……自分の体が[よくない]状態に陥ってしまう! 


 パニック状態に陥った彼は記憶を撹拌させ、現状を受け入れないように必死だった。


 〈G・スラッグ〉の粘液まみれの巨体。昨晩共に湯船に使った波花ムウの筋骨隆々な肉体……とにかく目の前の存在から遠のくイメージを頭に浮かべる火夏だったが……


 ダメだ……どんな想像をしても、無数に別れた枝を指で追っていけば、必ず木の幹にたどり着いてしまうように……どうしてもオレの体にのし掛かっている存在に結びついてしまう! 


 火夏はさらに思考を深淵へと向かわせ、たまらず鼓動を起きあがるように高鳴らせてしまう……


「お姉ちゃん……」


 う……うわぁぁぁぁっ! 


 そう……仰向けに寝ていた火夏の上に覆い被さっていたのは、紛れもなく月塩泰奈の小さな体だった。

 彼に抱きつくような形になっている彼女は、未だに深い眠りの中にいるようで、時折寝言を口走りにながらスヤスヤと寝息をたてている。


 その様子を見て、今なら間に合う! 今の内だ! と火夏はこの状況を打破する行動に移すことを決意。


 彼はゆっくりと泰奈を押しのけながら体を滑らせ、彼女をソファーの上に残しつつ自分の体だけを脱出させようと試みた。イメージとしては、ハンバーガーを分解せずにパティだけ抜き取る感覚だ。


 いいぞいいぞ……この調子だ……


 徐々に体を滑らせていき、泰奈を独立させることに成功か? と油断したまさにその時……


「……お姉ちゃん……ダメだよ……そんなところ……」


 うわああああッちょっと待って! 


 泰奈は突然寝返りを打とうとし、そのまま火夏の体を転がって床に落下してしまいそうになる。


「やばいっ! 」


 火夏はとっさに彼女の体を受け止め、泰奈が床に激突するのを庇う。


「痛ッ! 」


 泰奈を抱き抱えながら背中で床に着地した火夏は、強い衝撃で思わず声を出してしまい。そのままの勢いで床を転がって今度は火夏が泰奈にのしかかる形になった。


「う……ううん? 」


 さすがの衝撃で目を開く泰奈。その瞳に映る自分の姿を見て「ヤバイ……」と漏らす火夏……


「え…………? 」


 眠っていた思考が徐々に蘇って来た泰奈は、自分が今置かれた状況をようやく理解したようだ





「だ…………ダメぇぇぇぇッッッッ!!!!」





「ぎょえぇぇぇぇーーーーッ!! 」


 本能的に身の危険を感じた泰奈は、昨晩[お尻]を見られてしまった時のように、《塩陣》を使って彼の目を一時的に塞いでしまった! 


「た……泰奈さん! ちょっと……ちょっと待ってください!! 」


 塩の霧が眼球を痺れさせ、涙が止まらない。とにかく彼は手探りで洗面所へと赴き、水で目を洗って視界を確保した。


「ぶわぁッ! 泰奈さん! 落ち着いて! 落ち着いてくださいッスよ…………ってぇ!?」


「ブシュゥゥゥゥゥゥゥゥ!! 」


 その高温のスチームを彷彿させる音には聞き覚えがあった。涙でボヤけた視界でも、その音だけで彼には分かった……すぐ目の前で、自分に襲いかかる絶対的危機が秒読みカウントダウンされているコトに……! 


「まさか……まさか泰奈さん! その両腕につけているモノはぁぁぁぁッ!? 」


風路ふうろよぉぉ! 我が塩陣えんじんを導き給えええ! 」


 泣き声まじりのヤケクソじみた声で唱えられたその呪文は、紛れもなく間違いなく、泰奈が《塩陣具》を装着して本気の《塩陣》を発動させる下準備。


「ちょちょちょちょちょちょ……ちょっと待ッテェェェェ!! 」


 必死になって暴走する泰奈を止めようとするも、混乱した彼女にとってその声は、闘牛の前でフラダンスを踊るに等しい無意味な行為として終わってしまう。


「えええ……塩技! 刺體霊躯えんぎ・していれいくゥゥゥゥ!! 」


「泰奈さぁぁぁぁぁぁん! 」


 鳥が鳴き、道を行き交う人々は熱のこもった空気に包まれ、澄んだ青空はそれらをのっぺり見下ろしている。


 そんな爽やかな街の一角で、けたたましい爆発音が響きわたり、日常が一変した。





 ■ ■ ■ ■ ■





 時刻は午後1時30分。


 月塩菜久瑠を救出、及び【祖土邑カンパニー】の真相究明ミッションの為、波花姉弟は【御土牟市】内のコーヒーチェーン店にて火夏と泰奈の合流を待ちわびていた。


「おいムウ……今何時だ? 」


「さっき聞いてから5分しか経ってないな。1時30分だ」


「遅過ぎねぇか? あの二人。ここで待ち合わせるのは1時のハズだろ? 」


「ああ」


「心配だなぁ、アイツら……やっぱ私らが付いてりゃ良かったかもなぁ……」


 リトナは、待てども待てども姿を表さない火夏達に不安を隠すことが出来ず、氷が溶けきってしまったアイスコーヒーをひたすらストローで回し続けていた。


「落ち着け姉者……泰奈ちゃんは《塩陣》ってヤツを使えるし、ハンターの火夏だってついているんだ。ここはケツをどっしり構えて待っていようぜ」


 リトナは右手を「バンッ! 」と思いっきりテーブルに叩きつけた。一瞬だけ周囲の視線が波花姉弟兄弟に集まる。


「それが心配なんだよ! 火夏の野郎が泰奈になんかやらかしてねぇか不安でしょうがねぇんだよ! ああ、もう……アイツまさか泰奈にも屁をかっくらわしたワケじゃねぇだろうな? 」


 初対面で強烈な臭気の放屁を浴びせられてしまった記憶を蘇らせてしまったリトナは、それを消し飛ばすようにアイスコーヒーを一気飲みした。


「大丈夫だ。火夏は姉者が思っている以上にシッカリしている」


「お前、ヤケに火夏の肩を持つじゃねか」


「曲がりなりにも火夏は姉者のピンチを助けてくれたじゃないか? それに……」


「それに……? 」


「……いや、何でもない。まぁそんなところだ。姉者だって一時は火夏のコトを認めてたじゃないか? 」


「ああ、アイツは確かに命の恩人だ。感謝してるよ……でもな。だからこそアイツには退いて欲しかったんだよ……」


 リトナの表情には憂いがあった。そこには火夏と自分の父親の運命を重ね合わせていることは明らかだった。


 ハンターとはいえ、実力不足で解雇されてしまった火夏の存在は、リトナの中では既に[守るべき一般市民]という認識だった。


 ムウはそんな姉にかける言葉が見つからず、コーヒーをチビリチビリすする仕草で場をごまかし続けた。


「すみません! お待たせしましたァッ! 」


 そんな沈みかけた空気を一新させるように、覇気のこもった声が店内に響きわたった。他の客が煩わしそうに視線を向けたその先には、【鯨亭】のロゴがプリントされたTシャツに身を包んだ猿飛火夏の姿があった。


「火夏ゥッ! てめえ遅かったじゃねぇか! どこで道草食ってやがった! 」


 獣のような俊敏さで火夏の胸ぐらを掴むリトナ。しかし彼は威圧されているのにも関わらず、どこか照れくさそうな顔を作っていた。


「これには……その……深いワケが……」


「ワケだぁ? とりあえずお前の後ろで泣きそうな顔になってる泰奈はどういうコトだ? 」


「それは……その……」


 リトナの指摘通り、火夏の背後には両手で顔を覆って悲壮を漂わせている巫女服を着た泰奈の姿……どう見てもワケありだった。


「吐きやがれ! てめぇ泰奈に何しやがったんだコルァッ! 」


「ちょ! そ……その! 」


 今にも火夏に殴り掛かろうとするリトナ。固く握られた拳がふり上げられたその時……


「ごめんなさい! リトナさん! 違うんです! 泰奈が全部悪いんですよ! 」


 黙り込んでいた泰奈が声を上げた。


「ど……どういうコトなんだ? 泰奈」





 泰奈は待ち合わせの時間に遅れてしまった理由を波花姉弟に説明した。


 泰奈は火夏にセクハラされたと勘違いした時、パニックに陥って住宅内にも関わらずに《塩陣》を発動してしまったのだ。


 巨大な塩の固まりは壁を突き破り、天井を突き抜け、爆発音と共に火夏の部屋を崩壊させた。


 近隣の通報によって警察や消防隊が駆けつける大事になってしまい、焦った火夏は泰奈と共に逃げるように自室を後にした。


 そして、目立つ場所にとどまっては泰奈が危険だと考えた彼は、人目を避けて遠回りして波花姉弟との待ち合わせ場所へと合流するコトに決めた。それ故に集合時刻に遅刻してしまったのだ。



「そ……そうか……二人ともそりゃ難儀だったな……」


「とりあえず、オレの部屋は最上階の角部屋だったので他の住人に直接危害はありませんでした……ただ……」


 皆まで言わずともわかる。火夏はもう自分の部屋に戻ることは出来ない。その上、何らかの損害賠償を被ることも確実だったからだ。


「ごめんなさい……火夏くん……」


「泰奈さん……止めようとしてもこっちの話を聞いてくれなかったから……」


「しょうがないじゃない! 起きたら火夏くんが泰奈の上に乗っかってて……そんなの[ゴニョゴニョ]されちゃうって思うじゃん! 」


 泰奈は悲劇のキッカケを赤面しつつ回想する。


「はじめに乗っかってきたのは泰奈さんですよ! どうしてくれるんスか!? オレのコレクションまでメチャクチャにして! 」


「悪いと思ってるよ! こんなにも! 蒸し返さなくてもいいじゃないの! 火夏くんだって泰奈のお尻をしっかり見てたじゃない! 」


「あれは不可抗力ですよ! 不可抗力! 」


 お互いに感情を表に出し合う火夏と泰奈。昨日まではどこか遠慮している心の距離を感じさせていた二人だったが、今では主張をぶつけ合うほどまでに親密になっていた。


「ちょっと見ねぇ間にずいぶん仲良くなりやがって」


 リトナが少し悪戯めいた口調でそう言うと、火夏と泰奈は苦笑いを作って口論を中断し、視線をそらし合った。


「まぁ、とにかくコレでメンバーは揃った」


 ムウが緩みきった空気を一新させるように素早く立ち上がると、リトナの目つきも鋭く光る。


 30分ほど遅れたものの、彼らはこれより後戻りの出来ないミッションにとりかかるのだ。


「ああ、そんじゃ行くか! 泰奈の姉貴を探しによ! 」

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