第8話 洋上の街
■ケロン直掩艦隊、護衛艦駿河、食堂
襲撃事件から一夜明けた駿河の食堂、その片隅に長机とパイプ椅子が並べられ、机上には10台程の電話機が置かれていた。駿河のクルー達が衛星回線を介して日本と繋がるその電話機を使って、家族や友人との会話に花を咲かせている。
緑の解放戦線によるケロン襲撃が報道発表されたことを受け(無論、クラゲの怪物やイヴの事は伏せられたが)、津川艦長が『家族や友人を安心させてやるように』と訓示した。そのため、休憩時間中のクルー達が臨時に設置された衛星電話機に群がっているのだ。
その中に恭司の姿もあった。
日本との時差は19時間ほど……日付変更線を越え、日本は現在『明日の昼頃』だ。
「ああ、心配ないよ、ピンピンしてるって。……飯? ちゃんと食ってるよ、俺の心配はいらないから、オフクロは自分の心配しろって! もう歳なんだから……ん?」
実家の母親と話している恭司に一人の下士官が近付き、彼の肩を叩く。そしてその下士官は自身の腕時計を示した。
「……ああいや、何でもない。悪い、そろそろ休憩時間終わりだから切るぞ。オヤジと希にも心配すんなって言っといて、それじゃ!」
そう言い残し受話器を切ると、恭司は立ち上がり順番待ちをしていたクルーに席を譲る。そんな彼に下士官が話しかけた。
「三尉、準備出来てます。フライトデッキまでお願いします」
「了解」
恭司はラフな敬礼で応えながら食堂を後にした。
■護衛艦駿河、飛行甲板
フライトデッキに出た恭司は照り付ける太陽の光に目を細めた。季節は夏、大海原のど真ん中、空は快晴……。容赦なく降り注ぐ太陽光に焼かれ、飛行甲板から陽炎が立ち昇っている。
そんな中、甲板上に一機のヘリが駐機していた。白いSH-60K、哨戒ヘリコプターとして長らく活躍した名機だ。現在では後継機のSH-60Lやオスプレイに活躍の場を譲り退役が進んでいるが、今も少数が多目的に使われ続けている。
そんなヘリの前に複数の人影があった。フライトデッキクルーと、同じ第2戦闘艇小隊の南二尉、宗像三尉……そして――――。
「キョージ――ッ!」
誰か女性自衛官に借りたのか、白いワンピースに着替えたイヴが恭司の名を呼びながら『トテトテ』と彼に近寄って来て腕にしがみついた。恭司はそんなイヴを引きずりながらヘリに向かって歩いて行く。そんな恭司を見た南二尉が口を開いた。
「遅いぞ真道三尉。気を抜くな、その子のエスコート、しっかり果たすように!」
「ハッ! 了解しました……って、自分も一応怪我人なんですけど……?」
条件反射的に敬礼し、そして自身の額に貼り付けられた大きな絆創膏を撫でながら恭司はぼやく。すると、宗像三尉が細い目をさらに細めて笑った。
「なーに言ってんスか、そんなのかすり傷っしょ。それより忘れ物は無いスか? ハンカチは持ちました?」
恭司は心底ゲンナリしたように肩を落とす。
「お前さぁ、オフクロみたいなこと言うのは止めろよな…………」
つい先ほどまで衛星電話で母親と話していた恭司にとって、宗像三尉の言葉はダメージが大きかった。我が子を『子ども扱い』するのは父母の習いと割り切れはしても、同僚に同じ様な事を言われるのは堪ったモノでは無いのだ。
そして、そんな3人のやり取りをイヴは不思議そうに眺めていた。
■ケロン直掩艦隊旗艦、空母エンタープライズ、艦橋
司令官用の座席に深く背を預け、トーマス・ウェルズ少将は手にしたタブレット端末を覗き込んでいた。彼の眉間には深い皺が刻まれている。
タブレットに表示されているのはケロン襲撃事件に関する報道発表の詳細や、GLFに対する捜査状況の第一報だ。それらの情報を見ながら、彼は誰にともなく呟いた。
「ふん、ペーパーカンパニーか……。確かに、連中の手口は巧妙で、大胆になってきているようだな」
国防情報局の調査報告によれば、ジュピトリア号を所有する船会社は実体のない会社であるらしい。企業情報に名を連ねている経営陣も、その殆どが偽名だという。
『まったく忌々しい』とウェルズ司令が鼻を鳴らした時、ブリッジクルーの一人が声を上げた。
「スルガよりヘリが発艦。『ゲスト』を乗せ、予定通りケロン海洋研究所に向かいます」
その報告を聞いた彼は、タブレット端末の画面をスワイプし表示情報を切り替える。画面に表示されたのは、海底で救助された人物……今の報告で『ゲスト』と呼ばれた少女……イヴの写真と彼女の身元照会結果だった。
画面に映る少女が何らかの犯罪に巻き込まれたのでは……と懸念したウェルズ司令は、太平洋艦隊司令部を通して環太平洋条約機構加盟国、及び国際刑事警察機構に身元照会を行っていた。無論『海底に埋もれた謎の施設で救助された』という状況の異常性は十二分に理解していたが、それでも考えられる可能性は潰しておきたかった。
近年、多くの内陸国で経済の低迷に起因する情勢不安が問題になっている。特に、かつて『第三世界』と呼ばれた地域……その中でも国内の主要産業育成に失敗した、或いは育成に立ち遅れた国々の治安の悪化は目に見えて顕著だ。
そう言った所ではほぼ例外なく犯罪組織が幅を利かせ始め、組織が仕切る闇市に様々な『商品』が流通することになる。盗品、武器、薬物、そして…………人間。
情勢不安に陥った地域における臓器目的の人身売買は枚挙にいとまがない。ウェルズ司令は、そういった犯罪に画面の少女が巻き込まれた可能性を危惧したのだが――――。
「失踪者・行方不明者データベース照会結果。条約機構加盟国、インターポール共に『該当なし』……か」
照会結果を見て、眉間の皺をより一層深くするウェルズ司令。その時、タブレット端末が電子音を奏で、音声通話の着信を告げる。画面に表示された相手はTFCCにいるはずのジョンソン艦長だ。ウェルズは画面に表示された通話開始ボタンをタップする。
『ウェルズ司令、ジョンソンです。先程太平洋艦隊司令部から緊急通信がありました。今回の襲撃事件と海底の『異常』に関し、視察を行う……との事です』
「視察? 国防総省の役人か?」
誰が視察に来るのか、と問うウェルズ司令。対するジョンソン艦長は(珍しくも)少しばかり言い淀みながら答えた。
『いえ、それが……ワシントン、ホワイトハウスの高官だと……』
このクソ忙しい時に、政治家が賑々しく視察に来るのか……と、ウェルズ司令は頭を抱えた。
■洋上移動拠点ケロン、従業員居住ブロック
ケロンのヘリポートに降りた恭司とイヴは、ケロンの従業員達が暮らす『街』を歩いていた。水に浮かぶメガフロート上に建設されている都合上、綿密な都市計画に基づき、同じ建物が非常に密集して軒を連ねる様子は他では見られない独特のモノだ。しかしそれでも、道路に人と車(従業員用のバスと、物資運搬用のトラック)が行き交い、商店と思しき建物には色彩豊かな看板が掲げられ、所々に植えられた街路樹を見ると、ここが海の上である事を忘れそうになるのだ。
一緒に歩くイヴは恭司の腕にしがみつきながら、しきりに周囲をキョロキョロと見回している。ヘリに乗った時から終始この調子だ……いや、ヘリで空を飛んだ時には彼女のテンションは最高潮だった。短いフライトだったが、彼女はまるで幼い子供のようにヘリの窓におでこをくっつけてはしゃいだ。
そんなイヴを大人しくさせる為、2度ほど『アメちゃんあげるから大人しくしててなー』、『アメちゃん!?』というやり取りをする事になった。
今も、気になるモノを見つけては頻りに足を止めるイヴをアメ玉で宥めながら、恭司は先を急ぐ……。数分後、居住ブロックの中でも病院などの施設が集中しているエリアに入った恭司達の前に、目的の海洋研究所が姿を見せた。
正面玄関を潜り受付に身分証を提示すると『コチラヘドウゾー』と係員に案内される。その後について行った先は、研究所2階の一画。扉を開け室内に入ると、デスクに向かって何やら作業をしていた白衣姿の女性が椅子ごと恭司達に振り返った。
金色のミディアムヘアが目を惹く、そして切れ長の瞳は白衣姿と相まって『怜悧』というイメージを強く相手に印象付ける。
恭司の身体が『ビクリ』と固まった。ここはケロンの海洋研究所、働いているのは米スクリップス研究所の職員達だ。つまりここの日常会話で使われる言語は英語なわけで…………。
「な……、ないすとぅーみーちゅう?」
棒読み英語で挨拶する恭司。目の前の白衣の女性は切れ長の目を更に半眼にしつつ、呆れたように返した。
「日本語でオーケーよ……。ジャパン・ネイビーは派遣される先の言語の研修を受けてるって聞いてたけど、違うの?」
腕を組み、流暢な日本語で話す女性研究者。恭司は冷汗を拭いながら、大きく安堵した。