第7話 アメ玉とアンノウン
■洋上移動拠点ケロン、倉庫ブロック
ケロンの警備員に先導され、ローザを始めとする数名の研究員はケロンの物資倉庫が建ち並ぶブロックに足を踏み入れていた。避難警報が解除されたばかりの為、周囲に人影は少ない……はずなのだが――――。
(海軍……? なんでこんな所に?)
先程から頻繁にすれ違う米海軍の兵士を目で追いながら、ローザは疑問に思う。普段ケロンで軍人の姿を見ない訳ではないが、テロリストの襲撃があった直後に全く被害が無かったこの場所で、大勢の兵士が忙しそうに走り回っているのは奇妙だった。
「ねえ、ちょっと。なんでこんなに軍人が居るのよ?」
先を歩くケロンの警備に疑問をぶつけるローザ、警備の男は『チラリ』と彼女を振り返り答える。
「先程の襲撃時に、軍が何か奇妙なモノを見つけたそうで……ああ、あの倉庫です」
正面に見えてきたケロン最外縁部の倉庫の一つを指さす警備の男。
「『奇妙なモノ』? 何よそれ」
ローザは更に疑問をぶつけるが、警備の男は横に首を振った。
「情報制限がかかってるようでして、それが何なのかまでは聞いていません。ここからは軍の方が案内します、では私はこれで」
そう言い残すと、警備の男はそそくさと足早に立ち去る。それと入れ替わるようにして、海軍の制服に身を包んだ男が近寄って来た。肩章の星と線の数を見るに、この人物は士官……中尉であるようだ。
その海軍中尉はローザたちの目の前に立つと、ピシリと背を伸ばし会釈した。
「お待ちしておりました。早速ですが、こちらです」
海軍中尉はいかにも軍人らしいキビキビとした所作でローザ達を先導しようとする。しかし、『何故ここに海軍が居るのか? 何故自分達が呼ばれたのか?』その疑問が解消していないローザは先刻警備の男にしたのと同じ疑問を中尉に投げかけた。
「奇妙なモノを見つけたって聞いたけど、私達が呼ばれたって事は生物よね? それで、なんで軍がこんなに厳重な警備をやってんのよ?」
中尉は『案内しながら説明します』と歩き始める。仕方なくローザ達はその後に続いた。
「現在この情報は公開制限がかかっていますので、他言無用に願います。お察しの通り、これから見て頂くのは生物です。正確にはその死骸ですが……我々が警備に当たっている事からも分かる通り、只の生物ではありません」
中尉は倉庫の入口に立つ歩哨に敬礼しつつ中に入る、ローザ達もそのまま続く。
「先のテロリストの襲撃時、海中に展開していたニホンのDSCVに襲いかかり、交戦した機体はフレームに軽度の損害を被った……と、聞いています」
その話の内容にローザ達は驚く。
「DSCVに襲い掛かって、被害を出した? 冗談でしょ、ちょっかい出すだけならともかく、軍用装備に傷をつけたって…………ていうか、寒すぎない? クーラーだけの寒さじゃないでしょこれ」
倉庫に入った直後から、ローザ達の体を底冷えする冷気が覆っていた。まるで冷蔵庫だ。
「死骸の保存処置の為です。足元に気をつけてください、所々凍っていますので。……仰る通り、交戦したニホンのタイプ・エイトを始め、我が軍のハンマーヘッド等、DSCVは総じて全高7~8メートル程。その大きさのモノに襲い掛かるというのは『獰猛』で『非常に危険』と言わざるを得ません。……さあ、これです」
中尉が指し示す先、現状使われておらずガランとした倉庫の真ん中に、巨大なハコが鎮座していた。ハコの高さはローザの身長の優に倍以上ある。海底で採掘した資源を運搬するためのバケットだ。バケットの周囲には急ごしらえの鉄パイプ製の足場が組まれ、その上を兵士が忙しそうに動き回っている。
外から伸びてきているらしき何本もの巨大なホースが、バケット内に真っ白な冷気を吐きかけている。間違いなくこれが室温を下げている原因だ。その様子を見たローザの胸中に言い知れない悪寒が走る。
「そこの階段からどうぞ。落ちないように気をつけてください」
中尉の指示を半分以上聞き流しながら、ローザは階段を駆け上がる。そして、バケットの中に納まる『それ』を見た。
「何よこれ…………冗談でしょ?」
海水を満たしたバケットの中、触腕を丸め、そうしてようやく収められたクラゲのような巨大生物――――。
その威容は、海洋生物学を専攻するローザでも『それが何者なのか?』すら判別できないモノだった。既存の生物の近縁種、或いは突然変異種である……そんな推測すら不可能な、全くの未知な存在だったのだ。
彼女の眉間に深い皺が刻まれる。
「こんなの見た事が無い……。クラゲの仲間だとしても、これだけ巨大になるなんてありえない……」
ブツブツと独り言を呟いていたローザは、後から階段を上って来た中尉に矢継ぎ早に質問をぶつけた。
「こいつと交戦したっていうニホンのDSCVの記録は見られる? どんな動きをしてた? 攻撃の手段は? ああ、あとそのDSCV乗りから詳しい状況も聞きたいんだけど……っていうか、有るデータは全部寄越して!」
ローザの気勢に押されたのか、僅かに目を見開きながら中尉は答えた。
「打診します。まあ、ニホン隊からは『可能な限り情報提供を行う』と言われていますので、希望にはほぼ沿えると思います。それと、これはまだ確認中の情報なのですが……交戦したDSCVが海底で常軌を逸した大きさの首長竜の化石と未知の建造物を発見し、そこで女性を一人救助したと…………。更には、その女性がこのクラゲの化け物を『絶望』と呼んでいた、という報告が上がってきています」
その話に、ローザ達の頭上に特大の疑問符が浮かんだ。
「巨大な化石と未知の建造物? 海底で女性を救助? 『絶望』? どういう事よ…………全く」
ローザは髪が乱れるのも気にせず、ガシガシと頭をかきむしった。
■ケロン直掩艦隊、護衛艦駿河、医務室
駿河の医務室に数人の人影があった。その人影は皆、一様に頭を抱えている。その人影の一人、真道恭司三尉は目の前のベッドに腰掛ける褐色の少女に必死に話しかけていた。
「君の名前は『イヴ』でいいんだよな? それで、あのクラゲの化け物を『絶望』って言ったのはどういう意味だ? 君はアレが何か知ってるのか?」
恭司の必死さも空しく、褐色の少女……イヴは『?』と首を傾げるばかりだ。彼女が目覚めてから小一時間、ずっとこの調子だった……言葉が通じないのだ。
「あー、ゆー、ねーむイヴ? で、えーっと……クラゲ。隊長、クラゲって英語でなんて言うんですか?」
そう言いながら、困りはてた表情で恭司は肩越しに背後を振り返った。彼の背後に立つ二人の人物の片方が『はぁ』と盛大なため息を吐く。
「全く、お前はもっと座学に身を入れろと言っただろう。こういう時に困るから語学の研修をやってるんだぞ……クラゲは『ジェリーフィッシュ』だ。というか、この程度は一般常識レベルだろうに」
第2戦闘艇小隊隊長、南健蔵二尉が呆れながら答えると、その傍らに立つ宗像信太郎三尉が続けて口を開いた。
「こりゃぁ大分難儀しそうっスね。恭司サンの英語力が問題外なのは置いとくとして、日本語も英語も通じないってーのは……」
「信太郎ッ! 一言余計だお前はッ!!」
顔を赤くしながら叫ぶ恭司。その声を聞いたイヴが『キョージ?』と更に首を傾げる。宗像三尉の言葉は尤もだった、今までに分かった事と言えばお互いの名前だけなのだ……いや、正確に言えばもう一つ、『言葉が通じない』ということだけ。
「おかしいだろ……DSCVの中で、もっと饒舌に喋ってたじゃないか。名を名乗って、アレを『絶望』だって……」
恭司がガクリと肩を落とした時、医務室の扉が開き一人の士官が中に入って来る。その姿を見、恭司達は反射的に直立し敬礼する。
「か、艦長!? 何故このような所に?」
南二尉の質問に、駿河艦長……津川一佐は『まあまあ』とてを振った。
「ああ、楽にしてくれ。要救助者が目を覚ましたと聞いてな、様子を見に来た。……どうやら事情聴取は上手くいってないようだな」
「はッ、申し訳ありません。なにぶん、日本語も英語も通じない状態でして
……。真道三尉はDSCVの中で彼女と『会話』をしたと言っているのですが……」
南二尉も恭司同様、困り果てた表情で報告する。しかし、津川艦長は特に気にせず軽い調子で答えた。
「あのクラゲといい、海底の巨大化石といい、この娘が救助された異常な状況といい、分からない事だらけだからな……こういう時は焦りは禁物だ。一つずつ不明点を解消していこう。さて……お嬢ちゃん、アメちゃん食べるかね?」
そう言いながら、津川艦長は左手にぶら下げていたビニール袋からアメ玉を取り出し、イヴに差し出した。紙でくるまれ、両側を捻ってリボンの様に包装されたタイプのアメ玉だが、やはりイヴはそれが何かわからないのか、右に左に交互に首を傾げる。
津川艦長は差し出したアメ玉の包装を解くと、お手本とばかりにそのアメ玉を自身の口に放り込んだ。そして、再度ビニール袋からアメ玉を取り出しイヴに差し出す。
その様子を見ていたイヴは見よう見まねで包装を解き、アメ玉を頬張り――――驚いたように目を見開いた。その後、もごもごと口を動かしながら、満面の笑みを浮かべた。正に『ご満悦』といった表情だ。
「艦長……、いつもアメを持ち歩いているんですか?」
南二尉の質問に、津川艦長は『はっはっは』と笑いながら答えた。
「いやなに、要救助者と聞いてな、ハラを空かせているようなら甘いモノを口にすれば少しは落ち着くんじゃないかと思ったのさ。気に入ってもらえたようで何よりだ」
そこまで言った津川艦長は、手にしたビニール袋を恭司に差し出す。
「真道三尉、これは君にあげよう。彼女との良好な関係を維持するように。ケロンの生物学者が貴官と彼女に事情を聴きたいと言ってきているからな」
「はッ! 了解しましたッ!」
恭司は差し出された袋を受け取りながら、胸中で『話がデカくなってきたな』と再び頭を抱えた。