第6話 これより共に
「共に戦う? 絶望を払う? 一体何を言って――――ッ!?」
自身の腕の中に納まる褐色の少女の『声』……その内容に疑問を抱く恭司だが、再びクラゲの化け物が急接近、慌ててフットペダルを踏み込みその攻撃を回避する。僅かな間、恭司は腕の中に納まる少女の瞳を見た……。七色の輝きを放つ瞳は真っ直ぐに彼を見返し、そして少女は小さく、しかし力強く頷いた。
少女は瞳を閉じると『すぅ』と深く息を吸い――――。
「Ah~Ah~~、LaLaLa…………」
とても、とても澄んだ声で歌い始めた。
「なに…………を!?」
クラゲの化け物に襲われているという状況を受け入れられず、少女の気がふれたのか――と、最悪の考えが恭司の脳裏を過る。しかし、その予想は新たな驚きに塗りつぶされた。今まで張り詰め、いつ切れてもおかしく無かった緊張の糸がほぐれ、恭司のメンタルが冷静さを取り戻したのだ。
歌詞の無い、リズムを口ずさむだけの歌だったが、その美しい歌声は『するり』と恭司の心に染み渡り、彼の焦りや緊張を拭い去ってゆく。未だ多くの疑問が恭司の胸中に渦巻いていたが、『今何をするべきか?』という行動指針を定め、『それを成すためにどうするべきか?』という思索を行えるだけの余裕が生まれた。
021と022は無事なのか? 海底作業員は無事に退避できたのか? 確認すべきことはいくらでもある、しかし今はクラゲの化け物への対応が最優先だと結論付け、恭司は八式のモニターに映る化け物を見る。すると――――。
「なんだ? ヤツの動きが鈍い?」
今まで機敏に動き回っていたクラゲの化け物は、今では『泳ぐ』というよりも『ただ浮遊』している状態だ。
「まさか、この娘の歌が……? いや、今は――――ッ!」
恭司はコントロールパネルを操作し、両肩部のランチャーに短魚雷を装填する。
「1番、3番! 対艦用短魚雷発射ッ!!」
操縦桿のトリガーを引き絞ると同時に、八式両肩のランチャーから1発ずつ短魚雷が発射され、ウォータージェットの航跡を曳きながらクラゲの化け物に命中……爆発。しかし、化け物の表皮は思ったよりも弾力があるのか、僅かな傷を刻むだけに終わる。
傷つけられたことで激高したのか、クラゲの化け物は(今までよりも劣るとはいえ)高速で八式に肉薄すると、その長い触腕を機体に巻き付け締め上げてきた。深海での戦闘行動に耐える頑強な八式のフレームと、そして耐圧殻を兼ねるコクピットがギシギシと軋みを上げる。見た目に反する剛腕に恭司は驚く……が、密着しモニターいっぱいに映し出される化け物クラゲの姿、その中心に球形の器官が見て取れた。
八式の投光器に照らし出され、半透明の表皮の内側で真っ赤な球形器官が『まるで心臓の様に』脈動している。
「『いかにも』って感じだな! ならッ!!」
恭司は再度コントロールパネルを叩く、すると八式の左腕に装備された手甲の様な扁平のパーツが前方にせり出し、『バクリ』と二つに割れ巨大なハサミ状に変形した。そのハサミ……近接戦闘用装備『グラップル・プライヤー』を傷口から化け物の体内に捻じ込み、心臓のような球形器官を挟み込む。
深海戦闘艇はそのサイズと頑強さ故、遠距離からの魚雷の撃ち合いでは勝負がつかない事がままある。そのため、近接戦闘用装備が必要とされた。
『グラップル・プライヤー』は最もポピュラーなDSCV用近接戦闘装備であり、巨大なハサミ状のアームで敵機の腕や足を押さえつけ、捻じ切る為のものだ。サーボ・モーターや人工筋肉によって動作するDSCVの駆動系の中で、この装備は威力を重視した油圧式であり、ゆっくりと、だが確実に対象を『握り潰す』のだ。
ギチギチと球形器官が握り潰され、その形を歪める。クラゲの化け物は『ギィーー! ギィィーーーーッ!』と悲鳴の様な鳴き声を上げ、八式から逃れようとするがもう遅い。恭司は機体に巻き付く怪物の触手を、八式の右腕を使って抑えつけ、化け物の動きを封じる。
そして、一際大きな化け物の悲鳴と共に、心臓のような球形器官が『ブチュリ』と握り潰された。途端にクラゲの化け物の身体は弛緩し、八式に巻き付いていた触手も緩んでゆく。
同時に、少女も歌を止める。すると、再び恭司の身体に劇的な変化が起こった。今まで抑えられていた緊張や焦りといった感情が溢れ、動悸が激しくなり、フルマラソンを走りきった後のような疲労感がどっと押し寄せる。
「クソッ! だから……これは、何なんだよ……。やっぱり、君の……歌が?」
『ゼエゼエ』と荒い息をどうにか整えながら、恭司は腕の中から彼を見上げる少女に問う。何故か少女も相当に体力を消耗しているのか、その褐色の肌に玉のような汗が流れ落ちていた。
少女は再びニコリと微笑むと、恭司の額に自身の額を押し当てた。
<見事です、戦士よ。ですが……払うべき『絶望』はまだ……。私はイヴ……これより共に……貴方と…………たたかい…………>
そして、褐色の少女は意識を失った。
「おいッ!? しっかりしろッ!!」
慌てる恭司だったが、少女の胸が上下し呼吸している事が確認できると『ふぅ』と深く息を吐いた。
「本当に、どうなってんだよ…………これは」
どこまでも只管に困惑する恭司。
コクピットのメインモニターに、021と022が接近中との情報が表示された。
■ケロン直掩艦隊、護衛艦駿河、戦闘指揮所
「臨検部隊、ジュピトリア号艦橋、及び機関部を確保! 緑の解放戦線を制圧しました!!」
突入した臨検部隊からの通信をクルーが読み上げる。駿河副長の木崎二等海佐は間髪入れずに別のクルーに問う。
「よし! 海底の状況は? 大規模なガス噴出があったが、作業員は無事かッ!?」
「はッ! 海底で大規模な崩落があった模様。現在被害状況を確認中ですが、作業中だったDSMVは多少の損傷はあるものの、全機無事との事です!」
クルーの報告に、木崎副長は胸を撫で下ろした。
「第2小隊が頑張ってくれたようだな。彼等は無事か?」
今度は津川艦長が問う。
「第2小隊、通信可能圏まで浮上してきました、全機無事です!」
「021、南二尉より入電! 023、真道三尉が…………え?」
第2小隊からの報告を読み上げていたクルーが怪訝な表情になり、思わずといった風に疑問の声を上げた。津川艦長が『どうした?』と先を促すと、そのクルーは一言一句確認するようにしながら躊躇いがちに口を開いた。
「その……023が海底にて未確認巨大生物と遭遇、交戦。これを撃破。更に要救助者1名をコクピット内で保護している……と」
その内容を聞いたCIC要員全員の頭上に疑問符が浮かんだ。いつも落ち着いている津川艦長ですら、方眉を上げ『んん?』と唸っている。
木崎副長が全員の疑問を代表するように声を上げた。
「未確認巨大生物? クジラか何かか? 『交戦』と言ったが…………襲われたのか? いや、それより『要救助者』? 第2小隊は状況開始時からずっと海中に居ただろう、どこでその要救助者を拾った?」
複数の耐圧殻を持ち、海中での救助活動を行う深海救難艇と違い、一つの耐圧殻しか持たないDSCVでは海中で『要救助者を耐圧殻内に迎え入れる』のは不可能だ。海中でコクピットハッチを開けば中に海水が流れ込み、水圧で潰されてしまう。いや、それ以前に海中ではハッチは開かないようになっている。
「……詳しい話は直に聞こう。第2小隊の収容作業急げ」
津川艦長は顎髭を撫でながら、そう命じた。
■洋上採掘プラットフォーム『ケロン』、シェルターブロック
避難警報が解除され、シェルターの扉が解放される。ぞろぞろと外に出る作業員達の中に、白衣を身に着けた一団が居た。アメリカ、スクリップス海洋研究所の職員達である。
深海鉱床での採掘作業において、海底から浮上させるバケットには資源類とは別に、深海生物が紛れている事がよくある。彼等はそのような生物サンプルを回収し研究しているのだ。
海洋開発が大規模に行われるようになって以来、過激さの程度に差はあれ『環境保護』を叫ぶ団体が雨後の筍の様に現れた。海洋開発を進める国々、そしてリオール社をはじめとする資源メジャーは、そう言った批判の声を躱す為の方便として、各地の洋上プラットフォームに申し訳程度の研究施設を併設していた。
そこで働くのは各国の海洋研究所から選ばれた研究者達。彼らも、自身が『開発は海洋生物の研究に資する、環境アセスメントにも留意している』というパフォーマンスに使われている事は理解していたが、それでも貴重な生物サンプルを入手できる事も事実であった。
その白衣の一団の中に、年若い女性の研究者がいた。海風で乱れる金髪のミディアムヘアーを右手で押さえつけ、左手を無造作に白衣のポケットに突っ込んでいる。
そんな彼女に、ケロンの警備スタッフが近付き声をかけた。
「ローザ・アニング博士ですね? 恐れ入りますが、付いてきていただけますか? 見て頂きたい物があります」
「はあ? ケロンの警備が見てほしい物って……何よ?」
ローザは怪訝そうに眉を顰めた。