第3話 水底への誘い
■ケロン直掩艦隊、護衛艦駿河、戦闘指揮所
『カーン、カーン、カーン』と鐘の音が響き渡る。艦隊旗艦エンタープライズから対水上戦闘が発令された事を知らせる武鐘だ。
かつて船上では、乗組員達に時間や状況を知らせるために鐘が使われた。時を告げる時鍾や、戦闘状態に入ったことを知らせる武鐘といったものだ。船上生活者は鐘の音によって目覚め、働き、そしてベッドに身を横たえる。船乗りにとって、鐘の音は生活のリズムそのものと言えるだろう。
現在では実際に鐘を備える船は一部の客船や旧式の船のみとなっている。しかし、たとえ鐘の音がスピーカーから発せられる電子音に置き換わっても、その音を聞けば船乗りの心身は引き締まるのだ。
駿河CICに詰めるクルー達にとっても、それは変わらない。
「最上に打電! 単装砲警告射撃ッ!」
CIC内に津川艦長の号令が響く。日本隊は現在、ヘリ空母駿河を中心とする輪形陣を組み、ジュピトリア号の進路を塞ぐように布陣していた。輪形陣の最後尾には、米海軍ミサイル駆逐艦カール・M・レビンが加わっている。
津川艦長の号令を受け、駿河の左舷……ジュピトリア号に最も近いミサイル護衛艦最上の艦首単装砲が火を噴く。砲弾はジュピトリア号の手前で海面に墜ち、大きな水柱を巻き上げるが、ジュピトリア号は停船するどころか速度を緩める事すらしない。
津川艦長が苦々し気に呟く。
「意にも介さんか……」
「相手は、既に目視でも細部が確認できる距離です。これ以上は……」
木崎副長の言葉を聞き、艦長は眼を閉じ『ふう』と深く息を吐いた。そして再び
命令を下す。
「再度最上に打電。単装砲……船体射撃ッ!」
しかしその命令は復唱されず、クルーの一人がCICの外にまで聞こえそうな大声で報告する。
「ジュピトリア号に動きがありますッ!」
「射撃中止! どうした!?」
津川艦長は射撃命令を撤回し、クルーに問う。クルーは『画像を!』と答え、その場の全員がジュピトリア号の望遠映像を映し出すモニターに注目し、そして同時に目を見張った。
ジュピトリア号の艦橋、その屋上に備え付けられたポールに旗が昇りつつある。問題はその旗の模様だった。
「緑地に翼の紋章……!? 奴等、『緑の解放戦線』かッ!!」
木崎副長が呻く――。緑の解放戦線……通称GLFとは、数ある所謂環境保護団体の中でも最も過激な武闘派であり、つまりは筋金入りのテロリストとして知られる武装集団だ。
組織の規模に見合わぬ潤沢な活動資金を誇り、それにより一線級の装備を数多く揃え、そして構成員の練度も高い……。誰が見ても環境保護団体などではなく、その正体は『海洋開発の恩恵に与れない複数の内陸国が秘密裏に支援する準軍事組織』だ、という噂が実しやかに囁かれていた。
そして、ジュピトリア号の動きはGLFの旗を掲げただけに止まらない。
「ジュピトリア号が積載しているコンテナから、何かが……ッ!」
望遠映像は、GLFの構成員と思われる複数の人物がコンテナを開け、中から大量の瘤のような物がついた機材を運び出す様子を捉えている。
それを見た津川艦長が声を上げた。
「いかん! 散布爆雷だ!! 全艦対空防御ッ!!」
その号令と、散布爆雷が空中に子爆弾を撃ち出すのは同時だった。
「左舷対空防御ッ! CIWS自動照準! 斉射開始ッ!!」
クルーが復唱し、近接防御火器システム……CIWSが20ミリ弾を叩き出す。その弾丸は広範囲に広がりながら迫る無数の子爆弾を次々に撃ち落としてゆく……だが、ヘッジホッグ2基から撃ち出された子爆弾は計50個――――明らかに迎撃システムのキャパシティをオーバーしている。
「数が多すぎるッ! 対応しきれん……が、なんだ? 射角が高すぎる?」
木崎副長が疑問の声を上げる。その言葉通り、ヘッジホッグの子爆弾は日本隊の頭上を大きく飛び越えるようなコースを描いていた。
GLFの狙いにいち早く気付いた津川艦長が再び命じる。
「連中の目的は海底の作業員だッ! 右舷のCIWSも使って一つでも多く撃ち落とせッ!! 併せて第2小隊に打電! 撃ち漏らしを海中で処理せよッ!!」
「子爆弾、駿河を飛び越えました! 右舷CIWS斉射開始ッ!!」
しかし、懸命な迎撃も空しく、撃ち漏らした子爆弾が次々に海面へ落下。海中へと消えてゆく。
「子爆弾迎撃率65パーセント、17発が海面に落下! 第2小隊に処理を引き継ぎます!」
クルーの報告を聞き、津川艦長は『ふう』と深く息を吐く。そんな老船乗りに、クルーの一人がエンタープライズからの通信を伝える。
「エンタープライズよりヘリが発艦しました。『強行突入しジュピトリア号のコントロールを押さえる、日本隊のサポートを求む』との事です」
「そうか……。副長、第1戦闘艇小隊を出してジュピトリア号を包囲。全艦に通達、これより臨検部隊が突入する、照準そのまま……だが別命あるまで攻撃は禁止する!」
そう命じ終えると、津川艦長は近くのクルーに顔を向ける。
「海底の避難状況は?」
問われたクルーは即座に情報を確認し、そして顔を青ざめさせた。
「か、海底作業員の避難が遅れていますッ! リオール社が『作業続行』と指示を出したらしく……」
その報告を聞いたCIC内の全クルーがざわつき出す。木崎副長も苦々し気にうめき声をあげた。
「なんてことだ……。米軍の原潜じゃ間に合わない……」
この直掩艦隊には潜水艦も帯同していた。米海軍第11空母打撃群に所属する大型原潜だ。しかし小回りの利かない潜水艦では、今まさに沈降している子爆弾を追撃し、処理する事は不可能だ。
「……頼んだぞ、第2小隊」
津川艦長が誰にともなく呟く。
海底作業員達の命運は、第2小隊に委ねられた。
■深度20メートル、第2戦闘艇小隊
『小隊全機急速潜航ッ!』
ヘッドセットから小隊長の怒声が響く。日ごろの訓練の賜物か、恭司は疑問を浮かべる前に反射的に体を動かし、八式を急速潜航させる。
「メインタンクベント解放! 急速潜航ッ!!」
八式のバラストタンクから酸素が解放され、『ゴポゴポ』と大量の気疱が立ち上る。同時にタンクには海水が注入され、八式は勢いを増しながら沈んでゆく。続けざまにヘッドセットから小隊長の声が響いた。
『奴等ヘッジホッグ2基を発射! 撃ち漏らした17発が着水するッ! 各機散開し迎撃するぞッ!!』
『022、宗像了解ッ!』
「023、真道了解ッ!」
恭司がそう答えた直後、八式のソナーが直上の異常を検知する。子爆弾の着水音をソナーが捉え、それを疑似的な視覚情報としてCGモデルに再構築、モニターに表示する。恭司達の頭上は、子爆弾から発生した騒音によって真っ赤に染まっていた。
そして、その中から複数の『騒音源』が沈降してくる。
『全機回避行動ッ! 対魚雷用散弾機雷用意ッ! それぞれに迎撃開始ッ!』
再びヘッドセットに小隊長の命令が届く。恭司は操縦桿を操作し、子爆弾の軌道を見ながら八式を右に左にと細心の注意を払って動かす。沈降速度に勝る子爆弾をやり過ごし、今度は逆に子爆弾を見下ろす状態になると、恭司はコントロールパネルを叩き、八式の両肩部に搭載されている多目的ランチャーの発射口にATSMを装填する。
子爆弾と共に沈降しながら、ソナーを頼りに狙いを定める恭司……。彼の頬に一筋の汗が伝う。
「クソッ! ただでさえ弾が足りないってのにッ!!」
恭司は一人で吐き捨てるように呟く。ソナーが捉えている子爆弾は17発。しかし、八式が装備するATSMは4発のみ。小隊全機合わせても12発しかないのだ。
つまり、17発全弾を処理するには……誘爆を狙うしかない。