第16話 A・W-2/TYPE『Batoidea』
■ケロン直掩艦隊、ヘリ空母駿河、戦闘指揮所
「な、なんだ……アレは」
副長の木崎二佐が呻く。決して大きな声では無かったが、その声は駿河のCIC内に良く響いた。戦術データリンクを介して旗艦エンタープライズから齎された映像を見て、コマンドデッキクルーは全員静まり返っていたからだ。
『尾』の先まで含めると優に60メートルを超える巨大エイは、その巨体を誇示するように波間を漂っている。
「総員注意を反らすな、今は戦闘中だぞ!」
津川艦長の叱責が飛び、CIC内のクルー達はそれぞれ自身の仕事に戻る。そんな中、木崎副長は傍らの老船乗りに声をかけた。
「艦長、まさかアレが報告書にあった……」
『報告書』とは、ローザが纏めたクラゲの化け物に関するものだ。津川艦長も木崎副長も、艦隊司令のウェルズ少将からその内容は共有されていた。
「恐らくな……。023に再度帰投するよう指示を出せ、アレがクラゲの化け物が成長したものなら、またDSCVに襲い掛かってもおかしくない」
津川艦長がそう命じた時、モニターに映っていた巨大エイが『ぶるり』と身体を震わせて海中に潜っていく。それだけで、小舟なら転覆しかねない小山のような波が立った。
「不明生物急速潜航! 023に向かっていますッ!!」
「クソッ! 言ったそばからコレか!」
ソナー画面を監視していたクルーの報告に、木崎副長が顔を歪めながら叫ぶ。その声を聞きながら、津川艦長は『ふぅ』と深く息を吐き、口を開いた。
「最上へ打電、対潜魚雷用意!」
「ッ!? あの化け物を攻撃するんですか!?」
クルーの一人が叫ぶ。津川艦長は静かに、しかしハッキリとした口調で答えた。
「当てる必要は無い。奴の注意を惹くことが出来れば、その隙に023を離脱させられる。急げ!」
「りょ、了解ッ!」
津川艦長の要請を受け、ミサイル護衛艦最上の短魚雷発射管が海面に狙いを定める。
■水深400メートル、第2戦闘艇小隊3号機
「イヴ、あのデカブツを『絶望』って言ったよな? まさかアレ、この前のクラゲの化け物だってのか?」
恭司の問いに、イヴはコクリと頷く。
「マジか!? 1週間も経ってないんだぞ、どうやったらあんな図体になるんだよ!」
「アレでもまだ小さい方。早く倒さないともっともっとおっきくなて、もっともっときょーぼーになるよ」
恭司は眼を見開いてソナー画面に映る巨大な『影』を見やる。腕の中の少女は『まだ小さい方』と言った、つまり――――。
「冗談だろ? まだ育つってのかよ……」
彼がそう呟いた時、巨大エイは大きくその巨躯をしならせて潜航、速度をあげながら恭司達に向かってきた。ここにきてテロリストのDSMVも『巨大な何か』が迫っている事に気付き慌てて旋回、携行式短魚雷発射機を出鱈目に連射する。しかし、巨大エイからすれば短魚雷など豆鉄砲に等しい。爆薬を満載した魚雷を全く意に介さない。そして巨大エイはDSMVに狙いを定め、巨体に似合わない勢いで泳ぎ始める。
「おいッ! 何やってる!! フレームをパージして緊急浮上しろッ!!」
恭司はテロリストのDSMVに向かって、無線をオープンチャンネルにして叫ぶ。距離的にも相手に聞こえる確証は無かったが、そうせずにはいられなかった。
だが恭司の思いも空しく、DSMVのアビスウォーカーは、迫る巨大エイに向かって弾切れになったペッパーボックスを振り回し……明らかに恐慌状態に陥っている。
あの常軌を逸した巨体を目前にすれば無理も無い事だ。誰だって生身の状態で狂乱状態のカバや象と相対すればパニックになるだろう……。ましてや眼前の巨大エイはサイズ比にしてその数十倍はある。恭司も化け物クラゲとの交戦経験があるからこそ、そして何よりイヴの歌の『効果』があるからこそ平静でいられるのだ。
もはや手足を駄々っ子のように振り回すだけのDSMV……。そして、巨大エイは覆い被さるようにして、その機体を丸ごと――――『飲み込んだ』。
海中に『ゴリン』、『バキッ』という金属がひしゃげ、破断する不協和音が響く。深海の過酷な水圧に耐えるDSMVを咀嚼しているのだ。
恭司の背筋に『ゾワリ』と冷たいものが走る。イヴの歌によって感覚が研ぎ澄まされた彼の耳に『声』が聞こえたのだ。コクピットと共にひしゃげ、潰された、テロリストの末魔の叫びが――――。
「――――――ッ!」
恭司は我知らず『ギシリ』と歯を噛み締めた。ヤツは今、人を食った。以前、化け物クラゲに襲われた時にはただ単に相手が狂暴なだけだと思っていた……しかし、ヤツにとって人間は『獲物』なのだ。
倒さなければ喰われる不倶戴天の敵であり、云わば人類の『天敵』なのだ。
「おいッ! 聞こえてたらフレームをパージして浮上しろッ!!」
恭司は、自身が手足を破壊したDSMVにオープンチャンネルで叫ぶ。機能不全を起こし碌に動けないDSMVは、ヤツにとっては『皿に盛り付けられた料理』に過ぎない。
テロリストのDSMVはフレームの炸薬式分離ボルトを起動、フレームを脱ぎ捨てると、耐圧殻側面の緊急浮上用エアバックを膨らませ、海面へと昇ってゆく。巨大エイはそれを追おうと頭を持ち上げるが、浮上する耐圧殻と入れ違いになるように、海上から2つのノイズが急速接近する。
「味方の短魚雷かッ!」
流石に鬱陶しく感じたのか、巨大エイは身を翻して魚雷を躱す。その間に耐圧殻は海面近くまで逃れた。ひとまずは安全だろう。恭司は『フゥ』と短く息を吐いた。
「さて……あとは俺達だけか。出来れば逃げたいところだが――――」
「ダメ、アレは倒さないといけない。それに――――」
イヴの言葉に反応したわけではないだろうが、獲物を逃した巨大エイは、今度は恭司達の八式に頭を向けた。そして、数メートルはあるだろう感情の読めない巨大な眼球が『ギロリ』と動き、八式を見定める。
それだけで、背筋に冷たいものが走った。獲物として……ただの『食料』として見られる感覚――――それはただただおぞましく、悪夢の中に放り込まれたような不安と恐怖を伴った。
「やっぱり、ただじゃあ帰してくれないよな……」
恭司はそう言うと、腕の中のイヴを見る。人の姿からかけ離れた異形の少女は小首をかしげて彼を見返した。
「キミもアイツも何者なのかさっぱりだし、キミが何故アイツと戦えって言うのかもちんぷんかんぷんだけど……。安心しろ、キミだけでも絶対に無事に帰してやる。自衛官の沽券に係わるからな」
クラゲの化け物と戦った時の様に、恭司は無理矢理に笑って見せる。すると、イヴは彼の袖をギュッと握りしめ、大きく頷く。
「だいじょーぶ! 私とキョージはずっといっしょだよッ!」
七色に輝くイヴの瞳が、更に輝きを増したように見えた。