第11話 その名は『A・W』
■ケロン直掩艦隊、護衛艦駿河、医務室
「いただきます!」
「いただきまぁす!」
船の中からは分からないが、中天から陽光が降り注ぐ昼下がり、駿河の医務室に恭司とイヴの声が響く。その言葉の通り二人は今、食堂から運ばれて来た昼食を食べ始めた所だ。
ケロンの病院でイヴ共々精密検査を受けた後、本来であればそこでイヴとは別れるはずだったのだが、彼女は恭司と離れることを強硬に拒んだ。津川艦長の許可もあり、仕方なしにイヴを連れて駿河に戻ったのが昨日の夜。就寝時にイヴが恭司の寝床に潜り込むといった騒ぎがありつつ(なんとか宥めすかして女性自衛官の部屋で預かってもらった)、一夜明けた本日早朝……恭司を待っていたのは意外な命令だった。
津川艦長直々に下された命令の内容は、一言でいえば『イヴのお目付け役』だ。一時的にイヴを駿河で『保護』するよう、アニング博士とウェルズ少将名義で要請があったという。更に、保護期間中のイヴの護衛兼監視役に恭司を指名してきたと津川艦長は語った。
艦隊司令の名前まで出てきた事に驚き、それと同時に何が起こっているのか疑問に思いつつ、恭司は敬礼をもって受命した。
そして今、流石に艦内を部外者が歩き回るのはよろしくない――ということで、恭司とイヴは医務室を『とりあえずの拠点』として使わせてもらっていた。
恭司はご飯をかき込みながら、対面に座るイヴの様子を見た。彼女はぎこちないながらも箸を使ってご飯を口に運んでいる。救助されてからこっち、イヴは恭司の後をついて回り、事あるごとに彼の真似をした。恭司の一挙手一投足を見、恭司の言葉を聞きその真似をすることで、すさまじい勢いで日本語や恭司達の生活様式を習得しつつある。
食事に関しても同様で、一昨日はスプーンを使って何とか食事をしていたが、既にフォークやナイフといった様式の食器の使い方を覚え、今では箸に挑戦中だ。
「あー、イヴ。お箸はこう持つんだ、そんで何かを掴むときはこう動かすんだ」
恭司が箸を持つ右手を顔の前に掲げ、手の平、手の甲とくるくる回して見せる。するとイヴはその様子を食い入るように見て『おー!』と感心したような声を上げた。
「ありがとー、キョージ!」
イヴの言語習得速度には目を見張るものがある。まだ長文は無理だが、2~3言の単語を組み合わせて意思の疎通を図ることが可能になっていた。今のように『感謝の意を伝える』事を始め、『挨拶をする』、『分からない事を質問する』といった『コミュニケーションの下地』が既に出来上がっているのだ。
異常ともいえるイヴの学習速度…………目覚めた直後は何も知らない童女のような印象を受けたが、恐らくは元々頭が良かったのだろう――――と、恭司は思う。そして同時に疑問も浮かぶ。
DSCVの中で『絶望を払う』と語った彼女――そして、ケロンの海洋研究所で恭司の口を使って自らを『ネーレイス』と語った彼女……。あの時のイヴは見た目の年齢以上に大人びた語り方をしていた。
更に何より、七色に輝く瞳と不可解な『力』。クラゲの化け物を『終焉を齎すモノ』と呼んだ真意…………。
(まったく……わけわからん事だらけだ)
グルグル回る疑問の数々を振り払うように頭を振り、恭司は食事を再開する。イヴは相変わらず箸と格闘し、上手く食べ物を掴めるとコロコロと笑う。その様子を見ながら恭司は壁掛けの時計を見た、時刻は13時近い。
合衆国大統領補佐官、エドワード・マッケンジー議員がケロンからエンタープライズに移動してくる頃合いだ。テロリストの襲撃を警戒し、現在は駿河の第1戦闘艇小隊とエンタープライズの03DSCV小隊が海中の警備に当たっている。
(何事も無けりゃいいけど……)
そんな事を恭司は思った。
■洋上移動拠点ケロン上空、MV-22機内
エンタープライズに向かうMV-22の機内で、マッケンジー補佐官はタブレット端末に食い入るように見入っていた。画面に表示されているのはアニング博士がまとめた『クラゲの化け物と、それに付随する事象』の報告書である。
『付随する事象』の内容は大きく分けて2つ……。崩落した海底で発見された巨大首長竜の化石と、詳細不明の構造物内で保護された少女の報告だ。
巨大首長竜の化石に関しては海底の安全確認作業が終わっていないため未だ本格的な調査は行われていないが、無理を押して回収した化石と周辺土壌の一部を年代測定にかけた結果、4~5万年前のモノであると判明した事が資料と共に記載されている。
これだけでも驚くべき事だ。所謂『恐竜』が地球上から姿を消したのは白亜紀末……約6550万年前である。白亜紀末の大量絶滅以降、恐竜に代わり哺乳類が栄え、4万年前はネアンデルタール人やクロマニヨン人といった旧人類・新人類が繁栄した旧石器時代の中期から後期にあたる。
これだけでも歴史の教科書が書き換わる大事だが、アニング博士の報告書は更に深刻な……そして巨大な問題を提起する。
「この少女は……ウェルズ少将が身元照会をかけていた人物か」
タブレットに表示されたのは17~18歳程と思われる褐色の少女の写真。『イヴ』と名乗ったという彼女の身長や体重といった基本的データと共に、ケロン居住ブロック総合病院で行われた精密検査の結果が記載されている。
その内容は――――――。
「これは…………ッ!?」
マッケンジー補佐官は驚きのあまり声が大きくなり、同乗している警護官が『何事か?』と首を傾げる。
補佐官は手を振り『何でもない』とゼスチャーで示すと、再度タブレットの画面に視線を落とした。表示されている精密検査の結果は――――。
『血液型はA型に該当。血中にクラゲの化け物と同じ多能性幹細胞を確認』
『MRI検査の結果、胸部中央にアンノウンと同じものと思われる球状の器官を確認。更に脳の構造も特異であり、特に前頭葉と小脳において大きな違いが認められる』
『これらの事から、該当人物は『ホモ・サピエンス』ではないと結論する』
ウェルズ少将の身元照会の結果では『該当人物無し』だった。だが、そもそもこの少女が人類ですらない……何か別の存在だというのならそれも当然の話だ。
アニング博士の報告書は、最後にこう結んでいる。
『これらのデータから、このイヴと名乗る少女がクラゲの化け物(彼女の言葉から終末兵器、A・Wと呼称する)と生物学的な繋がりがあり、何らかの因縁を抱えていることが推測できる。尚、ニホンのタイプ・エイトが捉えたA・Wは全部で6体。残りの5体は行方をくらまし、現在この大洋の何処かで急速に成長しているものと思われる。これは大きく海に依存する国々にとって、延いては世界全体にとって大きな脅威となり得る。早急な対処を望む』
「間もなくエンタープライズに着艦します!」
機内にパイロットの声が響いた。マッケンジー補佐官は眼下に迫る直掩艦隊旗艦エンタープライズに視線を移し、目を細めた。