第107話 Sing a Song
「イヴ! おいイヴ起きろッ! 起きてくれッ!!」
A・W-5の第3の瞳から引き上げたイヴを抱きかかえながら、恭司は彼女の頬を『ペシペシ』と強めに叩く。イヴは全身ねっとりとしたA・W-5の体液まみだ。それによって体温も奪われていたのか、その肢体は驚くほどに冷たい。
恭司の脳裏にイヴと初めて出会った時の記憶――――ハワイ沖の深海鉱床崩落現場、その奥で見つけたネーレイス遺跡の光景が蘇る。あの時、冷凍睡眠装置と思われるカプセルから現れた時のイヴも、死んでいるのかと思う程に冷たかった。
嫌な予感が冷汗の様に背筋を伝った時、イヴの眉がピクリと動き『うぅ……』とうめき声をあげ……ネーレイスの少女が目を覚ました。
「イヴッ!! 大丈夫か!? どこか怪我は――――――ッ!!?」
「うああぁぁぁぁん! キョージ――――ッ!!」
覚醒したイヴは恭司の声を遮り、彼の首にしがみ付く。そしてわんわんと泣き始めた。恭司はイヴの体調が心配だったのだが、『これだけ大声で泣けるなら、それほどの大事は無いだろう』と、胸を撫で下ろす。
すると、彼の脳裏に再びウスマン・ハーディの声が響いた。
『感動の再会は終えたようだな……ならば往け。私が取り込まれる残り僅かの間ならば、コイツを抑えていられる。その間に、お前の目的を果たせ』
「ウスマン、お前…………」
『躊躇うなと言ったぞ。極悪非道のテロリストが手を貸してやると言うんだ、こんなチャンスは二度とない……ああ、そうだ。手を貸すついでだ、良い事を教えてやろう――――深淵に挑め、最後の一体は金輪の際に居る』
最後の一体とは、未だ姿を現さないA・W-6の事だろう。相対すべき最後の敵……その情報が意外な形で舞い込み、恭司は驚く。同時に、謎かけのようなウスマンの言葉からは、A・W-6がどこに潜んでいるのか、見当がつかない。
「金輪……? どういう意味だ?」
恭司は疑問を口にするが、ウスマン・ハーディの答えはにべも無いものだった。
『問えば答えが返ると思うのは傲慢だぞ。全てを懇切丁寧に教えてやる義理は無い。だが……まあ、お前は多くの助けを得ているようだからな、この言葉の意味もすぐに知れるだろう……。さあ、行け!』
ウスマン・ハーディの言葉が終わるのと同時に、『ゴウン』と足元が――A・W-5の頭が揺れる。本当にもう時間がないのだろう。恭司はイヴを抱えたまま、腰に巻き付けたロープを頼りに八式へ戻る。
■????
「俺の言った通りになったな」
何処までも広がる闇の中、どこか得意気な声が木霊する。宙に吊られた男は声の出所へと視線を向けた。そこに居たニホンのアビスウォーカーは『ニヤリ』と笑みを浮かべた。
「そのようだ……しかし、部下の教育方針は見直した方が良いと思うがね」
ウスマン・ハーディは今しがたの恭司とのやり取りを思い返す。専門の交渉人でも無い、一介の自衛官だという事を差し引いても、ハッキリ言って『下策』と評価する他無いやり取りだった。今の特殊な状況があったからこそ通用したに過ぎない。
しかし、目の前のアビスウォーカー……ミナミという男は肩を竦めて見せた。
「こっちはもう死んでるからな。死人が生きてるモンのやり方に口を出すのは良くない。それに、アイツはアレで良いのさ……その証拠にお前、憑き物が落ちたような表情をしてるぞ」
「…………フン」
南二尉に心中を見透かされたような気がしたウスマンは不機嫌そうに鼻を鳴らし、視線を逸らす。しかし、南二尉はそんなウスマンの様子など意に介さず口を開いた。
「さて、この化け物を抑え込むんだろう? 手を貸すぞ」
「……あのシンドウという男も、お前も、おせっかいな事だ」
ウスマンが呆れがちに答えると、彼等の前に異質な気配が湧き上がった。辺り一面の闇の中にあって尚際立つ、凝縮された闇のカタマリ。それは――――A・W-5の意識そのもの。
「化け物のお出ましか……随分と怒っているようだな?」
ウスマンが半ば嘲るような声を投げかけると、闇のカタマリに3つの亀裂が入る。それらが『ギチギチ』と開かれ、吊り上がった瞳に牙を剥きだした大顎を持つ、獣の貌が現れた。
その獣……A・W-5は『グルグル』と喉を鳴らし、ウスマンに敵意を向ける。南二尉がA・W-5と彼の間に割って入ろうとするが、ウスマンは首を横に振ってそれを押し止める。そして、吊られた男は余裕の笑みを浮かべて見せた。
「無理も無いか。取り込んで糧にするはずの怒りや絶望が丸ごと無くなってしまったのだから」
南二尉は『憑き物が落ちたよう』と言った。憑き物――ウスマンの中に渦巻いていたモノは、恭司が全て奪い去ってしまった。怒りや絶望……そして、とうの昔に手のひらから零れ落ちた夢ですら――――。
「皮肉なものだ。全てを奪われて絶望に染まり、今度はその絶望を奪い取られて、こんなにも――――解放された気分になるとは……な」
彼は自嘲を込めて『フン』と鼻を鳴らす。あのニホンのアビスウォーカーによって抱えていたモノを奪われた時、ウスマンはふと『安堵』を感じてしまった。肩の荷が下り、自由になったと感じてしまったのだ。
我ながら何と情けない事か……そう思うと同時に、目の前の化け物が抱える絶望が『恐れるに足らぬモノである』と感じられるようになっていた。
「全く、こんな見せかけのチカラに頼ろうとしたなどと……私も随分とヤキが回っていたようだ」
牙を剥き、唸るA・W-5の意思を真正面に見据えながら、ウスマンは語る。
「お前の怒りも憎しみも、己の中から湧き出したものでは無く、造物主から植え付けられたもの……借り物に過ぎない。そんな上辺だけの絶望では何一つ成し遂げられないだろうよ。そんなモノで世界をどうこうしようだなどと、100年……いや――――5万年ほど早いぞ」
『グガアアアアァァァァッ!!!!』
嘲られたA・W-5は一瞬で何十倍にも膨れ上がり、巨大な顎を開いてウスマンと南二尉に襲い掛かる。しかし、その最後の瞬間、ウスマンは笑っていた。彼の眼には、自分に向かって笑顔で手を振る父母と兄妹たちの姿が見えていたからだ。
――――――それはただの幻だ。だがそれでも、彼にとっては間違いなく、今際の際の救いになったのだ。
■
駐機している八式の腕をよじ登り、恭司は耐圧殻のハッチに取り付いた。すかさず、抱えていたイヴを半ば投げ入れるようにしてコクピット内へ放り込む。『ふぎゃッ!?』と潰れた猫のような悲鳴を上げるイヴに続いて、恭司もコクピット内に潜り込み、大急ぎでハッチを閉じた。
「すまんイヴ! 大丈夫か!?」
自分でやっておいて大丈夫も何も無いのだが、コクピットシートに顔から突っ込んで鼻の頭を赤くしたイヴは『ふぐぅ……だいじょうぶらよ』と答える。
しっかりと受け答え出来ている事に安堵しつつ、恭司は再びイヴを抱え上げ、自分の身体をコクピットシートに滑り込ませた。
「本当なら、後部座席を使って欲しいんだけどな……そんな時間は無いか」
そうボヤきつつ、恭司はイヴを自身の膝の上に乗せ、彼女ごと座席のハーネスを絞めて身体を固定する。すると、イヴが恭司の首に腕を回し、きつく抱き着いて来た。
「キョージ……来てくれてありがとう。大好き!」
イヴは満面の笑みを浮かべ、恭司に思いのたけを伝える。恭司は照れつつも彼女の頭を撫でつつ『おう!』と答えた。そして、無線機のスイッチを入れる。
「こちら023、イヴの救助に成功しました! DSCV隊全機、オムニトキシン注入準備! カウント願いますッ!!」
A・W-5を包囲している水上艦艇、そして海中で待機している僚機へクシナダ作戦第2段階への移行を伝える。直後、ガーフィッシュ1――マディガン大尉の歓声が返って来た。
『よくやったぞ023ッ!! よし、全機スケイル・バスター準備、カウント3で発破するぞッ!!』
海中のDSCV隊はスケイル・バスターでA・W-5の鱗に穴を開ける必要があるが、恭司の八式は既にA・W-5の眼にグラップル・プライヤーを突き入れている。この瞳の亀裂にインジェクション・パイルを突き入れればそれで足りるはずだ。
恭司はインジェクション・パイルの準備をしつつ、イヴに声をかけた。
「イヴ、もう少しだけコイツを抑えておいて欲しいんだ。疲れてるとは思うけど……歌えるか?」
問われたイヴは恭司を見上げる。その瞳には七色の虹が宿っていた。
「うんッ! いくよ――――――」
そうして、イヴはいつものように美しい声で歌い始める。しかし、いつもとは違っている事があった。
「あなたと出会えた喜びを、あなたと生きる幸せを――――♪」
いつもの歌……ネーレイスの歌とは違い、意味の聞き取れる歌をイヴは歌っている。それは、いつか故郷で聞いた歌。
「あなたと同じ未来を見つめ、二人一緒に歩いてゆこう♪」
奇跡の様に出会った大切な人と共に生きていこうという、不朽のラブソング。
その歌を聴きながら、恭司は手際よく八式を操作する――――が、その顔は赤く染まっていた。
(さっきのセリフにこの歌…………もしかしなくてもプロポーズってヤツだよな? ていうか、無線繋がりっぱなしだぞ! 艦隊全部に聴かれただろコレ――――ッ!!)
恭司は心の中で頭を抱えた。




