第106話 Take over
■A・W遊撃艦隊旗艦、空母エンタープライズ戦闘群司令部指揮所
「ニホン隊023、動きがありません!」
TFCC内にクルーの声が響く。大型ディスプレイに映るUAVの映像……そこにはA・W-5の頭部に取り付いた023が映し出されていた。
タイプ・エイトから飛び出したニホン隊のアビスウォーカーは、A・W-5に囚われたネーレイスの巫女へ手を差し伸ばした格好のまま、数分程硬直している。
TFCCの面々は肌を焼くようにヒリつく空気の中、事の推移をじっと見守っている。
ウェルズ司令は自席に深く背を預け、『フゥ』と一つ息を吐き出した。
「何か……トラブルでしょうか?」
傍らに立つジョンソン艦長が呟く。ウェルズ司令は軽く首を横に振った。
「わからん……わからんが、このままで終わることは無いさ。動きがあった時に即応できるよう、気を抜くなよ。水上艦艇は包囲陣形を維持、お互いの位置を逐次確認するように」
「アイ・サー!」
現在、エンタープライズを含むA・W遊撃艦隊は3つの集団に別れ、A・W-5を中心にそれぞれの集団が三角形の頂点に位置するように展開。時計回りに航行しつつ、A・W-5を包囲していた。
強大な『龍』を目前にして、不気味なほどに静かな時間が流れてゆく。目標を前に何もせず、ただ静かに『待つ』というのは、実際に砲火を交え戦うよりも精神的には過酷なものだ。
しかしTFCCの……いや、A・W遊撃艦隊の全てのクルー達はただ黙々と、己の職分を果たすべく任務をこなしている。一糸乱れぬ艦隊行動がそれを雄弁に物語っていた。
――――そう、誰一人として『折れて』いないのだ。
恐怖に屈し、絶望に囚われ、心折れて任務を放棄する者など居ない。
今まで何度も困難に直面し、幾度も死線を潜り抜けて来た……これはその結実だ。
鍛冶屋が鋼を叩いて一振りの剣を創り上げる様に、彼等もまた鍛え上げられた。彼等は『我々ならば出来る』と信じている。そして『勝利』を疑っていない。
ウェルズ司令は自然と唇の端が上がるのを自覚した。客観的に見れば、状況は絶望的だ、だが――――それでも。
「艦長……。勝つぞ、この戦い!」
ジョンソン艦長に視線を送りつつ、ウェルズ司令はそう口にする。
「……アイ・サーッ!」
いつも気難しい表情を浮かべているジョンソン艦長は、ウェルズ司令同様に『ニヤリ』と笑って復唱した。
■
最初に戻ったのは聴覚だった。海風が『ビュウビュウ』と恭司の耳朶を震わせる。次に肌の感覚が蘇った。先刻から聞こえる海風の冷たさに身体が『ブルリ』と震えた。
そして最後に視覚が戻った。海の青と空の蒼……一面の蒼い世界の中、思わず平衡感覚を失いそうになった恭司は自身の足元に視線を落とす。
そこに在るのはA・W-5の巨大な眼球と、その中に囚われたイヴの姿。
「――――ッ! イヴ! イヴッ!! 俺の声が聞こえるかッ! 起きろッ! ここまで昇って来るんだッ!!」
恭司は両の頬を伝う涙を、左腕で乱暴に拭い去る。そしてありったけの力を込めて叫び、『龍』の眼に突き入れた右手を更に深く差し入れる。すると、彼の脳裏に『声』が響いた。
『全く……驚きだ。ヒトの執念とは、侮れないものだな……。いや、分かっていた事ではあった、私自身がそうなのだから』
「ッ!? 誰だ――――いや、その声は……!!」
騒々しい海風の音とは明らかに異質な、脳裏に響いた声に驚く恭司だったが、直ぐに声の主に思い当たった。今まで何度も聞いた声だ。
「お前、ウォッチャーか!?」
『そうだ。この化け物に喰われ、取り込まれたのさ。お陰でこのように、テレパシー紛いの芸当も出来るようになったという訳だ』
「取り込まれた? じゃあ、イヴは――――」
『ああ、その娘は『まだ』無事だよ。私や、あのムナカタという男と違って、この化け物は彼女を『屈服』させたいようだな。ネーレイスの巫女はアルゴーの制御パーツであり、同時に最大限の性能を引き出すコアパーツのような物らしい。巫女の力を我が物にしようと考えていたのはA・Wも同じだった……まあ、そういう事だ』
脳裏に響く声はどこか楽し気だ。しかし、その言葉の内容は恭司に厳しい現実を突きつける。イヴは『まだ』無事である……言葉を返せば、ウォッチャーと宗像三尉は『既に』手遅れだという事だ。
「ウォッチャー、お前は…………。いや、今までの事をどうこう言っても仕方ない。…………ウォッチャー、改めてお前の名前を聞きたい」
脈絡のない恭司の言葉に、ウォッチャーの気配が揺らぐのが分かった。直に声を交わしている訳ではないのに、相手の動揺まで伝わって来た事が少しだけ可笑しく、恭司は僅かに笑った。
『いきなり何を言い出す? 私が名乗る義理など――――――』
「俺は日本国海上自衛隊のアビスウォーカー、キョウジ・シンドウだ」
恭司は一切躊躇うことなく、自分の名を口にした。今度こそ、ウォッチャーの声は『意味が分からない』と困惑の色を含み始める。
『テロリスト相手に名乗るとは……正気とは思えん。それとも、私が間もなく完全にこの化け物に取り込まれるのを見越しての余裕か? それに、私のデータはもう把握しているのではないか?』
「ああ、お前の情報は知ってる。けどな、俺はお前の口から直に聞きたいんだよ。確か、前に言ってたよな? 『礼を失するのは主義に反する』って。さあ、こっちは名乗ったぞ!」
『…………ウスマン・ハーディだ。これで満足か?』
理論も何もない、礼節の押し売りのような恭司の言葉だったが、それでもウォッチャーは観念したように本名を名乗った。
恭司は満足そうに鼻を鳴らすと、ブリーフィングで見聞きしたウスマン・ハーディの写真や経歴を思い浮かべる。
そうして、意を決して彼は口を開いた。
「ウスマン・ハーディ、お前に言っておきたい事がある。俺がお前の後を継いでやる!」
『――――――は? 何を言っている、テロリストになるだと!?』
いよいよ声を荒げるウォッチャーことウスマン。お陰で恭司の頭の中にガンガンと声が響き、二日酔いのような状態になる。
「あ――――ッ! 最後まで聞け!! お前のやりたかったコト、守りたかったモノ、そういうのをまとめて俺が引き継いでやる! けどな、俺はテロリストになる訳じゃない。俺は俺のやり方でお前の望みを叶える、そうしてお前のやり方が間違いだと証明してやる!」
恭司は頭の中に反響する声を振り払うように首を横に振り、叫ぶ。しかし、ウスマンも引き下がらない。
『なんだその無茶苦茶な理屈は!! そんな事をして、君に何のメリットがある!? 全くもって理解できん!!』
「理解なんてしなくていいさ、これは1から10まで全部俺の都合なんだからな。前に、『人の命を利用するな』って言ったよな? けど、俺達はタイタンを守る為に南隊長を犠牲にしちまった……これじゃあ俺もお前も同じ穴のムジナだ。だから、こうする事でお前のやり口が間違いだって事と、隊長の死が無駄じゃ無かった事を証明してやる。そうしないと、隊長に顔向け出来ないんでな!」
それは、津川艦長から問いかけられた『南二尉の死にどう向き合うか?』という問題への、彼なりの答え。
『要は自己満足だろう! そんなものを私に宣言してどうしようと――――』
ウスマンの声に呆れの色が混じる。しかし、恭司の勢いは止まらなかった。
「穏やかに暮らせる国が欲しかったんだろう!? 大国に一泡吹かせたかったんだろう!? 思いが叶わなかった無念があったんだろう!!? 全部俺がもらっていく!! これは同情でも共感でもない。これはお前への宣戦布告だ!! 見てろよ、『悔しい』って歯ぎしりさせてやるからなッ!!」
『………………』
あまりにもあんまりな恭司の言い分に、ウスマンが言葉を失う。本職の交渉人がこの場に居たら、顔を真っ赤にして恭司の横っ面を殴り飛ばしていただろうが……少しの沈黙の後、恭司の頭の中にウスマンの乾いた笑い声が響いた。
『ハ、ハハハッ……全く、バカバカしい。随分と大口を叩いたものだ……だが、面白い。良いだろう、地獄の底からお前を見ているぞ――――』
そう、ウスマンの声が響いた直後、A・W-5の瞳が蠢動し、囚われているイヴが『ゴポゴポ』という音と共に浮かび上がって来る。
「――――ッ!? これ……ウォッチ――ウスマン、お前か!?」
『ああ、その娘は連れていけ。このA・Wの核はお前の足元……第3の瞳のさらに奥だ。DSCVに戻ってご自慢の毒針をコイツに……俺に突き立てろ』
ウスマンが語る間に、イヴはもう恭司の手が届くところまで昇って来ていた。
「ウスマン、お前――――」
『一つ良い事を教えてやろう。守りたいモノがあるのなら、成し遂げたい事があるのなら、躊躇わない事だ。さあ、もうすぐ私は完全に消える。急げ、ニホンのアビスウォーカー……いや、シンドウキョウジ!』
「――――――ああッ!!」
恭司は大きく頷くとイヴの手を掴み、力任せにA・W-5の瞳から引き上げた。