第104話 クシナダ作戦、発令
■北緯29度49分、西経170度51分、ミッドウェー島北部海域
蒼く抜けるような空と、青く凪いだ海原。一面の青い世界の中、波濤を蹴立てA・W遊撃艦隊が進んでゆく。
対A・W戦の切り札たるイヴを失い、圧倒的に不利な状況でA・W-5への対策が協議される中、事態は唐突に動いた。
北太平洋ミッドウェー島近海を航行中の民間船が、海上自衛隊が使用する救難ビーコンの信号を受信。そして、発信源に向かった民間船がA・W-5に遭遇したという情報が米太平洋艦隊司令部経由で齎されたのだ。
更に、民間船乗組員の証言として『巨大な龍に襲われそうになったが、何処からともなく女の歌声が聞こえてきた。すると、龍が動きを止めたので逃げることが出来た』という情報も伝えられた。
『その歌声はイヴのものに違いない』――――。A・W-5に飲み込まれながらも、ネーレイスの巫女の力で龍を抑止しているのであれば……動くのは今を置いて他にない。
襲撃事件の後始末真っただ中のサンディエゴ基地を後にしたA・W遊撃艦隊は、龍の目撃地点……ミッドウェー島の北部海域を目指していた。
■ヘリ空母駿河、戦闘指揮所
「艦長、エンタープライズからの情報共有が来ました。偵察衛星が捉えた画像では、A・W-5は当該海域に留まったまま、動きはないとの事です」
木崎副長がタブレット端末の画面を確認しつつ報告する。すると、艦長席に座る津川艦長は『そうか……』と呟き、膝の上に乗せたオレンジ色のケースに視線を落とした。
それは、海上自衛隊で使用されているサバイバルキットだ。『いかにも自衛隊』といった風に形式ばった字体で『救命装備』と記載されたタグ……その片隅に『スルガ022』と油性ペンの書きつけがあった。
――――そう、これは宗像三尉の乗機である八式から回収したものだ。
民間船によるA・W-5遭遇の一報があった直後、津川艦長は整備班に頼んで022の八式を調べてもらっていた。すると、コクピット内に備え付けられている救命装備のケース、その封が切られている事が判明した。
救命装備の中には通信機や医薬品、保存食糧に飲み水確保のための海水脱塩キット、更には釣り用具といった多種多様な道具が詰め込まれているのだが……022の救命装備の内容物には一つ足りない物があった。それは、救難ビーコンの発信機である。
「宗像三尉も、このような状況になるとは想定していなかっただろう。何とも、皮肉なものだな……」
宗像三尉がGLFと内通していたのは間違いない。それは明確な服務規程違反であるし、結果としてイヴ・マッケンジーは連れ去られ、A・W-5に襲われる事態となった。……しかし、見方を変えればその背信行為がA・W-5の早期発見に繋がったとも取れる。
功罪のどちらに天秤が傾くかと問われれば、罪の側である事は言を持たないだろう。
だが、年老いた船乗りは思うのだ。悪事に加担しながらも、ネーレイスの少女に救難ビーコンを持たせた宗像三尉の矛盾した行動――その『躊躇い』は、ヒトの善性の発露ではないか……と。
津川艦長は自席の受話器を手に取り、ニホン隊の全艦艇に向けて話し始める。
「ニホン隊全乗組員に達する、こちらは艦長だ。本艦隊は間もなく、目的のポイントに到着する。先程、米軍の偵察衛星が同ポイントに留まったままのA・W-5を捉えた。民間船乗組員の証言から、イヴ君がネーレイスの巫女の力であの龍を抑制しているものと考えられる。当該海域に到着次第、クシナダ作戦が実施される。作戦目標はイヴ君の救出と、A・W-5の打倒である。当初の作戦計画を急遽変更したものだが、今まで幾度も絶望的な状況を乗り越えて来た我々であれば、達成可能であると確信する。諸君の奮励努力に期待する――――以上だ」
訓示を終えると、津川艦長は大型ディスプレイに目を向けた。表示されているのは駿河の飛行甲板の映像だ。飛行甲板には、第2DSCV小隊の八式――021と023、そしてそれらを空輸するためのオスプレイが待機している。
津川艦長は送話範囲を全艦放送から切り替え、甲板上で待機している第2小隊とオスプレイのパイロットに話しかけた。
「今回の作戦……敵の喉元に切り込む君達には、特段の重責を背負わせることになる。特に真道三尉、貴官にはA・W-5の体内に飛び込んでもらう必要がある。アニング博士によれば『A・W-5に噛み潰される可能性はほぼ無い』との事だが……敵にわざわざ『食われろ』と命令している事に変わりはない。申し訳なく思う」
この航海の途上、イヴ・マッケンジー救出を織り込んだ改定版クシナダ作戦のブリーフィングが実施されていた。作戦の進行は2段階に分けられ、前段階としてイヴ救出のために第2DSCV小隊の021と023がA・W-5の口腔から体内に侵入する手筈になっていた。
アニング博士の推測によれば、A・W-5はウミヘビを模倣しており、ヘビは獲物を咀嚼せずに丸のみにする(事実、A・W-5はA・W-4の死体を丸ごと飲み込んでいる)。その為、体内に侵入すること自体は比較的容易であると考えられた。
そうして、A・W-5の体内で救難ビーコンの信号を頼りにイヴを捜索……彼女を救助した後、作戦の第二段階として外で待機しているガーフィッシュ隊と共同し、A・W-5の体内と体外から同時にオムニトキシンを注入する――――必要に迫られての事とはいえ、文字通り『決死』の作戦だ。しかし、それを実行する恭司は既に覚悟を固めていた。
『いえ、艦長。イヴをこのまま放って置けませんから』
受話器越しに聞こえて来た真道三尉の声からは、全く気負いは感じられない。老船乗りが部下のその言葉に胸中で頭を下げた時、再びエンタープライズ戦闘群司令部指揮所からの通信が割り込んで来た。
「TFCCより緊急入電! 先行させていたUAVのカメラがA・W-5を捉えました! ライブ映像を表示します!!」
CICのクルーが叫ぶと同時に、大型ディスプレイにUAVの空撮映像が表示される。そこに映っているのは、海上に頭を突き出し鎌首をもたげ、海面に巨大な影を落とす龍の姿だった。海上に出ている部分だけで、優に300メートルを超える高さがある。それですら龍の全長からすれば、極々僅かなものだろう。改めて、相手の巨大さをまざまざと思い知らされる。
その映像を見たクルー達が息を呑んだ。UAVは更にA・W-5へと接近し、その威容を詳細に撮影し続ける――――そこで、アニング博士が『あッ!?』と驚きの声をあげた。
津川艦長は何事かと問う。
「博士、何か?」
「今の映像! A・W-5の頭部を映した所をもう一度見せて下さいッ!」
ローザの要請に応え、クルーがUAVの映像を巻き戻す。
「そう、ここ! この……額の第3の眼を拡大して――――」
言われるまま、画面に映るA・W-5の頭部――その額にある、第3の眼がフォーカスされる…………すると、そこには驚くべきものが映り込んでいた。
「なッ!? これは……!?」
木崎副長が驚愕し、クルー達もざわつく。そこに映っていたのは、第3の眼の中、両膝を抱えて眠るイヴの姿だった。
「どういう事? A・W-5の体内……消化器系の何処かに居ると思っていたのに…………」
「A・Wというのは悉く、こちらの常識が通用しないな……」
ローザが頭を抱えて呻く。それに答える様に津川艦長も呟いた。イヴが何故あんな所に囚われているのかは分からない。しかし1つだけ確かな事は、このままではクシナダ作戦の実施が不可能だと言う事だ。
津川艦長が再度対策を練り直そうかと考えた時、飛行甲板で待機している023から緊急通信が入った。
『023よりCIC! 作戦の継続を具申します。自分をオスプレイで、直接A・W-5の頭上に落として下さい!!』
「……危険過ぎる。ヤツの頭に取り付いても、振り払われたら海面に真っ逆さまだ。海中で相手に取り付くのとは状況が違う」
恭司の意見を否定する津川艦長。オスプレイで運動会の『玉入れ』のような曲芸を行う難易度の高さは言うまでも無いが、問題はそれだけでは無い。DSCVはその名の通り海中用の兵器であり、陸上では歩くのがやっとだ。例え上手く取り付くことが出来たとしても、A・W-5が少しでも頭を振れば、高度300メートルの空中に投げ出され、その勢いのまま海面に叩きつけられることになる。
『こちらシーガル1。CIC、時間がありません。チャンスもこれっきりでしょう……023の考えに賛成です。我々の飛行技術なら問題ありません、きっちりヤツの頭の上に送り届けて見せますよ!』
オスプレイ――シーガル1の機長が無線に割り込んでくる。彼の言う事も尤もだ。このまま手をこまねいていれば、イヴはA・W-5に取り込まれてしまうだろう。更に、イヴが持っていると思われる救難ビーコンのバッテリーが切れ、再びA・W-5が姿をくらませば、次はいつ龍を捕捉出来るのか……見当がつかない。
「…………分かった。シーガル1、023をA・W-5の頭上へ。021はガーフィッシュ隊と共に海中で待機。通信士、TFCCへ作戦変更を打電、至急だ!」
津川艦長は苦渋の決断を下す。
■ヘリ空母駿河、飛行甲板
『シーガル1、エンジン出力上昇。シーガル2も問題なし、発艦します!』
ガクンと大きく震えた直後、オスプレイとワイヤーで繋がれた八式が駿河の甲板を離れる。メインモニターに映る、洋上の塔のようなA・W-5の姿を見つつ、恭司はオスプレイと無線を繋いだ。
「023よりシーガル1。さっきは後押しをしてくれて、ありがとうございます」
『こちらシーガル1。なに、気にするな。人魚姫を助けるチャンスはこれっきりなんだ、多少の無茶は承知の上さ。それに、一番キツイ役目はお前さんなんだ……必ず、2人で帰って来いよ!』
「――了解です!」
恭司は頭を下げながら答える。時間にして数分……短いフライトを終え、オスプレイはA・W-5の真上にさしかかった。未だ龍は身動ぎ一つせず、沈黙したままだ。
『なるべく眼の近くに降ろす! 位置合わせ…………よしッ! 023、行ってこい! 懸架ワイヤー開放! 3……2……1……今ッ!!』
カウントダウンと再びの振動。僅かな落下に伴う浮遊感の後『ドガッ!』という轟音と、先刻の振動とは比べ物にならない衝撃と共に、恭司の八式はA・W-5の頭部……額の第3の眼の縁に降り立った。
「脚部第1・第3アクチュエーター損傷……だが、まだ動ける! 固定アンカー作動。グラップル・プライヤーで……行けるか!?」
恭司はすかさず八式の足裏にあるツメを作動させ機体を固定、グラップル・プライヤーで第3の眼の下弦を突くと、かなりの抵抗があったものの、プライヤーは眼球に深く突き刺さった。
巨大エイ――A・W-2に取り付いた時にやったように、突き立てたままグラップル・プライヤーを開き、両脚部と左腕で八式を固定する。
恭司はサバイバルキットからロープを取り出すと、一方をコクピットシートに結び、もう一方を自分のベルトに巻き付けた。そうして意を決して八式のコクピットハッチを開け放つ。
コクピットから這い出した恭司の全身に強い海風が吹き付ける。それに負けじと腰を落とし、八式の左腕を伝って恭司は自身の足で龍の頭上に降り立った。
「イヴッ! 大丈夫か!?」
A・W-5の眼は巨大で、サッカーやテニスでも出来そうなほどの広さがある。無論、その眼の奥に眠るイヴまでの距離も相応に離れていた。しかし、恭司は居てもたっても居られず、届く訳ないと分かっていても、手を伸ばした。
グラップル・プライヤーを突き立てた僅かな眼の亀裂……そこに伸ばした手を刺し入れた時――――――――恭司の視界は唐突に暗転した。