第101話 死者は語らう
■ヘリ空母駿河、医務室
夜が明け、太陽が空に登り切った頃。『タンタンタン』と、規則的な足音が医務室の中に響く。室内に居るのは部屋の主である中村医官と恭司の二人のみ。中村医官は自身の机につき、ノートPCで何かの作業を行っている。方や恭司もパイプ椅子に腰を下ろし、もう一つの椅子――――いつもイヴが座っていたものだ――――を睨みながら、背筋を丸めて太ももに肘をつき、右足を揺らしている。
先程から響く『タンタン』という音は、恭司の軍靴が床を叩く音だ。
どれ程時間が経っただろうか、中村医官がノートPCを操作する手を止め、椅子に深く背を預けた。『ギシリ』と背もたれが軋む。
「まあ、仕方ないか……」
中村医官はそう言いながら、恭司に視線を向けた。彼女が何を言っているのか分からない恭司は首を傾げる。
「は……あの、『仕方ない』とは?」
「真道三尉、貴方……貧乏ゆすりをするクセなんて無かったわよね?」
言われて初めて、恭司は自分が足をゆすっている事に気付く。その音が耳障りになっていたのだろうと、彼は頭を下げた。
「す、すみません」
「イヴちゃんの身を案じて……それが相当ストレスになってるみたいね。それは仕方ない事だけど、今回の件は貴方だけの責任ではないわ。非は『私達』にある」
中村医官の『私達』という言葉に、恭司は再び疑問を覚えた。中村医官は今回の事件には直接関わっていないはずだ。
そんな恭司の疑問を表情から読み取ったのか、中村医官は机上にあった紙の小箱を手に取り、恭司に見せた。箱に記載された薬品名を見るに、それは睡眠導入剤であるようだ。
「今朝方、物資の点検をしていたら、中身が減っている事に気付いたの。イヴちゃん、意識を失っていたんでしょう? 宗像三尉がこれを抜きだして使ったんでしょうね……私がもっと薬品の管理を厳重にしていたら、こんな事は防げたかもしれないわ」
「いや、決してそんな事は……」
恭司は否定しかけるが、中村医官は首を横に振った。
「それはお互い様なのよ。私たち一人一人がもう少し気を配っていれば、こんな事にはならなかったかもしれない……だから、自分を責めるのは止めて、今は体調を万全にすることを考えなさい。艦長たちが改めてA・W-5の対策を練ってくれてる、イヴちゃんを助けるのも、龍を倒すのも、皆のチカラが無いと出来ない事なんだから」
中村医官の言葉の通り、現在エンタープライズ戦闘群司令部指揮所と駿河戦闘指揮所間でA・W-5への対策が協議されていた。クシナダ作戦実施の為、次善の策としてスクリップス海洋研究所が保管しているA・W細胞を使用する方向で調整が進んでいる。
当初危惧されていたA・W細胞の暴走を抑えるために、ローザも自室で研究機材相手に悪戦苦闘しているはずだ。
皆が今、自身に出来る事に力を尽くしているのは理解できる。自分一人ではどうにもできない事だという事も理解できる。しかし、イヴはA・W-5に『喰われた』のだ、現時点で既に『手遅れ』かもしれない。
どうしても、恭司は焦燥を押さえきれずにいた。そんな彼の胸中を中村医官は当然のように見抜いた。
「焦る気持ちは分かるわ。けど……イヴちゃんは『ネーレイスの巫女』よ。そのチカラで何度も私達を助けてくれたわ。あの子は貴方が思ってるより強い子なの、だからイヴちゃんを信じましょう。そして、必ず巡って来るチャンスを掴めるように、貴方はチカラを蓄えておいて欲しいのよ」
中村医官は恭司の目を真っ直ぐに見据えながら、真摯に語りかける。恭司は今にも暴れ出しそうな焦燥感を無理矢理に飲み下し、無言で頷くしかなかった。
■????
「ん……うぅ…………」
唐突に意識が覚醒する。ごしごしと目をこすりながらイヴは目を覚ました。どうやら地べたに寝ていたらしく、身体の節々が痛む。その痛みに耐えながら立ち上がり、しばしばする眼で周囲を見回すと…………辺り一面に『闇』が広がっていた。
「ここ……どこ? ――――ッ!?」
床も壁も天井も無く、ただ只管に広がる闇の中、イヴの耳に叫び声が届く。それは『絶望』の咆哮だった。イヴはたまらず耳を塞ぐ。同時に、この場所が絶望――――龍の体内である事に気付いた。
――――繰り返される咆哮は明確な意思を伴い、イヴの精神を削ってゆく。
『苦しめ』、『懊悩し』、『己を』、『滅せよ』、『絶望こそ』、『唯一の救い』、『希を捨てよ』、『我に従せよ』、『絶望こそが――――――』
「いやッ! やめてッ!!」
イヴは耳をふさいだまま、その場に蹲る。それでも龍の声は塞ぐ手をすり抜け、イヴの心を揺さぶり続ける。龍の咆哮が彼女の精神を押しつぶそうとした時、全く予期しない別の声が割り込んで来た。
「イヴちゃんじゃないか!? 君もA・Wに喰われてしまったのか!?」
唐突に聞こえた男性の驚きの声。思わず声のした方を見上げると、そこに居たのは巨大魚――――A・W-4に喰われて死んだはずの南二尉だった。
南二尉は慌てた様子でイヴに駆け寄り、傍らに膝をついた。不思議な事に南二尉には竜の咆哮は聞こえていないようだ。そして――――南二尉の存在を認識してから、イヴの耳からも龍の声は遠ざかって行った。
「どういう事だ? 私はA・W-4に喰われて死んだはずだが……君もA・W-4に喰われたのか? 真道三尉は一緒じゃないのか? 宗像三尉は? ――――ああ、いや。それよりも具合が悪そうだが大丈夫か?」
心底困惑した表情で、矢継ぎ早に疑問を口にする南二尉。しかし、そんな状態でもイヴの身を案じるその姿は、間違いなく彼女の記憶の中にある南二尉と同じで――――イヴの目尻に涙が浮かんだ。
「た、タイチョー…………」
南二尉が現れた事で、更に気付いた事があった。この場所は現実ではない。龍に飲み込まれたイヴ……そのイヴを取り込もうと、龍が見せている『夢』のようなモノなのだ。
――――そう、夢でもなければ死者とまみえる事等不可能だ。
「イヴちゃん大丈夫か!? やっぱりどこか具合が悪いのか? ……まったく、真道三尉は何処に居る! イヴちゃんを放って――――」
南二尉の魂(或いは残留思念と言うべきか?)が泣きだしたイヴを気遣う。しかし、イヴは首を横に振った。
「違うの。あの時私がッ……歌ったから、タイチョーは…………」
タイタン防衛をかけたA・W-4との戦闘、あの場でイヴは促されるまま歌を歌い、そして南二尉は命を落とした。イヴの涙はその後悔故だ。
『ヒックヒック』としゃくりあげるイヴの姿を見て、南二尉はその場に両膝をつき、頭を下げた。
「……そうだったな。嫌な役目を押し付けてすまなかった。だが、私は君に感謝しているよ。少なくともあの場では皆を守ることが出来たんだ」
そう言うと南二尉は顔を上げ、先刻のイヴと同じように周囲を見回した。
「とはいえ……この状況はどういう事だ? イヴちゃん、あの後何があったのか教えてくれないか」
南二尉がそう口にした時、再び何者かの声が割り込んで来た。
「何やら騒がしいと思えば……私以外に『人』が居たとは……」
「誰だッ!? ……いや、聞いた覚えのある声だな」
南二尉は素早く立ち上がり、声のした方へ踏み出してイヴを背後にかばう。イヴも南二尉の背後から声のした方を覗き込むと、何も無い闇の中に何者かの上半身が浮かび上がった。
姿は人間。しかし、その男は両腕の肘から先、そして腰から下が闇に溶け込んでおり、宙に磔にされているように見えた。
その人物を睨みつけながら、南二尉が口を開く。
「お前……ウォッチャーだな?」
ウォッチャー――――GLFの首魁……ウスマン・ハーディは、口の端を吊り上げて不敵に笑った。