第100話 絶望、来たれり
■A・W遊撃艦隊旗艦、空母エンタープライズ戦闘群司令部指揮所
『この件は我々の不手際によるもの。誠に申し訳ない』
TFCCの大型ディスプレイに映る日本隊指揮官、津川艦長が深々と頭を下げる。身内から離反者を出してしまった事への謝罪だが、ウェルズ司令は軽く首を横に振って答えた。
「いえ、それは我が方も同じです。顔をお上げ下さい」
サンディエゴ基地司令部から齎された情報では、基地内にあらかじめGLFの工作員が複数名潜り込んでいた形跡があるという。そして彼等がサンディエゴ基地襲撃の手引きと、基地所有の即応可能な小型舟艇の破壊工作を行っていた。
『破壊』――と言っても爆弾で吹き飛ばすような派手なものでは無く、船の電気系統を切断したり、機関部のコアパーツをピンポイントで壊すといった『目立たない』破壊工作である。
その為、サンディエゴ基地の警備部隊は余計に混乱し、完全に出遅れた。洋上へ逃げたウォッチャーはまんまと逃げおおせつつある。現在、逃亡者を追うのはエンタープライズから飛び立った無人機だけだ。
裏切り者を出してしまったニホン隊の失態は重い……。しかし、アメリカ海軍の一大拠点、太平洋艦隊の母港たるサンディエゴ基地にテロリストの浸透を許した事実も同じく、重く受け止めなければならない。
そして何より、今は責任の所在を問うべき時ではない。
「連中も、あんなボートにエンジンを付けた程度の内火艇で外洋を渡ろうなどとは思っていないでしょう。間違いなく、沖合のどこかで別動隊と合流するはずです。その迎えの部隊を叩けばウォッチャーは孤立し、イヴ・マッケンジーの身柄も奪還出来るでしょう」
『お願いします。こちらも準備出来次第オスプレイを飛ばします』
津川艦長はそう言うと、再び頭を下げて通信を終えた。大型ディスプレイの画像がUAVからのライブ映像に切り替わる。それと同時にUAVのレーダーを監視していたクルーが叫ぶ。
「レーダー感有り! 民間の小型クルーザーを確認、GLFの別動隊と思われますッ!!」
「見つけたか! UAV攻撃用意、人質が乗った内火艇には当てるなよ!!」
ウェルズ司令が命令を下す――――しかし。
「――ッ!? 小型クルーザーの乗員に動きがあります! あれは――――対空ミサイル!!?」
UAVが捉えている望遠映像――ナイトビジョンカメラの画像をリアルタイムで光度調整しているため少々見づらいが、確かにそこに映る人影が円筒形の……バズーカのような物を肩にのせ、構える様が確認できた。次の瞬間、盛大な噴射煙を吐き出しながら、矢のようなモノが撃ち出される。
「UAV回避行動に移ります! フレア散布ッ!!」
UAVが回避行動のために急機動を始め、映像が乱れる。ウェルズ司令は鋭く舌を打った。
「チッ、スティンガーか! MANPADSまで持ち出して来るとは……こちらの動きを完全に予測していたようだな」
『マンパッズ』とは携帯式防空ミサイルシステムの略称だ。その名の通り、個人で携行可能な小型の対空ミサイル発射装置であり、特にヘリコプターや低空を飛ぶ対地攻撃機などに対して有効な装備である。ウェルズ司令の言葉の通り、遊撃艦隊がUAVを繰り出してくる事を読んでいたのだろう。
「敵対空ミサイル、フレアに命中! UAV軌道修正、攻撃コースに乗ります!!」
多数のフレアによって局所的に照らし出された洋上、目標の小型クルーザーと内火艇が接近しつつあった。何としても2隻が接触する前にクルーザーを叩き、足の短い内火艇を孤立させなければならない…………しかし、その思惑は脆くも崩れ去る。
小型クルーザーの右舷に大量のあぶくが立ち昇り、海中から1機のDSCVが姿を現した。
「あれは……擬態戦闘艇かッ! マズい、あれで海中に逃げられたらUAVで追跡できなくなるッ!」
ジョンソン艦長が叫ぶ。UAVのカメラは、擬態戦闘艇のコクピットハッチが開き、中から出て来た人物(臨時で操縦していたアビスウォーカーだろう)が内火艇へとロープを投げ渡す様子を映している。
「UAV攻撃目標変更! 擬態戦闘艇を狙えッ!!」
「アイ、サーッ!!」
ウェルズ司令が命じる。大きく旋回したUAVが擬態戦闘艇を照準に収めた時、何の前触れもなく――――――海に穴が空いた。
「ッ!!?」
状況を見守っていたTFCCの全員が驚きを露にする。周囲の海水ごと、クルーザーも擬態戦闘艇も、そして内火艇も……すべてを飲み込んだ海の穴は、何事も無かったかのように消えて失せる。
あまりの出来事に皆が言葉を失っていると、爆発さながらに海水を蹴散らして現れた『龍』が、その巨大な顎でUAVに喰らい付いた。
「――――な、なんという事だ……」
データリンクが切れ、ブラックアウトした大型ディスプレイを見ながら、ウェルズ司令は言葉を絞り出した。
■ヘリ空母駿河、艦橋
「お願いします。こちらも準備出来次第オスプレイを飛ばします」
そう言ってウェルズ司令との通信を終えた津川艦長は、ゆっくりとした動作で振り返った。その視線の先には仙波二尉と恭司が直立不動で控えている。
「待たせてすまないね。まだ状況は流動的だが……真道三尉、貴官には経緯の説明をしておいた方が良いと思い、来てもらった」
「経緯……ですか……。正直、今も少し……混乱しています」
恭司の言葉は、嘘偽らざる本心だった。宗像三尉が裏切ったこと、仙波二尉が拳銃を所持し、宗像三尉を追い詰めていた事……まるで理解が追い付かない。
「……だろうな。事の発端はA・W-4との初戦闘時まで遡る。あの時、乱入してきたGLFが大型船舶のスクリュー音を発するソノブイを使ってA・W-4を『釣った』のを覚えているか?」
恭司は無言で頷いた。その後、GLFは同じ手を使ってA・W-4をタイタンへ誘導している。
「あの時点で『A・W-4が大型船舶を優先的に狙う』という情報を知っていたのは、我々遊撃艦隊の人間と日米双方の政府関係者、そして軍上層部の一部のみ。つまり、GLFへ情報が洩れている可能性が濃厚だった」
そこまで語った老船乗りは深く息を吐き出した。その姿からはいつもの覇気は感じられず、どことなく疲れが見えるように感じられる。
「そこで日米双方の政府内部と米軍、自衛隊同時に、内偵捜査を行う事が決定した。この遊撃艦隊も例外ではない……グアム寄港時に迎えた補充人員の中に、特務として内偵を担当する人員が混じっていてな、エンタープライズを始め、全艦艇で捜査が行われていた。そして、本艦で内偵を行っていたのが仙波二尉という訳だ」
名前を呼ばれた仙波二尉が軽く頭を下げる。特務を帯び、内偵捜査を行っていたというのであれば、拳銃を所持していたのも頷ける話だ。
頭を上げ、居住まいを正した仙波二尉は手にしていた袋を艦長に差し出した。
「艦長、これが宗像三尉の私物から押収した通信機です」
透明なビニール袋に入れられていたのは民間の携帯電話……。スマートフォンではなく、今ではめったに見られなくなった『携帯電話』ではあるが、ぱっと見には何の変哲も無い。しかし、仙波二尉が携帯を裏返すと、背面には見慣れないパーツがビニールテープでぐるぐる巻きにされて括り付けられていた。
「ご覧ください。このように電源を入れても電波を受信しません」
仙波二尉が袋の上から電源ボタンを押し携帯電話を起動しても、液晶画面のアンテナは1本も立っていない。
「恐らくは、通話記録を残さないように通信会社の基地局を経由せず、対になる端末とだけ直接通信するよう……更に、通信の度に使用周波数を欺瞞するような改造が施されているものと思われます」
それはもはや携帯電話ではなく、トランシーバーに近い。アナログな通信手段ではあるが、だからこそ『足が付きにくい』ということで使用されたのだろう。
「そうか…………。二尉、ご苦労だった」
津川艦長は携帯電話を受け取り、肩を落とした。その直後、艦橋の扉が空き、ローザが姿を現した。
「失礼します。ムナカタ三尉がばら撒いた液体ですが、検査が終わりました」
「アレを調べてたのか? 結局あの瓶の中身は何だったんだ?」
恭司が問う。すると、ローザは目を伏せて首を横に振った。
「…………ただの水だったわ。格納庫にあるオムニトキシンのタンクとインジェクション・パイルも調べたんだけど、中身が抜かれたり細工された形跡は何も……」
つまり、宗像三尉は初めから恭司達を傷つけるつもりはなかったという事だ。裏切ったとはいえ、宗像三尉の内心では相当な葛藤があったのだろう。
老船乗りが帽子を目深に被りつつ、呟いた。
「せめてもの救いだと、思いたいものだな……」
その言葉に皆が俯き、言葉を発せずにいると、津川艦長の通信端末が着信を告げた。艦長は懐から端末を取り出し、画面をタップする。
「ああ、私だ。副長、オスプレイの準備は出来たか?」
通信の相手は木崎副長のようだ。彼はCICでオスプレイの発艦準備を指揮しているはずだが――――――。
「…………何だって!? ああ、直ぐそちらに向かう!」
津川艦長は珍しく驚きを露にして叫ぶ。それだけで、尋常ではない事態が起こったことが察せられた。
「艦長、何が……?」
仙波二尉が問う。津川艦長は通信端末を懐に仕舞いつつ答えた。
「…………連れ去られたイヴ君達が、A・W-5に喰われた」