第9話 終焉を齎すモノ
「まずは自己紹介しましょうか……私はローザ・アニング。スクリップス海洋研究所、ケロン支部の研究員よ」
部屋の隅にあるソファに恭司とイヴを座らせると、白衣の女性研究者はそう名乗った。
「で、貴方がエンサイン・シンドー、そっちの子がイヴね?」
『エンサイン』とは軍の階級で少尉の事だ。英語が苦手な恭司でも米海軍と行動を共にするにあたり、良く使う単語であるためそのくらいは覚えていた。自衛隊では三尉と呼ぶのが正しいのだが、意味的には同じなので恭司は素直に頷く。名を呼ばれたイヴも『コクコク』と恭司を真似て首を縦に振っている。
「えーっと、日本語話せる……んですね」
初対面で的外れな挨拶をしてしまった事もあり、恭司は照れ隠しにそう声をかけるが、当のローザはにべもない。
「大したことじゃないわ。以前、ニホンの海洋研究機関……えーっと、『JAMSTEC』って言ったっけ? そこと一緒に仕事をする機会があってね、その時に覚えたの。外国語なんて、必要に迫られれば嫌でも覚えるわよ」
「…………お、おう」
必要に迫られても一向に英語が上達しない恭司は、冷汗を垂らしながらそう答えるしかなかった。
■アメリカ合衆国、ワシントンD.C.
アメリカ合衆国首都、ワシントンD.C.の一画……ペンシルベニア通り1600番地。この場所は世界で最も有名な場所であり、世界で最も厳重な警備体制が敷かれた場所だろう。ここは合衆国の政治権力の中枢であり、この場所に聳える白亜の宮殿を人々はこう呼ぶ――――『ホワイトハウス』と。
ホワイトハウス内の大統領執務室に2つの人影がある、執務机に肘をつくのは合衆国第48代大統領リチャード・ターナーだ、彼は自身の目の前に立つもう一つの人影に語り掛けた。
「君が行くのか? 随分と急だな」
そう声をかけられた人物は白髪白髭の『老紳士』と呼ぶにふさわしい風情の男だ。彼はピシリと背を伸ばし、年齢を感じさせないしっかりとした声で答える。
「ええ……ハワイ沖は世界でも最大規模の深海鉱床。更にタイタン計画最大の資源供給源でもあります。ここのトラブルは我が国の安全保障すら揺るがしかねません」
その答えを聞いたターナー大統領は『うむむ』と唸りながら渋面を作った。
「チャイナを洋上から締め出す事には成功したが……。ロシアはベーリング海・北極海の開発で力をつけつつある。一方、中東は滅茶苦茶。EUは沿岸と内陸で格差が広がり屋台骨が揺らいでいる有様だ。こんな状況で、君にここを離れて欲しくは無いのだがね」
「だからこそ、です。これ以上厄介事を抱え込むのは御免ですので、直接現場を見て、問題がこれ以上大きくなる前に手を打ちます」
老紳士は即座に答える。その言葉には淀みがない、決意の固さがありありと感じられるものだ。ターナー大統領は肩を竦めた。
「全く、君は頑固だな……。仕方ない、マッケンジー上院議員、ハワイ沖の視察を頼むよ」
「ハッ! なるべく早く戻ります」
老紳士……安全保障問題を担当する大統領補佐官、エドワード・マッケンジー上院議員は一礼すると大統領執務室を後にした。
■洋上移動拠点ケロン、スクリップス海洋研究所ケロン支部
ローザと名乗った研究員は自身のノートPCを使い、恭司の八式が捉えたクラゲの化け物、及び海底の巨大化石の映像を再生しながら、様々な質問を彼にぶつけた。彼女の頭の良さ故か、質問は要点を押さえたもので、生物学など門外漢な恭司でも答えやすい内容だった。その為、クラゲの化け物に関する確認内容は順調に消化していたのだが、映像が謎の『地下空間』でのイヴ救出に差し掛かると、ローザは眉間に皺を寄せて『むぅ』と唸った。
「次にこの部分なんだけど……。正直、地質学なんかは専門外ではあるけれど、ぱっと見には人口的に形作られた空間に思える……。貴方の意見は?」
「俺……いや、自分も第一印象は人工物だと思ったん……思いました」
恭司の答えを聞いたローザは『ハァ』とため息をつく。
「……貴方さっきからずっとその調子ね。いつもの口調で良いわよ、別に私は貴方の上官じゃないし、それに年齢もたぶん貴方より下よ」
「年下ッ!? 確かに若作りだなとは思ったけど……研究者なんてしてるんだから大学くらいは出てるんだろう?」
ローザの言葉に、思わず素になり驚きを口にする恭司。うつらうつらと舟を漕いでいたイヴはその声にビクンと体を震わせ、ローザは半眼になり恭司を睨みつける。
「何か今、酷く失礼なことを言われた気がするけれど……。私は高校と大学を飛び級で卒業したのよ。ニホン人って年齢の上下にうるさいんでしょ? 私の口調は変える気は無いけれど、貴方も……ええと、『ざっくばらん』で良いわよ」
防衛大学を下の方の成績で卒業した恭司は『はぁ~』と感心した。『仕事で必要だったから』と日本語をマスターした事といい、眼前の女性研究者は『才媛』と呼ばれる人物なのだろう。
「凄いなぁ……、大したモンだよ」
思ったことを素直に口にした恭司を見て悪い気はしなかったのか、ローザは『ふふん』とかすかに笑った。
「褒めても何も出ないわよ……と、言いたいところだけれど、少し休憩にしましょうか。コーヒーでも飲む?」
ローザがそう言うと同時に、廊下に繋がる扉がノックされた。彼女は『Comein』と答え、開かれた扉からローザの同僚と思しき男性研究員が入って来た。その人物は釣り人が持っているようなクーラーボックスを右手に提げている。
彼はローザと二言三言、英語でやり取りするとクーラーボックスをローザの机に置き、恭司達に軽く手を振って部屋を出て行った。
「ちょうど良かった。今の彼にコーヒーを持ってくるようにお願いしたから、少し待ってて」
そう言いながらローザはクーラーボックスに手をかけ、蓋のロックを外す。恭司は何げなく問いを口にした。
「それは?」
「これはね……っと」
ローザはクーラーボックスの蓋を開ける。中に氷かドライアイスでも入っているのか、恭司達の所まで僅かに冷気が漂ってきた。そしてローザがクーラーボックスの中から拳大の透明なケースを取り出した時、室内の空気が一変した。
今までうとうとと半分眠っていたイヴが弾かれた様に席を立ち、ローザに襲い掛かった――いや、正確にはローザが持つケースを奪い取ろうとしたのだ。
「ちょッ!? 何? 何よッ!?」
驚きながらもケースを持つ手を高く掲げ、ローザはイヴから逃れようとする。一方イヴはピョンピョンと飛び跳ねながら執拗にローザに迫った。
「ダメッ! それ、ダメッ!!」
イヴは必死の形相でケースを奪おうとするが、いきなりの出来事にあっけにとられていた恭司が立ち上がり、イヴを羽交い絞めにした。
「おい! どうしたんだよッ!? とにかく落ち着けって!」
羽交い絞めにされ大人しくなったと思い、恭司が拘束を緩めた矢先、イヴは恭司の腕の中で身をよじった。そうしてお互いに向き合う格好になり、彼女は恭司の頬を両手で包み込むように抑えると、彼の額に自分の額を押し付けた。
「なッ!?」
「えッ!?」
恭司とローザの驚きの声が重なる――――イヴの瞳は鮮やかな七色の輝きを放っていた。そして、恭司の身体にも変化が表れる。恭司の意思とは無関係に彼の口が動きだし、勝手に言葉を紡ぎ始めた。
『すみませんキョージ、私は貴方達の言葉を理解しきれていません。貴方の言葉と、貴方の声を借りて話をさせてください』
そう言うと(喋っているのは恭司だが)、イヴはローザが持つケースを睨む。
『コレは滅ぼさねばならぬモノ。我等ネーレイスの罪にして罰』
恭司はイヴを振り払う事が出来ない。彼女の力が強い訳では無いのだが、身体が指の一本すら動かせない。
『コレは望みを絶つモノ。対峙する者に深淵よりも深い恐怖を植え付ける、悪意の具現』
ローザも身動きが出来ずにいた。余りの出来事に虚を突かれ……そして何よりもイヴの七色の瞳に見据えられ、金縛りにでも遭ったかのように身じろぎ一つできない。
『コレは食らい尽くすモノ。あらゆるものを取り込んで際限なく成長し続ける、節理への冒涜』
イヴの褐色の肌に、玉のような汗が浮かび始める。『こう』している事で、相当に体力を消耗しているのか――――。
『コレは黄昏を呼ぶモノ。敵対する者をその文明ごと滅ぼす、悪夢の始まり』
イヴの瞳に宿る七色の輝きが揺らぐ、動悸も激しい。限界が近いのだろうか? しかし、彼女は語る事を……いや、語らせることを止めない。
『コレは終焉を齎すモノ。我等が創り、そして我等を滅ぼした、束縛されざる究極の兵器』
イヴは額を押し当てたまま、至近で恭司を見つめ、そしてふわりと微笑んだ。
『そして私は……わた……し……は…………』
そこで、イヴは糸が切れた人形の様に意識を失った。
「お、おいッ!!?」
恭司は崩れ落ちるイヴの身体を抱き留めながら、同時に自分の意思で声が出せている事に気付く。そんな二人にローザが駆け寄った。
「この居住ブロックには病院もある! 二人とも精密検査を受けてッ! すぐにッ!!」
有無を言わせぬローザの迫力に、恭司は無言で頷いた。