第七話 危険な地下みち
わが征くは地底の迷路。なんてセリフにダリャトーリュンは思い至る。
ざっくりと地中を雑に掘り進めたような地下道。そこまでは理解の範疇だったが、ダリャトーリュンの記憶が確かならば、今二人が歩いているのは地下道の天井であった。
もうホントにわけがわからない。今日一日で、自分がこんなにも魔法が嫌いになるだなんて誰が予想しただろうか。
「気を付けて!」
気もそぞろになって足元の岩に引っかかりそうだったダリャトーリュンをモモの声が救う。
「おじさん、足元ぐらい見ようよ」
呆れ顔のモモに、ダリャトーリュンは返す言葉もなかった。
目の前にあるのは先の見えない洞窟、そこを鼻歌まじり、軽快にトントントントン進んでいくモモは並の度胸ではない。出逢って早々にぶっ飛ばされた時にこの少年が力のある魔族であるとは確信したが、もしかすると魔族の中でも特異なのかもしれない。
うすら寒いのは胸中の反映か、そうでないのか。湿っぽい空気が肺の中をぐるぐる回っているような心地の悪さを感じる。
静まり返る道はまるで息を感じない非生物のようで、地下都市のダーカサーゼ育ちだからこそわかった。これは危ない道だ、と。
……そのようにダリャトーリュンは道の先に不安しか見いだせなかったが、地図を持っているモモは陽気なもので、探検気分に乗ってうきうきとしている様子だ。
ここでは視界が役に立たない。何かしらの魔法を使っているのか少年の周囲には明るい光の球がいくつも浮いているが、視覚の手掛かりはそのぐらいだ。こんな地下にずっといたら自分は頭がおかしくなると思う。ゼッタイに。
ダーカサーゼにも暗い道や雑に作られた道はあったがこんな地下道は初めてで、ダリャトーリュンはまた少年に問いかける――機嫌を損ねぬよう、小声でおそるおそる。
「その地図ほんとに大丈夫なのか?」
「ここが近道なんだって。おじさん、何度言えばわかるの? 地図も見せたのに」
この地下道に入ってから、何度聞いても大丈夫としか言わないモモに対して、その度にダリャトーリュンの不安は増していく。
数十分か数時間前、人気のない広場の隅をモモがいじったと思ったら、不気味な風が吹き上げてくる横穴が出現した。
丁度光の届かない場所に見えた直角に下る横道。……横道? 真下に落ちるだけの穴が道だって? その時ダリャトーリュンは自分の頭や目がイカレてしまったのだと思ったのだった。わりとマジで。
――それが、この”魔法の”地下道の入り口だったのだ。
「なんでこんな道作ったんだよ……」
何度泣き言を言ったか覚えていないダリャトーリュンだったが、楽しそうな少年モモに逆らうような気力も勇気も彼には無かった。
領事館ならフォルセティスの案内板すら見れば行ける、と一度は進言したもののモモの意志は決まっていて、「近道で早く行きたいの! 兄さまに早く会いたいんだ」、そう言われてしまえば黙るしかない。
もう怪我は御免だとダリャトーリュンは学習していた。
それからまた滑り昇ったり、後ろから下ったりを繰り返し、ふと横を見てみると壁に”なにか”が描かれていた。
「おチビ、これなんだろな」
「わかんない。地図には何にも載ってないけど……」
それらは図や記号からなる象形文字であったが、モモはもちろんダリャトーリュンも知らなかった。まあ、知っていたところで、八大陸でも解読できるのは一部の歴史学者ぐらいであったからあまり意味はなかっただろう。
壁を見ながらも丁字路に差し掛かるとモモは立ち止まり、よく地図を確認する。
「ここは右――あ、やっぱりダメ。危ないものがあるって、一番近い道なのに」
「……危ないものって?」
「んー、風車のマークが書いてあるから、強い風が吹いてるんじゃない?」
「……地下で風?」
「もう、そんなに言うならおじさんが地図見てよ。ほら」
ツンと突き出された地図を反射的に受け取り、この地下道の全容を見る。やけに細かい割に普通とはかけ離れた地図だということには気づかないふりをする。きっと知らない方が良い。
出口はどれも都市の重要な施設の近くに繋がっている、確かに早く着きそうだ。しかし、道が重なっていてよく分からない、立体図にでも見えればすぐ分かるだろうがそんな魔法はあるのだろうか。
道やら説明やらを上から見たり下から見たり繰り返していると、右下から不満そうな声が届く。
「お腹すいた。なんか食べたい」
それはこちらのセリフだと、ダリャトーリュンは文句を言いたくなった。溜息を吐きながら、モモの荷物を指さす。
「おチビはリュックに飯持ってるだろ」
「あれおいしくないんだよ」
「贅沢者め、食わないなら寄越せ」
軽いやり取りに反応がなくて地図から目をずらすと、ダリャトーリュンへ冷たい目線が浴びせられていた。
「いやだよ。兄さまがぼくにくれたんだから」
ヒヤッとしたダリャトーリュンは話題を変えてしまおうと、今さっき見つけた地図の開けた場所を指す。
「ここに”管理人”がいるんだってさ、道を聞こうぜ。早く行けるようにさ」
ダリャトーリュンが誤魔化したのは分かったが、モモも手っ取り早く目的地へ着きたいがため同意し、首肯した。
ダリャトーリュンが地図に従っていくと、”管理人”がいるはずの広場に辿り着いた。
光り輝く宝石のようなものが所々に置かれていて、ドーム状のその空間は古い遺跡のような神聖さを感じさせる。とても美しい場所だった。
二人で感動しながら進むと、中央の石椅子の前に、身体に布を巻いた女性が立っていた。なお、ここでいう”女性”とは、他に形容すべき言葉が見つからないから用いているのであって断定的な表現ではない。
女性はそして――モモとダリャトーリュンが来ることを知っていたかのように此方をじっと見ているのだ。
女性の表情は――無い。
そういえばこんな地下にいるって……人間か? 今更になって、ダリャトーリュンの頭に恐ろしい疑問が浮かび上がる。
直角に下に滑り落ちる道なんてハナからマトモじゃないだろ、そんなところの管理人……ゾクッとした。
女性が不気味過ぎ、ダリャトーリュンが動けなくなっている一方で、モモは臆することなく近づいて声を掛けた。
「お姉さん、こんにちは。道を教えてほしいんだけど」
ダリャトーリュンは意思疎通ができるかと訝しんだが、存外、女性はモモをしっかりと見て返事を返した。
「00-05 0-00 06 01 02 0-05 02-05 00-06 03 0-03 01-00 02-02 03-03 01-01 00-05 03 0-07 1-00 1-03 1-06 0-05 02-05」
音が、女性の口から響く。数字の羅列である音は、モモとダリャトーリュンには意味不明の音としてしか伝わらない。女性のひょろ長い見た目に反して口から出る音はいかつく聞こえた。
「03-02 05 03-02 0-07 02-05 01-03 01-04 06 1 1-04 01 1-05 02 001 0-07 01-03 00 1-03 01-02 000 10-04 02 05 02」
はて、これにはモモも困ってしまった。
「何言ってるか分からないよ。兄さまならお話できるのかな……」
女性が怖くて近づけないダリャトーリュンは、モモに建設的な意見を述べることにした。ここから逃げたいがための。
「なあ先行こうぜ。言語だかも分からん音だ。どうせこっちのも伝わんねえよ」
「えー、でも道を聞くんでしょ?」
それにモモには、女性は何かを伝えようとしているように思えたのだ。
「0-00 0-00 0-05 02 10-04 0-07 02 0-04 05 02」
「どうしたんだろう? 何かぼくに言いたいことがあるのかな」
女性は手を動かした。モモは避けない。
女性はモモの頬に手を伸ばしながら、もう一度"言った"。
「0-00 0-00 0-05 02 10-04 0-07 02 0-04 05 02」
――もう、たくさんだった。
ダリャトーリュンがモモの手を引いて走り出す。
「逃げようって」
「なんで?」
「危ない! ゼッタイに危ないから!」
近くに見えた階段を横に駆け降りていく。
駆けながら、ダリャトーリュンは決意した。この少年から一時でも早く逃げなくてはと。ゼッタイ、このまま一緒にいたら死ぬ! 今自分が無事でいるのは幸運中の幸運だ、きっと一生分の運を使い果たしてしまったに違いない。
今はもうおチビにメタンコにやられたって構わないと思った。だから、少年の文句も気にしない。
「ひっ張んないでよ! ぼくは怪我しちゃいけないんだから!」
地下の道を足が感覚を無くすまでがむしゃらに走り続けて、太陽が見えた瞬間、ダリャトーリュンは歓喜の叫び声を上げた。……まあ、すぐにうるさいとモモに拳骨をくらったが。
あれだけダリャトーリュンが全力で走ったにもかかわらず息すら上げていないモモに、魔族は体の出来が根っから違うのだと考えさせられる。こうも性能差を見せつけられれば羨ましいとも思えない。
それどころか、”魔族は人間ではない”なんて言っていたバカを思い出した。確かに、これは同じ人間だなんて信じられないよな……と。
出口は闇市の裏手にあった。耳に付くうめき声や叫び声。しかし、それほど遠くない所から賑やかな街の喧騒も届いてくる。
「こらまたえらいトコに出ちまったな。物騒だから離れるなよ、モモ。幸いココの道は詳しい。領事館街はすぐ近くだ」
「分かってるよ。外の人は見た目は優しくても中身は分からないから、ちゃんと気を付けてって言われてる」
「俺はいいのか」
「何言ってるの、おじさんは弱いじゃん」
まったく容赦のないモモの言葉に、叩きのめされ腹ペコのまま歩いて走ってボロボロのダリャトーリュンは引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
さて、薄暗い道からやっと明るい道へ近づくと段々人影が増えてくる。ダリャトーリュンは、見慣れた景色は幸せだと噛み締め、生まれ変わったように胸が晴れた。
領事館街は国内各領の由緒ある建物が居並ぶ壮観な大通りで、近づけばすぐに分かる。
初めて来たモモは完全にお上りさんであった。感嘆の声をあげてそこかしこを見回している姿は、モモにしては珍しく見た目通りのものだった。
「で、おチビの目的はどこの領事館なんだ?」
あそこ! とスパッとモモが指さしたのは、派手派手しい各領の館の中で浮いているほど目立つ、漆黒の外観。――フォルセティスの南洋領事館だった。
深緑の地にトキタスアの国章の、これでもかというほど巨大なグリーンベール家の証が領事館の壁に刻まれている。
一瞬で分かった。なんて分かりやすくて親切だろうとモモは感心すらした。
黒い壁に大きく、塀にも旗が翻る見慣れたグリーンベールの証、モモにとっては大好きな兄の印だった。
だから、立派で素敵な領事館を見るのに夢中になっていて、モモはダリャトーリュンの異変に気づかなかった。
グリーンベールの証を見てニコニコのモモに対して、ダリャトーリュンは青ざめていた。
南洋の領事館だって? そんなおっかない所に近づいて堪るかよ。行かない、俺は絶対に行かない!!
どうせさっき決めたんだ、逃げるって。南洋地方に関わるぐらいなら死んだ方がマシに決まってる。
モモよりも南洋地方への恐怖が勝ったダリャトーリュンは、そのまま静かに、そろりと街の喧騒へ紛れていった。
「あれ?」
気がつくとダリャトーリュンの姿はモモの前から影も形もなくなっていた。周囲は知らない人ばかりである。
モモは気に入っていたおもちゃがなくなったようでぶすくれ、口を尖らせた。せっかく領事館を見つけて喜んでいたのに気分を邪魔されたのである。
――そこに、一人になった少年に近づく人影がひとつ。
「モモくん! 良かった、無事だったのね!」
ダリャトーリュンに逃げられたモモに声を掛けたのは、駅で別れた、あのおばあさんだった――。