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[第一章完結] 揺り籠の烙印者  作者:
第二章 ウィリディスの冒険
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第二話 大きな世界の小さな話

 建国暦702年、春。

 蒼く澄んだ晴天の下で、グリーンベール家の治める南洋地方は常と変わらず賑やかな有り様である。


 方々には古くより築かれ培われた街が点在し、そこかしこに人々の郷愁となる匂いがこびりついている。想い描くは人の顔か、旨かった飯か、それとも……。


 街を結ぶ整備された路道ではさまざまな人が行き交い、静けさを知らず。色の溢れる街中まちなかには、いたずら好きな子供から、大荷物を運ぶ商人、剣をいた領軍兵まで皆が活気良く暮らしている。

 驚くことに、南洋地方には人の集まる場所に現れるはずの乞食や悪党のたぐいもいないのだ。それは領主を総司令官とする軍によって完全に統制された社会であるが故である。

 加えて一面の実りの大地と、豊かな森に絶え間なく流るる清流にも恵まれ、暮らす者はただ平穏を享受することができていた。


 領民は平穏に生きている。とはいえ、国内外において南洋地方の評判は良いとは言い難い。さもあらん、軍による他国との武力衝突が絶えないからだ。


 トキタスア機構国、この国の国歌には次のような一節がある。

 “国の端 南洋の風に育まれ 守護者の縁は継がれゆく”

 大陸南端の半島に位置するこの国で、ここ、南洋地方は唯一の他国との領接地であった。

 そのため、この地には古くより勇壮な若者が集い、国の守り人としての役目を遂げてきたのだ。

 中でも建国の時代よりこの領地を治めてきたグリーンベール家は、先祖より受け継いだ力を用いてこの地を守り抜いてきた。”国の守護神グリーンベール”とは、トキタスアの民であれば誰もが知っている言葉である。

 そう、トキタスアの南洋地方と言えば“難攻不落の要衝地”、もしくは"触れねば仏のなんとやら"として周辺諸国にも広く武勇を知られているのであった。


 ところが国歌に謳われる英傑が集うこの地でも、無事では済まない出来事があった。

 それを今に伝えるのは、隣国との領地に面する防護壁に刻まれた傷跡。前領主の時代に起こった戦争の傷跡が、現領主の意向により一部だけ残されたものだ。

 いかなる平和な時を過ごそうと、危険が無くなることはない。そのことを領民たちが忘れないように。戒めとして残された痕跡だった。

 人の背、十ぶんはある防護壁の根本には植樹と献花が隙間なく捧げられていて、二度と惨禍を持ち込ませないという人々の決意の体現を感じる場所である。

 想い続けるだけでなく、忘却されないように、失われた命一つ一つに意味があったといえるように、平和を守り抜くという誓いがそこにはあった。






 ほんの六年前まで、この地は戦禍の渦中にあった。


 そもそもトキタスア機構国の位置する大陸では、何百年も二つの国が覇を競っていた。トキタスアとジスペランツァである。

 競うと言えども、それは決して諍いではなく。文化、商業、工業と多岐にわたる競り合いは周囲の国々をも潤し、大陸の発展に繋がっていた。

 しかし、大陸の命運は、たった一つの法によって狂わされた。

 八大陸に君臨する天下三国。彼らが莫大な権力を用いて、全世界に彼らの創った法をいたのだ。

 世界の秩序を構築するとの名目で、天下三国に仇なす国や組織を排除するその法律は多くの国々にとって不合理でしかない法律であったが、他の主だった国々でさえ従順せざるを得なかった。


 そこで火種となったのは――トキタスアの隣国ジスペランツァ、建国五百年ほどの共和制国家であった。

 建国時その頃からすでにジスペランツァでは魔族――理解できない存在、攻撃されては立ち向かえない存在――を有するトキタスアに対して、人々は恐怖を抱いており、友好的な態度を取らないことは常であった。


 そうした土壌もあって、天下三国の法による世界の混乱がトキタスアを排除する好機だとしてジスペランツァ最高議会は宣戦を布告し、派生した戦乱は八大陸全土に広がり、否応なしに国々は戦場となったのである。


 トキタスアでは南洋領軍を中心に国軍、他領軍を合わせた連合軍が国境での戦闘に参加した。

 グリーンベール家は大きな犠牲を払いながらも侵攻するジスペランツァ兵を防ぎ切ったが、領内では逆侵攻を唱える過激派が幅を利かせるような好ましくない情勢であった。敵は内にも潜んでおり、トキタスアの民に不利益をもたらさんと謀略を巡らせていたのである。

 他の大陸からの干渉も入り戦闘は長期化すると考えられていたが、最終的にそれは杞憂に過ぎなかった。


 彼、ルジア・レイケント・アルドレド=ルル・ヴィント。第103代ヴェン=トリューズ帝国皇帝が時の天下三国の一角、大国キュユイを滅ぼすことで各地の戦争は収束していったのだ。そして八大陸から戦の音は消え去り、偉大なる皇帝としての名声は遥かまで轟いた。


 八大陸すべての戦争が終決した時には大国キュユイを含め4つの国が消えていた。それらの国は戦争に疲弊していたところを帝国に買われて今や帝国の一部となっている。

 時代は移ろい――帝国は新たなる天下三国の地位を手に入れたのだ。






 そのような歴史の中で、トキタスアの南洋地方では現領主アレヴターウェン・グリーンベールへの称賛の声は留まることがない。


「これからも南洋はどんどん良くなるぞ。戦争の時がウソみたいだ」

「アレヴターウェン様のおかげよな」

「まったくだ」


 このような会話が領内のいたるところで行われているのである。情報操作などするまでもなく、信頼という名の権力はアレヴターウェンの元に集まった。彼は終戦後に領主を継いだ当初から堅実な領運営と公正迅速な判断力を以って――美の化身とも評される容姿が関係していないとも言えないが――南洋地方のみでなくトキタスア全土から絶大な支持を得るに至っていた。


 そして今、一陣の風がベールズ地区へと吹き渡る。南洋地方の端に位置するこの領都は南洋地方において最も栄えている街であり、戦後に整備された強く美しい景観はトキタスア王都と並び評される程の芸術性をもって風を出迎えた。

 街門より入りしその風は中通りを駆け、民家軒先の使い古された服を揺らして街の中心へと至る。


 ベールズ地区の中心部には荘厳な城屋敷があって、その敷地と城壁は籠城戦にも耐えうる広大さと堅牢さを持っていた。領の迎賓館としても使用される真っ黒の御屋敷。この屋敷こそ南洋地方の領主、アレヴターウェン・グリーンベールの住居である。


 城屋敷を覆う高い塀の周囲にはグリーンベール家の深緑に彩られた巨大な国の御旗が幾数も掲げられ、風にはためき、屋敷の中庭にいた小さな少年の視界に映る。

 最後に風がやさしく少年の髪を舞わせると、まんまるの瞳と柔らかな肌色があらわとなった。


 深緑の妖精と、この少年を知る者は口にする。

 彼は宗教画から浮かびあがって生まれたように無垢な少年である。

 あいらしく、かわいらしい容姿は、人である者ならば誰もが惹かれざるを得ないであろう純真さを湛えていた。


 この少年の名はウィリディス。領主アレヴターウェンの弟であり、グリーンベールの象徴たる深緑の色はしっかりとふたつの瞳と髪色に刻まれている。

 場所は広い中庭にある巨木の下。兄がウィリディスのために作ってくれた枝のブランコだった。今日のように晴れている日は兄がウィリディスを抱えてここで遊んでくれるのが常である。

 しかし今、兄のアレヴターウェンは家にいない。それどころかグリーンベール家の領地にもいない。加えて、昨日も一昨日も家に帰ってこなかったのだ。いつもならば兄は帰ってきたらすぐにウィリディスに声をかけてくれるし、毎朝一番に部屋に起こしにも来てくれるというのに。

 それ故にブランコをひとり漕ぐウィリディスの表情は浮かないものであった。


 自分の兄がとても優秀で、とても忙しい人であることはウィリディスもわかってはいるのだ。そんな現状でも、兄は自分を大切に思って十分気遣ってくれている。

 だけれどこうして寂しい思いをすることは珍しくない。しかし、小さなウィリディスはそれをただ受け入れることができなかった。


 そして今朝、後三日は帰ってこないだろうと言われてからは余計に消沈しているのだ。

 暗い顔をしてブランコで遊ぶその姿を、家の者たちは目に涙を浮かべ、拭き布を噛みながら見守っている。目を伏せている横顔の悲愴さといったら声を迂闊にかけられないものであった。普段はにこにことしていることの多いウィリディスだから尚更だ。

 なお、家の者たちとは、アレヴターウェンが特別に雇っている住み込みの家事使用人たちのことである。なかなかに働きやすい職場のようで長期就業の希望が絶えないとは、業界で有名な話だ。


 閑話休題。話をもとに戻そう。

 長く勤めている者が多い故に、ウィリディスが赤子の頃より面倒を見てきた家人たちは、十にも満たないかわいい盛りのウィリディスが寂しそうにしているのを見ていられないのである。

 もしもの、あったはずの光景を夢想せずにはいられなくなるからだ。誰の目から見ても仲の良い兄弟が、もしも――もっと共にいられたならと。アレヴターウェンにグリーンベール家当主のお役目がある限り叶わぬと分かっていても思わずにはいられなかった。


 自分たちが何をしようとウィリディスの悲しみを晴らすことはできない。しかし少しでもウィリディスの気が紛れるようにと、彼らはいつもの様にお菓子パーティーの準備を始めた。

 ウィリディスは甘いものが好きなのだ。

 特に大好きなのは餡子の入った苺ショートケーキで、粒餡ならなお良し。どんなにへそを曲げている時でもたちまち笑顔になってしまう。

 ほんの一時の慰めかも知れないが、家人らは少年の為に何かをしたくて仕方がなかった。


 ――ちなみに、ウィリディスが喜ぶからと、兄がお菓子を買いあさってきてそのたびに家人たちに怒られている事実をウィリディスは知らなかったりする。


「ウィリ様、そろそろお昼寝のお時間かと。寝所の支度は整っておりますよ」

「起きたときには素敵なお菓子をたくさんご用意しておきますから」


「うん、わかった」


 家人たちに勧められ、ウィリディスは部屋に向かおうとした。

 しかしその時、ウィリディスの真上の葉々を揺らし、一羽の小鳥が飛び立つ。

 音に驚いてウィリディスが視線を向けると小鳥は力強く羽ばたいていた。風を起こし、屋敷の屋根をこえ、蒼き大空へとむかって。


「兄さま」


 空を見つめたまま、ちいさな口が動かされかすかに、求める人を呼ぶ。だがその声は勿論誰に届くこともない。


 小鳥が見えなくなった後も、ウィリディスは空を仰ぎ見続けた。

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